学位論文要旨



No 114252
著者(漢字) 戸田,知朗
著者(英字)
著者(カナ) トダ,トモアキ
標題(和) V溝基板を用いた分布帰還型量子細線半導体レーザに関する研究
標題(洋) Study on Distributed Feedback Quantum Wire Semiconductor Lasers Using V-Grooved Substrates
報告番号 114252
報告番号 甲14252
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4378号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨

 光集積回路実現の屋台骨を支えるものは半導体レーザである。分けても単色性、動的安定性に優れる分布帰還型(DFB)レーザは重要である。多くの点でこのレーザの優位性は実証されてきたが、問題点も残されている。重要な点であるが、閾値電流密度、高速変調など基礎的特性においてファブリー・ペロー型(FP)レーザに及ばない。その原因はDFBレーザ作製の複雑さにあり、改善にはプロセス技術の改良、または新構造の開発が必要である。

 半導体レーザに注目されてきた低次元構造の応用はこの点で興味深い。電子の一次元閉じ込めを実現する量子細線は従来までのDFBレーザの回折格子との類推において理想的である。低次元構造のレーザ活性領域への応用は、理論的にキャリアの状態密度の先鋭化に伴い微分利得、温度特性、スペクトル線幅などDFBレーザの性能を改善する上で優れた特長をもつ。この観点から量子細線のDFBレーザへの応用は必然的なものといってよい。また量子細線の立場からいえば、この応用は従来まで難しいとされてきた量子細線レーザの実現をDFB共振器を用いて可能にする点で重ねて意義のあることである。

 これまでの量子細線作製の経緯からはV溝上に結晶成長を行う方法が最もデータの集積が多く信頼があり、また品質の上からもエピタキシャル成長によるこの手段の利点は大きい。この方法によってMOVPE法で作製された量子細線の断面構造を図1に示す。作製の容易さから基板はGaAsとし量子細線の材料にInGaAsを用いている。量子細線は圧縮性の歪みを受けている。ここに明らかなように従来通りの方法で量子細線を作製した場合、V溝の底に量子細線、その両脇斜面に量子井戸、更にV溝頂上部に別の量子井戸が同時に形成されてしまう。それぞれの効果は体積を反映し、量子細線は実質上室温における観測では発光特性など量子井戸に隠蔽されてしまう。サブミクロン周期の構造であるため量子井戸のみを取り除くプロセスは難しく、量子細線レーザとしての動作は低温においても期待できないというのが常識であった。しかし、DFBレーザには励振波長の選択性という特色があり、設計によりブラッグ波長と呼ばれるこの波長を量子細線の利得に重ねることによって不利な条件下でもレーザ発振が期待できるものと思われる。この意義はDFB量子細線レーザの具現性と活性領域たる量子細線の品質を予測する上で重要である。

図1 V溝上に成長した量子細線の透過型電子顕微鏡(TEM)による断面像。270nm間隔のV溝回折格子に量子細線と寄生構造が見られる。下は量子細線付近の拡大図。不完全なV溝埋め込みに起因する垂直な量子井戸構造も観測される。V溝底部付近のコントラストは歪みの影響。

 DFBモードにおける発振を70K辺りに想定し、上記量子細線を装荷した100um幅ストライプのbroad area型レーザを作製した。共振器長は500umとする。先ず対照するためブラッグ波長を量子細線、井戸の利得領域より外し量子細線の配列に垂直な方向に共振器を作る。このサンプルの低温におけるPhotoluminescence(PL)スペクトルとElectroluminescence(EL)スペクトルである。図2に示す様にPLは量子井戸に相当する短波側のピークで強く、寄生構造たる量子井戸の効果が顕著であることを裏付けている。パルス電流注入により210Kまで発振が確認さた。発振は予想通り量子井戸のピークから起こっている。一方、DFBレーザとしての動作を期待するためブラッグ波長を量子細線の利得領域に設定する。レーザ構造は前述のレーザと同じとし、量子井戸へのキャリア注入を抑制する目的からp型にドープされた薄いGaAs層をV溝の深さより浅い位置に挿入する。またDFBモードの選択性を強調するため導波路は平坦化されていない(図3)。図4は同様にして測定されたPLとELの両スペクトルである。PLではやはり強い量子井戸からの発光を観測できた。しかしながら、ELにあっては量子井戸側のスペクトルは強く歪み、発振そのものは量子細線の側から観測された。発振モードが利得ピークから外れていることはこれがDFBモードであることを示している。屈折率結合に固有のストップバンドは発振波長の右側に観測された。量子細線による利得結合と非平坦導波路による屈折率結合とは位相反転の位置にありストップバンドの短波側が発振する結果に符号しており、発振の利得は量子細線からの寄与である。発振モードの左側のスペクトルの溝は強屈折率結合に見られる放射モードへの結合による損失と考えられる。閾値電流密度の温度変化を示すグラフ(図5)で、温度増加に伴い20Kから60Kで閾値の減少が観測されている点も量子細線の利得ピークとDFBモードの相対位置関係の変化の結果である。これらの点からこのレーザはDFB量子細線レーザであるといってよい。DFBレーザとしての動作は150Kまで観測された。以上の実験から実用的なレーザへの飛躍のためには室温でのレーザとしての動作が非常に重要である。この目的のためには、量子細線作製法の改良が次の2点を最小限満足し行われることが求められる。先のレーザの室温動作を阻んだものは、再成長された結晶の品質に問題があることと寄生構造による無視できない損失である。従来通りの手段ではこの点の改善は期待しがたいため新しい量子細線形成法を提案する。

図2 量子細線を有するFPレーザのPL及びELスペクトル(量子細線:QWR,量子井戸:QWL)。図3 分布帰還型量子細線レーザの断面層構造。回折格子周期は270nm付近。挿入されたp型GaAsは電流狭窄用。非平坦面上にAlGaAs層を成長し屈折率変化を強調している。図4 DFB量子細線レーザのPL及びELスペクトル。量子細線よりレーザ発振。注入パルス電流は繰り返し1kHz,パルス幅1usとした。閾値電流密度の温度変化。DFBレーザに負の傾きが現れる。両レーザの絶対値の違いは寄生構造の影響と再成長の品質の違いによる。温度特性(直線の傾き)に差が見られないのも同様の理由。

 材料は将来的な応用を展望し長波系のInPとする。この材料は従来通りのV溝上の成長法では良好な量子細線の報告がないため、その意味でもここに提案する方法は画期的といえる。それはマストランスポート法を応用するものである。マストランスポート法はMOVPE法と組み合わせて行う(図6)。V溝の刻まれたInP基板をMOVPE炉内にAsとP材料の雰囲気中で昇温する。Inは非常に基板上で動き易い材料であるため昇温過程でPを放出して移動し、雰囲気中のAsとPを取り込んで基板を平坦化しようとする。したがってV溝底部には基板上のInを利用してInAsPが形成され、その他の部分には表面上の置換以外に新たな物質が積まれない。このため量子細線のみを形成できるばかりでなく、アニールと同様の表面再形成のプロセスの一環でV溝形成時に荒らされた表面の改善も見込まれる。マストランスポートの終了は通常のMOVPE法での成長へ移行することで容易に達成され、界面の急峻性も確保される。MOVPE法との組み合わせで行われる点はデバイス作製の応用にも適している。このようにして作製された量子細線のTEMによる断面像が図7である。期待された通りの良好な界面が形成されている。量子細線のサイズは20nm以下と十分小さく、三角形状であることを考慮すると同サイズの矩形のものよりも強い閉じ込めが期待される。また、InAsPはInPに対して圧縮性の歪みを受けている。PLスペクトルの測定から8割程度のAs含有率が見込まれるので格子定数差にして2.5%である。歪みによる閉じ込めの効果もあり量子細線として形状的には申し分のないものが得られている。量子細線のサイズ、材料組成はマストランスポートを行う温度、時間、昇温レート、及び雰囲気中のV族材料比で決定される(図8)。

図6 マストランスポート法によるV溝への量子細線形成。図7 マストランスポート法で作製された量子細線断面TEM像(左:×500K明視野全体像,右:×2MK暗視野格子像)。図8 マストランスポート法によって形成される量子細線のPLピーク波長の温度、V族ガス組成比依存性。マストランスポートは昇温レート(0.6〜0.7℃/s)で行い温度到達後直ちにInPを成長しマストランスポートを停止させるものとする。

 レーザ活性領域への応用について言及するには光学特性の評価が必要である。PLスペクトルをこれらについて測定した。低温のみならず室温でも発光特性を観測することができた(図9)。この点は室温動作を可能とするために極めて重要である。発光ピーク波長は図7に示したサンプルで1.48um付近と長波系のレーザを設計する上で問題はない。実際に図7に示すように条件を変えることで長波の広い範囲でピーク波長を制御できている。また、量子細線としての光学特性上の現象にPL発光強度の異方性が挙がるがこれも室温及び低温で観測することができた。

図9 低温(77K)と室温でのPLスペクトル(サンプルは図7と共通)。強励起の傾向があり2ピーク(基底準位間と高次準位間)が観測されている。

 かような量子細線をレーザの活性領域に実際に応用してみる。レーザ中では体積の小さい量子構造はSCH構造(Separate Confinement Heterostructure)を必要とする。前記の実験にみるようにInP中に作り込む形式ではこれは果たせない。そこで、新しくInGaAsP(Q1.25)層を予め含んだ下部レーザ構造を用意し、これにV溝を刻んだ上でマストランスポート法で量子細線をこのInGaAsP導波路層中に作製することを考える(図10左)。InGaAsP層はV溝によって途中まで掘り込まれなくてはならない。この場合にはV溝直上の再成長層がInPで済むことも利点となる。マストランスポートのためのInはInGaAsP層の上に積んだInPが供給する。このようなV溝基板を用いて図10右に挙げる構造を成長しDFB量子細線レーザを作製した。更に再成長を容易にするため量子細線形成後Pソースのみの供給でマストランスポートを行い、InPで基板を極力平坦化してクラッド層の成長をした。レーザの形状は先と同様である。ブラッグ波長は設計上1530nm辺りとしている。結果、室温でパルス電流を注入し発振を観測した(図11)。発振波長は1535nmであった。利得ピークは発振波長の長波側1560nmに見えているからDFBモードでの発振が推察される。閾値電流は80mA程度であり、構造上この波長近辺に利得を有する層は存在しないため量子細線レーザであると断言してよい。また、閾値電流密度は0.16KA/cm2とこれまでに報告のあった長波系の量子細線レーザでは群を抜いて低く、量子井戸レーザと比較しても遜色のない優れたレーザである。室温動作するDFBレーザとしての量子細線レーザは世界で初めてのものである。

図10 V溝回折格子作製直後の走査型電子顕微鏡(SEM)断面像(左)。SiO2マスクを除去後、量子細線形成、再成長へと引き続く。右は作製したDFB量子細線レーザの断面層構造。100nmのInP埋め込み層以降が再成長となる。図11 DFB量子細線レーザの室温発振スペクトル。ストライプ幅100um。共振器長500um。
審査要旨

 本論文は,V溝基板上に形成される半導体量子細線を活性層ならびに光分布帰還回折格子に用いることで,全く新しい分布帰還型(distributed feedback,DFB)半導体レーザを実現しようとする試みについて英文でまとめたもので,7章より構成される.

 第1章は序論であって,研究の背景,動機,目的と,論文の構成を述べている.DFBレーザは単色性,動的安定性に優れるため,光ファイバ通信用の中核的光源として重用されている.一方,電子の一次元閉じ込めを行う量子細線は,状態密度の先鋭化に伴い閾値電流,微分利得,温度特性,スペクトル線幅等の向上をもたらすものとして期待されており,これとDFBレーザを結合することができれば,従来に比べ格段に高性能な半導体レーザを実現することができる.本研究の目的は,量子細線を活性層および光分布帰還回折格子として用いるDFBレーザを世界に先駆けて研究・開発することにある.

 第2章は「Fundamentals of DFB lasers」と題し,DFBレーザ解析の基礎となる結合モード方程式ならびにその解析解,数値解析法,各種デバイスパラメータの計算方法について論じている.第3章は「Fabrication method of QWRs and its suitability to DFB lasers」と題し,これまでに提案された各種の量子細線の形成方法とそれらの比較について述べている.その結果,品質,信頼性の観点で,V溝上に結晶成長を行う方法が最も有利であると結論している.

 第4章は「Fabrication and characterization of InGaAs QWR DFB lasers」と題し,本研究で行ったGaAs V溝基板上の圧縮歪みInGaAs量子細線のエピタキシャル成長と,それを適用したDFBレーザの試作について論じている.この場合,V溝の底に量子細線,その両脇斜面に量子井戸,さらにV溝頂上部に別の量子井戸が同時に形成されてしまう.このため,量子細線は発光特性などが量子井戸に隠蔽されてしまい,量子細線レーザとしての動作は低温においても困難というのが常識であった.ここでは,DFBレーザと組み合わせることにより,光共振波長を量子細線発光に同調させ,上記の不利な条件下でも量子細線発振を生じさせんとした.上記量子細線を内包するストライプ幅100m,共振器長500mのbroad area型レーザを作製したところ,量子細線の側からの発振が観測された.温度増加に伴い20Kから60Kで閾値の減少が観測されているが,これは量子細線の利得ピークとDFBモードの相対位置関係の変化が原因である.DFBレーザとしての動作は150Kまで観測された.しかし,再成長結晶の品質および寄生量子井戸が障害となって室温動作は不可能であることが分った.この問題の短期的解決は難しいため,次章に新しい量子細線形成法を提案している.

 第5章は「Fabrication of InAsP QWR by using mass transport method」と題し,V溝基板上の新たな量子細線形成技術につき述べている.本章では光ファイバ通信に必須の長波長帯InP系材料をベースとするが,この材料は従来のV溝上の成長法では良好な量子細線の報告例がない.本研究では新たに,「マストランスポート」による量子細線の形成を提案している.これは,V溝の刻まれたInP基板を有機金属気相エピタキシャル成長装置(MOVPE)の反応炉内でAsおよびP雰囲気中で昇温することにより,V溝底部にInAsP細線が形成されることを利用したものである.本研究でマストランスポートにより作製された量子細線は,断面が三角形状で,サイズも20nm以下と十分小さい.また,InAsP量子細線はInP基板上で圧縮歪を受けることになる.フォトルミネッセンス(PL)スペクトルの測定からはAs組成が80%程度と予測されるので,格子定数差にして2.5%の歪が存在する.この歪によって量子閉じ込め効果がさらに増強される、InAsP量子細線のサイズ,材料組成は,マストランスポートを行う温度,時間,昇温レート,及び雰囲気中のV族原料比で制御されることを明らかにした.本細線におけるPLは,低温のみならず室温でも観測され,そのピーク波長は1.48m付近と,長波長帯のレーザを設計する上で問題はない.形成条件を変えることで,その周辺の広い範囲でピーク波長を設定できる.また,量子細線特有のPL強度の異方性も,室温及び低温で観測されている.

 第6章は「Fabrication of InAsP/InP DFB QWR laser」と題し,前章のマストランスポート量子細線をレーザの活性領域に実際に適用した結果について述べている.体積の小さい量子構造は一般に,光閉じ込めを確保するためSCH構造(separate confinement heterostructure)を必要とする.そのため,新しくInGaAsP層およびInP層を予め成長した基板を用意し,これにV溝を刻んだ上,マストランスポート法で量子細線をこのInGaAsP導波路層中に作製することを試みている.マストランスポートに必要なInはInGaAsP層上のInP層が供給する.このようなV溝基板を用い,InAsP量子細線を活性層および回折格子とするDFBレーザを作製した.回折格子のブラッグ波長は1.53m付近に設定している.試作素子において,パルス電流による室温発振を達成した.閾値電流は80mA程度,発振波長は1.535mである.この際の利得ピーク波長は1.56mであることから,この発振がDFBモードによるものであることが理解される.構造上この波長近辺に利得を有する層は存在しないため,本レーザは量子細線レーザであると断定できる.閾値電流密度は0.16KA/cm2とこれまでに報告のあった長波長帯量子細線レーザの中では群を抜いて低く,量子井戸レーザと比較しても遜色のない値である.室温動作する量子細線DFBレーザは,世界初である.

 第7章は結論であって,本研究で得られた成果を総括している.

 以上のように本論文は,半導体V溝基板上に量子細線構造を形成する手法として再成長法とマストランスポート法を研究し,それら技術を用いて実際に分布帰還型の量子細線レーザを試作して,特にマストランスポート法による場合には,長波長1.5m帯の室温発振に世界で初めて成功したものであって,電子工学分野へ貢献するところ多大である.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1893