学位論文要旨



No 114248
著者(漢字) 加藤,正樹
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マサキ
標題(和) 高性能電界吸収型光変調器のためのInGaAs/InAlAs/InP変調ポテンシャル量子井戸に関する研究
標題(洋) Studies on InGaAs/InAlAs/InP Potential-Tailored Quantum Wells for High-Performance Electroabsorption Optical Modulators
報告番号 114248
報告番号 甲14248
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4374号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨

 本研究では、半導体多重量子井戸の量子閉じ込めStark効果(Quantun Confined Stark Effect:QCSE)を用いた導波路型の電界吸収型光変調器(以下、「MQW-EA変調器」と呼ぶ)を取り上げる。QCSEに基づいたMQW-EA変調器は、駆動電圧が低い、構造がシンプル、サイズが小さい、他の光デバイスとモノリシック集積化が可能、等の優れた特徴がある。しかしながら、最もシンプルな格子整合矩形量子井戸(Rectangular Quantum Well:RQW)を用いたMQW-EA変調器では、偏光依存性が大きく、波長チャーピング特性もあまり良くない。本研究の目的は、「MQW-EA変調器の長所を保ったままで、その高性能化を行う」であり、偏光無依存化および負チャープ化をターゲットとした。手法として、格子整合RQWのかわりに、変調ポテンシャル量子井戸、あるいは歪量子井戸を用いることが本研究の最大の特色である。また、量子井戸の材料として、励起子効果が顕著に表れるInP基板上におけるInGaAs/InAlAsを用い、界面急峻性に優れた分子線エピタキシー法(MBE法)を用いて結晶成長を行っていることも特徴のひとつである。

 本研究では、変調ポテンシャル量子井戸を取り扱うため、量子井戸の界面急峻性はきわめて重要であり、MBE成長条件の最適化をまず行った。また、任意ポテンシャル形状の量子井戸に対して吸収係数を求めることが必要であるため、バンドの非放物線性および励起子効果を考慮したシミュレータも開発し、量子井戸構造の最適化、物理現象の理解に役立てた。

 偏光無依存化には、(1)ゼロバイアス時にTE偏光の吸収端波長とTM偏光のそれとが等しいこと、および(2)電界印加時の吸収端の長波長側へのシフト量が2つの偏光に対して同じになる、という2条件が満たされることが必要となる。前者に対しては伸張歪量子井戸の利用が効果的であり、図1に示すように、格子整合RQWでは異なっていた吸収端波長を、伸張歪を導入することにより揃えることができた。また、後者に対しては変調ポテンシャル量子井戸が効果的である。新しく提案した「プリバイアス量子井戸(Pre-Biased Quantum Well:PBQW)」は図2に示すように、RQWの片側の端付近に薄い障壁層を挿入しただけの、最もシンプルな変調ポテンシャル量子井戸である。PBQWでは、この障壁のために波動関数が局在し、ゼロバイアスにおいて、RQWの伝導帯と価電子帯に逆向きに電界がかかったのと等価になっている。これが「プリバイアス量子井戸」と呼ぶ所以である。電界を増すにつれて伝導帯はさらに傾きが増し、電子のエネルギーシフトは非常に大きくなる。一方、価電子帯はフラットバンドを経て逆向きに傾くため、ホールのエネルギーシフト量の絶対値が非常に小さくなり、従ってヘビーホールとライトホールのエネルギー分離が極めて小さくなる。さらにPBQWに伸張歪を導入することにより、電界の大きさによらず常にTEおよびTM偏光に対する吸収端波長が等しくなり、偏光無依存動作が可能となる。図3は伸張歪PBQWと伸張歪RQWをMBE法で実際に作製し、その光吸収電流スペクトルの印加電圧依存性を測定したものである。RQWでは、印加電圧を増すにつれて吸収ピーク強度が著しく低下しており、またTE偏光に比べてTM偏光の吸収端のシフト量が小さい。一方、PBQWでは、高い印加電圧においても吸収ピーク強度はほとんど低下しない。また吸収端は2つの偏光に対して揃ったまま長波長側にシフトし、そのシフト量もRQWに比べて約1.5倍となっている。すなわち、伸張歪量子井戸とPBQWとを併用することにより、広い波長範囲にわたり偏光無依存に高い消光比が得られる見通しが実験によって確かめられた。

図1 ゼロバイアス時における光吸収電流スペクトル、(a)格子整合InGaAs(7nm)/格子整合InAlAs(5nm)矩形量子井戸、(b)0.4%伸張歪InGaAs(9.7nm)/格子整合InAlAs(5nm)図2 0.5%伸張歪InGaAs/格子整合InAlAsプリバイアス量子井戸の(a)井戸構造、(b)等価的な矩形量子井戸図3 (a)0.5%伸張歪InGaAs(8.2nm)/格子整合InAlAs(5nm)矩形量子井戸、(b)図2のプリバイアス量子井戸に対する光吸収電流スペクトル上:TE偏光、下:TM偏光

 MQW-EA変調器のチャープパラメータは、吸収係数変化と屈折率変化の比で表される。両者はKramers-Kronigの関係で結ばれており、独立に設計することはできず、負チャープ化を実現するためには、動作波長において(1)吸収係数が増加する、(2)屈折率が減少する、という2条件が同時に満たされるような量子井戸構造を探せばよい。(2)を実現するためには、動作波長より少し短波長側で、吸収係数が(動作波長における増加量と比べて)大きく減少することが必要である。図4(a)の非対称3重結合量子井戸(Asymmetric Triple Coupled Quantum Well:ATCQW)に対する吸収スペクトル、屈折率変化の計算結果をそれぞれ図4(b)(c)、に示す。吸収係数スペクトルを見て分かる通り、吸収ピークは印加電界と共につぶれながら大きく長波長側にシフトしており、その結果1.55m(動作波長)における吸収の増加に比べて1.49mの吸収減少がかなり大きくなり、電界印加により屈折率が減少している。これは、電子の波動関数が広いほうのサイドの井戸に、ホールの波動関数が狭いほうのサイドの井戸に比較的小さな電界でしみ出していくことによる。これらサイドの井戸は、比較的小さい印加電界で波動関数がしみ出すと同時に、変調に必要な吸収強度が保たれるように最適化されている。図5はMBE法で作製したATCQWとRQWに対する光吸収電流スペクトルの電界依存性である。ATCQWでは理論予測どおり、吸収ピークの大幅な減少および大きなシフトが観測され、RQWに比べてピーク強度の減少率は約2.5倍、シフト量に関しては約3倍という、結果が得られた。これにより、MQW-EA変調器において、ATCQWを用いることにより負チャープ動作が得られる見通しが理論的、実験的に得られた。

図4 格子整合InGaAs/格子整合InAlAs非対称3重結合量子井戸の(a)井戸構造、(b)吸収係数スペクトル、(c)屈折率変化スペクトル図5 (a)非対称3重結合量子井戸、(b)矩形量子井戸における光吸収電流スペクトル。材料はすべて格子整合系
審査要旨

 本論文は,高性能な電界吸収型(electro-absorption,EA)光変調器のためのInGaAs/InAlAs/InP歪変調ポテンシャル量子井戸構造に関し,理論と実験の両面から研究した結果を英文でまとめたもので,7章より構成されている.

 第1章は序論であって,研究の背景,動機,目的と,論文の構成を述べている.半導体量子井戸の量子閉じ込めシュタルク効果(quantun confined Stark effect,QCSE)を用いた導波路型のEA光変調器は,駆動電圧が低い,構造がシンプル,サイズが小さい,他の光デバイスとモノリシック集積化が可能,等の特長がある.しかし従来のEA変調器には,偏光依存性が大きい,波長チャーピング特性が不適当,など実用上大きな障害となる問題点がある.本研究の目的は,量子井戸構造のポテンシャル形状および格子歪を人為的に設計・制御することにより,上記問題点を解消することにある.

 第2章は「Theoretical treatment of MQW-EA modulator」と題し,量子井戸に格子歪やポテンシャル変調を加えた場合の光物性の変化を記述する理論モデルと,その数値解析法について記述している.バンドの非放物線性および励起子効果を取り入れたシミュレータを開発し,任意ポテンシャル形状の量子井戸に対して吸収係数を求めることが可能となった.また,本研究では特に,光ファイバ通信で重要な1.55m帯において励起子効果が顕著に表れるInP基板上のInGaAs/InAlAsヘテロ構造を対象にするので,まずその系における従来型量子井戸の吸収端近傍光物性を,上記シミュレータを用いて考察,整理している.

 第3章は「MBE growth of InGaAs/InAlAs on InP substrates」と題し,素子試作の前提となる量子井戸構造のヘテロエピタキシャル成長方法を確立したことについて述べている.ここでは歪変調ポテンシャル量子井戸を取り扱うため,ヘテロ界面急峻性,格子歪制御性は素子実現上きわめて重要であり,界面急峻性に優れる分子線エピタキシー(molecular beam epitaxy,MBE)を結晶成長方法に採用するとともに,それによる成長条件の最適化をまず行った.特に,格子歪量を決めるIn組成の精密制御法,本系に固有のオーバルディフェクトの低減技術について論じている.

 第4章は「MQW-EA modulator with lattice-matched InGaAs/InAlAs rectangular quantum well」と題し,前章で確立された結晶成長技術を用いて,リファレンスとなる従来型の格子整合矩形InGaAs/InAlAs量子井戸を有するEA変調器を作製した結果について記述している.特に,光吸収電流スペクトルの測定方法と評価結果,EA変調器の試作プロセス技術と光変調特性の測定方法,評価結果について詳しく述べている.本章において,従来型の量子井戸EA変調器の有する問題点が実験事実として明らかにされている.

 第5章は「Polarization-insensitive MQW-EA modulator」と題し,本論文の主題の一つであるEA変調器の偏光無依存化技術について論じている.偏光無依存化には,(1)ゼロバイアス時にTE偏光の吸収端波長とTM偏光のそれとが等しいこと,および(2)電界印加時の吸収端の長波長側へのシフト量が2つの偏光に対して同じになる,という2条件が満たされる必要がある.前者に対しては伸張歪量子井戸の利用が効果的であり,格子整合矩形量子井戸では異なっていた吸収端波長を,伸張歪を導入することにより揃えることができた.また,後者に対しては変調ポテンシャル量子井戸が効果的であり,ここでは新しく「プリバイアス量子井戸(pre-biased quantum well:PBQW)」を提案している.これは,矩形量子井戸の片側の端付近に薄い障壁層を挿入しただけの極めてシンプルな変調ポテンシャル量子井戸であるが,この障壁のために波動関数が局在し,ゼロバイアスにおいて,矩形量子井戸の伝導帯と価電子帯に逆向きに電界がかかったのと等価になっている.電界を増すにつれて伝導帯はさらに傾きが増し,電子のエネルギーシフトは非常に大きくなる一方,価電子帯はフラットバンドを経て逆向きに傾くため,ホールのエネルギーシフト量の絶対値が非常に小さくなり,従ってヘビーホールとライトホールのエネルギー分離が小さくなる.PBQWにさらに伸張歪を導入することにより,電界の大きさによらず常にTEおよびTM偏光に対する吸収端波長が等しくなり,偏光無依存動作が可能となる.伸張歪PBQWと伸張歪RQWをMBE法で実際に作製し,その光吸収電流スペクトルの印加電圧依存性を測定して,このような理論的予測が正しいことを明らかにした.次に伸長歪PBQWを有するEA変調器を試作し,その光変調実験を行って,実際に1.51mから1.57mの広い波長範囲にわたり15〜20dB程度の高い消光比が偏光無依存に得られることを実証した.

 第6章は「Blue-chirp MQW-EA modulator」と題し,本研究のもう一つの主題であるEA変調器のチャープパラメータ負符号化について述べている.負チャープ化を実現するためには,動作波長において(1)吸収係数が増加する,(2)屈折率が減少する,という2条件が同時に満たされるような量子井戸構造が必要である.ここではそのようなものとして,非対称3重結合量子井戸(asymmetric triple coupled quantum well:ATCQW)を提案している.本構造では,励起子吸収ピークは印加電界と共に消滅しながら大きく長波長側にシフトし,その結果1.55m(動作波長)における吸収の増加に比べて1.49mの吸収減少が大きくなって屈折率が減少する.これは,電子の波動関数が井戸幅の広い方のサイド井戸に,ホールの波動関数が狭い方のサイド井戸に,比較的小さな電界でしみ出していくことによる.これらサイド井戸は,小さい印加電界で波動関数がしみ出すと同時に,変調に必要な吸収強度が保たれるように最適化されている.ATCQWをMBE法で作製し,光吸収電流スペクトルの印加電界依存性を測定したところ,理論予測どおり吸収ピークの大幅な減少および大きなシフトが観測され,矩形量子井戸に比べてピーク強度の減少率は約2.5倍,シフト量に関しては約3倍という結果が得られている.これにより,量子井戸EA変調器においてATCQWを用いることにより,負チャープ動作の得られる見通しが,理論と実験の両面で示された.

 第7章は結論であって,本研究で得られた成果を総括している.

 以上のように本論文は,InP基板上のInGaAs/InAlAs量子井戸の量子閉じ込めシュタルク効果に基づく1.55m帯電界吸収型(EA)光変調器に関し,量子井戸のポテンシャル形状制御と格子歪制御を行えば,実用上極めて重要な偏光無依存化とチャープパラメータの負符号化が達成されることを理論的に明らかにし,EA光変調器の試作を通じて広い波長範囲にわたる偏光無依存動作を実証するとともに,負チャープ動作実現の見通しをも実験的に得たものであって,電子工学分野へ貢献するところ多大である.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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