学位論文要旨



No 114209
著者(漢字) 片岡,弘之
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,ヒロユキ
標題(和) 脳の変形に対する医用画像の術中補正に関する研究
標題(洋)
報告番号 114209
報告番号 甲14209
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4335号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土肥,健純
 東京大学 教授 大園,成夫
 東京大学 教授 板生,清
 東京大学 教授 久田,俊明
 東京大学 助教授 佐久間,一郎
内容要旨

 近年、外科分野では低侵襲治療を目的とした様々な手術支援機器が研究され、特に脳外科領域では画像誘導下で手術を進める手術ナビゲーションシステムが開発されてきた。しかし、このような画像誘導システムでは、画質や設備の問題から術前に撮影されたX線CTやMRIが多く用いられるため、開頭により術中に生じる脳自体の変形(Brain Shift)が術前画像の脳構造と術中の実際の脳構造の違いを生み、ナビゲーション精度が低下することが問題視されている。

 これに対する最良の解決策は、術中にリアルタイムに得た画像を用いることであるが、現状では画質や設備の面で術前画像に代替するには至らない。そこで、術前画像を術中の脳変形に合わせて補正することで、質の高い術前画像を術中にも利用可能にする方法が研究されている。ここでの問題は、術前画像の脳の構造を術中の状態に合うように変形させる適切な方法であり、有限要素法などの順解析による脳変形の推定も行われたが臨床応用に耐えうる精度は未だ得られていない。

 そこで我々は本論文において、開頭術において脳の表面形状が部分的に観測可能であることに着目し、術中の脳表面という部分的な形状から全体構造を推定することにより、手術中にリアルタイムに術前画像を補正する方法の開発を行った。また、数種類のファントム実験を通してその方法による変形構造推定の精度の評価・検証を行うとともに、手術ナビゲーションへの実装方法に対する考察を行った。

 まず、術前・術中に得られる脳構造の情報を考慮し、医用画像から脳構造を抽出する方法の検討と脳構造に力学を適用するための脳の可変形モデルの導入を行った。そして、脳に関するバイオメカニクスの考察から、脳構造の変形の推定方法に力学の逆問題解析を利用し、脳の可変形モデルにおける物性値の調整によって変形構造を推定する方法の提案を行った。

 この方法は、脳の自重による変形効果を考慮した大局的な構造推定と、構造の測定可能な部分に対して仮想的な外力を設定することによって変形を調整する局所的な構造推定から構成される。前者では、術前の脳画像から領域抽出で作成した脳の可変形モデルに対して、物性として弾性を仮定し、脳変形の主要因である重力による変形および物性値(ヤング率、ポアソン比)の変更に対する変形感度を算出する。そして、可変形モデルが脳表面において術中に観察された形状と一致するときに最小となるエネルギ関数を定義し、それを最小化することで物性値の変更量を探索し、得られた変形後の可変形モデルの構造を推定構造とする。後者は、前者の方法では観測した脳表面の形状に可変形モデルを最小二乗近似するのみであるため、脳表面で形状が完全に一致するように前者の方法をさらに補正して構造推定精度を向上させるものである。その方法は、可変形モデルの脳表面部分に対して仮想的な付加外力を設定し、その外力によって脳表面部分に補正分の変位を生じさせ、周辺に対しても変形の影響を与えるというものである。また、術中のリアルタイム計算を行うための工夫も行った。変形変位を求める際にはサイズの大きい行列の逆行列を求める必要があり、これが術中リアルタイム計算の妨げになるので、術前に予め逆行列を求めておき、また変位を剛性マトリクスの固有モードの和に分解し低次モードのみを使うことで計算量とデータの肥大化に対応する。

 ファントム実験では、上述の変形構造の推定方法に対し、線形/非線形物性の数値ファントム、軟質物体、豚脳を用いて精度及び精度を向上するための条件が検証された。

 線形物性の数値ファントムでは、物性が可変形モデルと完全に一致している場合を想定して簡単な二次元形状の弾性体が用意された。このファントムに対し、物性値の初期値や拘束条件、荷重条件、参照部分、使用する固有モード数などを変えて推定構造の精度が評価され、参照部分と拘束条件に近い部分では比較的精度が向上することが明らかとなった。非線形物性の数値ファントムでは、非線形な変形をする直方体を圧縮し、その変形の推定精度を評価した結果、変形を観測によって参照する領域が広く大局的であることが変形推定精度の向上の条件であることが明らかとなった。

 軟質物体に対する精度検証では、豆腐の圧縮変形の再現精度が調査された。豆腐上部を静荷重で圧縮したときの豆腐切断面の二次元的な変形を計測し、圧縮を加えた部分の変位から豆腐全体の変形を推定したものとの比較を行った。その結果、参照部分と拘束部分に挟まれる領域では他の部分に比較して精度良く構造の推定されることが明らかとなった。

 豚脳に対する変形構造推定では、頭蓋内のin vitroの豚脳を上部から圧縮し、その変形前後の様子をMRIによって撮影して得た脳内部の変位と可変形モデルを用いて推定した変位が比較された。この実験では、画像の解像度不足のため定量的な結果は得られなかったが、定性的な変形の傾向は一致させることができた。また、実際の脳画像を使うことによってデータ量と計算コストの検証が行われ、データ量は画像解像度によるデータ精度と計算コストの関係を明らかにした。

 また、本論文の変形構造推定法を手術ナビゲーションに実装する方法の検討を行い、既存のナビゲーションシステムへの組み込みや使用頻度の推定から、変形構造推定を独立したソフトウェアとして実現しナビゲーションから必要に応じて呼び出すという利用方法の指標を示した。

 以上のことから、以下のような考察が得られた。変形構造推定法は、参照部分付近が他の部分に比較して良好な精度を持つため、脳外科手術で参照部分として用いる開頭部脳表面に近づくにつれて推定精度が上がることが予想される。また、拘束条件が正確な部位も推定精度が高くなるため、参照部分と拘束部分に挟まれる領域では比較的推定精度が高い。従って、脳外科手術で特に重要となる開頭部から腫瘍等の手術対象までの空間をこの領域に等しくなるように術式を設定することで、手術に適した変形構造推定の精度を確保することが可能である。物性値が不確定でかつ一様でないために直接的にバイオメカニクスを行使できない生体材料に対して、本論文の物性値の変動による変形の調整は有効である。構造推定の精度は、参照部分の取り方に大きく依存し、術者の力などによる局所的な変形がある場合は大局的な変形を多く含むように参照部分を選択する必要がある。また、豚脳を用いた実験では解像度の低さが問題となったため、今後血管造影の臨床データ等の高解像度の変形情報による解析を試みる予定である。

 以上より得られた本論文の結論は、以下の通りである。術中の脳構造の情報を用いて術前画像を補正する方法の構築に関しては、複雑な生体の変形を逆問題解析を応用した物性値の調整によって精度良く表現する指針を示し、ファントム実験から拘束部分と術中に構造を参照する開頭部脳表面に挟まれる領域での推定精度を1mm以下にすることを実現した。また、術前画像の補正の脳外科手術支援への応用に関しては、画像補正をナビゲーションと別ルーチンで与えることで、既存のナビゲーションシステムへ汎用的に組み込むことが可能となることが明らかとなった。

審査要旨

 本論文は「脳の変形に対する医用画像の術中補正に関する研究」と題し、脳外科手術を術前の医用画像を用いて誘導するシステムにおいて、開頭術で生じる脳自体の変形により誘導精度が低下する問題に対し、術前医用画像を脳変形の力学を考慮して歪めることで誘導精度の向上を目指す研究をまとめたものである。脳の画像を歪める際に、手術中に参照した実際の部分的な脳形状を利用することで、歪めた画像を実際の脳形状に近づける点や、手術中に画像を補正するための計算省力化の方法として、力学逆問題を応用した脳の可変形モデルのパラメータ調整によって画像を歪める方法を採用した点が独創的である。本論文は、全7章より構成されている。

 第1章は、序論として本研究の背景を述べているものであり、外科手術の低侵襲化に伴って登場した画像誘導手術の紹介と、そこで問題とされている手術中の脳の変形への対策を医用画像の役割という観点から考察を行い、脳の力学を考慮した術前医用画像の補正がその有力な解決となり得ることを述べている。

 第2章は、本論文の目的を述べ、本研究において、術前医用画像に脳の力学を導入して画像を補正する方法の構築と、ファントムを用いたその方法の検証、および外科手術の画像誘導への実装について考察を行うことを明確にしている。

 第3章は、手術中に得られる部分的な脳形状を参照しながら術前医用画像を力学的に変形させる方法の構築を行っている。ここでは、脳外科手術において術前及び術中に取得可能な脳の構造に関する情報が整理され、それらに力学を適用するための可変形モデルについて検討を行っている。また、脳の力学解析に関する現状についての考察から、可変形モデルの変形方法として、力学逆問題の応用により可変形モデルの物性値を変化させる方法を提案し、可変形モデルを変形させるための定式化を行っている。

 第4章は、第3章で構築した方法により補正された画像の実際の変形に対する精度や計算コストの評価を、様々なファントムの変形との比較によって行っている。弾性物性の数値モデルを用いた評価では、可変形モデルの初期物性値や拘束条件、荷重条件、逆問題を解く際に参照される部分的な形状などの影響を調査し、拘束部分と参照部分に挟まれる領域では他の部分よりも精度が高く、1mm以内の誤差を実現した。非線形物性の数値モデルおよび軟質物体として豆腐を用いた評価では、補正で参照される形状の選択の仕方によって誤差が大きく変化し、大局的な変形を生じる部分を参照することが精度向上の条件であることが示された。in vivoの豚脳を用いた評価では、実際の頭部画像を用いた場合に計算に必要なデータ量とその低減方法に対する検討を行い、データ精度と計算能力のバランスでデータ量を決定する必要があることが示され、また画像の解像度不足による定量的な精度検証に問題を残したが、定性的には変形の傾向が一致する結果を得た。

 第5章は、本論文の画像補正を脳外科手術の画像誘導システムに実装する方法の検討を行っている。その結果、実装方法の指標として、画像補正を画像誘導システムから独立したソフトウェアとして実現し、画像誘導システムから適宜呼び出して術前画像を補正画像に置き換える方法を採用することで、最適な作業効率と高い汎用性が得られることを示した。

 第6章では、本論文の画像補正の理論と評価実験に関して全体的な見地からの考察を行い、物性の不確定な脳に対する本論文の方法の適用の得失とともに、将来的に残された課題を示した。

 第7章は「結論」であり、本研究の成果を要約して結論としている。

 以上これを要するに、本論文は力学逆問題の利用により物性に未解明な部分を持つ脳の形状を推定することを可能にした研究である。これは、物性の直接計測が困難な生体に対してその解明が不完全なまま生体の挙動を記述する新しい手法を開拓するものであり、バイオメカニクスやそれに関連した医療技術分野に大きな貢献をなすものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54690