学位論文要旨



No 114199
著者(漢字) 田中,秀治
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,シュウジ
標題(和) 回折限界を超える近接場光リソグラフィに関する研究
標題(洋)
報告番号 114199
報告番号 甲14199
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4325号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 畑村,洋太郎
 東京大学 教授 板生,清
 東京大学 助教授 中尾,政之
 東北大学 教授 江刺,正喜
 通産省電子技術総合研究所 総括主任研究官 古室,昌徳
内容要旨

 半導体集積回路・微小光学素子・マイクロマシン・量子効果素子などの微小素子を実用化するために、サブミクロン以下の解像度を有するフォトリソグラフィが必要である。フォトリソグラフィの解像度を上げるための根本的な対処法として、露光に用いる光の波長を小さくする方法とエバネッセント光(evanescent light)を用いる方法とがある。本論文では後者の方法に注目する。エバネッセント光は、内部全反射照明や光の波長より十分に小さい開口などによって発生するが、光の回折限界を超える空間分解能を与える光として、主に走査形近接場光学顕微鏡(scanning near-field optical micro-scope:SNOM)に用いられている。エバネッセント光を用いるフォトリソグラフィに関する従来の研究として、SNOMを応用する方法が報告されている。これは、先鋭化した光ファイバ先端の微小開口によって発生するエバネッセント光を用いて、100nm程度の大きさの微細模様をフォトレジストに逐次描画する方法である。しかし、この方法は加工速度に致命的な問題を抱えている。そこで、本論文では、エバネッセント光を用いて微細模様を一括転写する方法を提案する。

 図1に近接場光リソグラフィの露光方法を模式的に示す。従来のフォトリソグラフィ用マスクに相当する加工形状の原版として、表面に微細凹凸模様が彫刻された透明なモールド(mold)を用意する。モールド表面とフォトレジスト表面とを、光の波長より十分に小さい距離に近接させて、微細凹凸模様をプリズムなどを介して全反射照明する。その結果、モールド表面の近接場に微細凹凸模様によって変調されたエバネッセント光が発生し、フォトレジストが露光される。エバネッセント光の第1の特徴は、モールド表面から離れると指数関数的に減衰することである。したがって、微細凹凸模様の凸部に面したフォトレジストは強く露光され、一方、同凹部に面したフォトレジストは弱く露光される。これが、近接場露光のコントラスト発生原理である。また、エバネッセント光の第2の特徴は、その発生源である微細凹凸模様の構造情報のうち、光の回折限界より小さい格子定数成分を含んでいることである。したがって、フォトレジストは微細凹凸模様の形状に応じて、光の回折限界より小さい空間分解能で露光される。

図1:近接場光リソグラフィの露光方法

 実際に近接場露光を行う場合、モールドとフォトレジストとを近接させるのではなく、密着させる。これは、フォトレジスト表面とモールド表面とは完全な平面ではなく、両者の隙間をナノメータオーダの精度で一定制御することが難しいからである。モールドとフォトレジストとを密着させるために、モールドはフォトレジスト表面に沿って柔軟に弾性変形しなくてはならない。また、フォトレジストとの接触によって汚損したモールドは、新しいモールドに交換されなくてはならない。したがって、1つのマスタモールド(master mold)から簡単に複製できる軟らかい透明樹脂製のレプリカモールド(replica mold)を、近接場露光に供する。すなわち、近接場光リソグラフィは図2に示す3工程で構成される。第1工程では、電子線リソグラフィとドライエッチングとによって、微細凹凸模様を有する硬いマスタモールドを作製する。第2工程では、マスタモールドを原版にして、軟らかい透明樹脂製のレプリカモールドを複製する。第3工程では、レプリカモールドを用いて近接場露光を行う。

図2:近接場光リソグラフィの工程

 実験の前に、近接場光リソグラフィの露光原理の妥当性を理論的に検証した。まず、モールド表面とフォトレジスト表面とが無限平面であるという仮定のもとに、古典光学に基づいてフォトレジストの露光強度を計算した。図3に計算結果の一例を示す。ここで、横軸はフォトレジストの膜厚d3を、縦軸はフォトレジストの単位膜厚当たりの露光強度A/d3をそれぞれ表し、モールド表面とフォトレジスト表面との距離d2を0-200nmの範囲で50nmおきに変化させた場合の各曲線が、p偏光とs偏光とについてそれぞれ上下の図に分けて示されている。これから、モールド表面とフォトレジスト表面との距離が大きくなると、上述したように、フォトレジストの単位膜厚当たりの露光強度が基本的に小さくなることがわかる。また、フォトレジストの膜厚が120,280nm程度のフォトレジストをp偏光の光で露光する場合、あるいは、膜厚が180nm程度のフォトレジストをs偏光の光で露光する場合、d2の違いによるA/d3の違いが大きくなるので、大きな露光のコントラストが得られることもわかる。

図3:フォトレジストの膜厚とフォトレジストの単位膜厚当たりの露光強度との関係

 さらに、微細凹凸模様とフォトレジストとの間に生じる近接電磁場を、差分時間領域法(finite-difference time-domain method:FDTD method)によって数値解析した。図4に計算結果の一例を示す。ここで、曲線は電磁場の等強度線であり、明るい部分では電磁場の強度が大きい。これから、モールドの凸部直下に局在する強い電磁場が形成される結果、フォトレジストが微細凹凸模様の形状に応じて、光の回折限界より小さい空間分解能で露光されることがわかる。また、一連の解析によって、フォトレジストの露光状況は偏光によって大きく異なり、モールド表面の畝と偏光方向とが直交する場合に、良好な形状転写を行えることもわかった。

図4:FDTD法による近接電磁場の解析結果

 次に、図2に示した工程にしたがって実験を行った。最初に、電子線リソグラフィと高速原子線エッチングとによって、石英ガラス製のマスタモールドを製作した。図5にマスタモールドの走査形電子顕微鏡(scanning electron microscope:SEM)像を示す。図5(a),(b)に示したマスタモールドの溝幅はそれぞれ70,50nm,深さは165nm,ピッチは図に示す通りである。次に、アセチルセルロース(acetylcellulose)製のレプリカフィルムを用いて、マスタモールドからレプリカモールドを複製した。酢酸メチル(methyl acetate)に浸漬したレプリカフィルムをマスタモールド表面に貼り付けると、1分以内に酢酸メチルが完全に揮発して、レプリカフィルムにマスタモールドの微細凹凸模様が転写される。図6にレプリカモールドのSEM像を示す。これらのレプリカモールドは、図5に示したマスタモールドから複製されたものである。図6(b)に示したマスタモールドでは、最小幅50nm,最小ピッチ140nmの畝がレプリカモールドに転写されていることから、レプリカフィルムが十分な転写分解能を有することがわかる。最後に、レプリカモールドを用いて近接場露光を行った。露光用の光源には波長442nm,定格出力10mW,直線偏光のHe-Cdレーザを、フォトレジストには市販のg線用ポジフォトレジストをそれぞれ用いた。また、レプリカモールドとフォトレジストとを1MPa程度の圧力で密着させた。

 図7に露光・現像したフォトレジストのSEM像を示す。これらのフォトレジストは、図6に示したレプリカモールドを用いて、溝に対して垂直方向から入射したs偏光の光で、8秒間露光したものである。図7(a)に示したフォトレジストには、幅70nm,ピッチ200,220,240,260nmの2本組の溝が、図7(b)に示したフォトレジストには、幅50nm,ピッチ140,160nmの2本組の溝状の露光痕がそれぞれ認められる。特に、幅50nm,ピッチ140nmの2本組の溝状の露光痕は、近接場光リソグラフィの露光分解能が、光の回折限界/2n=147nmを超えることを実証している。ここで、は光の波長を、nはモールドの屈折率をそれぞれ表し、=442nm,n=1.5である。

 FDTD法による近接電磁場の解析結果と実験結果とから、近接場光リソグラフィによって光の回折限界より小さい解像度を実現できることが明らかになった。しかし、図7に示した実験結果からわかるように、フォトレジストに加工された溝は浅く、基板までフォトレジストを貫通していないことが問題である。この最大の原因は、図4に示したFDTD法による近接電磁場の解析結果からわかるように、フォトレジストの表層以外では、高い露光のコントラストが得られないことである。フォトレジストを貫通する深い加工を実現するためには、表面イメージング(surface imaging)の適用が最も有望である。表面イメージングは、表層のみが露光されたフォトレジストから、基板まで貫通する深いレジストパターンを現像する方法であり、silylation processや多層レジスト法などに代表される。本論文では、FDTD法による近接電磁場の数値解析によって、フォトレジストの表層で、表面イメージングに必要な露光のコントラストが得られることを示した。

 最終的に次のような結論を得る。近接場光リソグラフィによって光の回折限界より小さい解像度を実現できることを、FDTD法による近接場露光の数値解析と実験とによって実証した。さらに、基板まで貫通する深いレジストパターンの加工法を具体的に提示して、近接場光リソグラフィの有効性を示した。

図5:マスタモールドのSEM像図6:レプリカモールドのSEM像図7:レジストパターンのSEM像
審査要旨

 本論文は「回折限界を超える近接場光リソグラフィに関する研究」と題するが、7章で構成される。

 微小光学素子やマイクロマシンなどを実用化するためには、数百ナノメータ以下の解像度を有するフォトリソグラフィが必要である。フォトリソグラフィの解像度を上げるための根本的な対処法には、露光に用いる光の波長を短くする方法とエバネッセント光を用いる方法とがある。本論文では、後者の方法に注目して、次に述べる新しい近接場光リソグラフィを提案している。

 従来のフォトリソグラフィのマスクの代わりに、透明基板の表面に微細凹凸模様が付いたモールドと呼ばれる原版を用意する。モールド表面とフォトレジスト表面とを密着させた後、モールド表面を内部全反射照明する。その結果、モールド表面にエバネッセント光が発生して、微細凹凸模様の凸部に面したフォトレジストは強く露光され、一方、同凹部に面したフォトレジストは弱く露光される。ただし、光の回折限界より小さい格子定数成分によって変調されたエバネッセント光は、光の回折限界より小さい空間分解能でフォトレジストを露光できる。

 ところで、モールドとフォトレジストとを密着させるためには、モールドはフォトレジスト表面に治って柔軟に弾性変形しなくてはならない。また、フォトレジストと接触して汚損したモールドは、新しいモールドに交換されなくてはならない。したがって、まず、マスタモールドと呼ばれる原版を製作して、次に、マスタモールドから柔軟な透明樹脂製のレプリカモールドを複製して、最後に、レプリカモールドを近接場露光に供する。本工程によって、近接場光リソグラフィは簡単にかつ安価に高解像度を実現できる。本論文では、上述の近接場光リソグラフィの有効性を、理論検討と実験とによって示すことに成功している。

 第1章は「序論」であるが、「研究の背景」、「研究の目的」、「研究の基礎になる物理と技術の概要」、「本論文の内容と構成」についてそれぞれ述べている。「研究の背景」では、高解像度のフォトリソグラフィが微小素子を製作するために重要であること、従来のフォトリソグラフィを高解像度化するための根本的な対処法は、露光に用いる光の短波長化であること、および、光の短波長化の問題点を順に述べて、本研究の目的を導いている。「研究の基礎になる物理と技術の概要」では、近接場光リソグラフィに用いるエバネッセント光について説明した後、エバネッセント光を用いる既存技術を概観している。

 第2章は「近接場光リソグラフィの提案」であるが、上述の近接場光リソグラフィの露光方法と工程とを提案している。

 第3章は「近接場露光の理論検討」であるが、次に述べる2種類の理論検討を行っている。始めに、モールド表面とフォトレジスト表面との距離、および、フォトレジストの膜厚の変化に対するフォトレジストの露光強度の変化を、古典光学に基づいて計算している。次に、差分時間領域法を用いて、モールド表面に発生する近接電磁場の強度分布を数値解析している。これらの理論検討によって、第2章で提案した露光原理の正当性を確認している。

 第4章は「近接場光リソグラフィの試行」であるが、マスタモールド製作実験とレプリカモールド製作実験と近接場露光実験とについて順に述べている。一連の実験の結果、第2章で提案した露光方法と工程の実現性を確認している。

 第5章は「実験結果との検証と評価」であるが、「理論検討結果と実験結果との比較検証」と「近接場光リソグラフィの評価」とで構成される。始めに、理論検討結果と実験結果とを比較検証して、実験結果が理論検討結果と一致すること、および、古典光学に基づく計算手法と差分時間領域法とが、近接場露光の理論解析に有効であることを示している。次に、近接場光リソグラフィが、光の回折限界を超える高解像度を有していること、および、簡単かつ安価なリソグラフィ技術であることを、実験結果に基づいて示して、近接場光リソグラフィの有効性を評価している。

 第6章は「考察」である。理論検討と実験とによって、比較的高い露光のコントラストで露光されるのは、フォトレジストの表層のみであるという問題が明らかになったが、この問題の解決法を具体的にいくつか提示して、それらの実現可能性を考察している。さらに、近接場光リソグラフィの将来の応用を具体的に提案している。

 第7章では、本論文全体の結論を述べている。

 以上に述べたことをまとめると、本論文では、エバネッセント光を用いる新しい近接場光リソグラフィを提案して、同リソグラフィが光の回折限界より小さい解像度を簡単にかつ安価に実現できることを、理論検討と実験とによって実証している。従来は2者排反の関係にあったリソグラフィの高解像度化と低コスト化とを、エバネッセント光を用いて同時に実現できる可能性を示した本研究は、微細加工と微小素子とに関する工学と産業の発展に大きく貢献すると考える。さらに、本研究で理論検討結果と実験結果とが一致したことは、差分時間領域法が光学近接場の解析に有効であることを極めてわかり易い形で実証した貴重な例である。したがって、本研究は、近接場光学顕微鏡や近接場光記録などの近接場光学関連技術、および、近接場光学そのものの発展にも大きく貢献すると考える。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54687