審査要旨 | | 本論文は,高性能な電界吸収型(electro-absorption,EA)光変調器のためのInGaAs/InAlAs/InP歪変調ポテンシャル量子井戸構造に関し,理論と実験の両面から研究した結果を英文でまとめたもので,7章より構成されている. 第1章は序論であって,研究の背景,動機,目的と,論文の構成を述べている.半導体量子井戸の量子閉じ込めシュタルク効果(quantun confined Stark effect,QCSE)を用いた導波路型のEA光変調器は,駆動電圧が低い,構造がシンプル,サイズが小さい,他の光デバイスとモノリシック集積化が可能,等の特長がある.しかし従来のEA変調器には,偏光依存性が大きい,波長チャーピング特性が不適当,など実用上大きな障害となる問題点がある.本研究の目的は,量子井戸構造のポテンシャル形状および格子歪を人為的に設計・制御することにより,上記問題点を解消することにある. 第2章は「Theoretical treatment of MQW-EA modulator」と題し,量子井戸に格子歪やポテンシャル変調を加えた場合の光物性の変化を記述する理論モデルと,その数値解析法について記述している.バンドの非放物線性および励起子効果を取り入れたシミュレータを開発し,任意ポテンシャル形状の量子井戸に対して吸収係数を求めることが可能となった.また,本研究では特に,光ファイバ通信で重要な1.55m帯において励起子効果が顕著に表れるInP基板上のInGaAs/InAlAsヘテロ構造を対象にするので,まずその系における従来型量子井戸の吸収端近傍光物性を,上記シミュレータを用いて考察,整理している. 第3章は「MBE growth of InGaAs/InAlAs on InP substrates」と題し,素子試作の前提となる量子井戸構造のヘテロエピタキシャル成長方法を確立したことについて述べている.ここでは歪変調ポテンシャル量子井戸を取り扱うため,ヘテロ界面急峻性,格子歪制御性は素子実現上きわめて重要であり,界面急峻性に優れる分子線エピタキシー(molecular beam epitaxy,MBE)を結晶成長方法に採用するとともに,それによる成長条件の最適化をまず行った.特に,格子歪量を決めるIn組成の精密制御法,本系に固有のオーバルディフェクトの低減技術について論じている. 第4章は「MQW-EA modulator with lattice-matched InGaAs/InAlAs rectangular quantum well」と題し,前章で確立された結晶成長技術を用いて,リファレンスとなる従来型の格子整合矩形InGaAs/InAlAs量子井戸を有するEA変調器を作製した結果について記述している.特に,光吸収電流スペクトルの測定方法と評価結果,EA変調器の試作プロセス技術と光変調特性の測定方法,評価結果について詳しく述べている.本章において,従来型の量子井戸EA変調器の有する問題点が実験事実として明らかにされている. 第5章は「Polarization-insensitive MQW-EA modulator」と題し,本論文の主題の一つであるEA変調器の偏光無依存化技術について論じている.偏光無依存化には,(1)ゼロバイアス時にTE偏光の吸収端波長とTM偏光のそれとが等しいこと,および(2)電界印加時の吸収端の長波長側へのシフト量が2つの偏光に対して同じになる,という2条件が満たされる必要がある.前者に対しては伸張歪量子井戸の利用が効果的であり,格子整合矩形量子井戸では異なっていた吸収端波長を,伸張歪を導入することにより揃えることができた.また,後者に対しては変調ポテンシャル量子井戸が効果的であり,ここでは新しく「プリバイアス量子井戸(pre-biased quantum well:PBQW)」を提案している.これは,矩形量子井戸の片側の端付近に薄い障壁層を挿入しただけの極めてシンプルな変調ポテンシャル量子井戸であるが,この障壁のために波動関数が局在し,ゼロバイアスにおいて,矩形量子井戸の伝導帯と価電子帯に逆向きに電界がかかったのと等価になっている.電界を増すにつれて伝導帯はさらに傾きが増し,電子のエネルギーシフトは非常に大きくなる一方,価電子帯はフラットバンドを経て逆向きに傾くため,ホールのエネルギーシフト量の絶対値が非常に小さくなり,従ってヘビーホールとライトホールのエネルギー分離が小さくなる.PBQWにさらに伸張歪を導入することにより,電界の大きさによらず常にTEおよびTM偏光に対する吸収端波長が等しくなり,偏光無依存動作が可能となる.伸張歪PBQWと伸張歪RQWをMBE法で実際に作製し,その光吸収電流スペクトルの印加電圧依存性を測定して,このような理論的予測が正しいことを明らかにした.次に伸長歪PBQWを有するEA変調器を試作し,その光変調実験を行って,実際に1.51mから1.57mの広い波長範囲にわたり15〜20dB程度の高い消光比が偏光無依存に得られることを実証した. 第6章は「Blue-chirp MQW-EA modulator」と題し,本研究のもう一つの主題であるEA変調器のチャープパラメータ負符号化について述べている.負チャープ化を実現するためには,動作波長において(1)吸収係数が増加する,(2)屈折率が減少する,という2条件が同時に満たされるような量子井戸構造が必要である.ここではそのようなものとして,非対称3重結合量子井戸(asymmetric triple coupled quantum well:ATCQW)を提案している.本構造では,励起子吸収ピークは印加電界と共に消滅しながら大きく長波長側にシフトし,その結果1.55m(動作波長)における吸収の増加に比べて1.49mの吸収減少が大きくなって屈折率が減少する.これは,電子の波動関数が井戸幅の広い方のサイド井戸に,ホールの波動関数が狭い方のサイド井戸に,比較的小さな電界でしみ出していくことによる.これらサイド井戸は,小さい印加電界で波動関数がしみ出すと同時に,変調に必要な吸収強度が保たれるように最適化されている.ATCQWをMBE法で作製し,光吸収電流スペクトルの印加電界依存性を測定したところ,理論予測どおり吸収ピークの大幅な減少および大きなシフトが観測され,矩形量子井戸に比べてピーク強度の減少率は約2.5倍,シフト量に関しては約3倍という結果が得られている.これにより,量子井戸EA変調器においてATCQWを用いることにより,負チャープ動作の得られる見通しが,理論と実験の両面で示された. 第7章は結論であって,本研究で得られた成果を総括している. 以上のように本論文は,InP基板上のInGaAs/InAlAs量子井戸の量子閉じ込めシュタルク効果に基づく1.55m帯電界吸収型(EA)光変調器に関し,量子井戸のポテンシャル形状制御と格子歪制御を行えば,実用上極めて重要な偏光無依存化とチャープパラメータの負符号化が達成されることを理論的に明らかにし,EA光変調器の試作を通じて広い波長範囲にわたる偏光無依存動作を実証するとともに,負チャープ動作実現の見通しをも実験的に得たものであって,電子工学分野へ貢献するところ多大である. よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる. |