学位論文要旨



No 114194
著者(漢字) 上野,一郎
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,イチロウ
標題(和) 水中における物体面の超高速パルス加熱に関する研究
標題(洋)
報告番号 114194
報告番号 甲14194
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4320号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 庄司,正弘
 東京大学 教授 松為,宏幸
 東京大学 教授 西尾,茂文
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 丸山,茂夫
内容要旨

 近年の工業或いは工学の広い分野に於いて,マイクロ(10-6)或いはナノ(10-9)スケールの現象,更にはメガ(106)或いはギガ(109)オーダーの高速性を持った工学的・技術的問題に強い関心が寄せられている.エネルギーや加工技術に関連した分野について見ると,より大きい,より速い熱移動現象に対する技術開発が不可欠となっており,超高速非平衡熱流体現象に関する研究が重要になってきている.特に近年,高速高出力エネルギー供給技術の普及が急速に拡がっており,このような高速高出力エネルギーを熱源とした場合に起こる現象は,通常極めて短時間の内に非常に急激な温度変化をもたらし,その結果として非常に高い熱流束が発生すると共に,莫大な熱エネルギー供給による被加熱物質の急激な熱膨張,被加熱物質及びバルク相物質の急激な相変化による衝撃的圧力(衝撃波)の発生といった,従来の伝熱工学の領域における沸騰現象には見られない種類の熱流体現象が現れる.こうした問題は,例えばレーザー加工,液体水銀をターゲットとした中性子発生装置,超伝導マグネットの遮断時における過渡現象など,実際的な技術課題として既に顕在化しているものである.更に工業的分野のみならず,雲仙普賢岳の噴火時,あるいはチェルノブイリ原子力発電所における事故時に発生し甚大なる被害をもたらした蒸気爆発現象の基本的な物理過程にも含まれると言われている.本研究はそうした従来の熱工学の範疇に無い高速の熱流体現象の物理について,時間スケールを短くする事によって新たに生起する現象要素の有無の把握,また,その基本的要素である伝熱・相状態・流体運動の挙動及びその相互関係を理解,解明することを目的として行われたものであり,水中または空気中における物体面のナノ秒パルス加熱実験,及び当該実験条件における熱流体現象数値計算モデルにより構成されている.

 結果から述べると,当該時間オーダーにおける水中での物体面加熱により生起する熱流体現象に関して,以下の事が明らかになった.

 ・伝熱:熱伝導が支配し,対流伝熱・放射・量子効果の影響は無視出来る.また当該時間オーダーにおいては充分に熱緩和しており,Fourier’s lawが適用出来る.

 ・相状態:急激な加熱により被加熱面近傍のバルク液体は非常に薄い領域において過熱状態が形成され,表面温度が均質核生成温度THN近傍に達した時点でバルク液層において核生成が生じる.

 ・流体挙動:当該時間オーダーにおいては前述の通り対流は生じず,バルク液体の慣性及び圧縮性が挙動を支配し,急激な密度変化を伴う相変化により衝撃波が発生する.

 以下,上記結果を導くに至った本研究における実験及び数値計算モデルに関し記述していく.

 実験においては,自由界面を有する液体金属(Hg),及び固体物質(Si)を被加熱物質として採用し,Nd:YAGレーザー(=532nm,〜13ns FWHM)を用いて水中または空気中にてナノ秒パルス加熱を行い,その際の現象挙動の高速度観察(最高2000万駒毎秒),発生圧力の測定を行うと共に,Si加熱に関してはPump & Probe methodにより被加熱物質の温度及び相状態を測定している.Fig.1にナノ秒パルス加熱実験装置の概略図を示す.ただし,発生圧力測定用圧電素子は省略してあり,また,Hg加熱については図中Probe Laser及びProbe Detectorは使用しない.

 まず液体金属加熱に関して.本研究では,自由界面を有する液体金属をレーザー加熱した場合に生起する現象を理解するための基礎実験として,その質量・圧縮性が大きく異なる大気中及び水中での水銀加熱を行い,高速度写真撮影によりその挙動の観察を行った.Fig.2に生起する現象の例を示す.水銀層厚さ10mmの系に対し,レーザー強度F=1.4×103mJ/cm2による加熱後初期段階における現象を加熱レーザー照射開始時刻をt=0として,(i)大気中加熱の場合,(ii)水層厚さ50mmでの水中加熱の場合について,撮影速度(a)10,000fps[露光時間:150ns],(b)2,000,000fps[150ns]で若干の俯角において撮影した.加熱レーザーはフレーム中,上方より照射する.水銀の空気中加熱の実験では,加熱直後から照射面上にプラズマが数sに渡り形成され,プラズマ形成に伴い伝播速度1.5×103m/s以上の衝撃波が発生する事(図中(i)-(b)),現象における比較的後期では水中の場合と異なり水銀面の大きな変動挙動が見られない事(図中(i)-(a))が明らかとなった.これに対し水中加熱においては,レーザー照射直後,照射面に水銀または水の急激な相変化が生じ伝播速度約1.7×103m/s平面衝撃波が形成される事(図中(ii)-(b)),照射後数百sの間に半球形蒸気泡が成長し(図中(ii)-(a)),msオーダーに渡り水銀界面の隆起や水銀液柱の形成が観察されることが明らかになった.

Fig.1 Schematic layout of experimental apparatus for nanosecond pulsed heating.Fig.2Mercury surface heating with(i)in air(on the left hand side),comparing with the case of(ii)in water(on the right)taken with frame speeds of(a)10,000fps[exposure time:150ns]and(b)2,000,000fps[150ns]. Pump laser fluence F=1.4×103mJ/cm2 for both cases.

 水銀を水中で加熱した際に生じる圧力は当該実験条件において最大10MPaにも達し,固体物質加熱と比較して遙かに大きい圧力が生じる.水中における水銀加熱により発生する圧力のレーザー加熱強度に対する分布をFig.3に示す.ここで比較のために同実験条件において銅を加熱した場合の結果も併せて示す.図中の実線は本研究において提案した衝撃波発生物理モデルによる予測値を示している.

Fig.3Generated pressure dependence upon pump laser fluence F in Hg-water system. Plotted values are equivalent to the extrapolated pressure values which would be measured at the surface.Solid line in the figure indicates the theoretical result of pressure generation in heating of Hg in water.

 水銀の高速加熱により誘起される現象の評価をするにあたっては,ごく僅かな金属蒸気のイオン化によりプラズマ吸収が誘起されることを考えると,水中加熱の場合におけるプラズマ化の有無の確認が現象評価に対し非常に重要な役割を果たすと思われる.自由表面を有する液体の性質のため,強い非定常状態における液体金属の温度変化測定は非常に困難ではあるが,水銀のレーザー加熱時における伝熱の詳細な把握及びより高速での観察が現象の物理的機構の解明に必要不可欠であり,今後の課題となる.

 次にSi加熱実験に関して.レーザー加熱時における界面での熱流体現象を理解するために,測定を容易にする目的により被加熱面として固体物質(Si)を用い,高速度撮影による現象観察,及び物質の持つ光学的物性値の温度依存性を利用して被験物質表面の温度変化や相変化を検出するPump & Probe methodを採用して水中固体物質レーザー加熱実験を行った.始めにFig.4に生起する現象の例を示す.F=2.0×102mJ/cm2によって加熱した際に生起する現象を,水銀加熱の場合と同じく加熱レーザー照射開始時刻をt=0として,(i)水中加熱の場合,(ii)大気中加熱の場合について,撮影速度(a)10,000,000fps[露光時間:20ns],(b)20,000,000fps[10ns]でSi表面と平行に撮影したものである.フレーム中の黒い板状の物が,厚さ0.6mmのSiであり,上方よりレーザーが照射される.

Fig.4Shock wave generation/propagation in heating of Si with F=2.0×102mJ/cm2 in the case of(i)in water(on the left hand side)and(ii)in air(on the right)taken with frame speeds of(a)10,000,000fps[exposure time:20ns],(b)20,000,000fps[10ns].All photographs were taken with an angle parallel to the Si surface. Thickness of Si is 0.6mm.

 空気中加熱ではSiの熱膨張や相変化により,大気中の音速で伝播する圧力波が形成される事(図中(ii)-(a)矢印),水中加熱では水銀加熱の場合と同様,加熱直後に衝撃波が形成され(図中(i)-(a),(i)-(b)矢印),その衝撃波はほぼ水の音速で伝播する事,またこの衝撃波は水の急激な相変化により誘起されるものでありSi自身の熱膨張の寄与は小さい事,また,水の相変化はSi表面の温度が水の均質核生成温度近くで生起している事を明らかにした.

 次に水中におけるSi加熱の際に生起する熱流体現象を考察するために,加熱レーザー照射領域に波長の異なる連続光(Probe laser)を照射し,その反射光強度変化を測定するPump & Probe methodを適用した結果例として,F=5.1×102mJ/cm2の場合についてFig.5(a)に示す.反射光強度変化の定性的挙動は加熱レーザー強度に依らずほぼ同一である.Si-水系の結果を上部実線,空気系の結果を上部一点鎖線により示している.ここで実際の反射光強度は水中における値の方が高いのであるが,比較を容易にするために空気中の値をoffsetし,Int0として示している.図中triseは加熱レーザーによるSi表面加熱開始時刻を表す.両系において加熱開始後反射光強度が上昇するが,水中加熱の場合には約10ns後に急激にその強度が降下する.これはSi表面に発生した半径R80nm程度の水蒸気泡によってProbe laser光の散乱が生じるためであると考えられる.従って時間(tpeak-trise)は加熱開始後Si表面に80nm程度の半径を持つ水蒸気泡が形成する実時刻を表している.Fig.5(b)に(tpeak-trise)のレーザー強度に対する分布,及び1次元熱伝導問題においてSi表面温度が水のTHNに到達する時刻tHN*,また,tHN*における水側の過熱液層厚さ1*,更に本研究において提案した衝撃波発生物理モデルによる予測値Pthを示す.

Fig.5(a)Detail of Time-resolved reflectance(TRR)signals in the case of heating of Si with F=5.1×102mJ/cm2. Note that TRR signal detected in the Si-air system is offset to coincide with the preceding intensity in the Si-water system for the sake of convenience for comparison.(b)Variations of experimental results of(tpeak-trise)and numerical nuclaeation time tHN* when Si surface temperature reaches homogeneous nucleation temperature of water THN 1-D heat conduction model with laser fluence F.In the figure,experimental results of pressure values which are extrapolated equivalent to be measured at the heated surface Pmax,and numerical result of generated pressure obtained from physical model of pressure generation are plotted.In addition,numerical result of superheated layer thickness of water at tHN*,1*,is shown.

 以上の実験結果に基づき,衝撃波発生モデルを提案した.ここでは,以下の2つが主な素過程となっている.

 ・熱伝導により支配される温度場によって形成された,水側の過熱液層の急激な相変化により衝撃波が発生.

 ・相変化は被加熱物質表面温度が水のTHNに達した瞬間に生起.

 本モデルによる予測値は既にFig.3及びFig.5(b)に示した通りである.傾向はほぼ一致しているものの,それぞれ実験値とのずれが見られる.今後の課題として,

 ・水側の相変化領域の把握.

 ・核生成温度の詳細な把握,物理機構解明.

 ・2体接触問題における相変化に関する熱力学的考察.

 が挙げられる.

審査要旨

 本論文は,「水中における物体面の超高速パルス加熱に関する研究」と題し,これまで充分には体系化の進んでいない高熱流束,短時間スケールの水中物体加熱で生ずる高速の熱流体現象に関し,現象挙動の基本要素である伝熱,相状態,流体運動の特性,およびそれら相互関係の把握を目的として実験的ならびに理論的な研究を行ったものであり,論文は全5章よりなっている.

 第1章は「序論」であり,本研究に関連した従来の研究,本研究の背景と目的について述べている.

 第2章は「実験」であり,自由界面を有する液体金属(水銀)および固体物質(シリコン)を被加熱物質として,水中においてNd:YAGレーザ(=532nm,13ns FWHM)を用いて行った加熱実験,および比較検証を目的として行った空気加熱実験とその結果について述べている.そして,まず水銀の水中加熱においては,レーザー照射直後,照射面に水銀または水の急激な相変化が生じ平面衝撃波が形成されること,照射後数百マイクロ秒の間に半球型蒸気泡が成長し,ミリ秒オーダーにわたり水銀界面の隆起や水銀液柱の形成が観察されることを明らかにしている.これに対し空気中加熱の実験では,加熱直後から照射面上にプラズマが数マイクロ秒にわたり形成されること,プラズマ形成に伴って衝撃波が発生するものの,水中の場合と異なり水銀面の大きな変動挙動が見られないことを見いだしている.一方,固体シリコン面の加熱実験においては,空気中加熱ではシリコンの熱膨張と相変化により圧力波が形成されることを初めて高速度写真で捉えて確認すると共に,水中加熱においては,水銀加熱の場合と同様,加熱直後に衝撃波が形成されること,その衝撃波はほぼ水の音速で伝播すること,この衝撃波は水の急激な相変化により誘起されるものであり,シリコン自身の熱膨張の寄与は小さいこと,水の相変化はシリコン表面の温度が水の均質核生成温度近くに達したときに生起することなどを明らかにしている.

 第3章は「ナノ秒パルス加熱における伝熱問題」と題し,第2章の実験の結果および数値計算を行って,水中に置かれた物体の表面をナノ秒加熱したときの伝熱,相変化,流体運動について検討した結果を記している.まず,伝熱問題については,放物型及び双曲型熱伝導方程式,さらには電子-格子間の相互作用を考慮した電子-格子結合型温度拡散方程式を当該問題に適用し,数値計算によりその比較・検討を行い,その結果,対流や放射の影響,あるいは量子伝熱の寄与などは非常に小さく,伝熱は主として熱伝導に支配されること,つまり,当該条件における時間およびレーザ強度にあっては充分に熱緩和が進んでおり,フーリエ則で記述される熱伝導が適用可能としている.ただし,熱伝導方程式における内部発熱に関しては,レーザ光の反射や吸収に関する光学物性値の温度依存性のより詳細な把握が必要であり,この問題は今後の課題としている.次に相変化に関しては,水中加熱の場合,急激な加熱により被加熱面近傍のバルク水には非常に薄い領域にて過熱状態が形成され,表面温度が水の均質核生成温度に達した時点でバルク液層において核生成が生じるとの結果を得ている.ただし,低沸点・低潜熱の液体金属が被加熱物質である場合には,金属自身の相変化も生起して衝撃波発生に大きく寄与すると思われるが,その寄与度を評価するためには今後,液体金属の非定常伝熱場測定法の確立が必須としている.一方,流体運動に関しては,本実験の時間オーダでは対流はごく小さく,バルク相物質の慣性及び圧縮性が現象挙動を支配し,特に水中加熱の場合には,従来の研究にある伝熱と相変化のみで記述される熱流体現象と異なり,急激な密度変化を伴う相変化によって衝撃波が生じることに特色があることを明らかにしている.

 以上の伝熱・相状態・流体運動に関して得られた知見に基づき,第4章の「熱流体現象物理モデル」においては,パルス加熱によって生起する温度場,核生成,衝撃波発生というプロセスを経た衝撃波発生の物理モデルを提案している.すなわち,高速加熱によりバルク液体側に非常に薄い過熱液層が形成され,被加熱面表面温度が水の均質核生成温度に到達した瞬間にその過熱液層内において核生成が生起し,急激な密度変化によって爆発的な圧力が発生するというシナリオである.モデルにはいくつかの仮定が含まれているが,実験結果をほぼよく説明している.

 第5章は「結言」であり,上記の研究結果をまとめたものである.

 以上要するに,本論文は従来研究の少なかったナノ秒オーダー加熱の熱流体現象に関し,実験的,理論的に研究し,蒸気爆発や超伝導状態破壊,中性子発生ターゲットなど実際の高速熱流体現象を理解するための基礎知識を与えており,熱工学あるいは伝熱工学の発展に寄与するものと考えられる.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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