学位論文要旨



No 114240
著者(漢字) 辻田,達男
著者(英字)
著者(カナ) ツジタ,タツオ
標題(和) マルチバイブレータを利用した高密度集積カオス生成回路とその応用
標題(洋)
報告番号 114240
報告番号 甲14240
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4366号
研究科 工学系研究科
専攻 電子情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 柴田,直
 東京大学 教授 櫻井,貴康
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
 東京大学 助教授 廣瀬,明
内容要旨 1 研究の背景と目的

 集積回路は微細化を進めることにより、高速高機能化が行なわれてきた。トランジスタの微細化とディジタル回路の相性がよいため、これまでアナログ的に行なわれてきた多くの処理をディジタルに置き換えることで、複雑な機能を低消費電力で実現できるようになってきた。しかし、MOSトランジスタの微細化は今後も進められていく一方で、微細化されたトランジスタを従来の回路設計技術では使いこなせなくなるだろうという問題点が明らかになってきた。

 そこで、従来の同期式ディジタル回路が限界に達する前に、従来の回路が苦手とする処理を補えるような新しい回路方式を考案する必要がある。少ない規模の回路から、複雑で非周期的な出力を取り出すことのできるカオスを利用することで、従来の回路にはできない処理を実現できないかを探ることを本研究の目的とする。

2 研究の内容2.1 マルチバイブレータを利用したカオス発振回路の提案

 これまで、CMOS集積回路で実現されたカオス発振回路の例は少なく、さらに、サイズがコンパクトで、高速で動作するものはなかった。そこで、CMOSのマルチバイブレータを基にして、数個のMOSトランジスタと容量を追加するだけで実現できるコンパクトなCMOSのカオス発振回路を提案した。

 提案する回路であるCMOSカオスマルチバイブレータをFig.1に示す。回路の状態を保存する2つの容量と、その容量の電圧を制御するためのトランジスタ・電流を制御するトランジスタによって、発振周期がカオス的に変化する。

 詳しく各部の動作を説明する。この回路は、容量C1を充放電する時定数で発振の周期が決まる。C1の放電の時定数はFig.1のnMOSトランジスタMpwのゲート電圧で制御可能である。動作解析を容易にするため、これからC1を充電する時間は放電する時間に比べて十分に短いものとする。図のP1の部分は容量C1を充放電することでノコギリ波を発生する。これにより、発振のパルス幅の変動を振幅の変動に変換している。P2のソースフォロワ回路は、nMOSトランジスタMcがオンになるだけの電圧がゲートに加わった時だけ容量C3を充電し、残りの間は定電流でC3を放電している。容量C3の電圧の変動は直接C1を放電する電流に影響を与え、発振のパルス幅を決める。このようにして、パルス幅が変動するように発振する。

2.2 回路の設計・測定と動作解析

 提案する回路が、容易にCMOS集積回路で実現可能であることを示すため、ゲートアレイやマスタースライスと言ったトランジスタサイズに制限のある方式や制限のないフルカスタム方式での設計・試作を行ない、そのチップの測定を行なった。条件により、Figs.2のような発振波形が観測された。Fig.2(c)の波形の各周期のピークを取りだし、連続する2つのピークの関係をプロットしたローレンツプロットと、解析的に導き出した式とを比較して、Fig.3に示すように良く一致することが確認された。

2.3 CMOSカオスマルチバイブレータの雑音源としての評価

 周波数特性が平坦で、統計的な素性のはっきりしている白色雑音は、例えば大規模なモンテカルロ・シミュレーションの乱数に用いたり、ニューラルネットワークのボルツマンマシンの解が、真の解とは離れたローカルミニマムに陥るのを防いだり、テスト用の信号に用いたりと様々な用途がある。カオスの乱雑さという面に焦点をあてて、提案する回路を雑音源として用いた場合、どの程度の用途に使えるのか目安となるいくつかの乱雑さの指標を測定データより求めた。CMOSカオスマルチバイブレータを単体で使用すると、出現頻度分布、ある区間に収まるデータの生起間隔分布などに偏りが見られるが、2つのカオスマルチバイブレータを組合せることで、条件により、Fig.4に示すような出力の得られる時間的に相関のない、統計的な偏りの少ない雑音源を作り出すことできることがわかった。

3 結論

 集積化が容易な、CMOSマルチバイブレータを利用したコンパクトなカオス発振回路を提案し、その設計・測定を行なった。カオスの乱雑さに焦点をあてて、雑音源としての応用を検討し、その有用性を示した。

 さらに、集積回路でカオス発生回路を実現したことは、現在数値計算を主とした道具として行なわれているカオス・複雑系研究に対して、容易に試行実験を行なうための道具を用意したとも言え、この分野の研究のさらなる発展が期待される。

図1:CMOSカオスマルチバイブレータ図2:CMOSカオスマルチバイブレータ動作波形図3:カオス発振時のローレンツプロットと解析式。トランジスタMcの状態により3つの領域に分けて式を立てた。図4:2つのCMOSカオスマルチバイブレータを用いた雑音源のサンプルデータより作成した反復写像。N回目のサンプルと(N+1)回目のサンプルの間に相関はないように見える。
審査要旨

 本論文は「マルチバイブレータを利用した高密度集積カオス生成回路とその応用」と題し、シンプルな素子の結合でカオス波形を意図通りに生成できる集積回路を提案し、その設計試作から動作解析と応用の検討に至る研究を述べたもので本文6章からなる。

 第1章は序論であり、未だ数理的基礎研究の側面が強いカオスが、今後集積エレクトロニクスに積極的に取り入れられて行くべきことを論じ、少数ながらこの方向に向けられている従来の研究の動向と問題点を紹介し、特に本研究の対象が自励発振型のカオス発生回路である点を強調して、研究室でこれまで開発されてきた、あるいは外部にいくつか研究例のある外部励起型もしくはクロック駆動型のカオス発生回路に比べての利点を述べて本研究の動機と目的を明らかにしている。

 第2章は「CMOSカオスマルチバイブレータ」と題して、本研究で独自に提案された、マルチバイブレータを基本とするカオス発生回路の基本概念と動作原理を示している。本回路はマルチバイブレータの発振周波数を決定する抵抗と容量のうち抵抗をインバータに置き換えて時定数を可変とし、かつ発振パルス幅がひとつ前のサイクルのパルス幅で決定されるようにして、その相互関係をカオス生成に必要な写像関数に設定したものである。半定量的な動作説明に続いて、後に試作に用いた具体的な回路に即してカオス発生の動作を説明する数式表現を導き、実測のローレンツプロットの曲線をよく説明できる結果を得て、要求性能に合わせて設計するための指針を確立している。

 第3章は「回路設計と試作」と題して、本構想を実証するために行った、個別素子によるボード上の試作、ゲートアレイと外付けキャパシタによる試作、オンチップキャパシタを含むマスタースライスによる試作を、比較的大きい容量をどのように実装するかという設計思想に則って述べ、最後に1.2mルールのフルカスタムCMOSによる試作設計を述べて、従来のいかなるカオス生成回路よりも高密度集積化できることを示している。

 第4章は「CMOSカオスマルチバイブレータの特性」と題して、試作した回路の時系列波形の実測データからローレンツプロット、分岐図、相図を求めてカオスとしての性質を論じ、回路の条件によって時に現れる特異なローレンツプロットを、2種のタイプのカオスが混在してものとして解釈できることを示している。さらにカオス発振の周波数スペクトルを求めて、従来の外部励起型に現れるような励起周波数とその高調波の成分が無い、幅広くなめらかな周波数特性が得られることを示している。

 第5章は「雑音源としての評価」と題して、本方式のカオス生成回路を用いてボルツマンマシンなどに利用される白色雑音を生成した試みを述べている。まず1つの回路からの出力を雑音源とみなした場合のランダム性の評価に続いて、2つの回路の出力を合成(和もしくは差)した結果を述べ、信号強度分布が正規分布に近い結果を得て、他の雑音源と比べて優れていることを示している。

 第6章は「結論」であり、本論文の研究成果を要約、総括している。

 以上本論文は、カオス生成回路として独自の自励型回路をCMOSマルチバイブレータによって実現させ、その動作の数式表現を確立して設計指針に役立たせるとともに、実際に集積回路を試作して動作を検証し、集積回路への適合性を実証しかつ雑音源としての応用の有効性をも示したものであって、電子工学の発展に寄与する点が少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格したものと認める。

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