本論文では、診療行動理解による行動記録の自動作成と蓄積、その提示による利用を一貫して行なうシステムを示した。システムは診療中の医師が患者に対して実施する問診・治療・検査や、これらを実施する背景にある医師の意図や診療状況を実時間理解し、必要と推察される患者情報をモニタに表示し医師に対して自動的に提示を行なう。このとき、理解結果を自動作成された行動記録として保存し、それを提示情報として提示支援に利用することが可能である。 このように、医師の行動理解によって提示内容・タイミングを判断し自動提示することができれば、大画面に全情報を表示して必要な情報を捜し出したり、医師が明示的に提示を指示する繁雑さは低減され、患者とのコミュニケーションに精力を傾けること可能となることが期待される。また、理解結果をもとに行動記録を自動的に作成することによって、診療終了後に医師が自身の行動を反芻して記録する現状の方法において発生する記録忘れや誤記録の頻度が減少し、医療情報の質が向上することが予想される。 本論文ではシステム実現のために具体的には、診療行動の自由度・多様性への対処方法を示し、その対処方法に基づいた理解・提示・蓄積のための行動表現方法として診療行動構造記述木を実現した。そして、その行動表現に基づいて医師の診療行動の理解と理解結果に基づいた提示を行なうシステムを実験室の疑似診療環境において構築した。論文中では、この診療行動の理解・提示システムについて、各章に以下の記述がなされている。 1章「序論」では、本研究の背景として、医療の質的向上の手段として、医療情報の利用の観点から診療中の医師を支援することが重要であるという課題を述べた。そして、支援システムの実現を本研究の目的として位置付けた。 2章「診療行動と診療支援」では、診療の実例に基づいて経過観察サポートとしての情報提示支援の必要性が論じられている。 3章「診療行動理解を用いた情報提示支援」では、耳鼻咽喉科診療での情報提示支援の重要性と支援実現方法が論じられ、行動理解を用いた提示内容・タイミング判断の必然性が示され、診療行動理解に基づく提示システムが提案されている。 4章「診療行動の理解・情報提示システム」では、行動理解が医師の行動記録を自動作成し蓄積する支援につながる重要な観点であり、自動作成され蓄積された行動記録が提示支援に利用可能であることから、診療行動理解に基づく提示システムを、理解・提示・蓄積を一貫して行なうことが可能な形態で実現することが提案され、システム構成が説明されている。 5章「診療分析とモデル化」では、理解・提示・蓄積を一貫して行なうシステムを実現するための診療行動モデルが示されている。具体的には、実際の診療現場でのデータ収集を通して、診療行動を病名に基づいた行為コンポーネントとそれらの順序性・適用性の規則性から整理し、病名を最上位目標とした目標・手段の階層表現としての診療行動構造記述木が、代表的な耳の14病名を例に作成され提案されている。さらに各診療現場固有の記述木を構成する方法についても考察がなされている。 6章「診療行動構造記述木を用いた理解・提示」では、診療行動構造記述木を用いた理解・提示の考え方をとして、記述木を医師の診療行動のデータを蓄えることのできるデータシートとして用い、それに行為シンボル入力とそれによる目標の成立を書き込み、書き込みを解釈することで診療の進行を把握し、提示内容・タイミングを判断する理解・提示処理が示されている。具体的には、理解と提示は、データシートと診療開始からの全行為シンボルとのテンプレートマッチング、マッチしたデータシートをもとにした意味ネットワークの探索、の2段階の処理によって実現されている。 7章「システムの構築」では、実験室に構築した疑似診療環境において構築する14病名の記述木を用いた理解・提示システムのハードウェア、ソフトウェア構成が述べられている。 8章「診療行為シンボル化処理」では、道具の使用を視覚を用いてシンボル化する処理と、医師の発話中のキーワードをスポッティング認識する処理が示されている。 9章「理解処理」、10章「提示処理」では、それぞれ理解処理、提示処理の具体的インプリメント方法と実現したアルゴリズムが示されている。また、それぞれオフラインシミュレーション実験を通して、理解処理、提示処理の動作が確認されている。 11章「理解・提示実験」では、構築されたシステムを診療行動へ適用し、システムの動作を確認し、その有効性を実際の診療データをもとに検証した。 12章「結論」では、理解・提示・蓄積の一貫システムを実現するための行動表現としての診療行動構造記述木と、その行動表現に基づいて理解・提示システムとして実現した処理メカニズムを本研究で得られた知見として位置づけ、結論した。また、研究の今後の展開の可能性として、診療行動構造記述木の計算機による自動作成、診療中の音声・画像情報などを自動的に取り込むマルチメディア診療行動記録の蓄積について述べた。 以上に議論したとおり、本論文で得られた理解・提示・蓄積の一貫システムを実現するための診療行動表現、および処理メカニズムに関する知見は、診療支援という社会的ニーズを満たすためのシステム設計の一つの方向性を示した点で、機械工学に貢献するものである。よって本論文は東京大学院工学系研究科機械工学専攻における博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |