学位論文要旨



No 114174
著者(漢字) 藤田,香織
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,カオリ
標題(和) 伝統的木造建築の水平抵抗要素に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 114174
報告番号 甲14174
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4300号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 秋山,宏
 東京大学 教授 小谷,俊介
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 松村,秀一
内容要旨

 我が国には、古い木造建築が多く残されている。積年の風雪に耐え、国の文化財に指定されている建造物の約9割は木造建築である。我々には、先人達から伝えられた遺産を、健全な形で次世代に受け継いでいく責任がある。

 明治時代に西欧の建築技術が導入される以前の考え方で造られた木造の建造物(以降、伝統的な建造物と記す)の力学的な研究は、国指定の文化財が建築基準法の適用除外を受けていることもあり、あまり行われてこなかった。しかし、近年伝統的な建造物の活用が活発化している。これは、民家の文化財指定の増加、登録文化財制度の導入、既存の建造物をストックとして捉え再生を促す、といった動向に現れている。この結果、より多くの人が伝統的な建造物に居住、或いは立ち入る可能性が増え、これに伴って、伝統的な建造物の構造安全性と文化的な価値の両立が今日の大きな課題となっている。

 また、1995年兵庫県南部地震で、文化財建造物を含む多くの伝統的建造物が被害を受けたことを契機として、伝統的建造物の耐震性に関する再検討の必要性が、広く認識されるようになった。

 本研究は、伝統的木造建築の耐震性を定量的に把握することを目的とした実験的研究である。まず、第2章で1995年兵庫県南部地震の木造社寺建築の被害調査を行った結果を述べている。第3章から第5章は、伝統的木造建築の水平抵抗要素として、柱貫接合部(第3章)、壁体(第4章)、組物(第5章)を選び、その水平抵抗力に関する実験と考察を行った。第6章では、実験結果から得られた、各水平抵抗要素の力学的モデルを用いて、非線形地震応答解析を行い、水平抵抗要素の組合せの効果、及び実際の伝統的木造建築の解析例を示した。第7章では、論文の内容のまとめと問題点を考察し、今後の展望を示した。

序(第1章)

 伝統的木造建築の水平耐力発現機構の類型を示し、これらは、柱、壁、接合部、組物といった水平抵抗要素の組合せからなっていることを示した。この伝統的木造建築の水平抵抗要素は、現行の耐震設計では、主に壁のみが考慮され、これ以外の伝統的木造建築に特徴的な水平抵抗要素が考慮されることはほとんどない。これは、基礎的なデータの不足及び、実験的、理論的な研究が不足しているためであり、ここに、本研究の必要性及び意義があることを述べた。

1995年兵庫県南部地震における木造社寺建築の被害調査(第2章)

 1995年兵庫県南部地震の被災状況における東灘区と長田区内の木造社寺建築全棟の現地調査を行った。調査棟数は、東灘区と長田区を合わせて110棟である。調査の結果から以下の点が明らかになった。

 木造社寺建築の方が同地域の低層戸建て住宅よりも全壊率が高い。

 海岸平野の方が山麓扇状地よりも被害が大きい。

 瓦葺きの方が金属板より被害が大きい。

 建築年が古いほど被害が大きいとはいえない。

 寺院建築の方が神社建築よりも被害が大きい。

 建物種類によって、被害程度にばらつきがあり、寺院本堂・寺院鐘楼・神社手水舎は、被害が大きく、寺院門・神社本殿は、比較的被害が小さかった。

 特徴的な被害例としては、軸部が倒壊し屋根のみがそのままの状態で残っている例、柱が内法貫との接合部で曲げ破壊した例、土壁がせん断破壊した例などが挙げられる。

柱貫接合部の静的水平加力試験(第3章)

 現在、通常の耐震設計では木造建築の接合部はピン接合として扱われることが多いが、柱貫接合部は、中世以降、伝統的木造建築の主要な水平抵抗要素の一つであった。本章は、通し貫及び、4種類の異なる継手を持つ柱貫接合部に関する正負交番静的水平加力試験の結果を述べた。

 柱貫接合部は繰返し加力に対して剛性が低下するスリップ型の復原力特性を示した。通し貫構造の全体の変形角は、接合部のめり込み変形とほぼ等しい。一方、継手がある場合は接合部の有効貫せいが半分になるため、貫の曲げ変形が無視できないことが分かった。更に、貫継手のモデル化を行い、めり込み理論を用いて算出した剛性と実験結果を比較し、弾性範囲内ではモデルの有効性が確認できた。

壁体の振動台実験(第4章)

 本章は、伝統的木造建築に用いられる壁体について、実物大の部分模型に関する振動台加振試験を行った結果を述べた。

 試験体は、1スパン四方の箱形の模型とし、向かい合う壁が同じ形となるようにし、土壁と小壁、土壁と欄間、板壁と通し貫の組合せの3種類を各1体とした。正弦波、ランダム波、地震波(JR鷹取波)による1次元加振を基本とした加振を行った。実験から、壁体の固有振動数、剛性、最大耐力、破壊の進行などの基礎的なデータが得られた。また、壁体は繰り返し加振により剛性が低下する復原力特性を示した。また、振動台加振試験による荷重変位履歴曲線と既往の研究における静加力試験の結果との比較検討も行った。

 更に、壁体を1質点系のバイリニア+スリップ型の履歴モデルに置換して非線形地震応答解析を行い、実験結果との比較を行った結果、振動台加振試験の結果と比較的良く一致することが分かった。

組物の振動台実験(第5章)

 組物とは、柱或いは台輪の上にあり、屋根の鉛直荷重を軸部に伝達する支承部分の名称である。本章では、この組物の部分に着目して、その力学的な特徴を把握することを目的として実施した、静的鉛直加力試験、静的水平加力試験、振動台加振試験の結果を示している。試験体は、最も基本的な形状の組物である大斗肘木、平三斗、出三斗、出組の4種類を各1体とし、柱頭から組物までを、1スパン四方の実物大の部分模型とした。2種類の積載荷重(本瓦葺きと檜皮葺きに相当)と、琵琶板の有無による4種類の条件について実験を行った。

 静的鉛直加力試験では、感圧シートにより、各斗が負担している鉛直方向力の比を求めた。これより、最も差が大きい場合では、中央の斗が鉛直荷重の6割を負担し、手先部分など周りの4つの斗がそれぞれ1割ずつ負担していることが分かった。

 静的水平加力試験は、試験体の頂部を反力柱に固定し、振動台を正弦波で動かすことによって、擬似的な静加力試験として行い、各部の変形、荷重を測定した。これより、組物の復原力特性は、異なる3つの勾配を持つ直線で近似できることが分かった。更に、この3つの剛性の際の変形状態は、第1勾配:大斗の回転、第2勾配:部材どうしの滑り、第3勾配:斗の回転であることが分かった。また、繰り返し加力に対して、剛性の低下はほとんど見られなかった。

 振動台加振試験は、正弦波、ランダム波、地震波(JMA神戸)による一次元加振試験とし、各部の変形、加速度を測定した。荷重変位履歴曲線は、3つの直線で近似でき、変形の状態も静的水平加力試験の結果と同様であることが分かった。そこで、組物の履歴モデルを3つの異なる勾配を持つ直線からなる、非線形モデルとして提案した。また、各剛性の値を、第1剛性:大斗底のめり込み、第2剛性:O(摩擦力による滑り)、第3剛性:斗のダボのめり込みの総和として、めり込み理論を用いて算出した結果、実験値と良く一致することを示した。

 次に、提案した履歴モデルを用いて、地震応答解析を行い、振動台加振試験の結果と比較した。これより、除荷時の剛性を、履歴モデルでは第一剛性と等しくしているが、実際は小さくする必要があること、また、減衰定数の設定に関する検討が不十分であることなどが明らかになった。しかし、解析結果パラメータの設定よっては、振動台加振試験の結果と良く一致することを示した。

伝統的木造建築のモデル化と地震応答解析例(第6章)

 既往の研究、及び3章から5章の実験結果を用いて、伝統的木造建築の水平抵抗要素の履歴モデルを示した。更に、実験で用いた壁体と組物を仮想的に組み合わせた場合について、壁体と組物を2つのバネとして、2質点系のモデルに置換し、地震応答解析を行った。その結果、壁体のみを1質点系のモデルとして解析した結果と比較すると、板壁、通し貫構造では、壁体に対して組物の剛性が相対的に高く(通し貫と出組では10倍程度)、軸部が変形しても、組物は剛体のような挙動をすることが分かった。しかし、土壁と組物の組み合わせでは、剛性が比較的近いため、組物部分の層間変形角は、壁体の層間変形角と同程度で、壁体のみの応答解析の結果と比較して、組物がある方が壁体の層間変形角が小さくなる傾向が認められた。

 更に、実在建物の地震応答解析の例として喜多院慈眼堂を板壁と組物の2質点系のモデルに置換して、非線形地震応答解析を行った。これより、組物が壁体に対して、位相が遅れて応答することが分かった。

まとめ(第7章)

 本論文は、伝統的木造建築の水平抵抗要素に関する実験的研究を行った結果を述べたものである。水平抵抗要素として、柱貫接合部、壁体、組物を対象とし、静的・動的実験を行い、その力学的挙動に関する基礎的なデータを得た。実験結果を用いて、各要素をモデル化し、非線形地震応答解析を行いモデルの検証をした。更に、このモデルを組み合わせた場合の応答解析を行い、水平抵抗要素の組合せに関する考察を行った。また、実在の建物にこのモデルを適用し、応答解析を行った例を示した。その結果、伝統的木造建築に用いられる組物は壁体との組合せによっては、構造物全体の変形を抑制する傾向が認められた。今後は、伝統的木造建築の水平構面の剛性、減衰のメカニズム、崩壊機構などを検討する必要がある。

審査要旨

 本論文は、日本の伝統的木造建築の耐震性に関して、兵庫県南部地震によるその被害調査を前段とし、その主たる水平抵抗要素である貫構造・壁体・組物について実験的研究を行い、その結果をもとに地震に対する応答解析を試みたものであり、7章からなっている。

 第1章「序」では、伝統的木造建築の水平耐力機構の分類を行い、それに基づいて、貫構造・壁体(特に土壁)・組物の3要素が、水平耐力要素として重要であるとし、本論文は、これらを研究対象とし、その力学的特性を明らかにすることが目的であることを述べている。

 第2章「1995年兵庫県南部地震における木造社寺の被害調査・追跡調査」では、東灘区と長田区の木造社寺建築全110棟の地震直後における実地被害調査と、ある期間後に行った修復状況の追跡調査の結果について紹介している。その結果たとえば、木造社寺建築の方が低層戸建て住宅よりも全壊率が高いことや、被害の程度は建築年の新旧によらないことなどを明らかにしている。

 第3章「柱貫接合部の静的水平加力実験」では、まず第1の水平抵抗要素である貫構造の柱と貫の接合部について、回転モーメントを与えて変形角を求めた実験について述べている。その結果、この接合部が繰り返し加力によってスリップ型の復元力を示すこと、貫に継手があると剛性が低下することを定量的に明らかにしている。また、この接合部に対してめり込み理論を適用して、弾性剛性については理論値と実験値がほぼ等しいことを確かめている。

 第4章「壁体の振動台実験」では、第2の水平抵抗要素である壁体(土壁、板壁など)について、実大の壁を持つ箱状の試験体を3体作成し、振動台に乗せて1方向加振を行った結果について報告している。加振波形としては、正弦波・ランダム波・JR鷹取波である。実験結果として、固有振動数・剛性・最大耐力・破壊の進行状況等が得られている。また、壁体をパイリニア+スリップ型の1質点系に置換したモデルを用いた非線形応答解析を行って、振動台による加振実験の結果と比較的よく一致することを示している。

 第5章「組物の振動台実験」では、第3の水平抵抗要素である斗(ます)と肘木(ひじき)からなる組物のうち、大斗肘木・平三斗・出三斗・出組の4種類について、それぞれ四本柱の上に載る形の実大部分模型を作り、振動台による加振を行った結果について報告している。加振波形と測定・観察項目は、前章の壁体とほぼ同様である。またあわせて行った静的加力実験の結果から、それぞれの組物の荷重変位履歴曲線をモデル化し、地震応答解析を行っている。その際、非線形性が大斗底のめり込み・組物要素間の摩擦を伴う滑り・斗のダボのめり込みの3要因によって決定されることを明らかにしている。そして減衰常数と解析パラメータを適切に設定すれば、解析と振動台実験の結果がよく一致することを示している。

 第6章「伝統的木造建築のモデル化と地震応答解析例」では、以上の実験結果に基づいて、伝統的木造建築の水平抵抗要素の履歴モデルを提示し、それらを組合わせて建物全体のモデルを構成し、それによって試みた地震応答解析について述べている。一例として、土壁の上に組物が載った形の構造では、組物があることによって壁体部分の層間変形角が小さくなりうることを示している。さらに実在の伝統的木造建築として、喜多院慈眼堂をこの手法によりモデル化して地震応答解析を行って、本論文で提案したモデルが実際に応用可能なものであることを確認している。

 以上本論文は、伝統的木造建築の耐震性に関して、実地の被害調査・静的及び動的実験・理論的解析という多面的な検討を行って、その地震時の挙動を解明するための貴重な知見を得たものであり、建築学上の発展に寄与するところがきわめて大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として、合格と認められる。

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