学位論文要旨



No 114172
著者(漢字) 伊藤,俊介
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,シュンスケ
標題(和) 小学校の施設的文脈における児童の環境行動・認知の事例研究
標題(洋)
報告番号 114172
報告番号 甲14172
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4298号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
 東京大学 助教授 岸田,省吾
内容要旨

 小学校の計画/デザインにおいて、従来の一斉・画一的教育の場から、児童の主体的な学習の場への転換が大きなテーマとなって久しい。社会学・教育学の分野では、学校では教科教育や行事などのプログラム的諸活動だけでなく、学校生活全般に体現される価値体系によって児童が社会化・文化化されることが指摘されている。また、状況的学習・認知の理論によれば、学習は社会・文化への参加のプロセスと不可分であり、状況との関わりの中で、(広義の)学習は生起する。環境の空間的な枠組みを扱う建築学においても、児童の行動・認知を総体的環境や学校独自の施設的文脈の中に位置づけて捉える視点が必要とされる。

 これまで建築計画の分野では、主として多様な授業形態のための空間計画という機能的アプローチと、児童の行動・心理特性の理解というアプローチからの取り組みがなされてきた。しかし、児童は発達的にみた子供としては配慮されてきたものの、学校における社会的存在としての児童に、環境がどのような価値をもつかは論じられてこなかった。上記を背景として、本研究は児童が学校を日常環境としてどのように体験し、行動・認知が学校の文脈とどのように関わっているかを明らかにすることを通して、学校計画/デザインに、児童にとっての環境の意味という視点を付与することを目的とする。

 本研究は、特徴的なデザインの校舎とインフォーマル教育の積極的な実践で知られる新設校(U小)をフィールドとした事例研究を軸としている。児童の場所のイメージや環境の認識と、教室・オープンスペースでの居場所選択と児童の社会構造の関係についてケーススタディを行い、調査と並行して行ったクラス観察の記録や、他の小学校の事例との比較を補いながら、児童と総体的環境の関わりを読み解く。

 環境認識は、児童に学校で好きなところを写真に撮ってもらう環境記述から分析し、U小と他の一校で比較をした。U小のデザイン・コンセプトのひとつは「視線の透過性」であり、それがどのように児童に体験・認識されるかが、このケーススタディの主な関心であった。他校の児童が場所を遊びなどの行為やプログラム的な使われ方といった、直接的な価値によって認知する傾向が強かったのに対して、U小の児童は場所と場所の間の視覚的アクセスや、それらが体験される具体的な場面によって認知することが多かった。また、他学年の児童や地域・コミュニティとのコンタクトは、他校では「いっしょに」何かをする直接的交流として意識されるが、U小では「見る見られる」の視覚的交流として意識されるという対比がみられた。

 これらは、環境認識が他校の児童がアクティビティ・プログラム指向なのに対して、U小では視覚・場面(出来事)指向だったことを示す。これは建築的特徴を反映していると同時に、U小が新設校だったという条件にもよる。調査時には開校初年度だったことから、まだアクティビティやプログラムによって一般的意味が認知されるほど場所が経験されていなかった。一年後に同じ児童を対象とした追跡調査を行った結果、U小の児童には、環境認識の全般的傾向が視覚・場面による認知からアクティビティ・プログラム的認知への移行がみられた。

 視覚的アクセスの主な価値として、場所のアイデンティティが他の場所との関係性において形成されることや、アクセスが直接的か視覚的かによって場所が異なる意味をもつことによる場所性の拡張と、社会的意識の拡大があげられる。視覚的アクセスを介在することで、他の児童の活動を見る(見られる)というコンタクトや他者性がより明瞭に意識される。

 学校では児童がクラス・学年単位で、共通のプログラムに従って、限定された空間で生活することから、児童の社会構造と空間行動の関係も、環境の重要な側面である。つまり他者と居合せる中でどのように定位するかという問題である。つづくケーススタディでは、ある学年における児童間の社会的交流および個別の居場所選択に着目して、社会的な場としての教室・オープンスペースの状況を分析した。

 すべての児童を識別した上で、児童が居場所を自由に選んでよい場面で、「誰が、何処に、誰といたか」を調べた半年にわたる継続的な観察調査から、いわゆる「なかよしグループ」で形成される児童の社会構造が明らかになった。グループごとに集まりの傾向(自分のグループのみで集まるか、複数グループにまたがる集まりをつくるか)や、交流の広がりから社会的性格を読みとると、孤立グループやつきあいが広いキーパーソン、ほとんど一人でいる児童などが社会構造の中で識別された。

 グループごとに社会的性格と居場所選択を関連づけて分析すると、オープンスペースをその学年だけで使っていた間は、児童/グループの社会的位置づけと居場所選択の間に特定のパタンは見出されなかった。しかし、オープンスペースを他学年と共有するようになった(密度が上昇した)後は、孤立グループとキーパーソンがオープンスペースの場所を拠り所とし、その他の児童はオープンスペースに拠り所をもたず教室内にとどまるという、児童/グループの特定の社会的性格に対応した居場所のパタンがみられるようになった。オープンスペースの場所は特定の児童が居場所とすることで、閉鎖的、社会的交流の拠点などの性格をもつようになり、こうした場所の性格は構築環境の特性とも対応して形成された。

 つまり、社会的交流という次元での構造には、調査期間を通して大きな変化がなかったのに対して、空間行動にははじめ特定の構造が見出されなかったのが、密度の上昇によって居場所選択パタンの分化が起こったことになる。また、児童は自分の拠り所では仲のよい友達とだけ集まり、他のグループの児童と集まる時には他の場所へ「出かける」という、プライベート/パブリックの使い分けをするようになった。密度の高い状況では、社会性が空間行動に直接反映されるようになり、社会的・空間的両方のレベルで児童/グループごとの性格の固定化が促された。

 オープンスペースへの学習展開や休み時間といった場面において、児童は状況に応じて居場所を選び、それぞれの行動パタンを形成していた。同時に、反復されるパタンを通して場所に社会的意味が付与され、他の児童の環境を構成する要素となっていた。このような場面において自己を定位する行為は生得的なものではない。これは、同じクラスの児童が、開校当初にはインフォーマル授業の場面でも、教室の自分の席から離れようとしないことも多かったが、次年度には自然にオープンスペースに居場所を求めるようになり、さらに積極的に家具を動かすようになったことに端的に表われている。当初教室内の一斉授業での行動規範が身についていた児童は、異なる授業形態でのふるまい方を知らなかったが、こうした場面が日常的に反復されることで、オープンスクールでのふるまい方を学び、環境へのはたらきかけも居場所の選択から構築環境の操作というふうに積極的になっていったのである。

 このように行動規範が変容した後から加わった転入生は、はじめはオープンスペースの周縁的な場所から様子をうかがっていたが、次第にホスト児童群と行動パタンが同化するか、周縁に居場所が固定化するという適応プロセスを経た。開校当初からいた児童は、インフォーマル授業の場面における行動パタンを教師/プログラムからのはたらきかけによって身につけ、転入生に対しては彼らが案内となった。教師/プログラムからのはたらきかけに応え適切にふるまうことで、児童も教育実践を受ける客体ではなく、そのような場面を形成する主体となった。

 同様に時間軸上で児童の環境認識を捉えると、オープンスペースや他の空間のフレキシブルな利用が反復されることで、場所が使われ方との対応関係によって認知されるようになった。学年が上がるほど場所の意味を直接体験される価値ではなく、学校の活動によって解釈するという社会的発達や、他学年の児童との見る見られる関係においては上級生が「見られる」側にいるという方向性を意識するなど、学校の社会における位置づけも、環境の体験のしかたと関連している。また、視線の透過性という建築的特徴は日常の様々な場面で教師/プログラムによって強調されることで、学校のアイデンティティの要素となり、児童の環境体験を方向づけている。

 以上のケーススタディと考察から、U小では児童と環境の関係は、行動規範や環境に対する態度の面で他律的に方向づけられながら、リアルな環境体験の面では自律的に、個別に組み立てられていることが明らかになった。児童はある枠組みを共有しながら、学校全体の社会・文化、学年の社会、日常の場面々々の様々なレベルにおいて、様々な形で状況に関わり、「U小的」行動・認識のパタンを身につけることで学校独自の文脈形成に参加している。構築環境は、多様な場所、アクセスの形態、しつらえ等があることで、それらを利用した空間的・身体的定位による多様な形の環境への参加を支えている。校舎は象徴的な意味でも、日常的な場面においても、ひとつの空間的・社会的・文化的まとまりの形成に関与している。

 結論として、従来の学校計画/デザインに対して次のようなアプローチが提起される。

図表
審査要旨

 この論文は、児童が日常環境として学校をどのように体験しているのか、その行動・認知の学校環境という文脈との関わり合いを明らかにすることを通して、学校の建築計画に対して、児童にとっての環境の意味を付与するという新しい計画学的視点を展開することを目的としている。

 論文は7章で構成される。

 第1章は序論で、研究の背景・目的と建築計画研究における位置づけ、研究方法、論文の構成を述べている。

 第2章は、写真による児童の環境認識に関する調査と分析である。特徴的なデザインの校舎とインフォーマル教育の積極的な実践で知られる2つの小学校をフィールドとして、児童に学校で好きなところを写真に撮ってもらうという環境記述資料を分析し、一方の小学校では児童が場所を遊びなどの行為やプログラム的な使用といった直接的価値によって認知する傾向が強かったのに対して、「視線の透過性」をデザイン・コンセプトとしたもう一つの小学校では、児童は場所と場所の間の視覚的アクセスや、それらが体験される具体的な場面によって認知することが多かったことなど二校の比較をおこなっている。

 第3章は児童の社会構造と居場所選択のケーススタディである。学校では児童がクラス・学年単位で、共通のプログラムに従い、限定空間で生活する状況の中で、どのように自己を定位するかを分析し、また、ある学年での児童間の社会的交流と個別の居場所選択に着目して、社会的な場としての教室・オープンスペースの状況を分析している。

 第4章は、集まり形成とアクティビティの学年比較である。すべての児童を識別した上で、児童が居場所を自由に選んでよい場面で、「誰が、何処に、誰といたか」を調べた半年にわたる継続的な観察調査をもとに、「なかよしグループ」で形成される児童の社会構造が明らかにしている。グループごとによる集まりの傾向や交流の広がりを分析し、孤立グループやつきあいが広いキーパーソン、ほとんど一人でいる児童などを社会構造の中で識別しており、オープンスペースの使われ方を分析している。

 オープンスペースを他学年と共有し、密度が上昇した後は、孤立グループとキーパーソンがオープンスペースの場所を拠り所とし、その他の児童は教室内にとどまる居場所パタンを発見している。つまり、社会的交流の次元では、調査期間を通して大きな変化がなかったのに対して、空間行動には密度上昇によって居場所選択パタンの分化が起こったことを意味している。

 第5章は同様の手法を採用して実施したアメリカの事例分析である。撮影場所の分布と対象、教師と生徒との関係や環境認識の差異、学年差の共通性を明らかにして折、日本での調査分析の一般性・特殊性といった位置付けを与えている。

 第6章では学校の文脈における児童の行動・認知に関する試論を展開している。行動の規範・転入生の適応プロセスそして学校文化に言及し、児童のおかれた状況の模式的表現を示している。

 学習展開や休み時間において、児童は状況に応じて居場所を選び、各行動パタンを形成するが、反復パタンにより場所に社会的意味が付与され、他の児童の環境構成要素になっている。つまり自己定位行為は生得的なものではない。当初教室内の一斉授業での行動規範が身についていた児童は、異なる授業形態でのふるまい方を知らなかったが、オープンスペースで日常的に反復されることで、そこでのふるまい方を学び、居場所の選択から構築環境の操作を積極的に行なうようになっている。後から集団に加わった転入生は、はじめはオープンスペースの周縁的な場所から様子をうかがい、次第にホスト児童群と行動パタンが同化するか、あるいは周縁に居場所が固定化するという適応プロセスを経ていく。

 第7章は結論で、各ケーススタディのまとめと従来の計画/デザインの問題の指摘を通して、今後の学校計画への提言を行なっている。

 以上のように、本研究は多様な授業形態への空間計画という機能的アプローチと、児童の行動・心理特性の理解という心理的アプローチによって取り組みがなされてきた従来の建築計画研究の分野において、学校における社会的存在としての児童の環境がどのような価値をもつかを論じたもので、今後ますます重要性を帯びる教育環境に関する建築計画に対して、新しい貴重な指摘と提案を行ったものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54064