学位論文要旨



No 114190
著者(漢字) 鐘,雷
著者(英字)
著者(カナ) ゾン,レイ
標題(和) 産業経済発展の視点からみた都市圏広域空間整備に関する研究 : 日中大都市圏の経験から得られる教訓
標題(洋)
報告番号 114190
報告番号 甲14190
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4316号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 小出,治
 東京大学 助教授 大方,潤一郎
 東京大学 助教授 北沢,猛
 東京大学 助教授 城所,哲夫
内容要旨

 近現代における都市化の原動力は産業経済であり、80年代から90年代にかけて、世界経済の発展にともなう国際経済競争激化の中、FDl(Foreign Direct Investment)を通した東アジアにおける工業化の急速で広範囲な発展は、多様な国際分業を形成し、産業構造調整を進展させ、経済発展の中心である大都市圏の地域構造も変容している。先進諸国において自国経済構造の転換による対外投資の増大は、それを受け入れる国の産業構造、地域経済構造の転換をうながすとともに、自国の地域構造の転換をももたらしつつあることが分かる。そうした状況下、都市政府が、積極的かつ有効的な都市政策(産業発展政策、空間整備政策)を策定していくことは、大都市地域の持続的かつ安定的な発展、さらに均衡のある国土空間の形成にとって非常に重要である。

 第1章は欧米の資本主義経済の発展にともなう広域都市群構造の変化の歴史を踏まえたうえで、広域経済発展における大都市圏整備の重要性を、英・日・中の広域開発政策の変遷と日中広域経済発展と国家的都市システムの実際な特徴から、明らかにした。国家あるいは地域の経済発展にとって、欠かせないのは大都市の存在である。しかし、大都市の発展は、しばしば地域問題、あるいは国土の不均衡という問題を起こす。

 大都市への過度集中の是正、さらにバランスのとれた国土構造や地域経済の振興を実現するため、大都市空間構造の変動の特徴、メカニズムの解明と把握が重要となってくるであろう。

 本論文の第2,3章では、日中両国における代表的な大都市東京、上海を対象に、その産業集積と人口の空間的変動の特徴とメカニズム及びを具体的に分析することになった。

 東京の場合、機械加工業をはじめとして、東京大都市圏が高い経済成長を遂げるにつれ、人口が周辺地域から次第に中心部に集中した。また、経済の国際化による産業経済構造の転換、市場メカニズム、地域政策の影響によって、東京内部の構造が大きく変動してきた。その第1段階では、東京産業中核地域における製造業の高度化が進み、量産部門を順次周辺地域から地方、海外へと展開するとともに、中核地域及びその周辺部は、研究開発、試作といった、より高次の機能の生産体系へ転換し、東京圏ならびに日本の先端型工業を支えるニュー・ハードウエアセンターを形成しつつある。近年、多摩川流域を核とする研究開発機能が川崎から更に東京西部地域へと外延化し、また、主要企業の先端型製品の開発・生産機能は周辺地域へと外延化しつつあり、城南地域の及びその周辺部を含む東京南部を中核とする「ハイテク・コリドール」も外延化しつつあるという傾向が伺える、それと同時に、第3次産業の従業員数も都心への流入をもたらした。その第2段階では、製造業の郊外への移転にともなう郊外従業人口と居住人口の増加によって、郊外で大幅に増加した居住人口をマーケットとしての商業・対個人サービス業が増加しつつあり、第3次産業集積がさらに郊外へ展開を遂げつつある。そうしたことから、東京大都市圏における第2次産業-居住人口-第3次産業の間にそれぞれ強い連動関係があることが分かった。

 また、東京圏における第2、3次産業の事業所の立地動向に関する分析によると、第2次産業集積が産業中核地域から、交通幹線に従って、伝統的工業地帯である城東地域から川口周辺へ、さらに北部へ、また城南地域からさらに西部、さらに西南部へ次第に展開しつつあることを示している。また、第3次産業事業所の立地は、東京区部へ集中する一方で、第2次産業と人口の周辺部分への展開に伴い、次第に周辺へ拡大しつつある。そして、東京圏第2次産業、第3次産業それぞれについて、その事業所増減の東京圏における事業所総増減に占める割合が1.2%シェアを占める区・市町村地域を主要増加地域として設定すると、都心から15km以外の地域における第2次産業事業所の主要増加地と第3次産業事業所の主要増加地域がほぼ一致することが分かった。このことから、第2次産業が地域構造の変動に対して先導的影響を与えていることが分かる。

 東京大都市圏空間構造の変動の特徴に関する分析によると、産業経済の発展が、都市圏空間構造変動の原動力であることをあらためて示している。資本主義市場経済下、産業の波及及び地域連動効果を、大都市空間構造の変動から顕著に読みとることができる。1980年代からの経済のグローバル化、情報・通信技術の飛躍的な発展に伴い、産業構造も急激に変動し、それはさらに都市圏構造の変容に影響を与えていることが示唆される。東京大都市圏構造変動のメカニズム、つまり変動の要因は、第2章の分析によると、(1)社会経済運営形態、(2)企業運営形態、(3)地域インフラ形態・構造、(4)経済のグローバル化、という4つの要因であると考えられる。

 第3章では、上海大都市圏空間構造の変動の特徴に関して分析したことによると、50年代から、上海市中核部の近代都市産業のほとんどは、租界の分割によって小規模且つ分散的に展開していった植民地経済の遺物から、その工業部門間の合理化による産業の合弁、拡充によって形成、発展していったものである。それは1980年代末までの伝統産業を代表する紡績、電機産業の立地形態からよく分かる。それら産業集積の立地は、都心部から半径おおよそ6〜7kmの内環状線内であった。

 50年代から70年代末までの社会主義計画経済の下、上海市における第2次、第3次産業集積は、こうした植民地経済の遺物である不健全な産業基盤から出発した。1950年代からは、上海も東京と同様に、郊外工業衛星都市の建設による都市分散政策を打ち出したが、インフラや生活・文化等、都市施設の整備が不十分であったため、郊外工業衛星都市は十分な発展を遂げることができなかった。数値的に見ると、1987年まで、工業衛星都市の工場数、従業員、出荷額各指標は、とそれぞれ上海市における工業全体のの4.7%、9.3%、、11.9%を占めるに過ぎなかった。

 そして、内向きの計画経済運営体系と高度計画経済の下、企業生産の展開も国家経済計画によるものであり、産業立地もそれに大きく規定されたため、紡績、食品をはじめとする軽工業は、半径おおよそ6〜7kmの都市中心部にある既存の産業基盤によって発展を遂げており、それ故、1987年の中心部(内環地区、中環地区、外環地区の三つの部分からなる)における事業所数、従業員、工業出荷額は、それぞれ全市の47%、60%、66%となっていることから、第2次産業の中心部での高度集中状況が分かる。

 1980年代以降、市場経済運営形態の導入、特に90年代に入り、市場経済の加速度的な発展のもとで、都市構造も変容しつつある。工業化進行中という現在の上海経済発展段階から、上海市都市圏構造変容におけるその主役は、製造業をはじめとする第2次産業と居住人口であると考えられるため、上海市都市空間構造の激変の時期(1990年以降)と上海市地域別データを併せて、地域別産業、人口データの分析によって、都市圏全体の空間構造変動の特徴が分かった。

 第1に、第2次産業事業所の主要増減地域から見ると、中心部から半径おおよそ6〜7km圏域内及び遠隔地が同時に減少した一方、15km〜35km圏域が主要増加地域となったことが分かる。その背景としては、市場メカニズム(地価、産業構造の転換など)、上海市政府による都市中心地区産業構造のマクロ的な調整などとともに、積極的に工業を誘致するための都市中心部から半径15km〜35km圏域地帯における工業団地の整備により、これら地域にある工業団地へ工業が集結しつつあることが考えられる。

 第2に上海市居住人口の主要増減地域について、半径約6〜7km圏域内に位置する黄浦区、南市区、湾区、静安区、閘北区、虹口区6区と、縁辺地区の嘉定区、南匯県、奉賢県、松江県、金山県、崇明県が主要減少地域となっている。これは、おおよそ15km圏周辺に住宅団地が大規模に開発されたことと、第2次産業集積が、半径おおよそ15〜35kmの地帯で開発された工業団地に集中したため、多くの雇用がその地域に生み出されたことがその背景にあるとともに、市中心部における第3次産業の成長により、オフィス、商業ビルのニーズが増大し、それに伴い一部居住機能が周辺へ排出されたことも原因として考えられる。これらの結果、居住人口は市中心と縁辺地区から、都心部から15km圏域周辺に集結するようになったと判断される。

 また、上海市経済発展政策と都市空間整備政策によって、1992年〜1996年のわずか4年間で、内環線内の主要産業である紡績、軽工業、機械・電気を中心に主要産業の郊外への移転、あるいは第3次産業への転換が起こり、内環線内の総用地に占める工業総用地のシェアが11%〜6.2%まで、ほぼ半減した。そして、近年、中心市街地における産業の構造調整と連携し、各区における商業、オフィスの建設を進み、都市心部から7〜15km圏、つまり、中心市街地周辺に位置する徐匯区、長寧区、普陀区、閘北区、虹口区では、商業、オフィスの延べ床面積がともに著しく増加していることが分かった。

 特に、虹口経済開発区を持つ長寧区、新興石油化学工業基地を持つ宝山区、国家特別優遇政策を受けた浦東新区において、オフィス床延べ面積の増加が著しく、都心部から7〜15km圏に位置する商業ビル床延べ面積の主要増加地区、並びにその地区の人口の増加との関連性があると考えられる。

 また、1990年代から、外国資本の直接投資について業種別に見てみると、工業(製造業)のシェアは1990年の43.8%から1997年の52.3%に上昇し、全体の半分のシェアとなっている。そして、1985年の上海市工業出荷額における外資系のシェアは、わずか0.35%であったが、1996年にはそのシェアが40%を越えており、上海市における外国直接投資の急激な増加は、上海市経済の高度成長にとって欠かせない要因となっている一方、上海市の都市空間構造の調整にも重要な役割を果たしていることは無視できない。1993年と1997年の外資系製造業の地域別立地シェアを見ると、旧市街地から15〜35kmの圏域に位置する閔行区、嘉定区、浦東新区、松江県、青浦県では、外資系製造業の立地シェアが非常高いことが分かる。これらのことから、上海市工業事業所立地の主要増加地域である楊浦区、嘉定区、宝山区、浦東新区、奉賢県、松江県の事業所増加が、外資系製造業のその地域への進出と大きく関連していることが示唆される。

 以上の分析によると、1980年代以降、市場経済運営形態の導入、特に90年代に入り、市場経済の加速度的な発展のもとで、土地使用の有料化や、外国資本の中国、特に経済開放最前線である上海経済市場への大量参入、国営企業の株式化等が進み、中心部の不合理な都市構造を調整できる原動力を急速に形成し、都市構造も変容しつつある。つまり、上海都市圏構造の変容の要因は、上海市政府の経済発展戦略によるマクロ的調整と市場メカニズム、外国対中直接投資そのものなのである。

 第4章は、第2、3章での東京と上海両都市圏の人口変動の分析と富田のモデルに基づいて、都市中心部から半径20km圏域を中心地区、20km〜30k圏域を近郊地区、30km〜50km圏域を遠隔地帯として設定したことによって、東京圏人口分布の空間構造は離心型に属すること、そして、上海の人口展開は集心型に属することが分かった。

 また、以上の都市の産業・人口集積の空間機能分化過程の分析によって、都市の成長段階は、以下のように、I機能形成段階、II機能成長段階、III機能分離段階、IVシステム形成段階という四段階に分けると考えられる。そして、東京は、産業と人口郊外への分離は相対的に沈静化となり、郊外のシステム形成期に向けている。つまり、東京圏の空間構造は第3段階と第4段階に位置し、第4段階に向けていると考えられる。上海都市圏の空間構造は、第2段階の機能成長期と第3段階の機能分離期が同時進行していると思われる。

 以上の研究に基づいて、今後の国際化、情報化の下、東京と上海両大都市の発展は、市場メカニズムに深く関わっていくと考えられる。また、空間整備の面において、今、大都市圏の広域空間整備を行う際、多極多圏域構造という理念がよく用いられる。その故、今後、東京と上海両大都市において、各自の都市発展段階の特徴に応じ、市場メカニズムによる都市構造変容の特徴の把握と応用によって、多核多圏域空間構造を形成させる、つまり、大都市周辺自立都市圏を形成させるために、自立的産業機能集積の形成と自立都市圏域の設定という産業発展政策と空間整備計画両面から促進する必要がある。

 市場メカニズムの下、東京圏構造の変容の特徴から見ると、(1)第2次産業・人口・第3次産業の連動性、(2)大都市諸集積移動の方向性・連続性と空間分布の階層性、(3)大都市諸集積による周辺地域への波及効果と周辺地域の帰属性という特徴が見られる。

 以上まとめた産業集積と人口集積の展開の特徴は、今後、東京と上海両大都市の広域空間整備にあたって、参考となる重要な示唆を含むものである。

 (1)都市圏の発展における第2次産業-人-第3次産業の連動性の重視

 (2)水平分業の促進による都市間の経済的階層性の縮小・(域内大都市間・国際大都市間)

 (3)自立都市圏における産業成長センターの育成

 (4)産業・技術集積の波及・浸透効果による地場産業の高度化と産業経済の自立性の増強

 (5)産業分業の関係による自立都市圏経済、技術、情報ネットワーク形成の促進

 現代大都市広域空間整備においては、多核多圏域という整備手法が用いられているが、都市の集中問題を根本的に解決できた事例はあまり見あたらない。空間計画の側面から見るた問題点は、その多核多圏域の概念における空間整備単位の規模の適切性にあると考えられる。つまり、多極多圏域の広域空間構造を形成させるために、自立都市圏の基本的なテリトリー、一定規模をもつ都市の基本圏域を設定する必要がある。そうすることによって、母都市の吸収力に相対的に対抗できる集積力の形成を期待できる。ここでこの圏域を"都市基本圏域"と名付ける。都市基本圏域とは、大都市圏広域空間整備における空間整備の基本単位として考えられる。それは、現代都市の基本的な機能をもつ、諸都市機能の集積が十分可能である圏域である。その圏域の具体的な範囲、或いは規模については、詳細に確定するのは難しい問題であるが、実際の大都市圏構造の分析からマクロ的に把握できる。本論では、東京上海の分析に基づいて、大都市中心から10-20KM圏域は、既成市街地の範囲であり、そこで、居住人口、従業人口が一番集中している圏域である。私は、都市基本圏域の範囲は10-20KM圏域の平均値の15KMを都市基本圏域の参考値として提案した。具体的な検討は今後の課題として考えている。

 都市基本圏域の概念を提出するに当たって、大都市郊外の都市圏の整備には、都市圏が一定の規模を持つ必要があること、また、郊外の都市圏域を設定する際には、できるだけ既成市街地の基本圏域と重ねないことを強調したい。当然、郊外における都市基本圏の形態と規模は、必ずしもこの15km圏域と同じではない。そして、大都市郊外における具体的な配置においても、各大都市郊外の具体的な状況に応じ、調整するのが妥当であると思われる。郊外での適切な規模を持つ都市基本圏域の設定が、大都市圏の多核多圏域の有効な形成にとって重要な空間整備単位であると考えられる。

結論

 以上の研究に基づいて、今後、東京と上海両大都市において、多極多圏域構造を形成させ、つまり、大都市周辺自立都市圏を形成させるために、大都市圏における都市間水平分業の促進やインキューベター機能の育成による郊外自立的産業機能集積の形成と、都市基本圏域の設定による適切規模を持つ郊外都市圏の形成という産業発展政策と空間整備計画両面から促進する必要がある。この手法は、地方大都市圏の育成にも考えられるであろう。

審査要旨

 本論文は、産業立地を誘因とした都市構造の変容を、東京と上海の実証的比較研究を通して明らかにしたものであり、上海についても豊富なデータを基に、産業立地政策と都市構造変化の関係を明らかにしたことは実証研究都市意味が大きい。また東京を先例とした、政策検討は今後の上海における都市政策の検討に示唆を与える。

 第1章では、欧米の資本主義経済の発展に伴う広域都市群構造の変化の歴史を踏まえた上で、広域経済発展における大都市圏整備の重要性を、英・日・中の広域開発政策の変遷と日中広域経済発展と都市構造の変化を整理した。

 第2章では、東京大都市圏空間構造の変動の特徴とメカニズムの分析を行っている。日本の社会経済システムや、企業経営形態等の影響によって産業と人口が、東京大都市圏に集中し、そして、交通幹線に従って、放射状にそれらが都市内で展開していく様子を丹念に整理した。同時に、都市中心部における研究開発機能等高次機能、サービス業など新たな産業が発生し、拡大している。また、第2次産業の低次機能の郊外への移転にともなう郊外従業人口と居住人口の増加によって、郊外で大幅に増加した居住人口をマーケットとしての商業・対個人サービス業が増加しつつあり、第3次産業集積がさらに郊外へも展開を遂げつつある。

 第3章では、上海大都市圏空間構造の変動の特徴とメカニズムの分析を行っている。50年代から、小規模且つ分散的に展開していった植民地経済の遺物から発展してきた上海市中心地域における近代都市産業のほとんどは、中心部から半径おおよそ6〜7kmの内環状線内であった。50年代から70年代末までの内向きの計画経済運営体系と高度計画経済の下、それら産業立地の展開は、大きく規定された。しかし、1980年代以降、市場経済運営形態の導入、特に90年代に入り、外国直接投資の拡大や政策のマクロ的調整との働きによって、都市構造も激変しつつあるとする。この時期、都市中心地区産業構造の調整とその周辺地域への積極的な工業誘致という上海市政府の産業発展政策によって、都市中心部から半径15km〜35km圏域地帯における若干の工業団地の整備等によって、第2次産業事業所は、中心部から半径おおよそ6〜7km圏域内及び遠隔地が同時に減少した一方、15km〜35km圏域が主要増加地域となったと述べる。また、中心市街地における産業の構造調整と連携し、各区における商業、オフィスの建設を進み、都市心部から7〜15km圏域は、商業、オフィスの延べ床面積がともに著しく増加している。そして、半径約6〜7km圏域内と上海市縁辺地区が居住人口の主要減少地域となり、15km圏域周辺では主要増加地域となっている。

 上海市都市構造の激変には、上海市における外国直接投資の急激な増加が、重要な役割を果たしていることは無視できないとされる。1993年と1997年の間、上海市工業事業所立地の主要増加地域でもある15〜35kmの圏域に、外資系製造業の立地シェアが非常に高いことが分析によって分かった。それは、外資系製造業のその地域への進出と大きく関連していることが示唆される。

 第4章では、まず、第2、3章での東京と上海両都市圏の人口変動の分析と富田のモデルに基づいて、都市中心部から半径20km圏域を中心地区、20km〜30k圏域を近郊地区、30km〜50km圏域を遠隔地帯として設定したことによって、東京圏人口分布の空間構造は離心型に属すること、そして、上海の人口展開は集心型に属することが認められている。

 第2に、以上の都市の産業・人口集積の空間機能分化過程の分析によって、都市の成長段階は、以下のように、I機能形成段階、II機能成長段階、III機能分離段階、IVシステム形成段階という四段階に分けると指摘されている。

 第3に、経済発展による大都市圏の集中問題に対応するべく、多極多圏域構造を形成させ、つまり、大都市周辺の自立都市圏を形成させるために、大都市圏における都市間水平分業の促進やインキューベター機能の育成による郊外"自立的産業機能集積"の形成や、"都市基本圏域"の設定による適切規模を持つ郊外都市圏の形成という産業発展政策と空間整備計画両面から促進する必要があると提言した。

 本論文は、とくに上海の都市構造の変容を実証的に明らかにした点で価値が高く、市場経済の発達にともない、さらに変化を遂げる上海都市構造に、基盤整備による整序及び成長管理政策の適用など、種々の選択肢が求められことが示され、高い評価を得た。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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