学位論文要旨



No 114204
著者(漢字) 渡邉,泰之
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ヤスユキ
標題(和) 微小重力環境における非線形効果を利用した宇宙多体系の運動制御
標題(洋)
報告番号 114204
報告番号 甲14204
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4330号
研究科 工学系研究科
専攻 機械情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 教授 吉本,堅一
 東京大学 教授 下山,勲
 東京大学 助教授 金子,成彦
 東京大学 助教授 中須賀,真一
内容要旨 1序論

 宇宙空間での力学系の挙動は多くの場合非線形性を持ち,現在においても未解決の問題が多く様々な分野で研究が進められている.本研究では宇宙における非線形システムとして剛体多体系の運動と制御に着目し,多体系の運動する環境として無重力環境と傾斜重力環境を取り上げる.

 無重力環境における多体系として宇宙ロボットを対象とする.宇宙ロボットの非線形挙動に関する研究では,比較的汎用性のある地上実験法が確立されていないため,有効性の検証に実験が利用されることは少ない.本論文では宇宙ロボットの非線形挙動を地上において実現する方法を確立するため,地下無重力実験センターでの自由落下無重力環境を利用した地上実験法について論じる.

 傾斜重力環境は衛星の内部における重力の非線形効果を考慮した環境であり,その効果として系にトルクが働くことや軌道が摂動することが知られている.本論文では,衛星の姿勢運動により重力傾斜効果を利用して軌道を制御する手法を提案し,さらに太陽系の惑星の運動について考察する.また,傾斜重力環境における非線形挙動に関する地上模擬実験法および装置の開発のため,自由落下無重力環境下において磁性体が磁界から受ける磁力を利用して重力傾斜効果を模擬する方法を提案する.

2無重力環境における非線形挙動2.1地下無重力実験センターにおける落下実験

 地下無重力実験センターでは約10秒間10-5G以下の微小重力環境を実現することができる.実験装置としてFig.1のような3自由度アームを搭載したロボットを用いセンサとコントローラを外部に置く構成を提案する.ロボットは落下前は把持装置により固定され,落下開始後切り離されて運動を開始する.

Fig.1:Experimental system
2.2ロボットの切り離しと初期運動量・角運動量

 落下開始後のロボットの切り離しの際,把持装置との接触部で働く力・トルクによりロボットが初期運動量・角運動量を持つ問題がある.剛性の低い把持装置の場合,Fig.2に示すようにロボットを把持した状態では押しつけ力により変形し,切り離しの際に蓄積された弾性エネルギが解放されロボットが大きな初期運動量・角運動量を持つ原因となる.

Fig.2:Distortion of the holding instrument
2.3ロボットベースの位置・姿勢の計測

 ロボットの位置・姿勢の計測法として立体視法と非立体視法を提案する.立体視法(Fig.3(a))は,ロボットベース上に施した複数の点の三次元慣性空間における位置を立体視により計測しロボットベースの位置・姿勢を求める方法である.非立体視法(Fig.3(b))は,左右のCCDカメラがそれぞれロボットベース上の異なる点を撮影しそれらの点の画像上の位置から直接ロボットベースの位置・姿勢を求める方法である.

Fig.3:Methods for measuring the robot’s position and orientation
2.4自由落下無重力実験

 Fig.4に(a)立体視法と(b)非立体視法を用いて物体の捕捉実験を行った結果を示す.図はトラッキングビジョンにより処理された左右の画像である.立体視法を用いた実験では,ロボットの姿勢変化のためトラッキングビジョンがベース上のマークを追従できなくなり物体の捕捉が不可能となった.非立体視法を用いた実験では,ロボットベース上のマークを適切な位置に施すことにより,ロボットの姿勢変化によるマークの誤認識の問題が解消され,物体の捕捉を行うことができた.

Fig.4:Experimental resuls with the developed system
3傾斜重力環境における非線形挙動3.1座標系と記号

 衛星の軌道平面内の運動のみを考え,軌道要素は半直弦p,離心率e,近地点引数,真近点角を用いる.座標系をFig.5に示すように設定する.

Fig.5:Frames and variables
3.2重力傾斜による軌道の摂動

 系に働く重力は,系が質点と仮定されない場合には

 

 と表される.ただし,cは地球重力定数を表し,mは衛星の質量,Icは慣性行列,rcは動径ベクトルを表す.式(1)の右辺第1項は系を質点とみなしたときに系に働く重力である.第2項が重力傾斜の効果(重力傾斜力)を表し軌道の摂動を引き起こす.

 重力傾斜力を0において表現すると,

 

 となる.ただし,

 

 である.式(2)は0fgの変化に従って楕円上を変化することを示している.この楕円は(1)長軸と短軸の長さの比が3/2であり,(2)長軸の方向は鉛直方向に一致するという特徴を持つ.楕円上の1周は姿勢変化のに一致する.

 軌道の摂動方程式を用いると,重力傾斜力による半直弦,離心ベクトルの時間微分は

 

 

 と表される.ただし,uは離心ベクトルの方向ベクトルであり,vはuに対し左側に垂直な単位ベクトルである.式(5)はベクトルの変化に従って楕円に近い閉曲線を描くことを示し,閉曲線の大きさと回転角度はの変化に依存する.

3.3重力傾斜を利用した軌道制御

 式(4)よりは2=±/2のときに最大または最小となるため,半直弦を制御するには2=±/2とする.

 離心ベクトルの制御については,その時間微分の方向が目標値edからの誤差(e=ed-e)に一致するよう姿勢を定めると,誤差ベクトルは小さくなる.Fig.6にこの方法により求められた姿勢の値を示す(eの方向は20.19°).衛星が地球のまわりを1周回する間にの閉曲線は1回転する.閉曲線上の1周は姿勢変化のに相当するため,eの変化は微小であるとすると,衛星が地球のまわりを1周回する間に衛星の姿勢は変化する.すなわち衛星の姿勢変化の周期は軌道運動の周期の2倍であり,軌道の変化は姿勢変化の位相に依存する.

Fig.6:Attitude variation for control of the eccentricity vector (arge=20.19°)
3.4水星固有の軌道運動に関する考察

 水星の運動には,(1)近日点の移動,(2)軌道の離心率が大きい(0.2056),(3)公転と自転の周期の比が3:2という特徴がある.重力傾斜を利用した軌道制御の議論より,特徴(3)の周期の比は重力傾斜による軌道の近日点の移動と離心率を最も効率良く変化させる比である.ただし,自転と公転の角度に相当するのはそれぞれ+である.水星の離心率の変化に着目し,「水星ははじめ円軌道上を運動していたが重力傾斜の効果により現在の楕円軌道に変化した.」という可能性があると考え,その可能性の有無を調べる.

 水星の軌道がその自転運動のみによって時間の間にeが0から0.2056まで変化するときの慣性能率比の値を計算する.ここで,(1)軌道の半直弦は一定,(2)自転運動の位相は一定という仮定を設けると,慣性能率比k,回転運動の位相,離心率が現在の値にまで変化するのに要する時間の関係は,

 

 と表わされる(Fig.7). Fig.7から慣性能率比がおよそ0.001以上であれば水星の離心率が重力傾斜の効果により増加した可能性があると言える.

Fig.7:Contours of inertial moment ratio

 ただし,自転運動の位相を一定とした仮定に起因する回転運動の安定性とエネルギについての問題点があり,今後の課題である.

4傾斜重力環境の地上模擬4.1磁界を用いた傾斜重力環境の模擬実験法

 自由落下無重力環境下において磁界を利用することにより重力傾斜の効果を模擬する方法を提案する.空間内に複数個の電磁石を設置し電流を制御して空間内の磁界を変化させる.空間内を運動する系はその基礎構造を非磁性体により構成し,その内部に磁性体を複数個配置する.

4.2鉄球に働く磁力のモデル化

 磁界と磁性体に働く磁力との関係から,磁界h,磁界の強さの勾配gの位置にある鉄球に働く磁力fのモデルを

 

 と定める.ただし,gu、gvはそれぞれgのh方向成分とそれに垂直な方向成分である.cu、cvは定数とし,それらの値は有限要素法による磁場解析や実験等により定める.

 直径10mmの鉄球に働く磁力を数通りの場合について有限要素法を用いて計算し,その磁力と式(7)により計算される磁力との二乗誤差が最小となるようcu、cvを定めると,cu=8.252×10-13、cv=6.879×10-13となる.

4.3鉄球に働く磁力の制御

 Fig.8に示すように空間内の点Pにある鉄球に働く磁力の目標値fdをn本の直線電流により実現する.ただし十分な直線電流が存在すると仮定する.

Fig.8:Environment for control of magnetie force

 磁力fの微分と電流値の微分の線形関係を求める.式(7)より

 

 

 

 

 

 となる.ただし,

 

 

 である.電流値の変化量を

 

 により求め(Kはゲイン),式(7)により計算されるfを用いて式(15)を繰り返し計算するとfはfdへ収束し,そのときのiが求める電流値である.

4.4基礎実験

 実験ではFig.9に示すように視覚フィードバックを用いて鉄球を目標の位置で静止させる.鉄球の位置は2台のCCDカメラを用いた立体視により計測し,磁界の変化により鉄球に働く磁力を制御する.直径10mmの鉄球をスチロール製の一辺15mmの立方体に埋め込んだものを用いる.落下前に物体を打ち上げ装置に設置し,落下開始後発射させる.

Fig.9:Position control of a steel ball

 磁力の目標値は,

 

 により計算する.mは物体の質量(4.31g)である.実験では目標位置・速度をそれぞれpd=[0-0.08]T=[00]Tとし,ゲインをKp=1、Kd=2とした.

 Fig.10は計測された物体の位置の変化を表し,物体が目標位置へ制御されていることがわかる.ただし式(7)により計算される磁力は計測された物体の運動と比較すると実際よりも小さい値を示すことが判明した.これは有限要素法のデータを用いてcu、cvを定める際に鉄球の透磁率として純鉄の初透磁率を用いたことが原因であると考えられ,従ってcu、cvは実験データに基づいて定める必要がある.

Fig.10:Coordinates of the object measured with stereo vision
5結論

 本論文の内容を以下にまとめる.

 1.無重力環境におけるフリーフライング宇宙ロボットの非線形挙動に関し自由落下無重力環境を利用した実験法の確立を目的として実験法の提案と実験装置の開発を行った.

 2.傾斜重力環境の非線形性を利用した衛星の姿勢運動による軌道制御法を提案し,さらにその結果と太陽系の水星の運動との類似性について述べた.

 3.自由落下無重力環境下で磁界を用いることにより軌道上での傾斜重力環境を模擬する手法を提案し基礎実験を行った結果を示した.

審査要旨

 本論文は「微小重力環境における非線形効果を利用した宇宙多体系の運動制御」と題し、全5章からなっている。

 微小重力環境として、本論文では理想的な無重力環境と傾斜重力環境をとりあげ、そこにおける多体系の挙動を非線形性に着目して解析し、有効な運動制御法を構築している。無重力環境では角運動量保存則が非可積分な運動拘束条件を与える。また、地上数百キロメートルの比較的低軌道を回る宇宙構造物では、地球中心からの距離が構造物の部位によって変わるため重力による剛体姿勢ポテンシャルの極小点が生まれる傾斜重力効果が知られている。これらは多体系の運動における非線形効果であり、これを利用した運動制御が本論文の主題とするところである。

 本論文の第1章は「序論」であり、論文中で系の運動する環境として取り上げる無重力環境と傾斜重力環境について解説し、関連する研究についてのサーベイを行った後、宇宙多体系の非線形挙動の解析・制御を論文の目的とすることを述べ、論文の内容について概説している。

 第2章は「無重力環境における非線形挙動」と題し、無重力環境における剛体多体系の問題として宇宙ロボットの運動制御を議論している。角運動量保存則が非可積分であることから、この保存則を考慮に入れた非線形制御則が宇宙ロボットに従来提案されている。この制御則の有効性について3次元的な実装を行い実験した研究は少ない。本章では、自由落下無重力環境を利用して宇宙ロボットの地上実験を行う方法論を構築している。宇宙ロボットの非ホロノミック性に代表される非線形挙動について解説を行った後、宇宙ロボットの挙動を地上の重力下において実現することの重要性を述べ、地下無重力実験センターを利用した実験装置の開発を行っている。とくに無重力環境へロボットをリリースする方法、浮遊するロボットの運動の計測法についての問題点を指摘し、開発した装置を用いることにより解決が可能であることを示している。また、開発した実験装置を用いて宇宙ロボットの物体捕捉制御実験を行い、その有効性を確認している。

 第3章は「傾斜重力環境における非線形挙動」と題し、重力傾斜を利用した衛星の軌道制御法の構築、および太陽系の水星に固有な運動についての考察を行っている。重力が地球中心からの自乗に反比例するという重力場のもつ非線形性について解説を行い、その非線形性により衛星に働く力、およびその力による軌道の摂動について述べた後、衛星の姿勢に依存する摂動の効果を利用して軌道の半直弦と離心ベクトルの制御法を提案し、数値シミュレーションによりその有効性を確認している。これは、時間あたりの効果は大きくないものの、化学燃料などのように質量を放出することなしに、充電可能な電気エネルギーだけで軌道の変更が可能なことを表している。また、離心ベクトルを制御する際の衛星の姿勢運動が太陽系の水星の自転運動に酷似している点を指摘し、水星の自転運動へ惑星外部から供給されたエネルギが重力傾斜の非線形効果により公転エネルギへと遷移することにより、水星の軌道の離心率が他の惑星と比較して大きい特徴を持つに至ったとの仮説を立てている。さらに数値計算によりその可能性を検証している。

 第4章は「傾斜重力環境の地上模擬」と題し、自由落下無重力環境と磁界を利用することにより傾斜重力環境を地上において模擬する方法について論じている。軌道上において衛星が受ける重力・コリオリ力・遠心力およびそれによるトルクを、地下無重力実験センターでの自由落下無重力環境において磁性体が磁界から受ける磁力を利用して模擬する方法の提案を行い、それを実現するため複数の直線電流を利用した磁界の制御法および鉄球に働く磁力の制御法を示している。鉄球に働く磁力の制御法を利用し、地下無重力実験センターにおける基礎実験として、磁界を制御することにより鉄球の位置を目標位置に静止させる実験を行い、成功を収めている。また実験結果に基づき、制御の際に用いた鉄球に働く磁力の近似式の含む問題点を指摘している。

 第5章は「結論」であり、以上の結果を要約したものである。

 以上を要するに、本論文は、無重力環境および傾斜重力環境における剛体多体系の挙動について、その非線形性に着目した運動の解析と制御法の構築を行うとともに、これらを検証するために自由落下無重力実験の小空間を有効に利用する実験法を開発し、実際に検証を行ったものであり、機械工学、宇宙工学、ならびにロボティクスに寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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