学位論文要旨



No 114170
著者(漢字) 田代,久美
著者(英字)
著者(カナ) タシロ,クミ
標題(和) 児童の学習・生活活動の展開からみた小学校建築に関する研究
標題(洋)
報告番号 114170
報告番号 甲14170
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4296号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 伊藤,毅
内容要旨

 日本の学校建築は片廊下型の標準設計が一般的でありそれは長い間変わらなかったが、近年の教育改革の動きとともに変化が起りつつある。また建築計画学では心理学と結びついた環境行動研究も盛んになってきている。本研究は基本的にはこれらの流れを汲み、また学校建築は教育的な取り組み抜きには語ることができないため、建築的・教育的にともに特色のある小学校を事例的に取り上げ、そこでの児童の学校生活を生活・学習・参加の各側面から詳細に捉えて研究し、一人ひとりの児童に焦点を当てた学習の展開及び児童の生活実態から小学校空間の分析を行っていることに特色があり、今後の新たな学校建築の方向性を探ることを目的としているものである。

 本研究は児童の活動を追跡した1日の行動内容及び軌跡調査、クラスごとの学習展開を調べたマップ調査、行動場面分析、経年変化調査などで構成され、これらを基に分析・検討を行っている。

 まず行動内容及び軌跡調査では、学校を生活の場と捉えて、建築的・教育方法的に特徴があり建築形態も異なる3つの小学校での児童の1日の生活について、行動の観察と軌跡調査を行った。その結果、学校における児童の生活は教室とその周りを中心にそれほど広くない範囲で展開されており、学年、性別、校舎形態などの影響は受けないことや、教室は児童にとって活動の拠点となる安定した場となっており、それにより教室周りに学年ごとの安定した領域が形成され、児童の活動の範囲は教室から学年のスペース、全校共通のスペースへと広がっていっていることが明らかにされた。逆にそれぞれの安定した領域が形成されることで校舎の中には場所のヒエラルキーが形成され、違う学年の領域と認識されている場所は使用されない。

 児童の行為は、授業に関するもの、生活に関するもの、それ以外のもの、自由、に分けられ、その変わり目には行為のゆらぎがみられ、一見ふらふらしているように見える「隙間行動」が起っていた。隙間行動は眺めるという視覚的なつながりによって起こり、それらは他の児童の様子や全体の様子を眺めることでその関係の中で自分の動きを微妙に調整し決定づけるためのものである。児童にとって学校生活の中での視覚刺激は大きな意味があることが明らかになった。

 次に学校を学習の場として捉えて、学習活動の展開に変化のあるオープンプランの2小学校でマップ調査を行った。オープンスペースの使われ方には、1)学年全体での授業に使用する、2)個別学習のインストラクション・発表、3)工作、壁新聞づくりなど広いスペースを必要とする作業、4)T.T.の時の個別学習・指導、5)授業以外(給食、遊びなど)がある。学習の展開について分析した結果では、オープンプランの小学校においても授業は基本的に教室で行われており、特別教室もそれほど使われてはいなかったが、家具のしつらえやT.T.などの教育方法によっては学習の形態は多様化することも確認された。またオープンスペースは日常的な授業の場である教室に連続することにより利用が促進され、教室からオープンスペースへの行為の溢れ出しが起こり、学年・クラス・個人などのテリトリーがあり、利用は学年ごとのまとまりとも対応しているという空間の段階性もみられた。大型の教育情報機器が教室に持ち込まれたり、少人数でのちょっとした作業などは、オープンスペースがあっても教室で行われることも多く、その場合現状では机を片側に寄せたり、移動させて対処しているため、教室周りと合わせて教室自体の面積を広げるという方向も考えられる。

 最後に学校を交流の場として捉え、「人間の周囲に存在する物理的環境と人間の行動との組み合わせで一定時間持続するという時間的境界と、拡散が抑制されているという空間的境界を持つもの」を「行動場面」として分析を行い、それにより児童の行為と物理的環境の関連について考察している。観察された児童の行動場面は、床を利用する、校舎の部分利用、食事、居方、見る、囲まれる、姿を隠す、姿勢の変化の8つに分類され、それらの行動場面は空間の条件が行為の内容、集団の人数、他の児童との関係とうまく噛み合った時に発生しているということが確認された。またこれらの行動場面が発生しやすい場所には、その空間になじむための「手がかり」があり、手がかりとなるものが何もない場合にはその空間は通過されることを明らかにした。これらのことから結論として

1)「行為のゆらぎと見え」

 児童は一人ひとり違った独自の学びの速度・方法・スタイルなどを自分のリズムとして持っていて、それらは同じ児童でも日によって違うこともあり、成長によっても変化していく。児童が学校の中である行動から別の行動に移る時には「行為のゆらぎ」ともいえる「隙間行動」が起っている。その時、次の行為を決める判断の材料となっているのは空間における「見え」である。児童は他の児童の行為や全体の状況を見ることで自分自身の次の行動を微妙に調節しているのである。また、学校生活の中では児童の「視覚による参加」が起っている。視覚的参加が容易でゆらぎ調整の判断材料が得やすいこと、つまり学校の中に多様な「見え」を用意することは、児童の行為の多様化と学習・生活活動の活性化につながるものである。児童にとっては学校生活の中での視覚刺激が重要であるということから、建築的な対応として視覚的なつながりが持てるような空間を作り出すことが必要であり、視線の通過を可能にし、視覚的刺激が多い大きなガラス窓やオープンな空間は計画の手法としては有効であろうと思われる。

2)「教室周りの再検討」

 教室型の校舎でもオープンプランの校舎でも、現在のカリキュラムでは授業の大部分は一斉授業で行われており、そのため授業の展開も教室が中心となっている。教室がクラスのまとまりや連帯感をつくり、小学校における児童の学習・生活活動の展開のベースとして安定した領域を形成しているという点では評価できるものである。しかし、教育方法の多様化により教室内への大型教育機器の一時的・恒常的持ち込みや机の配置の変化が起っており、そのため教室から教室周りへの行為の溢れ出しが起っていることから、現状では教室のスペースが不十分なのではないかと考えられる。行為の溢れ出しは教室から教室前のスペース、そして学年のスペースへと段階性を持って広がっていっており、教室に隣接してスペースが設けられることにより利用は促進されるが、離れていたり、階が異なっているとあまり利用はされない。また異なる学年の領域と認識される場合には隣接していても利用は起らないなど、学年ゾーンとしてのまとまりがある。その上でT.T.などの学習方法と連携することによって、教室以外の場所の利用は日常化していくことができる。小学校建築は補助制度の充実、教育方法の多様化の取り組み、コンピュータの導入、生涯学習の需要増による地域開放への需要の高まりなどを背景に、30年かかって少しずつオープン化の方向に向いてきた。これからもしばらくはこの傾向が続くであろう。しかし日本では教育方法との絡みで教室スペースは当分なくならないであろう。実際の児童の使い方をみても教室とその周りが活動の中心であった。そこで今後の新しい計画の方向としては、具体的には教室周りを広くして図工や共同作業のできるコーナーを設けたり、給排水設備や可動式の調理台を付けて簡単な実験や調理ができるようにする、また利用率の低い特別教室なども見直して一つの大きな作業スペースにしたり、地域開放用に配置や設備を変えるなど、教育の緩やかな変化をうけとめながら、教室と教室周りのスペースの広さや構成を再検討し、新しいタイプのオープンプランが作られる時期を迎えている。

3)「空間への手がかりと学校へのなじみ」

 児童は学校空間の知覚に自分の身体寸法を利用しており、体の小さな低学年の児童ほど実際の寸法よりも大きく感じる傾向があるため、オープンスペースの様な児童の身体寸法を越えた大きな空間では、児童がその空間をうまく認識することができず、その空間になじむためには児童の身体寸法に近い小さな空間や家具などの手がかりを必要としている様子が明らかになった。オープンスペースを計画する場合には、その中に大きさや形態に変化のある空間を入れこむことや、多様な家具を置くなど、空間への手がかりをできるだけ用意し、児童が学校空間になじみやすいように工夫することが必要である。また空間への手がかりはものだけに限らず、そこで起こる出来事やそこにいる他の児童も手がかりとなることができるので、利用のためのプログラムも合わせて計画されることがこれからは必要になってくるであろう。手がかりとして利用されるものには、1)特徴のある場所、2)より小さな空間、3)大きな高低差、4)小さな高低差、5)家具、6)掲示物、7)道具、8)生き物、9)イベント、10)友だちなどがある。児童は学校生活の中でこれらを手がかりにしながら学校の空間になじんでいっている。学校空間は児童にとって居心地よく愛着の持てる空間でなければならず、静かに落ち着いて滞在できる空間と行為を誘発する活動的な空間のそれぞれが必要である。そこに児童の身体寸法を考慮した空間への手がかりをできるだけ用意することで、児童はその空間になじんでいくことができる。手がかりとなるものが多いほど、それは多様な行動場面となって現われ、その空間にはなじみやすいといえる。

 といったことを導き出している。

審査要旨

 この論文は、建築的・教育的に特色のある小学校を事例的に取り上げ、児童の学校生活を生活・学習・参加の各側面から詳細に捉え、一人ひとりの児童に焦点を当てた学習の展開・生活実態から小学校空間の分析を行い、新たな学校建築の方向性を探ることを目的としている。

 論文は序論、本論ならびに結論で構成される。

 序論では、学校・教育制度ならびに学校建築の変遷、学校建築計画研究の流れ、教育学での学校建築研究といった研究の背景、そして研究の目的と位置付け、用語解説を行なっている。

 本論は、5章で構成される。

 1章では学校環境と現代の課題など環境としての小学校を解説している。

 2章は生活の場として小学校をとらえた研究の概要で、建築的・教育方法的に特徴があり建築形態も異なる3小学校で実施した児童の1日の生活の行動の観察・軌跡調査の概要を示している。すなわち、学校における児童の生活は教室とその周りを中心にそれほど広くない範囲で展開され、学年、性別、校舎形態などの影響は受けないことや、教室は児童にとって活動拠点となる安定した場であり、教室周りには学年ごとの安定した領域が形成され、活動の範囲は教室から学年のスペース、全校共通のスペースへと広がっていっていることを明らかにしている。逆にそれぞれの安定した領域の形成が校舎の中に場所のヒエラルキーを形成し、違う学年の領域と認識されている場所は使用されないことを指摘している。児童の行為は、授業、生活に関するもの、それ以外のもの、自由、に分けられ、その変わり目には行為のゆらぎがみられる。しかし一見ふらふらしているように見える「隙間行動」は、眺めるという視覚的連携で発生し、他の児童や全体の様子を眺めることで自分の動きを微妙に調整し決定づけており、児童にとって学校生活の中での視覚刺激は大きな意味があることが明らかにしている。

 3章では、学校を学習の場として捉えて、学習活動の展開に変化のあるオープンプランの2小学校でマップ調査を行いその分析結果を述べている。オープンスペースの使われ方には、1)学年全体での授業、2)個別学習のインストラクション・発表、3)工作、壁新聞づくりなど広いスペースを要する作業、4)T.T.の時の個別学習・指導、5)給食、遊びなど授業以外が見られた。学習の展開の分析結果では、オープンプランの小学校においても授業は基本的に教室で行われており、特別教室もそれほど使われてはいなかったが、家具のしつらえやT.T.などの教育方法によっては学習の形態は多様化することを確認している。またオープンスペースは日常的な授業の場である教室に連続させることにより利用が促進され、教室からオープンスペースへの行為の溢れ出しや学年・クラス・個人などのテリトリーそ存在が確認され、利用においては学年ごとのまとまりとも対応しているという空間の段階性もみられたとしている。大型の教育情報機器が教室に持ち込み、少人数での作業などは、オープンスペースがあっても教室で行われることも多く、現状では机を片側に寄せたり、移動させて対処しているため、教室周りと合わせて教室自体の面積を広げるという方向の可能性を主張している。

 4章は、学校を交流の場として捉え、「人間の周囲に存在する物理的環境と人間の行動との組み合わせで一定時間持続するという時間的境界と、拡散が抑制されているという空間的境界を持つもの」を「行動場面」と定義して分析を行い、児童の行為と物理的環境の関連について考察している。観察された行動場面は、床を利用、校舎の部分利用、食事、居方、見る、囲まれる、姿を隠す、姿勢の変化の8つに分類され、それらは空間の条件が行為の内容、集団の人数、他の児童との関係とうまく噛み合った時に発生しているということが確認している。またこれらの行動場面が発生しやすい場所には、その空間になじむための「手がかり」が存在し、それが何もない場合には通過される空間になることを明らかにしている。

 5章は、比較による考察で、活動の範囲と特徴、学習方法による児童の活動範囲、行動場面による空間特性と行為、そして経年による比較を行なっている。

 結論では、児童の学習・生活活動の展開からみた今後の学校建築計画の展望を行なっており、以上の調査分析に基づいて、結論として以下の3点を導き出している。

 1)「行為のゆらぎと見え」:児童が別の行動に移る時には「行為のゆらぎ」ともいえる「隙間行動」が起り、空間における「見え」が次の行為を決める判断材料となっている。学校生活の中では児童の「視覚による参加」が起っており、学校の中に多様な「見え」を用意することは、児童の行為の多様化と学習・生活活動の活性化につながるものである。

 2)「教室周りの再検討」:現在のカリキュラムでは授業の大部分は一斉授業であり、教室が中心となっている。教室はクラスのまとまりや連帯感をつくり、児童の学習・生活活動の展開のベースとして安定した領域を形成している点では評価できるが、教育方法の多様化に伴い、大型教育機器の持込、机配置の変化により教室のスペースは不十分と考えられる。過去30年間に少しずつオープン化は普及してきたが、教室と教室周りのスペースの広さや構成を再検し、新しいタイプのオープンプランが作られる時期を迎えている。

 3)「空間への手がかりと学校へのなじみ」:児童は自分の身体寸法を利用しており、オープンスペースの様な大きな空間では、児童がその空間をうまく認識できず、その空間になじむためには身体寸法に近い小さな空間や家具などの手がかりを必要としている様子が明らかになった。オープンスペースの計画では、大きさや形態に変化のある空間を入れこむことや、多様な家具の設置、空間への手がかりの用意などを、工夫する必要がある。

 以上のように、本研究は長い間変わらなかった片廊下型の標準設計の学校建築に対して、近年の教育改革の動きを踏まえて、今後の学校建築に新たな視点を付与したものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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