本研究は鋼材の延性-脆性遷移(DBT)領域における破壊靭性に関して多方面から検討を加えたものである。このような領域における最も著しい特徴は、破壊機構が純脆性から延性に遷移し、破壊靭性が亀裂寸法および形状という幾何学的因子の影響を受けることである。関連寸法に比べて亀裂先端近傍の塑性域が増大すれば、応力3軸度が失われ、平面ひずみ小規模降伏(SSY)状態から大規模降伏(LSY)状態へと変化し拘束度が低下する。さらに、劈開破壊発生位置のランダム性のため実験データの解釈上、破壊靭性データの統計的な取り扱いが必要になる。本研究では特に以下のような2点に注目した。1つは構造コンポーネントのほとんどの実欠陥に対応する低拘束状態で測定されるべき限界破壊靭性の定量化である。もう1つは逆の条件、すなわち、SSY条件が支配的であることを保証するために必要な最小試験片寸法を算定することである。 本研究は4つの部分からなる。すなわち、破壊のグローバルおよびローカルアプローチの背景、延性亀裂成長が劈開に先行するときの破壊靭性の評価および推定、広幅板試験片における半楕円表面亀裂の評価、遷移領域における靭性試験での試験片寸法要求である。 最初に、従来の破壊力学のレビューと本研究の理論(2パラメータ破壊力学およびローカルアプローチ)を述べている。グローバルパラメータに関してはごく簡単に触れるにとどめ、ローカルアプローチに関しては脆性破壊機構、破壊発生の微視的機構と巨視的な亀裂先端部応力条件との関係、および最弱リンク統計理論について述べた。ついで、塑性域内には微小な活性プロセスゾーンがあることを示し、これよりローカルパラメータを求めた。このパラメータはワイブル応力(Weibull stress,)と呼ばれ破壊靭性の推定に用いられる。その確率分布は拘束効果、寸法効果、劈開に先行する延性亀裂成長、温度変化に影響されない。また、の分布のワイブル形状および尺度パラメータの算定法および各種試験片形状の破壊靭性推定法について述べている。 上部遷移領域というのは、ある程度の延性亀裂成長が劈開破壊に先行するようなDBT領域の一部である。この領域はしばしば実用温度範囲に入り、延性亀裂成長が起こる温度と材料が塑性崩壊を起こす温度との中間に位置する。このような場合の評価では亀裂先端近傍の応力条件のみならず応力場における延性亀裂成長の影響が知られていなければならない。第3章では、低硬化材料からなる拘束度大小の2種の試験片形状に関する破壊靭性、ローカルアプローチのための延性亀裂成長機構を組み込んだ平面ひずみ有限要素解析を実施した。図1は延性亀裂成長が生じる場合の靭性の予測結果を示したものである。本評価では靭性パラメータとしてJ-積分を用いた。実験および解析による結果から以下のような結論が得られた。 ・解析および実験結果から低硬化材では拘束度によって破壊靭性に1オーダほどの差が生じる。また、劈開に先行する延性亀裂成長はデータのばらつきを大きくする。ひずみ硬化は延性亀裂成長、従って靭性挙動に影響する重要な特性である。 ・著しい延性亀裂成長が観察される場合は推定モデルに延性亀裂を考慮しなければならない。そうしなければ推定精度が低下する。本解析では延性材料応答にGursonモデルを用いたが、今後の研究では別のモデルの適用も検討すべきである。 ・本モデルは破壊靭性評価の応用上有用であると考えられるが、推定曲線と実験結果の間には食い違いがみられる。この理由は本供試材中の介在物や材質不均質性の影響によるものと考えられる。従って拘束効果を考慮した評価法は高度な微視的均質性をもつ材料でなければ高精度の評価が困難である。 図1:延性亀裂成長が生じる場合のワイブル応力と破壊確率 第4章では半楕円表面亀裂をもつ広幅板の評価について述べている。数値解析に関しては5種類の表面亀裂形状について3次元FEM解析を行い、亀裂形状変化による破壊靭性評価に応用した。ここでは靭性パラメータとしてCTODを用いた。硬化特性が大中の2種類の材料を解析に用いた。その際、プロセスゾーンがリガメントに進展していく場合の亀裂長の影響は実断面降伏直後に、亀裂深さの影響は十分な塑性変形後に検討している。浅い切欠曲げ試験片および表面亀裂引張試験片(SC(T))の解析と破壊靭性を比較検討した。大型SC(T)試験片の実験は周到な準備の下に万全を期して行われたものであるが、以下のような結論が得られた。 ・解析された材料では若干の破壊靭性の形状依存性がみられた。半楕円表面亀裂は亀裂が深くてもある程度の形状依存性を示す。ローカルアプローチによれば拘束効果を考慮して亀裂形状と破壊靭性の相関を求めることができる。 ・本標準評価法は亀裂形状と材料特性を考慮して低レベルの限界破壊靭性に拡張できる。5種類の亀裂形状に対する限界CTODの変化を示す提案の線図(図2)は引張表面亀裂の拘束度を考慮した破壊靭性評価の指針として使える。 図2:半楕円表面亀裂-CTODの寸法依存性の推定 前述のように、ローカルアプローチを応用するための基本的条件が満足されるためには材料の材質が十分に均質でなければならない。また、ひずみ硬化の小さな材料を用いる限り、SC(T)試験片モデルでは延性亀裂成長効果を考慮しなければならない。本研究は材料、亀裂および板形状が理想的な状態について行っている。今後は劈開に先行する延性亀裂成長を扱うSC(T)試験片のためのより完全なFEMモデルの開発、実際の溶接部のモデル評価、曲げまたは2軸荷重下の半楕円亀裂試験片の拘束度評価、ローカルアプローチによる高ひずみ集中部付き構造コンポーネントの評価について検討すべきである。 第5章では遷移領域における破壊靭性試験に対する試験片寸法要求値について検討している。合目的性を基本とするCTOD評価法では試験片の限界寸法を要求しないが、本論ではJ-積分を靭性パラメータとして用いる。Anderson and Doddsの提案する方法および彼らの方法とローカルアプローチによる本法の相関を示した。内容は理論的背景、解析、実験的検証からなる。実験的検証では遷移領域における29個の構造用綱の試験結果を用いた。本研究からは以下のような結論が導かれた。 ・の分布を表すワイブルパラメータを求めるための新しい手法を提案した。本法の特長はDBT領域内の任意温度における靭性試験データが必要であるが、労力を要する詳細な有限要素モデルを必要としない点にある。本手法は、破壊靭性データの形状は温度変化によらず、材料降伏強度は温度の関数であるという仮定を用いている。本手法を応用したところ、引用文献の形状パラメータmと良好な一致が見られた。また広範囲の鋼材について機械的特性を系統的に変えた考察を行った。 ・解析結果と実験的検証から、深い切欠の3点曲げ試験片における寸法要求として現行条件を以下の限界寸法に修正することを提案した(図3参照)。 ここに、bは試験片のリガメント長さ、aは亀裂長さ、Bは板厚、Yは降伏応力である。提案した条件はASTM規準の現行条件に比較して50%緩和したことになる。 上述のように、理論的背景を除いて本研究は目的は異なるが多くの共通性をもつ3つの基本的系統からなっている。広範な実験および解析結果から、ローカルアプローチは遷移領域の破壊靭性の相関および推定のツールとして有効であるという結論を得た。本理論は応力が破壊の主要な支配機構である材料(第4章で使用した材料)にはそのまま応用可能であるが、亀裂先端部のひずみの影響を考慮しなければならない場合もある(第3章)。最後に、第5章を除いてこの方面の研究では残された課題も少なからずあることを付記したい。 図3:3点曲げ試験片の限界寸法要求 |