学位論文要旨



No 114288
著者(漢字) 細矢,雄司
著者(英字)
著者(カナ) ホソヤ,ユウジ
標題(和) ハライド溶融塩混合物の熱化学特性
標題(洋)
報告番号 114288
報告番号 甲14288
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4414号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 石榑,顕吉
 東京大学 教授 山脇,道夫
 東京大学 助教授 関村,直人
 東京大学 助教授 山口,憲司
 東京大学 助教授 寺井,隆幸
内容要旨

 陽性の金属(1-3族)の塩化物・フッ化物は熱力学的に極めて安定であり、その融体は熱媒体・化学反応媒体・核工学的媒体として利用できる。溶融塩はイオン性の強い液体で、各種の成分塩は広い組成範囲で互いに溶け合う。そして多元系にすることによって融点や蒸気圧を下げ、実用に供しやすい媒体にすることができる。

 核燃料物質を含むフッ化物溶融塩は溶融塩増殖炉の実験炉における燃料としての実績がある。また、LiF-BeF2混合溶融塩(Flibe)は核融合炉ブランケット材料等としての実用も期待されている。しかしながら、ブランケット設計に必要不可欠な構造材料に対する腐食のデータの整備は遅れている。

 アルカリ塩化物溶融塩は、使用済原子炉燃料の乾式再処理や高速炉用塩燃料などにおいて、アクチニドの溶媒として利用されることが期待されている。塩化物溶融塩燃料高速増殖炉は、原子炉内プルトニウムリサイクリング等、多くの特長を有するが、さらに進んでフッ化物熱中性子炉を専焼炉として組み合わせた廃棄物の出ないハイブリッドシステムも考えられている。高速炉の燃料成分にLiCl,専焼炉にLiFを添加することでトリチウム生産炉にすることも可能であり、例外的廃棄物のひとつとなるトリチウムも核融合炉燃料として有効利用できる。こうしたエネルギー生産システムは現段階ではデスクプランに終わっており、そのための材料研究などは行われていない。

 本研究では、溶融塩を利用する上記システムの研究開発における課題の摘出と検討を念頭に置き、

 (1)熱力学計算による、対象体系の化学的挙動の評価

 (2)実験データの取得、計算による予想との対応についての考察

 を通じて、計算と実験それぞれの役割をにらみながら、溶融塩を用いる核工学システムにおける材料研究へのそれらの適用について検討を行った。

 本研究では、ハライド溶融塩が容器材料・構造材料と共存している系の平衡状態を知ることが重要な課題のひとつとして挙げられる。その系は極めて多数の成分を含む上に、化学反応を起こす可能性のある成分の組み合わせが幾つも混在しているため、その熱化学平衡状態を知ることには困難が伴うと予想されるが、熱力学データは材料製造プロセスの熱力学的特性を把握し制御する際には不可欠のものであるから、古くからデータ集として纏められ、それを利用して複雑系の熱力学計算を行おうという研究分野もそれに並行して拡張され続けている。近年の熱力学データベースシステムは、物質の自由エネルギーを定式化してとり纏め、多元系平衡状態の計算や各種作図機能を付与することにより、熱力学量を利用者の求める形で自由に取り出す機能を有している。本研究では、日本熱測定学会熱力学データベース作業グループによるMALT2を用いた。平衡状態を計算する際のギブス自由エネルギー最小化には、最急降下法を改良した勾配ベクトル射影法を採用している化学平衡計算コードgemを適用した。熱力学平衡計算により、理想的な平衡状態を定量的に知ることができる。その結果から、対象となる系の中で使用可能と予想される材料の選択がある程度可能であり、その材料に対する腐食試験の実験条件のスクリーニングにも適している。溶融塩腐食においては一般的に体系内の微量不純物が重要な役割を果たすが、その効果を実際に実験で再現するのは困難であることが多い。しかし計算であればそのような条件下の化学状態をも検討することが可能である。ただ、物質の拡散・移流や化学種の幾何学的配置は計算に取り入れられないので限界もある。特に速度論的な情報は予測できない。

 本研究では図1に示すような体系での平衡状態の計算を行った。図中の数値は各成分の物質量である。

図1 熱力学計算体系の概念図

 核融合科学研究所で検討が進められているForce-Free Helical Reactor(FFHR)のFlibeブランケットを想定した計算では、中性子照射によるHF,H2O,O2生成も考慮し、雰囲気への添加化学種およびその適切な組成を評価した上で、構造材料との共存系における平衡状態を検討した。

 この系で起こる反応は単なるフッ化ではなく、常に酸化が優先的に起こる体系であることが示され、金属系材料ではその酸化皮膜が耐食性に大きな影響を与えることを確認した。体系への金属Beの添加についても計算により検討し、腐食性成分を効果的に除去できることを明らかにした。

 また、塩化物燃料高速増殖炉で構造材候補材料として挙げることのできる耐ハロゲンに優れたNi基超耐熱合金Hastelloy-Xと、アクチニド三塩化物の模擬物質としてのNdCl3溶融塩との両立性についても検討した。溶融塩そのものに腐食性は無く、雰囲気中の不純物である酸素や水蒸気によってのみ腐食が起こる。フッ化物のときと全く同様の体系で、原系の気相に存在する水分量に対して、代表的な化学種の平衡状態における量を計算し図2を得た。

図2 腐食体系中の各化学種量の初期水分量依存性

 以上の計算では非理想溶体は取り扱えない。気相は理想混合で凝縮相は純物質のままである。現実の多元系は理想溶体から逸脱した挙動を示すものが多く、そのために、稀薄な成分に対する極限則や正則溶体といったモデルが考えられている。

 しかしこれらのモデルを利用するには、それぞれの体系に依存するパラメータがあらかじめ実験的に求められていなければならない。簡単な例として、全く未知の相平衡状態図などは、はじめから計算で予想することはほとんどできない。本研究では、アクチニド三塩化物の模擬物質NdCl3を用いて塩化物系状態図を作成した。

 状態図の作成のための成分試薬には市販特級無水NdCl3(99.9%)およびJIS特級NaCl(99.99%)、市販特級KCl(99.8%)を乾燥窒素雰囲気のグローブボックス中で用いた。各組成の混合物試料の調製もこのグローブボックス中で行い、示差熱分析(DTA),X線回折測定(XRD)に供した。各組成試料の転移点測定をArガスフロー雰囲気中でDTAによって行い、XRDによって固相をキャラクタライズした。得られた状態図を図3,図4に示す。NdCl3-NaCl系状態図を決定し、中間化合物3NdCl3・NaClをキャラクタライズした。さらにNdCl3-KCl系状態図も決定し、新たな中間化合物を見出した。状態図も全く新規のものが得られた。また、NdCl3-NaCl-KCl系状態図の測定からも新規3成分化合物の存在を指摘した。

図3 NdCl3-NaCl系状態図図4 NdCl3-KCl系状態図

 溶融塩と構造材料との両立性の検討の中で、熱力学計算からは導出されない部分である、種々の化学種の幾何学的配置の効果(特に酸化皮膜の機能)や速度論的な情報は、実験で得なければならない。そこで、ハライド溶融塩の構造材料に対する腐食挙動を明らかにするために、構造材候補材料やそれに関連する材料の腐食試験を行った。

 試験片の浸漬はバッチ式とし、試料の取り扱いは乾燥Ar雰囲気のグローブボックス中で行った。溶融塩成分粉末をるつぼ中で昇温・溶融し、所定の温度に保持して試験片の浸漬を行った。冷却後、試験片に付着・残留し凝固した塩相を洗浄除去し、アルコールで拭った後の状態を浸漬後試験片として分析を行った。重量変化を測定し、X線回折測定(XRD)および一部の試料についてはラザフォード後方散乱分光法(RBS),X線光電子分光法(XPS),オージェ電子分光法(AES)を用いて試験片表面近傍のキャラクタリゼーションを行った。

 これらの測定手法を適用することで、ミクロン平均,サブミクロン,ナノスケールの深さにおける試験片表面近傍の変質の情報を効果的に入手することができた。塩化物溶融塩に浸漬したHastelloy-X試験片のRBSスペクトルと、その解析によって得られた合金成分組成の深さプロファイルを、それぞれ図5,図6に示す。

図5 塩化物浸漬後のHastelloy-X(RBS)図6 成分組成の深さプロファイル

 以上、ハライド溶融塩が媒体として期待されている核工学システムへの利用例として核融合炉ブランケットの液体増殖材料や溶融塩増殖炉燃料等を取り上げ、容器・構造材料との共存性を中心に、材料研究への熱力学計算および実験の両者を適用した。熱力学計算においては、実験で得ることが現実的に困難な条件における化学平衡状態についての知見を、効果的にかつ定量的に得ることができた。さらに、全く実験データが欠落していたり、信頼性に乏しく整備が要求されている部分の中でも、計算のみでは推定ができないものとして、相平衡状態図の作成と構造材候補材料の腐食試験を行った。相平衡状態図の作成では、新たな中間化合物を見出すなど新規の結果が得られ、構造材候補材料の腐食試験でも新規データを提供することができた。

審査要旨

 フッ化物や塩化物などのいわゆるハライド化物溶融塩は熱力学的に極めて安定な物質であり、広い組成範囲で互いに解け合い、容易に多元系の低融点・低蒸気圧をもつ混合塩を形成すること知られている。そしてこのような溶融塩混合物は大きな熱容量や多くの物質に対する大きな溶解度を持つことが特長であり、これらのことから高温における熱媒体や化学反応媒体としての利用が考えられている。さらに、ハライド溶融塩は放射線分解が起こりにくいことが知られており、原子力システムへの応用においても魅力的な媒体となりうる。本研究は、このような特長を持つハライド溶融塩の原子力工学への応用を念頭に置き、その際に検討すべき課題について、溶融塩と構造材料との熱化学的観点から研究を行ったものであり、5章から構成されている。

 第1章は序論であり、熱媒体および化学反応媒体、原子力システム用媒体としての溶融塩の特長に触れ、実際にハライド溶融塩を媒体として適用することが考えられている原子力システムについて述べている。フッ化物溶融塩を用いる核融合炉液体ブランケットや、塩化物溶融塩を燃料に用いる溶融塩増殖炉や使用済み核燃料乾式再処理プロセスなどを紹介し、その設計における検討課題を提示している。そして、これらを踏まえて、ハライド溶融塩を用いる原子力システムの成立性を検討する上で要求される溶融塩と材料の化学に関連した研究課題を設定している。

 第2章では、核融合炉溶融塩ブランケット体系と溶融塩燃料増殖炉体系を例に取り、ハライド溶融塩と構造材料の両立性の検討に熱力学計算手法を適用し、体系中に存在する化学種の量を任意に設定し、候補材料の耐食性についての検討をおこなっている。核融合炉溶融塩ブランケットにおける材料両立性については、核変換によって生成するHFによって材料のフッ化が見られる一方で、酸化性の化学種が存在すれば常に酸化が優先的に起こり、取りあげた構造材料(フェライト鋼・バナジウム合金)の成分の酸化物にはフッ化を受けずに残留するものがあることが分かった。また、金属ベリリウムなどの還元剤が共存すれば、酸化やフッ化が抑制されることも示されている。一方、不純物としてH2Oを含む、高速増殖炉の塩化物燃料と構造材料の両立性についても同様の手法で検討した。この体系は塩化性化学種があればそれにしたがって材料の塩化が進行することを確認し、初期水分量によって腐食挙動を分類して考えることができることを示した。以上のように、実験では実現することの困難な、腐食の原因物質となる不純物濃度をパラメータとした場合の生成系の変化を定量的に求め、両立性を検討し、各種材料の耐食性を持ちうる条件を示した。また、理想溶体および非理想溶体モデルの混合溶融塩への適用について述べ、そこで必要となる熱物性を示し、実験の必要性を指摘している。

 第3章では、塩化物混合物溶融塩の相平衡状態図の測定を行った結果について述べている。相平衡状態図は、溶融塩混合物の特性を知る重要な基礎データのひとつであり、原子力システム用媒体への適用の際にも重要な情報源である。そしてこれは純粋な成分塩の熱力学データのみでは評価・予測することはできない。本研究で対象とした塩化物溶融塩燃料高速炉の燃料塩に関連する状態図が再検討を要すると判断されたため、UCl3やPuCl3をランタニド塩化物NdCl3で模擬し、示差熱分析装量やX線回折装置を用いて、NdCl3-NaCl系,NdCl3-KCl系状態図を決定した。また、NdCl3-NaCl-KCl三元系状態図の測定を行った。NdCl3-NaCl系状態図では、Morozov et al.が報告しているような単純共晶系ではなく、Sharma et al.の包晶化合物を含む系の状態図に転移点とともに良く一致した。また、結晶化学的類似性を考慮して、過去に同じく単純共晶系として報告されているUCl3-NaCl系,PuCl3-NaCl系についても再検討の必要があることを指摘した。NdCl3-KCl系状態図においては、高温で分解する二種類の中間化合物NdCl3・2KClと2NdCl3・KClを見出した。また、高温でのみ存在する包晶化合物6NdCl3・KClの存在を指摘した。過去に報告された稀土類塩化物とKClの系の状態図では、今回の結果と一致するものはなく、中間化合物の振る舞いは過去の報告における軽稀土型と重稀土型の中間的な性質を示した。さらにNdCl3-NaCl-KCl系状態図において、三成分の化合物2NdCl3・NaCl・KClの存在を指摘した。これに基づき、高速炉用塩燃料の希釈塩にNaCl-KClを用いる場合は、NaCl分率をかなり小さくしなければ、効果的に液相面温度を下げられないことを示した。

 第4章では、ハライド溶融塩を媒体として適用する原子力システムのための材料研究における課題の中で、全く整備の遅れている構造材料の腐食についての検討を行った結果について述べている。第2章で取り上げた溶融塩核融合炉ブランケットや溶融塩燃料高速炉に着目し、構造材候補材料の腐食試験を行って、特にサブミクロンないしはナノスケールの材料の変質に関する知見を得、熱力学計算の結果と併せて材料と溶融塩の両立性を検討した。LiF-BeF2フッ化物溶融塩に対してはSUS430鋼およびVを、NdCl3-NaCl-KCl系溶融塩に対してはHastelloy-Xを試験片として浸漬実験を行った。浸漬試験片はXRD,RBS,XPSを用いて表面近傍の相を同定し、元素組成を評価した。SUS430鋼試験片では、フッ化性の化学種の共存下であっても通常の酸化で知られている密着性の酸化皮膜が形成されるが、Vは全く耐食性を示さないことを見出した。NdCl3-NaCl-KCl系溶融塩では系に水分が存在すると溶融塩成分と反応して腐食性化学種を生成し、腐食に対して極めて大きな影響力を示すことを実験的に示した。また、構造材料へNdが取り込まれる現象を見出し、実際の溶融塩高速炉への適用の際には問題になることを指摘した。

 第5章は結論であり、本論文で得られた成果を総括している。

 以上を要約すると、本論文は、ハライド溶融塩の原子力システムへの適用例として核融合炉ブランケットや溶融塩燃料増殖炉を取り上げ、構造材料との両立性を中心に、材料研究への熱力学計算および実験の両者を適用し、実験で求めることが困難な条件における化学平衡状態についての知見を効果的にかつ定量的に得るとともに、信頼性に乏しく整備が要求されている相平衡状態図の作成と構造材候補材料の腐食試験を行ったものである。その結果、相平衡状態図の作成では、これまでには知られていなかった新たな中間化合物を発見することなどの新規の結果が得られ、構造材候補材料の腐食試験でも新しい知見を提示することに成功しており、溶融塩化学や材料腐食学を通してシステム量子工学に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54695