広範な分野で利用され、進展を続けているゾル-ゲル法の研究において、光学用有機無機複合材料の分野の成長は特に著しい。プロセスが確立されて以来この10数年間の数多くの研究によって無機マトリックス中の有機分子の状態についての知見が得られ、現在は新たな段階としてマトリックス中の色素の状態制御への関心が高まっている。その1つが「有機-無機の結合」である。従来の有機無機複合体で有機分子は無機マトリックスの細孔中に物理吸着されているのに対して、有機無機結合系では化学的な結合によって有機分子は無機マトリックス中に固定化されている。すでにいくつかの系で構造緩和の抑制など結合による特性の向上が報告されており、今後この分野の研究の主幹をなしうるテーマの1つであると考えられる。 このような有機無機結合系複合体は「機能を発現する有機分子と耐熱性、耐化学性に優れた無機の担体」という従来の枠組みを越えた「マトリックスも含めて機能を発現する新しい材料」としての可能性を秘めており、本研究では特にその点に注目した。それには有機無機間の相互作用、結合による電子状態の変化についての知見が不可欠となるが、研究例は少なく、未知の部分が多い。ほぼ無限に考えられる有機-無機の組み合わせから効率よく材料を設計するためにはこれらについての詳細な検討が必要であると考えられ、本研究はこれらについて光学特性の点から検討することを目的としている。 有機分子としてキニザリン(1,4-AQ(OH)2)を採りあげた。1,4-AQ(OH)2は類似した構造のロイコキニザリン、ナフタザリンと同様に様々な金属イオンと錯体を形成し、その光学特性はイオン種に対して敏感に変化するために特性の広がりが期待できる。また超高密度光メモリへの応用が期待されるPSHB(Persistent Spectral Hole Burning)を示すことが知られているが、-Al2O3マトリックスに化学吸着させた系ではPSHBの温度特性が改善され、液体窒素温度でホールが観測されることが報告されており、応用の点からも興味深い。 ゾル-ゲル法によって合成したSiO2-Al2O3,SiO2-TiO22成分系ゲル中に1,4-AQ(OH)2をドープし結合させた複合体とAl2O3,TiO2粉末の表面に1,4-AQ(OH)2を吸着させた参照用の試料とを作製し、光学測定をおこなった。さらに分子軌道計算をおこない、実験結果に考察を加えた。 SiO2-Al2O3マトリックス中にドープしたキニザリンはマトリックス中のAl3+と一ヶ所で結合した状態(1,4-AQ(OH)(OAl))であることがわかった。組成によらず高い蛍光性を示したが、ゲル中と酸化物表面とでは蛍光寿命に違いが見られた。これは色素周囲の局所構造の違いに起因しているとかんがえられ、FLN(Fluorescence Line Narrowing)によって検討した。測定の結果ゲル中の色素は周囲の影響によって、その秤動を抑制された状態であることがわかった。 SiO2-TiO2マトリックス中にドープしたキニザリンは1置換体1,4-AQ(OH)(OTi)、2置換体1,4-AQ(OTi)2の2つの状態で存在した。SiO2-Al2O3マトリックスと異なり、蛍光寿命に残留溶媒に対する依存性と[TiO2]に対する依存性が見られた。色素とマトリックスの酸化還元電位を比較した結果、この系では電子移動が起こりうることがわかった。そこで蛍光寿命の違いが電子移動速度のみに依存すると仮定して、蛍光電子移動速度を試算した。求められた電子移動速度は組成によって、また色素の状態によって異なった。電子移動速度の組成依存性については伝導帯のバンド構造の変化に起因していると考えられる。TiO2の伝導帯はTid軌道で構成されている。[SiO2]成分の増加はTid軌道間の重なりを小さくし、軌道エネルギーを増加させる。電子移動の駆動力は電位差であるので、色素と伝導帯との相対エネルギー差の変化が電子移動速度を変化させていると考えられる。また、状態による違いについては1,4-AQ(OH)(OTi)に対して1,4-AQ(OTi)2の速度が約2倍大きくなっていることから、緩和経路の数の違いが影響を与えていると考えられる。 蛍光寿命の測定結果から考えられるSiO2-Al2O3,SiO2-TiO2各マトリックスにおける緩和過程の違いを図1に示す。 図1 蛍光寿命の測定結果から考えられるSiO2-TiO2、SiO2-Al2O3マトリックスの緩和過程の違い 最後に分子軌道計算をおこない、光学測定の結果に考察を加えた。分子軌道法には計算方法、近似の粗さによっていくつかの方法が存在するが、利用できる元素の多さ、計算速度・精度の点からPM3法による半経験的分子軌道計算を用いた。分子軌道法には計算方法、近似の粗さによっていくつかの方法が存在するが、利用できる元素の多さ、計算速度・精度の点からPM3法による半経験的分子軌道計算を用いた。 はじめにキニザリンを含む、置換アントラキノンの計算をおこない、アントラキノンの吸収帯の変化について知見を得た。次に色素に金属イオン1個からなるクラスターAl(OH)3-nH2O、Ti(OH)4-nH2O(n=0〜3)を近づけて構造最適化をおこなった。色素のHOMO及びLUMOは結合後も保存されており、置換アントラキノンと同様にLUMOに対してHOMOのエネルギーがより大きく変化していることがわかった。これはこれらのS0-S1遷移が置換基からアントラキノン骨格への電荷移動であることに起因している。このときのHOMOの軌道エネルギーの変化は置換基と骨格との反結合性によると考えられる。 次に分子間の無輻射遷移である電子移動について検討した。LUMOとCBとの相対位置を補正するためにクラスターサイズを拡大し、Ti4+11個からなるルチル型クラスターを用いた。このクラスターでは伝導帯の方が色素のLUMOよりも低エネルギー側に位置した。次にTi4+→Si4+の置換をおこなった。Si4+サイトの増加に伴って伝導帯の軌道エネルギーは上昇するという結果が得られた。電子構造の変化を図2に、LUMOとCBとの相対エネルギー差の変化を図3に示す。 図2 [SiO2]成分の増加に伴う電子構造の変化図3 マトリックスの組成変化に伴うCB-LUMO間の相対位置の変化 |