浮体の波浪中運動の推定は、浮体の安定性を考慮する上で不可欠なだけでなく、浮体各部所に働く水圧や運動に伴う慣性力を考慮し、構造強度を決定する上で不可欠である。そのため、古くから浮体運動の推定は様々な方法が用いられてきた。浮体の波浪中運動は周囲の流体との相互作用であり、浮体運動と流体運動の双方を同時に推定する必要がある。これは大量の計算を要する問題で、実際上不可能な問題であった。この大量の計算を軽減するためにいくつかの仮定を導入し、計算を簡略化する事で浮体の波浪中運動の推定を可能にしてきた。その仮定とは例えば次のようなものが挙げられる。1.流体は非粘性、非回転のポテンシャル流。2.微小波高、微小運動とし、幾何学的な境界条件を簡易化。3.波浪中運動を周期運動として、周波数領域での解析。4.船体に細長体理論を適用。これらの仮定のいずれかを用いることで、浮体運動の計算を行ったものが大半である。 1と2の仮定を用いたものとして挙げられるのが三次元特異点分布法である。三次元特異点分布法は微小振幅波、微小運動の仮定のもとで、浮体表面を微小要素に分割し、その各要素に於ける吹き出し強さを、厳密な放射条件などの境界条件を課して解いている。しかし、前進速度を持つような船舶に関してはこの手法を用いるのは精度の点で問題があるようで、さらに4の仮定をもちいた手法であるストリップ法が用いられている。ストリップ法は浮体を長手方向に分割し、各断面内で流体力を求め、それを長手方向で積分することで流体力を求める理論である。しかし、この仮定は直感的なもので理論的な整合性という面からは不十分で、精度的にも限界がある。 近年ではランキンソース法のような吹き出しを浮体表面と自由表面の双方に配置してその吹き出し強さを求める手法が開発されてきた。この手法は前進速度を持つ浮体に対しても適用できる。多くの計算機容量を必要とするという問題があるが、そのような問題も近年の計算機の発達で解消されつつある。また船舶のような細長体では自由表面の撹乱はさほど大きくなく、自由表面条件は線形のままで、物体表面条件だけ時々刻々の浸水部の変化を考慮しつつ厳密に満足させるといった手法も提案されており、その有効性が示されている。 微小振幅波中の微小運動の推定は前進速度のない線形理論の範囲内では、既存の方法で十分に満足のいく推定が可能である。しかし、前進速度のある場合や線形理論の及ばない非線形の領域では既存の手法では数値計算上の問題や理論の不整合性の問題などがあり、適用性に限界がある。浮体の波浪中運動を推定する上で実際上重要と考えられる非線形性には次のようなものが考えられる。 1.水波の山谷の非対称性など非線形性 2.大波高・大変位運動などによる浮体表面における幾何学的境界条件の非線形性 3.粘性の影響による非線形性 4.スラミングや砕波衝撃などの非線形性 5.海水の打ち込みによる非線形性 近年では、横波中におけるクラックの発生などの問題に関連し、大波高中の波浪荷重の非線形を精度よく推定する手法の開発が望まれている。また、合理的な船体の構造設計のために、遭遇確率10-8レベルの大荷重の推定を行える手法が望まれている。船舶以外でも、海洋石油の掘削は大水深の厳しい海象条件の海域へと移行しつつあり、リンギングなどの新しい非線形問題のメカニズムの解明が実用上の重要な問題として注目されてきている。 このような非線形現象の推定には、完全流体の仮定が成り立つとすればランキンソース法の拡張、あるいは、物体表面条件だけに非線形性を考慮すると言った準非線形の実用的な手法が精力的に研究されている。また、強非線形の問題への有力なアプローチとしてMEL(Mixed Eulerian Lagragian Method)と呼ばれる手法が近年では注目を集めつつある。この手法は各時間ステップで自由表面と物体表面に囲まれた流体の運動を境界要素法で解き、得られた流体運動から、自由表面、物体表面を移動させ、次の時間ステップに移るという手法で、二次元問題に対してはいくつかの計算例がある。ただし、三次元問題への適用は原理的には可能でも、実際の計算例は筆者の知る限りでは存在せず、実用上重要な三次元問題への拡張に当たっては数値計算上の困難さが数多く存在するようである。 一方、このような手法は完全流体の仮定の下での理論であり、粘性影響を合理的に考慮することはできない。浮体の波浪中運動では通常慣性力が卓越するため、粘性力の影響は一般に無視しても実用上差し支えないが、同調運動時には粘性減衰力が無視することはできず、波浪中の1次波力による同調運動や2次波力による長周期運動の推定には粘性力の影響を考慮することが必要である。 このような背景の下、本論文では上述したような船舶や海洋構造物の波浪中の非線形運動の計算法を確立する事を目的とする。そのための手法として、ランキンソース法やMELなど現在精力的に研究されている手法も考えられるが、ランキンソース法は強非線形の問題に適用することは困難で、一方MELは強非線形の問題へのアプローチとして有力な手法であるが、現実に三次元問題の計算例が非常に少ないことからも推察されるように、数値計算上の問題が多々ある。従って、本論文ではこのような既存の手法ではなく、オイラーの運動方程式やナビエ・ストークスの式で表される流体の運動方程式と浮体の運動方程式を差分的に解くCFD(数値流体力学)の手法を浮体の波浪中非線形運動の推定に適用することを試みる。その際自由表面および浮体表面は時々刻々の位置に対して、厳密な境界条件を課してすべての計算で幾何学的境界条件の非線形性を考慮した推定を行う。 このような手法では、領域を格子に分割して解く領域型の解法となるため、完全流体の仮定の下では、MELなどの境界要素法に比べて未知数の数を不必要に増やすと言った懸念もあるが、むしろ領域型の解法の方が自由表面や物体表面での非線形境界条件の取り扱いが場合によっては容易になるという利点がある。また、CFDの分野で発達してきた密度関数法や、粒子法を取り入れることにより、飛沫が生じるような砕波や、打ち込みを伴う浮体運動への拡張も将来的には可能であろう。また、粘性力の影響を取り入れることも比較的容易にできる。 まず完全流体中二次元浮体の微小波高の波浪中浮体運動の計算をおこない、CFDの手法を用いた浮体運動計算が可能であり、実験との比較を行うとともに、既存の手法と同等の結果が得られることを確認する。Fig.1は水平方向運動を実験及び従来の計算と比較したもので、従来の計算と同様の解を得ることができた。また二次元問題の大波高中大変位運動の例として集中波中の浮体運動の計算を行い、実験と比較してその有効性を検証する。Fig.2は浮体の水平方向運動の時刻歴を実験と比較をしたものである。実験とよく一致している様子がわかる。 Figure.1Figure.2 次に粘性流体中二次元浮体の波浪中浮体運動の計算を行い、速度ポテンシャルを用いた従来の手法では経験的な形でしか考慮することが困難な粘性の影響を比較的簡単に考慮できることを示す。Fig.3は粘性流体中の鉛直方向運動の周波数応答特性である。粘性を考慮しない計算と比較して同調点付近の運動が小さくなり実験に近づいており、粘性ダンピングの影響が考慮されている様子が分かる。 Figure.3 さらに完全流体中三次元浮体の波浪中浮体運動の計算をおこない、その妥当性を検証する。まずFig.4は三次元浮体の鉛直方向運動の周波数応答特性を示したもので、微小振幅波中では線形理論による計算とほぼ同様の解を得ることができた。次に前進速度を有する浮体の波浪中運動への適用を試み、その有効性を示す。Fig.5は前進速度を持つ浮体の波浪中鉛直方向運動である。既存の実験結果と比較的よく一致する。Fig.6は大波高中で運動する浮体に働く曲げモーメントの時刻歴であるが、波高が大きくなると波形がゆがんだ形となり、非線形な加重を計算することができたが、今後は実験などで検証する必要がある。最後にスラミングに重要な関係を持つ水面衝撃の問題に対して本計算の適用を行う。Fig.7は箱形浮体の水中突入時における底面圧力のピークの値を、本数値計算と摂動法を用いた解析解とで比較したもである。数値計算では圧力の時系列に振動が発生するが、ピークの値は近い値を得ることができた。 Figure.4Figure.5Figure.6Figure.7 以上のように本論文で提案する手法を用いて、波浪中浮体運動の数値計算が可能であることを示した。前進速度を持つ三次元浮体の波浪中運動を厳密な自由表面条件および物体表面条件を満足させつつ行うという計算はこれまでに例が無く、大波高中の大変位運動に伴う荷重や浮体表面の圧力の非線形な現象の計算が可能であることを示した。前進速度を有する浮体の波浪中運動の計算は種々の方法があるが、本計算法では流体に慣性力の項を導入するだけで実現できる。また粘性の影響を経験的な係数ではなく、合理的に考慮することも比較的容易に行えることを示した。このようなCFDの手法を用いた浮体運動計算は今後の浮体運動計算の手段の一つとなっていくと考えられる。 |