学位論文要旨



No 114217
著者(漢字) 木下,嗣基
著者(英字)
著者(カナ) キノシタ,ツグキ
標題(和) 数値流体力学的手法による浮体の波浪中非線形運動の計算法に関する研究
標題(洋)
報告番号 114217
報告番号 甲14217
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4343号
研究科 工学系研究科
専攻 船舶海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤野,正隆
 東京大学 教授 前田,久明
 東京大学 助教授 影本,浩
 東京大学 助教授 佐藤,徹
 運輸省船舶技術研究所 推進性能部長 不破,健
内容要旨

 浮体の波浪中運動の推定は、浮体の安定性を考慮する上で不可欠なだけでなく、浮体各部所に働く水圧や運動に伴う慣性力を考慮し、構造強度を決定する上で不可欠である。そのため、古くから浮体運動の推定は様々な方法が用いられてきた。浮体の波浪中運動は周囲の流体との相互作用であり、浮体運動と流体運動の双方を同時に推定する必要がある。これは大量の計算を要する問題で、実際上不可能な問題であった。この大量の計算を軽減するためにいくつかの仮定を導入し、計算を簡略化する事で浮体の波浪中運動の推定を可能にしてきた。その仮定とは例えば次のようなものが挙げられる。1.流体は非粘性、非回転のポテンシャル流。2.微小波高、微小運動とし、幾何学的な境界条件を簡易化。3.波浪中運動を周期運動として、周波数領域での解析。4.船体に細長体理論を適用。これらの仮定のいずれかを用いることで、浮体運動の計算を行ったものが大半である。

 1と2の仮定を用いたものとして挙げられるのが三次元特異点分布法である。三次元特異点分布法は微小振幅波、微小運動の仮定のもとで、浮体表面を微小要素に分割し、その各要素に於ける吹き出し強さを、厳密な放射条件などの境界条件を課して解いている。しかし、前進速度を持つような船舶に関してはこの手法を用いるのは精度の点で問題があるようで、さらに4の仮定をもちいた手法であるストリップ法が用いられている。ストリップ法は浮体を長手方向に分割し、各断面内で流体力を求め、それを長手方向で積分することで流体力を求める理論である。しかし、この仮定は直感的なもので理論的な整合性という面からは不十分で、精度的にも限界がある。

 近年ではランキンソース法のような吹き出しを浮体表面と自由表面の双方に配置してその吹き出し強さを求める手法が開発されてきた。この手法は前進速度を持つ浮体に対しても適用できる。多くの計算機容量を必要とするという問題があるが、そのような問題も近年の計算機の発達で解消されつつある。また船舶のような細長体では自由表面の撹乱はさほど大きくなく、自由表面条件は線形のままで、物体表面条件だけ時々刻々の浸水部の変化を考慮しつつ厳密に満足させるといった手法も提案されており、その有効性が示されている。

 微小振幅波中の微小運動の推定は前進速度のない線形理論の範囲内では、既存の方法で十分に満足のいく推定が可能である。しかし、前進速度のある場合や線形理論の及ばない非線形の領域では既存の手法では数値計算上の問題や理論の不整合性の問題などがあり、適用性に限界がある。浮体の波浪中運動を推定する上で実際上重要と考えられる非線形性には次のようなものが考えられる。

 1.水波の山谷の非対称性など非線形性

 2.大波高・大変位運動などによる浮体表面における幾何学的境界条件の非線形性

 3.粘性の影響による非線形性

 4.スラミングや砕波衝撃などの非線形性

 5.海水の打ち込みによる非線形性

 近年では、横波中におけるクラックの発生などの問題に関連し、大波高中の波浪荷重の非線形を精度よく推定する手法の開発が望まれている。また、合理的な船体の構造設計のために、遭遇確率10-8レベルの大荷重の推定を行える手法が望まれている。船舶以外でも、海洋石油の掘削は大水深の厳しい海象条件の海域へと移行しつつあり、リンギングなどの新しい非線形問題のメカニズムの解明が実用上の重要な問題として注目されてきている。

 このような非線形現象の推定には、完全流体の仮定が成り立つとすればランキンソース法の拡張、あるいは、物体表面条件だけに非線形性を考慮すると言った準非線形の実用的な手法が精力的に研究されている。また、強非線形の問題への有力なアプローチとしてMEL(Mixed Eulerian Lagragian Method)と呼ばれる手法が近年では注目を集めつつある。この手法は各時間ステップで自由表面と物体表面に囲まれた流体の運動を境界要素法で解き、得られた流体運動から、自由表面、物体表面を移動させ、次の時間ステップに移るという手法で、二次元問題に対してはいくつかの計算例がある。ただし、三次元問題への適用は原理的には可能でも、実際の計算例は筆者の知る限りでは存在せず、実用上重要な三次元問題への拡張に当たっては数値計算上の困難さが数多く存在するようである。

 一方、このような手法は完全流体の仮定の下での理論であり、粘性影響を合理的に考慮することはできない。浮体の波浪中運動では通常慣性力が卓越するため、粘性力の影響は一般に無視しても実用上差し支えないが、同調運動時には粘性減衰力が無視することはできず、波浪中の1次波力による同調運動や2次波力による長周期運動の推定には粘性力の影響を考慮することが必要である。

 このような背景の下、本論文では上述したような船舶や海洋構造物の波浪中の非線形運動の計算法を確立する事を目的とする。そのための手法として、ランキンソース法やMELなど現在精力的に研究されている手法も考えられるが、ランキンソース法は強非線形の問題に適用することは困難で、一方MELは強非線形の問題へのアプローチとして有力な手法であるが、現実に三次元問題の計算例が非常に少ないことからも推察されるように、数値計算上の問題が多々ある。従って、本論文ではこのような既存の手法ではなく、オイラーの運動方程式やナビエ・ストークスの式で表される流体の運動方程式と浮体の運動方程式を差分的に解くCFD(数値流体力学)の手法を浮体の波浪中非線形運動の推定に適用することを試みる。その際自由表面および浮体表面は時々刻々の位置に対して、厳密な境界条件を課してすべての計算で幾何学的境界条件の非線形性を考慮した推定を行う。

 このような手法では、領域を格子に分割して解く領域型の解法となるため、完全流体の仮定の下では、MELなどの境界要素法に比べて未知数の数を不必要に増やすと言った懸念もあるが、むしろ領域型の解法の方が自由表面や物体表面での非線形境界条件の取り扱いが場合によっては容易になるという利点がある。また、CFDの分野で発達してきた密度関数法や、粒子法を取り入れることにより、飛沫が生じるような砕波や、打ち込みを伴う浮体運動への拡張も将来的には可能であろう。また、粘性力の影響を取り入れることも比較的容易にできる。

 まず完全流体中二次元浮体の微小波高の波浪中浮体運動の計算をおこない、CFDの手法を用いた浮体運動計算が可能であり、実験との比較を行うとともに、既存の手法と同等の結果が得られることを確認する。Fig.1は水平方向運動を実験及び従来の計算と比較したもので、従来の計算と同様の解を得ることができた。また二次元問題の大波高中大変位運動の例として集中波中の浮体運動の計算を行い、実験と比較してその有効性を検証する。Fig.2は浮体の水平方向運動の時刻歴を実験と比較をしたものである。実験とよく一致している様子がわかる。

Figure.1Figure.2

 次に粘性流体中二次元浮体の波浪中浮体運動の計算を行い、速度ポテンシャルを用いた従来の手法では経験的な形でしか考慮することが困難な粘性の影響を比較的簡単に考慮できることを示す。Fig.3は粘性流体中の鉛直方向運動の周波数応答特性である。粘性を考慮しない計算と比較して同調点付近の運動が小さくなり実験に近づいており、粘性ダンピングの影響が考慮されている様子が分かる。

Figure.3

 さらに完全流体中三次元浮体の波浪中浮体運動の計算をおこない、その妥当性を検証する。まずFig.4は三次元浮体の鉛直方向運動の周波数応答特性を示したもので、微小振幅波中では線形理論による計算とほぼ同様の解を得ることができた。次に前進速度を有する浮体の波浪中運動への適用を試み、その有効性を示す。Fig.5は前進速度を持つ浮体の波浪中鉛直方向運動である。既存の実験結果と比較的よく一致する。Fig.6は大波高中で運動する浮体に働く曲げモーメントの時刻歴であるが、波高が大きくなると波形がゆがんだ形となり、非線形な加重を計算することができたが、今後は実験などで検証する必要がある。最後にスラミングに重要な関係を持つ水面衝撃の問題に対して本計算の適用を行う。Fig.7は箱形浮体の水中突入時における底面圧力のピークの値を、本数値計算と摂動法を用いた解析解とで比較したもである。数値計算では圧力の時系列に振動が発生するが、ピークの値は近い値を得ることができた。

Figure.4Figure.5Figure.6Figure.7

 以上のように本論文で提案する手法を用いて、波浪中浮体運動の数値計算が可能であることを示した。前進速度を持つ三次元浮体の波浪中運動を厳密な自由表面条件および物体表面条件を満足させつつ行うという計算はこれまでに例が無く、大波高中の大変位運動に伴う荷重や浮体表面の圧力の非線形な現象の計算が可能であることを示した。前進速度を有する浮体の波浪中運動の計算は種々の方法があるが、本計算法では流体に慣性力の項を導入するだけで実現できる。また粘性の影響を経験的な係数ではなく、合理的に考慮することも比較的容易に行えることを示した。このようなCFDの手法を用いた浮体運動計算は今後の浮体運動計算の手段の一つとなっていくと考えられる。

審査要旨

 本論文では、船舶や海洋構造物などの浮体の波浪中の非線形大変位運動の計算に、計算機能力の飛躍的向上を背景として流体力学に関わる各種工学・理学分野で急速に発達してきた数値流体力学の手法を適用することを試みたものである。

 近年では、船体の横波中におけるクラックの発生などの問題に関連し、大波高中の波浪荷重を精度よく推定する手法の開発が望まれている。また、合理的な船体の構造設計のためにも、遭遇確率10-8レベルの大荷重の推定を行える計算手法が要請されている。船舶以外の分野でも、海洋石油の掘削・生産は1000〜2000mといった大水深の厳しい海象海域へと移行しつつあり、それに伴ってリンギングなどの新しい非線形問題のメカニズムの解明が実用上の重要な問題として注目されてきている。このような非線形現象の解明には、完全流体の仮定が成り立つとすれば、速度ポテンシャル理論を用いた境界積分方程式法が適用でき、最近では特に混合オイラー・ラグランジェ法と呼ばれる手法に基づいた計算手法が精力的に研究・開発され、2次元問題では大波浪中のカオス横揺れなどの興味ある現象が精度よく計算できるようになってきている。しかしながら、実用上重要な3次元問題に関しては、原理的には適用可能とされているが、実際に3次元浮体の波浪中非線形運動を計算した例は非常に少なく、数値計算上の種々の困難が存在する。3次元問題では、船舶が比較的穏やかな波浪中を前進しつつ動揺するような線形問題に対してさえ、速度ポテンシャルを用いた手法では計算過程が非常に複雑となる。一方、既存のポテンシャル理論に基づいた手法は完全流体の仮定の下での理論であり、粘性影響を合理的に考慮することはできない。浮体の波浪中運動では通常慣性力が卓越するため、粘性力の影響は一般に無視しても実用上差し支えないが、1次波力による同調運動や、2次波力による長周期同調運動には摩擦や渦などの影響による減衰力が決定的な役割を果たすことが知られており、このような場合には粘性影響を無視することはできない。

 本論文はこのような現状に鑑み、従来のように速度ポテンシャルを用いた境界要素法でなく、流体領域を格子に分割し、流体粒子の運動方程式であるナビエ・ストークスの式(あるいは粘性影響を考えない場合にはオイラーの運動方程式)と浮体の運動方程式を連立させてMAC法などの差分スキームを用いて解く数値流体力学の手法を用いて、浮体の波浪中非線形運動を計算する手法を試みている。このような手法では、粘性影響を考えなくてよいような場合には、ポテンシャル理論に基づいた境界型解法に比べて未知数の数が飛躍的に増大するかに思われるが、実際には最終的に解くべきマトリックスが密な境界型解法に比べてマトリックスが疎な領域型手法の特徴を利用すれば、計算負荷の増大はそれほどでもなく、むしろ場合によっては自由表面や浮体表面での非線形境界条件の取り扱いが容易になるといった利点があると考えられる。また、数値流体力学の分野で発達してきた密度関数法や粒子法を取り入れることにより、飛沫が生じるような砕波や、打ち込みを伴うよう浮体運動の計算への拡張も可能であろうと考えられる。

 本論文は次のような構成からなる。

 まず第1章緒言において浮体の波浪中運動の推定法の歴史と現状についてレビューし、上述したような本論文の目的を述べている。

 次に第2章で、支配方程式・境界条件、格子系、数値造波・消波法、浮体が前進速度を持つ場合の取り扱いなどについて詳述している。

 第3章では、計算手法の検証のため、まず完全流体中の2次元問題について、解析解・線形理論解・非線形現象に関する実験結果などと比較し、その有効性を示している。さらに、数値造波・消波、格子系における物理量の連続性などの数値計算の各要素技術についても検証を行っている。また、粘性流体中の2次元浮体の波浪中運動の計算も行い、基本的に同じ計算コードで完全流体・粘性流体の計算が行えること、また粘性を考慮した計算(流体粒子の運動方程式としてナビエ・ストークスの式を用いた計算)では波浪との同調運動時には完全流体中の計算(オイラーの運動方程式を用いた計算)に比べて実験結果に近い結果を得ることができることを示している。次に、完全流体中の3次元問題に適用し、線形理論解・実験結果などと比較することにより、波浪の比較的小さな場合には精度の良い結果を得ることができることを確認している。最後に波の高さが喫水を超える様な大波浪中を前進する船舶の運動や船体に働く流体力の計算が安定的に行えることを示し、結果として波浪荷重の非線形性などに関し従来の知見と少なくとも定性的に一致する結果が得られることを示している。前述したように、船舶が波浪中を動揺しつつ前進するような場合の計算は、既存の手法では(波浪や運動の小さい)線形理論の範囲でも計算が困難とされているが、本計算手法では前進速度がない場合と基本的に同じ手法で問題なく計算ができることが示されている。大波浪中の運動や波浪荷重についての検証は現状では比較すべきデータがないため、今後の課題であろう。

 第4章では結論を述べている。

 以上、本論文は、浮体の波浪中非線形運動に関し、これまでもっぱら適用されてきたポテンシャル理論に基づいた境界型の解法でなく、流体領域を格子に分割し、流体粒子の運動方程式を浮体の運動方程式と連立させて空間・時間に関して差分的に解く数値流体力学的手法を適用することを試み、他の計算や実験結果と比較することにより実際に2次次元・3次元浮体の波浪中運動の計算が精度良く行えることを示している。本計算では、原理的に完全流体・粘性流体の問題がほとんど同一の計算スキームで計算でき、また、従来の手法では浮体が前進速度を持つ場合には前進速度のない場合に比べて計算が非常に複雑となるが、本計算手法では前進速度のない場合とほとんど同様の手法で計算ができる。さらに、冒頭で述べたように、海水打ち込みを伴うような問題や砕波中の浮体運動などにも拡張性がある。このように、本計算手法は波浪中の浮体運動に関して現実に重要な広範な問題に適用でき、本論文の実用上の意義は大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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