学位論文要旨



No 114296
著者(漢字) 石脇,智広
著者(英字)
著者(カナ) イシワキ,トモヒロ
標題(和) 無機マトリックスにドープしたキニザリンの光学特性
標題(洋)
報告番号 114296
報告番号 甲14296
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4422号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 教授 佐久間,健人
 東京大学 助教授 木村,薫
 東京大学 助教授 近藤,高志
 東京大学 助教授 井上,博之
内容要旨

 広範な分野で利用され、進展を続けているゾル-ゲル法の研究において、光学用有機無機複合材料の分野の成長は特に著しい。プロセスが確立されて以来この10数年間の数多くの研究によって無機マトリックス中の有機分子の状態についての知見が得られ、現在は新たな段階としてマトリックス中の色素の状態制御への関心が高まっている。その1つが「有機-無機の結合」である。従来の有機無機複合体で有機分子は無機マトリックスの細孔中に物理吸着されているのに対して、有機無機結合系では化学的な結合によって有機分子は無機マトリックス中に固定化されている。すでにいくつかの系で構造緩和の抑制など結合による特性の向上が報告されており、今後この分野の研究の主幹をなしうるテーマの1つであると考えられる。

 このような有機無機結合系複合体は「機能を発現する有機分子と耐熱性、耐化学性に優れた無機の担体」という従来の枠組みを越えた「マトリックスも含めて機能を発現する新しい材料」としての可能性を秘めており、本研究では特にその点に注目した。それには有機無機間の相互作用、結合による電子状態の変化についての知見が不可欠となるが、研究例は少なく、未知の部分が多い。ほぼ無限に考えられる有機-無機の組み合わせから効率よく材料を設計するためにはこれらについての詳細な検討が必要であると考えられ、本研究はこれらについて光学特性の点から検討することを目的としている。

 有機分子としてキニザリン(1,4-AQ(OH)2)を採りあげた。1,4-AQ(OH)2は類似した構造のロイコキニザリン、ナフタザリンと同様に様々な金属イオンと錯体を形成し、その光学特性はイオン種に対して敏感に変化するために特性の広がりが期待できる。また超高密度光メモリへの応用が期待されるPSHB(Persistent Spectral Hole Burning)を示すことが知られているが、-Al2O3マトリックスに化学吸着させた系ではPSHBの温度特性が改善され、液体窒素温度でホールが観測されることが報告されており、応用の点からも興味深い。

 ゾル-ゲル法によって合成したSiO2-Al2O3,SiO2-TiO22成分系ゲル中に1,4-AQ(OH)2をドープし結合させた複合体とAl2O3,TiO2粉末の表面に1,4-AQ(OH)2を吸着させた参照用の試料とを作製し、光学測定をおこなった。さらに分子軌道計算をおこない、実験結果に考察を加えた。

 SiO2-Al2O3マトリックス中にドープしたキニザリンはマトリックス中のAl3+と一ヶ所で結合した状態(1,4-AQ(OH)(OAl))であることがわかった。組成によらず高い蛍光性を示したが、ゲル中と酸化物表面とでは蛍光寿命に違いが見られた。これは色素周囲の局所構造の違いに起因しているとかんがえられ、FLN(Fluorescence Line Narrowing)によって検討した。測定の結果ゲル中の色素は周囲の影響によって、その秤動を抑制された状態であることがわかった。

 SiO2-TiO2マトリックス中にドープしたキニザリンは1置換体1,4-AQ(OH)(OTi)、2置換体1,4-AQ(OTi)2の2つの状態で存在した。SiO2-Al2O3マトリックスと異なり、蛍光寿命に残留溶媒に対する依存性と[TiO2]に対する依存性が見られた。色素とマトリックスの酸化還元電位を比較した結果、この系では電子移動が起こりうることがわかった。そこで蛍光寿命の違いが電子移動速度のみに依存すると仮定して、蛍光電子移動速度を試算した。求められた電子移動速度は組成によって、また色素の状態によって異なった。電子移動速度の組成依存性については伝導帯のバンド構造の変化に起因していると考えられる。TiO2の伝導帯はTid軌道で構成されている。[SiO2]成分の増加はTid軌道間の重なりを小さくし、軌道エネルギーを増加させる。電子移動の駆動力は電位差であるので、色素と伝導帯との相対エネルギー差の変化が電子移動速度を変化させていると考えられる。また、状態による違いについては1,4-AQ(OH)(OTi)に対して1,4-AQ(OTi)2の速度が約2倍大きくなっていることから、緩和経路の数の違いが影響を与えていると考えられる。

 蛍光寿命の測定結果から考えられるSiO2-Al2O3,SiO2-TiO2各マトリックスにおける緩和過程の違いを図1に示す。

図1 蛍光寿命の測定結果から考えられるSiO2-TiO2、SiO2-Al2O3マトリックスの緩和過程の違い

 最後に分子軌道計算をおこない、光学測定の結果に考察を加えた。分子軌道法には計算方法、近似の粗さによっていくつかの方法が存在するが、利用できる元素の多さ、計算速度・精度の点からPM3法による半経験的分子軌道計算を用いた。分子軌道法には計算方法、近似の粗さによっていくつかの方法が存在するが、利用できる元素の多さ、計算速度・精度の点からPM3法による半経験的分子軌道計算を用いた。

 はじめにキニザリンを含む、置換アントラキノンの計算をおこない、アントラキノンの吸収帯の変化について知見を得た。次に色素に金属イオン1個からなるクラスターAl(OH)3-nH2O、Ti(OH)4-nH2O(n=0〜3)を近づけて構造最適化をおこなった。色素のHOMO及びLUMOは結合後も保存されており、置換アントラキノンと同様にLUMOに対してHOMOのエネルギーがより大きく変化していることがわかった。これはこれらのS0-S1遷移が置換基からアントラキノン骨格への電荷移動であることに起因している。このときのHOMOの軌道エネルギーの変化は置換基と骨格との反結合性によると考えられる。

 次に分子間の無輻射遷移である電子移動について検討した。LUMOとCBとの相対位置を補正するためにクラスターサイズを拡大し、Ti4+11個からなるルチル型クラスターを用いた。このクラスターでは伝導帯の方が色素のLUMOよりも低エネルギー側に位置した。次にTi4+→Si4+の置換をおこなった。Si4+サイトの増加に伴って伝導帯の軌道エネルギーは上昇するという結果が得られた。電子構造の変化を図2に、LUMOとCBとの相対エネルギー差の変化を図3に示す。

図2 [SiO2]成分の増加に伴う電子構造の変化図3 マトリックスの組成変化に伴うCB-LUMO間の相対位置の変化
審査要旨

 本論文はゾル-ゲル法を用いて作製した、機能性有機分子キニザリンを無機マトリックスに結合させた複合体について、その光学特性をまとめたものである。

 本論文は5章から構成される。

 第1章は緒言である。ゾル-ゲル法、キニザリン及びその光物理化学変化について基本的な事項をまとめた。そして有機無機複合体の有用性、その研究の歴史についてまとめ、研究の目的について述べている。

 第2章では物理吸着系であるシリカゲル、化学吸着系であるシリカ-アルミナゲル、化学吸着系であるが結晶であるガンマアルミナ、各マトリックス中にドープしたキニザリンの光学特性の比較をおこなっている。はじめにキニザリンの錯形成による吸収帯、蛍光寿命の変化について考察し、前者については置換基の酸素原子の電子供与性の変化が、後者については重原子置換による無輻射遷移の抑制が、その機構であることを示した。次にシリカ-アルミナマトリックスとガンマアルミナマトリックスの比較をおこなった。後者では光メモリへの応用が期待される光化学ホールバーニング(PSHB)の温度特性が改善されることがすでに報告されているのに対して、前者に関してはそのような報告例はない。両者の蛍光寿命の分布の違いからそれぞれの色素周囲の局所構造が異なっていると考えられ、詳細に検討するためにつぎに蛍光ナローイング(Fluorescence Line Narrowing)の測定をおこなった。ゼロフォノン線の線幅、それに付随するフォノンサイドバンドのフォノンエネルギーから、シリカ-アルミナゲル中のキニザリンは構造的にその振動が抑制された状態にあることがわかった。考えられる原因の一つとして合成プロセスを挙げた。ゾル-ゲル法は溶媒を生成しつつ、進行するプロセスであり、その溶媒は内部に閉じこめられる傾向にある。そのためにPSHBにおいて、無機マトリックスの硬さを活かせないことが考えられ、プロセスについてさらなる検討が必要であることを示した。

 第3章ではシリカ-チタニア系マトリックス中の光学特性、特に蛍光寿命に着目し、検討している。シリカ-アルミナ系と異なり、この系の蛍光寿命は残留溶媒に対する依存性とチタニア濃度に対する依存性が見られた。この結果は色素とマトリックスとの相互作用による付加的な無輻射遷移の存在を示唆している。酸化還元電位の比較から電子移動であると考察され、電子移動速度を試算した。電子移動速度は組成依存性を示した。この点に関して伝導帯を形成するチタンのd軌道準位のエネルギーがシリカ成分の増加に伴って変化するためであると考察した。電子移動の駆動力はドナー準位とアクセプター準位の相対エネルギー差であり、その変化が電子移動速度の違い、蛍光寿命の違いの原因であると考えられる。また、色素の結合状態によって緩和経路数が異なり、電子移動速度が異なってくることを指摘した。さらに電子移動を用いた材料として太陽電池あるいはアップコンバージョン波長変換材料への応用の可能性を挙げている。また、第2,3章のまとめとして無機マトリックスに結合させたキニザリンの緩和過程をまとめた。

 第4章ではPM3法を用いた半経験的分子軌道法に着目し、実験結果に考察を加えている。はじめにキニザリンを含む置換アントラキノンの計算をおこない、置換基がアントラキノンに及ぼす影響について調べた。次に無機クラスターとの錯体の計算をおこなった。はじめに金属イオン1個からなる微小クラスターを用いて結合による吸収帯の変化、錯形成による分子内緩和過程の変化について考察した。次にクラスターサイズを拡大し、シリカ-チタニア系の分子間緩和過程の組成依存性について検討し、前章の考察を裏付ける結果を得た。また、電子移動速度にアクセプター準位の電荷分布が影響を及ぼすことについて言及した。

 5章は全体のまとめである。

 以上、本研究は有機分子と無機マトリックスとを結合させた複合体の電子構造、マトリックス中の色素の状態を明らかにするとともに、さらに今後の有機無機複合体の材料設計に関する指針を示したという点で優れており、材料学の発展に大きく寄与するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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