学位論文要旨



No 114179
著者(漢字) 李,康碩
著者(英字)
著者(カナ) リ,カンスク
標題(和) 地域特性を考慮した都市の地震災害危険度評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 114179
報告番号 甲14179
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4305号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中埜,良昭
 東京大学 教授 小谷,俊介
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 壁谷澤,寿海
 東京大学 助教授 大井,謙一
内容要旨

 日本の従来の地域防災計画等、地震対策の前提となる被害想定は、各自治体がそれぞれ独立に、地域を多数のメッシュに分割し、各メッシュごとにミクロな視点に立った地域特性、すなわち地盤・地形特性、用途・高さ・築年等別の建物特性、建ぺい率・道路等の市街地特性、空地等の情報を用いた地震直後の被害を想定し、その合計により都市全体の物的被害を想定する「積み上げ方式」による絶対比較・分析手法が通例であった。

 しかしながら、1995年阪神・淡路大震災でも示されたように、都市における地震災害は、物的被害のみならず人間活動が時間経過とともに変化するものであり、更に地域社会の様々な特性と深く関わっている。従って、その危険度を評価するためには、都市の自然環境や人間活動及び人工環境等、地震災害危険度に影響を与える地域社会の様々な特性を考慮に入れて、地震発生から建物被害、火災等の地震直後段階の都市の被害と避難活動、緊急・応急段階の都市内・間の救援活動及び復旧・復興段階の都市の回復力、等の地震災害の全段階から見た評価が必要であると考えられる。

 そのためには、従来の被害想定で用いられた都市のミクロな視点に立った地域特性のみならず、都市の地勢、活断層の分布状況、過去の地震の発生状況、気候条件、地域の経済力、都市間交通システム、建築構法の地域特性、都市の発展・拡大状況、近隣地域の状況等のマクロな視点に立った地域特性をも考慮し、上記の地震災害の全段階が反映できる新たな都市における地震災害危険度の評価手法の確立が必要である。

 本研究では、従来の各メッシュごとのミクロな視点に立った地域特性に基づく地震直後の都市の物的被害を想定する「積み上げ方式」による絶対比較・分析手法とは異なり、従来のミクロな視点に立った地域特性のみならず、マクロな視点に立った地域特性をも考慮し、地震発生から地震直後段階における都市の被害と避難活動、緊急・応急段階における都市内・間の救援活動及び復旧・復興段階における都市の回復力等の地震災害の全段階から見た都市が潜在的に有している地震災害の危険性を、都市間で相対比較・分析し評価する手法を提案した。また、これを用いて日本の主要都市を対象に、それらに潜在する地震災害危険度を評価するとともに、その評価結果を過去地震による被災都市の実被害状況及び従来の被害想定結果と比較し、本研究の評価結果の対応性及び意味づけについても検討した。更に、地震対策の基本的な資料となる都市の地震災害危険度のパターン把握及び地震対策が急がれる耐震性の乏しい地域の選別についての検討も行った。

 本論文は、7章及び付録から構成されており、第1章が序論、第2章が本研究における都市の地震災害危険度の評価軸の設定及びそれら評価軸に関わる地域特性の要因の抽出・分類、第3章がミクロ及びマクロな地域特性に基づく地震災害の全段階から見た都市に潜在する地震災害危険度の評価手法、第4章が日本の主要都市に適用したその評価事例、第5章が評価結果と実被害状況との比較・検討及び従来の地震被害想定結果との比較・検討、第6章が都市に潜在する地震災害危険度のパターン分析と地震対策が急がれる地域の選別、等に関する研究を主な内容としており、第7章では全体をまとめた。また、付録[1]では、第2章の地震災害危険度に関わる地域特性の抽出・分類に当たっての有効な資料となった現地調査を行った地域の調査結果を、付録[2]では、第4章の地震災害危険度の評価に使用した日本の主要都市の主な統計資料の調査結果を、付録[3]では、第5章の従来の地震被害想定結果との比較・検討に用いた主な地域のその想定手法の紹介を、付録[4]では、第6章の地震災害危険度のパターン分析に有効な手法であるクラスター分析法の概要を、それぞれ整理した。以下には、各章にそってその要旨を示し、本研究で得られた知見を記す。

 第1章「序論」では、都市における地震災害は、物的被害のみならず人間活動が時間経過とともに変化するものであり、更に地域社会の様々な特性と深く関わっていること、またその危険度を評価するためには、都市の自然環境や人間活動及び人工環境等、地震災害危険度に影響を与える地域社会の様々な特性を考慮に入れて、地震発生から建物被害や火災等の地震直後段階の都市の被害と避難活動、緊急・応急段階の都市内・間の救援活動及び復旧・復興段階の都市の回復力等の地震災害の全段階から見た評価が必要であることを述べた。更に、日本の従来の地震被害想定手法では、上記のことについては十分な検討がされていないこと、また上記のことを行うためには、従来の手法自体に限界性を有していることについて述べる等、本研究の目的及び本論文の方針を整理した。

 第2章「都市の地震災害危険度の評価軸及びそれらに関わる地域特性の要因」では、都市における地震災害の全段階を過去の被害地震における主な災害要因の相関に基づき作成し、時系列の変化パターンを考慮し、各段階における都市の地震災害危険度の評価軸を設定した。更に、1995年阪神・淡路大震災で被災した神戸地域等、主に震度VI〜VII地域における被害を取り上げ、それらのパターンを検討・分析し、都市における地震災害危険度と地域特性の要因との関連性を考慮し、評価軸別の地震災害危険度に関わる地域特性の要因を抽出・分類した。その結果、

 (1)都市の地震発生危険度[地震発生前段階]:地震発生危険度(過去の海洋型及び内陸型被害地震の発生状況、活断層分布状況)

 (2)都市の被害と直後の避難活動[地震直後の段階]:(1)建物被害危険度(地盤・地形、用途・高さ・構造・建設年度別の建物特性、建築構法の地域特性、現在の土地利用状況と過去のそれとの関係)、(2)延焼危険度(木造・耐火造、建ぺい率、道路状況、公園、消防状況、風速・風向)、避難危険度(避難道路状況、公園・学校等の避難地状況)

 (3)都市内・間の救援活動[緊急・応急段階]:(1)都市内の救助難易度(救助隊員、医療関係、道路状況、公園・学校等の救援拠点)、(2)都市間支援難易度(海洋都市・盆地都市等の地勢、支援都市の規模、支援都市間の陸路交通手段・海路交通手段・空路交通手段)

 (4)都市の回復力[復旧・復興段階]:建物の復旧・復興難易度(経済力、世帯関係、建物所有関係、敷地面積・接道条件等の建物特性)

 がそれぞれの評価軸に深く関わっていることが分かった。

 第3章「都市の地震災害危険度の評価手法」では、従来の各メッシュごとのミクロな視点に立った地域特性に基づく地震直後の被害を想定し、その合計により都市の全体の物的被害を想定する「積み上げ方式」による絶対比較・分析手法とは異なり、第2章の検討において抽出・分類された地域社会の様々な地域特性の要因、すなわちミクロ及びマクロな視点に立った地域特性を考慮した地震災害の全段階から見た都市が潜在的に有している地震災害の危険性を、多変量解析法(主成分分析)を導入し、都市間で相対比較・分析し評価する手法を提案した。その結果、(1)都市の地震災害危険度のパターン把握及び(2)地震対策が急がれる耐震性の乏しい地域の選別への適用が可能であり、また(3)その選別された地域の地震災害危険度に大きな影響を与えた要因を特定する等、都市全体の平均的な危険度の評価、及び地震対策の方向性の提示に有効な手法であることを示した。

 しかしながら、都市の地震災害危険度の評価に当たっては、(1)地域特性の要因のダブルカウントに注意する必要があること、更に(2)地震対策の対象地域の選別の基本となるモデル都市の選定には、実被害状況とのキャリブレーションにより、選定する必要があること、また、(3)都市全体の平均的な地震災害危険度であるため、その危険度に大きな影響を与える限定された地区の特定は困難であること、(4)地域別の相対比較による危険度評価であるため、予測された被害の絶対量は必ずしも表現出来ないことが限界性であること等が明らかとなった。

 第4章「都市の地震災害危険度の評価」では、1995年阪神・淡路大震災で被災した地域を含む日本の主要都市を選定し、本研究で提案した手法を基に、それら都市の地震災害危険度評価に使用する地域特性の情報データを調査し、その各対象都市の地域特性の情報データを基に、都市をクラス化及び評点化を行い、都市に潜在する地震災害危険度を評価し、次の結果を得た。

 (1)地震発生危険度:京都市は、対象都市の内、最も地震発生危険度が高いと推定されるグループに分類された。(2)建物被害危険度:大阪西成区及び生野区は、対象都市の内、最も建物被害危険度が高いと推定されるグループに分類された。1995年阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸長田区及び兵庫区は、対象都市の平均より若干高いと推定されるグループに分類されたが、同地震で被災した神戸市の内、最も建物被害危険度が高いと推定されるグループに分類された。(3)延焼危険度:大阪西成区は、対象都市の内、最も延焼危険度が高いと推定されるグループに分類された。1995年阪神・淡路大震災で火災により大きな被害を受けた神戸市長田区は、対象都市の内、延焼危険度がやや高いと推定されるグループに分類されたが、同地震で被災した神戸市の内、最も延焼危険度が高いと推定されるグループに分類された。(4)避難危険度:東京目黒区、東京世田谷区、東京中野区、東京杉並区、東京豊島区及び大阪住吉区は、対象都市の内、最も避難危険度が高いと推定されるグループに分類された。(5)都市内の救助難易度:東京目黒区、東京世田谷区、横浜栄区、川崎多摩区、川崎宮前区及び大阪住吉区は、対象都市の内、最も都市内の救助難易度が高いと推定されるグループに分類された。(6)都市間支援難易度:長野市は、対象都市の内、最も都市間支援難易度が高いと推定されるグループに分類された。1995年阪神・淡路大震災で被災した神戸市は、対象都市の平均として分類された。(7)建物の復旧・復興難易度:大阪西成区は、対象都市の内、最も建物の復旧・復興難易度が高いと推定されるグループに分類された。

 第5章「地震災害危険度の評価結果と実被害状況及び従来の地震被害想定結果との比較・検討」では、第4章で検討した地震災害危険度の評価結果と1995年阪神・淡路大震災で被災した神戸市・西宮市・芦屋市・宝塚市(最大震度VII)等の建物の実被害状況との関係を比較・検討し、本研究の評価結果の対応性を検討した。検討対象は、(1)建物被害危険度と実建物の被害状況、(2)延焼危険度と実延焼の被害状況、及び(3)建物の復旧・復興難易度と実建物の復旧状況である。その結果、(1)〜(3)ともに本研究で評価した危険度あるいは難易度が高いほど実被害及び復旧状況が高い等、実被害状況が概ね対応した。

 更に、第4章で検討した地震災害危険度の評価結果と東京都・名古屋市・広島市・仙台市・川崎市における地震被害想定結果との関係も比較・検討し、本研究の評価結果の対応性を検討した。検討対象は、(1)建物被害危険度と建物被害想定結果、(2)延焼危険度と延焼被害想定の結果である。その結果、地震規模や震源域等の前提条件を基にした従来の地震被害想定結果には、大きなバラツキが見られた。また、本研究の評価結果とも大きなバラツキが見られ、特に、立川断層を想定した川崎市における被害想定のように、断層の延長線上に位置する地域の建物被害予測結果については、最もバラツキが多い等、本研究の評価結果とは、必ずしも対応しないことが確認出来た。しかしながら、対象地域において一様な地震入力レベルを想定している本研究の評価手法と現実的に最も近いと思われる都市直下型地震を想定している地域における予測結果との比較では、地域によって多少のバラツキは見られるが、概ね本研究で評価した結果と対応した。

 第6章「都市の地震災害危険度のパターン及び地震対策が急がれる地域の選別」では、第4章で検討した地震災害危険度の評価結果を基に、まず8パターンに分類し、更にそれらをクラスター分析を用いて、細分類した。また、各パターン別の都市あるいは都市群の特性について検討した。その結果、1995年阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区及び兵庫区の地震災害を上回る可能性が最も高いと推定されるパターンのグループが、大阪市西成区及び生野区であることが明らかとなった。

 更に、1995年阪神・淡路大震災で被災した神戸市をモデル都市として選定し、地震対策が急がれる耐震性の乏しい都市の選別を試みた。その結果、

 (1)建物対策:大阪西成区・大阪生野区、(2)延焼対策:大阪西成区、(3)避難対策:東京目黒区・東京世田谷区・東京中野区・東京杉並区・東京豊島区・大阪住吉区、(4)都市内の救助対策:東京目黒区・東京世田谷区・横浜栄区・川崎多摩区・川崎宮前区、大阪住吉区、(5)都市間支援対策:長野市、(6)建物の復旧・復興対策:大阪西成区

 が最も地震対策が急がれる地域であることが分かった。

 第7章「結論」では、全章の結果をまとめ、今後の検討課題を記してまとめとした。

審査要旨

 本論文は,「地域特性を考慮した都市の地震災害危険度評価に関する研究」と題し,従来の地震被害想定では一般に考慮されることのなかった都市の地域特性を考慮した地震災害危険度の評価手法を提案し,これを用いて国内の主要都市の地震災害危険度,想定される災害パターンならびに地震対策の緊急度などの推定を試みたものであり,全7章より構成されている.

 第1章「序論」では,都市における地震災害の規模,形態,継続期間は物的被害量のみならず発災後の社会的・経済的活動にも大きく依存し,その災害危険度の定量化には地震発生直後から被災地の復旧・復興等の中長期的視点までを含む評価に基づく議論が不可欠であること,またその評価には都市の自然環境や人間活動および人工環境等に関する地域特性を考慮する必要があること,一方従来の地震被害想定手法ではこれらは必ずしも十分考慮されておらずまた多様な要因を考慮するには手法そのものにも限界があり新たな地震危険度評価手法を展開する必要があることなど,本論文における研究背景および方針を整理している.

 第2章「都市の地震災害危険度の評価軸及びそれらに関わる地域特性の要因」では,まず過去の被害地震において災害の規模,形態,継続期間を特徴づけた要因を整理するに当たり,地震災害危険度の評価に必要な以下に示す(1)〜(4)の評価軸を時系列で設定し,次いでそれらの各評価軸ごとに地震災害に深く関わると考えられる項目を(1)〜(7)のように抽出・分類し,それぞれの危険度あるいは難易度の評価に必要な具体的な要因を示している.これらの要因には従来の地震被害想定では考慮されることの無かった建築構法の地域差なども地域特性として考慮されている点に特色がある.

 (1)地震発生前段階:(1)地震発生危険度

 (2)地震発生直後 :(2)建物被害危険度,(3)延焼危険度,(4)避難難易度

 (3)緊急・応急段階:(5)都市内の救助難易度,(6)都市間の支援難易度

 (4)復旧・復興段階:(7)建物の復旧・復興難易度

 第3章「都市の地震災害危険度の評価手法」では,第2章で抽出・分類した(1)〜(7)の要因に関する統計データとその主成分分析結果を用いて都市に潜在する地震災害危険度を評価する手法を提案している.本手法は,対象都市全体に対する統計データに基づきその平均的な地震災害危険度を評価しようとするものであるため,対象都市内の特に危険度の高い地区や街区は特定できないこと,また危険度を対象都市間で相対評価することに主眼をおいた手法であるためその被害の絶対量は推定できないこと,前記(1)〜(7)の項目を評価するために必要なデータには重複も多く,その重複による危険度の過大評価を防ぐ必要があること,などいくつかの制約条件や留意すべき点はあるものの,各都市の地震災害危険度,地震災害パターンおよび地震対策の緊急度の推定,危険度の大小に関わる主要因の特定,など都市の地震災害危険度の平均像を推定するあるいは地震対策の方向性を提示するための有効な手段となりうることを示している.

 第4章「都市の地震災害危険度の評価」では,1995年阪神・淡路大震災で被災した地域を含む日本の主要都市を対象に,前記(1)〜(7)それぞれについて本研究で提案した手法に基づき各都市の地震災害危険度の評価を試みている.

 第5章「地震災害危険度の評価結果と実被害状況及び従来の地震被害想定結果との比較・検討」では,まず(2)建物被害危険度,(3)延焼危険度,(7)建物の復旧・復興難易度,について,第4章における推定結果と1995年阪神・淡路大震災で被災した神戸地域の実被害状況を比較し,両者がおおむね良い対応を示すことを確認している.次いで上記(2)および(3)について,自治体による地震被害想定事例と比較し,対象地域内の想定地震動レベルのばらつきが顕著であるほど本手法による推定結果との差が大きくなることを示している.

 第6章「都市の地震災害危険度のパターン及び地震対策が急がれる地域の選別」では,第4章で評価した地震災害危険度に基づき,クラスター分析を用いて災害形態をパターン分類するとともに,各地域で推定される地震災害危険度を阪神・淡路大震災による被災地域での推定値と比較し,その大小に基づき地震対策の緊急度の評価を試みている.

 第7章「結論」では,全章の結果をまとめるとともに今後の検討課題を述べている.

 以上のように,本論文は従来の地震被害想定では一般に考慮されることのなかった地域特性を考慮した上で都市の地震災害危険度を評価し,都市間で相対比較する手法を提案するとともに,日本の主要都市を対象に本手法を適用し,把握実被害事例との比較による本手法の適用性の検討および地震災害危険度のパターンのならびに地震対策の緊急度の評価を試みるなど,地震災害を軽減するための対策を効率良く推進するための基礎となる危険度評価手法の提案およびその適用性を議論したものであり,その成果は地震防災工学の発展に貢献するところが極めて大きいと考えられる.よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格であると認める.

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