学位論文要旨



No 114297
著者(漢字) 市川,聡
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,サトシ
標題(和) ガス中蒸発法で作製したナノ結晶材料の熱処理・加工による組織変化
標題(洋)
報告番号 114297
報告番号 甲14297
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4423号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,邦夫
 東京大学 教授 菅野,幹宏
 東京大学 教授 柴田,浩司
 東京大学 助教授 市野瀬,英喜
 東京大学 講師 宮澤,薫一
内容要旨

 多結晶材料の構成要素である個々の結晶のサイズが数十ナノメートル以下になると,結晶内部に位置する原子に対する粒界に位置する原子の割合が急激に増加する.一方,結晶粒界に位置する原子の二体分布関数は,結晶内部の規則性を有する原子やアモルファス中の原子のそれとは異なりガスライクな分布を示す.したがって,ナノ結晶材料においては,結晶やアモルファス材料とは異なる新たな特性を示すことが期待される.実際に多数の特異な物性の報告がなされているが,原子レベルでの組織と物性との対応付けがなされておらず,統一的な見解は未だ得られていない.

 本論文では,ナノ結晶材料の特異な性質がその構造に起因するものと考え,高分解能電子顕微鏡を用いて原子レベルで組織を評価することで,ナノ材料の物性と構造を結びつけることを主たる目的とした.

1.Agナノ結晶体

 金属ナノ結晶材料の特異な物性例の一つとして,その機械的性質があげられる.一般に多結晶材料の硬さについては,Hall-Petch則が成立することが知られている.この経験則がどの程度まで成立しうるか,さらに微細になるとどのような変形機構が支配的となりどのような変形挙動を示すのかというのは興味深い問題である.既に様々な物質についての硬さの粒径依存性について報告がなされているが,人や製法によって結果およびその解釈が多種多様であり統一的な見解はまだ得られていない.そこで本章においては,ガス中蒸発法によって作製したAgナノ結晶体に強加工を施し,その変形組織を観察することで変形挙動に対する知見を得ることを目的とした.

1.1.変形前の組織観察

 TEMによるAgナノ結晶の変形前の組織観察結果をFig.1に示す.変形前におけるAgナノ結晶体の結晶粒径は20〜200nm程度である.圧縮成形前の結晶粒径から考えると50〜200nmに粒成長した箇所と,20nm程度の超微細組織を保った箇所が共存している.また100nm以上の大きな結晶粒内には高頻度に焼鈍双晶が存在が見られる.圧縮成形前の粉末の段階においては,平均サイズ15nm程度であることより,室温で圧縮成形をするだけで著しい粒成長が起きるということが示唆された.グライターらが提唱したような「低密度な粒界構造」を示唆するようなコントラストの違いは見られず,通常の多結晶体と同様な密な粒界を形成している.また,結晶粒内にほとんど転位を見いだすことは出来ない.

1.2.強加工後の組織変化

 変形後の組織の圧延面に垂直な方向からのTEM像をFig.2に示す.変形後の結晶粒径は50〜200nmで,変形前の比較的大きな結晶粒と同程度である.しかし,変形後では変形前の組織で見られた20nm程度の微細な結晶粒は見いだされず,そのような極微細結晶粒は変形を施されたことで50〜200nmなサイズまで粒成長したと考えられる.変形後の結晶粒内には,変形前の100nm以上の大きな結晶粒内に見られた多数の双晶の存在は確認できず,拡散が生じていることが示唆された.

 個々の結晶粒の特定の方向への伸長,通常多結晶体に見られるセル組織などの加工組織に特有な転位密度の高い組織はFig.2に見られず,転位の移動による個々の結晶粒の変形が生じていないことが考えられる.

 一方,Agナノ結晶体の変形前後における微小ビッカース硬度測定の結果,変形前後では共に平均92〜93Hvであり,両者に大きな差異は見られない.組織観察およびこの結果より転位の集積は生じておらず,粒界すべり等の転位とは別の変形機構が支配的となっていることが示唆された.

3.Ag/Feナノ結晶合金

 ナノ結晶材料には,その極限的ともいえるサイズに起因する,新たな物性の発現の可能性が秘められているが,現在,容易に起こる結晶成長という大きな問題に直面しているのも,否めない事実である.ナノ結晶体が本来持ちうると期待される大きな自由体積を持つ粒界構造に起因する特殊な性質は,粒界の体積率が急激に増加する10nm以下でないと支配的にはならないであろうと考えられる.

 本章では,非固溶系の金属ナノ結晶合金に着目し,その粒界構造の解析および熱的安定性の向上をはかること,変形機構に関する知見を得ることを主な目的とした.

3.1.組織観察および原子構造の評価

 圧縮成形を行ったAg/Feナノ結晶合金のTEM観察した結果,蒸発時の両元素蒸気のばらつきに起因して,AgリッチFe高濃度領域,AgリッチFe低濃度領域,FeリッチAg高濃度領域,FeリッチAg低濃度領域の4つに分類することが出来た.最も典型的かつ特徴的な領域がAgリッチFe高濃度領域で,Fig.3にそのエリアのHREM像を示す.5〜10nm程度の丸みを帯びた粒から成っている.個々の結晶の間の粒界面は明瞭ではなく,コントラストの低いアモルファスライクなイメージとしてあらわれ,1nm程度の幅を持つ粒界構造を有している.同様に格子縞からほとんどの結晶粒がAgの格子であることが示唆された.このような領域の結晶粒の内部からのプローブ径0.6nmのEDSによる定量分析の結果,68at%のAgと32at%のFeが混在している結果を得た.このことよりAg結晶粒内においてFeが過飽和状態で固溶していることが示唆された.

3.2.熱処理による変化

 200℃で熱処理したもののTEM像をFig.3-12に示す.観察出来たほぼすべてのエリアがFig.4のような50〜80nmの粒径を持つ組織で,熱処理前のFig.3のような粒界に幅を有する超微細組織は非常に少なく,また,サブミクロン程度まで極度に粒成長を起こした領域は皆無で,粒径という点において均質な組織となっている.400℃において熱処理を施したものでは,Fig.3のような箇所は全く見られず,200℃のものに見られたような50nm〜100nmの結晶粒径の領域と,10〜50nmの間隔の双晶面を高密度に有する200nm以上の粒径の領域が混在していた.

 熱処理後の組織には,粒界面や粒界三重点に5nm〜20nm程度のコントラストの低いポアのような部分が高頻度に見られる特徴を有する.そのような箇所を高分解能観察した結果,10nm以下のサイズの小さいものの場合,ボイドやアモルファスイメージである場合が多い.熱処理前に見られた厚みのある粒界を持つ組織がGleiterらが提唱した低密度な粒界であるならば,熱処理をする事で,粒界近傍の原子の再配列が生じ安定な界面を形成し,その領域での自由体積が減少する.加圧を行っていないので,粒界の再配列と同時にその体積減少分が粒界や粒界三重点にナノメートルオーダーのボイドとなって現れたと考えられる.

4.Fe/MgOナノ結晶複合体

 ナノ結晶体の持ちうる本来の特性を発現させるために,複合化は不可避の手段であると考えられる.また前章において,粒径がナノメートルサイズになると著しい合金化が起きることが示唆された.そこで本章では,結合様式が全く異なる結晶,FeとMgOを選び,異相分散組織を有するFe/MgOナノ結晶複合体を作製することで,その組織や粒界構造,熱的安定性,機械的性質に及ぼす複合化の効果を考察することを目的とした.

4.1.粒界・界面構造および熱的安定性の評価

 Fig.5にFe/MgOナノ結晶複合体のTEM像を示す.平均粒径9nmの異方性の無い超微細組織となっている.個々の結晶粒は丸みを帯びた形状をしている.

 Fe/MgOナノ結晶複合体を真空中500℃1hの熱処理を施したもののTEM像をFig.6に示す.500℃1hの加熱によって、Feナノ結晶体の平均粒径は10nmから50〜100nm程度に変化したのに対し,MgOを添加したものでは,平均9nmから,16nm程度までしか増加せず,大きな結晶粒成長抑止効果が認められた.Feナノ結晶体,Fe/MgOナノ結晶複合体ともに,結晶粒の形状が熱処理前に比べてより直線的になっており,粒界三重点近傍における粒界面がより明瞭に観察された.同時に,Feナノ結晶体およびFe/MgOナノ結晶複合体のどちらの試料もナノメートルオーダーの空隙が粒界や粒界多重点において見られる.より粒成長が進んだFeナノ結晶体の方で顕著に現れる傾向にある.これは,特に粒界三重点近傍の界面領域における自由体積の減少に伴い,ナノメートルオーダーでの空隙として現れたものと考えられる.

4.2.力学的性質の評価

 Feナノ結晶体,Fe/MgOナノ結晶複合体ともに熱処理によって324Hvから329Hvへ硬さが増加する.Feナノ結晶体に関しては結晶粒成長し粒径が増大しているにもかかわらず,硬さが増加したことより、この粒径の範囲においては,通常多結晶体に見られるHall-Petchの法則は成立しない.粒内の格子転位がほとんど見られないこと,Hall-Petchの法則が成り立たないことより,Feナノ結晶体,Fe/MgOナノ結晶複合体ともに粒界すべり等の転位以外の機構が変形において支配的であることがわかった.

 また,Fe/MgOナノ結晶複合体の場合,Feナノ結晶体,MgOナノ結晶体よりも硬さは明らかに減少し,複合則は満たされない.このことは先に述べた変形機構が粒界すべりによるもので,Fe/Fe粒界,MgO/MgO粒界の強度よりもFe/MgO界面の強度の方が弱く,Fe/MgO界面での変形が支配的になっているということが示唆された.

Fig.1圧縮成形後のAgナノ結晶体Fig.2変形後のAgナノ結晶体Fig.3圧縮成形後のAg/Feナノ結晶合金Fig.4熱処理後のAg/Feナノ結晶合金(473K,1h)Fig.5圧縮成形後のFe/MgOナノ結晶複合体Fig.6熱処理後のFe/MgOナノ結晶複合体(773K,1h)
審査要旨

 本論文は,金属を低圧ガス雰囲気中で蒸発させて作製した数nmから数十nmの大きさのナノ結晶を圧縮成型によって成型体とした後,これを加熱あるいは圧延加工したときの組織変化を透過電子顕微鏡(TEM)およびX線回折(XRD)を用いて調べた成果をまとめたもので,全6章からなる.

 第一章は序論である.ナノ結晶を構成要素とするナノ結晶体においては,結晶粒界の中に存在する原子の割合が通常の多結晶体に比べて非常に多く,さらに結晶子の寸法そのものが小さいために,非常に結晶粒成長が起こりやすいこと,および強度などの機械的性質においても,磁性などの物理的性質においても,特異な性質の表れる可能性があることを述べている.本論文の主たる目的が,透過電子顕微鏡観察によって,このようなナノ結晶体の変形挙動を調べることにあることを述べている.

 第二章では,ナノ結晶体の作製法に概観した後,本研究で用いたガス中蒸発法の特徴を説明し,さらに,用いた試料作製法の詳細を圧延法を含めて述べている.

 第三章では,純Agから作製したナノ結晶体に関する観察結果を述べている.純金属では,蒸発状態では10nm程度の結晶が得られても,成型過程で100nm程度に容易に成長してしまうが,20nm程度の結晶粒の領域も残っている.100nm程度の結晶粒の圧延加工による寸法の増大は顕著には起こらない.圧延前の双晶組織は消滅する.通常の多結晶体で観察されるような加工セル組織は観察されず,加工による優先方位形成も起こらない.

 第四章では,AgとFeの別々の二つの蒸発源を使って作製したAg/Fe二元合金のナノ結晶体に関する観察結果を述べている.この合金系は本来は不混和系であるが,観察された成型体の組織領域は4種に大別される.Agrich-highFe領域は,面心立方晶の10nm程度の結晶粒から構成され,幅のある粒界領域が観察される.組成は70Ag-30Fe程度であり,粒内と粒界の違いは検出されない.Agrich-lowFe領域の組成は90Ag-10Fe程度であり,その組織は純Agの微細粒領域に類似している.Ferich-highAg領域は,体心立方晶の5nm程度以下の結晶粒から構成される寸法20nm程度の凝集塊として存在する.幅のある結晶粒界領域は観察されないが,粒内には歪みコントラストが頻繁に観察される.組成は15Ag-85Fe程度である.Ferich-lowAg領域は,5nm程度以下の結晶粒から構成される.組成は5Ag-95Fe程度であり,主体は体心立方晶Feであり,酸化鉄Fe3O4の領域もある.これらの領域は,試料作製時の両元素の蒸発のタイミングのずれによって生じると考えられる.格子定数の測定結果は,両元素は固溶体として存在していることを示唆している.熱処理後に,Agrich-highFe領域に相当すると考えられる領域には5〜20nm程度の空隙が粒界面に沿って存在する.これは,粒界領域の消滅によって生成したと考えられる.

 Agrich-highFe領域と考えられる領域の圧延後の組織では,幅のある粒界領域は観察されない.200nm程度の結晶粒には転位が観察される.200℃熱処理後のAgrich-highFe領域と考えられる領域の圧延後の組織では,5〜20nm程度の空隙は認められない.結晶粒内の転位の存在頻度は結晶粒が大きいほど大きい.圧延による優先方位の形成は観察されない.圧延前後の硬さの変化も観察されない.

 第三章および第四章の研究で以下の点を明らかにした.Feの合金化によって,Agの結晶粒成長は著しく抑制される.圧延による変形は,主として粒界拡散による粒界すべりで起こり,転位のすべりはあっても,転位の体積が生じるほどではない.

 第五章では,FeとMgの酸化によって作成したMgOとから作製したFe/MgOナノ結晶体に関する観察結果を述べている.10nm程度の結晶粒から成る2相混合ナノ結晶体の成型体を作製することができた.Feナノ結晶体では,500℃の熱処理によって100nm程度まで結晶粒成長が起こるのに対して,Fe/MgOナノ結晶体の結晶粒は20nm程度に留まる.熱処理によって,粒界三重点付近の広がりのある領域は消滅して,鋭い三重点となるとともに,数nm程度の空隙が生成する.硬さが熱処理によって増大するのは,この三重点領域の消滅に因ると考えられる.

 第6章は総括である.

 以上を要するに,本論文はガス中蒸発法で作製したナノ結晶体の組織を主として電子顕微鏡で観察して,不混和系合金ナノ結晶体および金属/セラミック系複合ナノ結晶体の作製は,ナノ結晶体の結晶粒成長の抑制に極めて有効であること,およびナノ結晶合金の塑性変形は主として粒界すべりによって実現されている可能性が高いことを示したものである.これらの知見は,ナノ結晶体材料の工業的利用の基礎として極めて有用である.

 よって,本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる.

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