III族元素は共通して、固体構造中に正20面体クラスターを持つ場合があるが、そのクラスターは中心に原子を持たない12原子のものと、中心原子がある13原子のものの2種類が存在する。元素としては、周期律表の上で、金属結合するものと共有結合するものの境界に位置しており、固体としては、金属、半導体、絶縁体と様々な固体(化合物)がある。正20面体対称性は5回回転対称軸を持っており、周期性と共存できず、結晶の単位胞は必然的に大きくなり、単位胞が無限大になったと考えられる準結晶も存在する。これらの固体は、クラスターを固体の機能発現単位と考え、材料機能の設計や制御をクラスター・レベルで行おうとする試みのためのモデル物質と考えられる。ボロンの正20面体(B12)クラスター固体は、3中心結合という特異な共有結合を持ち、シリコンを初めとするsp3結合を主体とした半導体とは本質的に異なる半導体であり、高温熱電半導体等の新しい材料としても期待されている。本研究は、III族正20面体クラスターの結合の性質を分子軌道計算により明らかにすると共に、B12クラスター固体の電子密度分布と誘電関数を実験から求め、計算との対応から、固体の電子構造や物性をクラスターの性質から理解することを目的としている。論文は、6章より構成されている。 第1章は序論で、研究の背景となる従来の研究について概観し、本研究の目的と論文の構成について述べている。 第2章では、III族のボロンとアルミニウムにおいて、12原子と13原子の正20面体クラスターに対して分子軌道計算を行い、これらのクラスターの結合の性質が、金属的になったり、共有結合的になったりすることを明らかにしている。まず、半経験的分子軌道法であるMNDO法を用いて、正20面体クラスターの外部に他の原子を付加したときの安定位置を求めた。中心に原子があり充填率の高い13原子クラスターの場合は、剛体球パッキングから予想できる三角形面上で安定になる傾向があり金属結合的であるのに対し、充填率の低い12原子クラスターの場合(アルミニウムでは、さらに原子間距離を10%程度縮めた場合)は、その方向に結合の手が出ていると考えられる頂点原子上で安定になる傾向があり共有結合的であると結論している。さらに、これはIII族に特徴的な現象であり、II族のベリリウムやマグネシウムでは、中心原子の有無に関わらず、常に金属的であることを示している。次に、ガウシアンで展開した基底関数(6-31G*)を使う第一原理分子軌道法を用いて、電子密度分布やそのラプラシアンを計算し、何れも、金属的な場合はより一様で等方的であるのに対し、共有結合的な場合はより強い偏りが存在することから上記の結論を確かめた。この1原子の出入り等による金属結合-共有結合転換の起源として、正20面体クラスターに対しては反結合軌道的であり、頂点方向に付けた原子とは結合軌道的に振舞う一電子軌道の、電子による占有から非占有への変化を提案している。 第3章では、本研究の実験で使用したB12クラスター固体試料の作製について述べている。固体の電子構造や物性を、クラスターの性質から理解することを試みるため、結晶構造が最も単純で単位胞がB12一つだけで構成される菱面体晶ボロンと、B12クラスターが孤立した状態で存在するK2B12H12およびCs2B12H12イオン結晶を選んでいる。菱面体晶ボロンは、通常の方法では単体としての多形のもう一方の構造である菱面体晶ボロンが得られるため、作製が困難である。本研究でも、4つの異なる作製方法を試み、アモルファスボロンの熱処理によりのみ作製に成功している。B12H12のイオン結晶については、単結晶の作製に成功した水溶液からの結晶成長について述べている。 第4章では、前章で述べた二種類の試料について、軌道放射光を用いて測定した粉末X線回折パターンから、リートベルト法と最大エントロピー法を用いて電子密度分布を求め、その特異な結合を明らかにしている。また、第2章の結論が、固体中のクラスターについても成り立っていることを実験的に確認している。菱面体晶ボロンのクラスター内結合は、従来考えられてきた単純な3中心結合ではなく、3中心と2中心が共存しており、クラスターの極と赤道位置に高電子密度領域があることを明らかにした。一方、クラスター間2中心結合は折れ曲がっていることを明らかにし、その起源は、クラスター間3中心結合の存在のため、クラスターが結合の手を出そうとする擬5回軸方向間の角度と菱面体晶の軸角が一致しないためであると議論している。クラスター間3中心結合は、原子間距離がクラスター内より長いため、中心での電子密度が低く穴の空いたような形状をしていることを示した。何れにしろ、菱面体晶中のボロン12原子クラスターの電子密度は、原子間に密度の極大があり共有結合の特徴を持っているが、一方、桐原等による同じ方法で求めたAl12Re近似結晶中の13原子クラスター(アルミニウムの正20面体の中心にRe原子が存在する)の電子密度分布は、原子間に密度の極大が無く金属結合的であり、これらの結果は、第2章の結論の一部を、固体中のクラスターにおいて実験的に確認したことになる。 第5章では、B12H12イオン結晶試料について、軌道放射光を用いて測定した反射率スペクトルから、クラマース・クローニッヒ変換により誘電関数を求め、その虚部のスペクトルが、分子軌道計算から求めた遷移モーメントにガウシアンで幅を付けることにより、ほぼ説明できることを示した。また、菱面体晶ボロン、菱面体晶ボロン、アモルファス・ボロンを加えた4つの試料について、電子エネルギー損失分光スペクトルから求められた誘電関数と比較し、4つのスペクトルの形状が概ね似ていることを示した。紫外領域の光学的な性質やバンド構造は、第一に結晶構造に依存し、原子種への依存性はその次の段階であるという考え方もあるが、B12H12イオン結晶と同じ逆螢石構造をとるCaF2結晶の誘電関数スペクトルが、上記4つのスペクトルと全く異なることから、これらのスペクトルの概形はB12クラスターの電子構造で決まっていると結論している。 第6章は、総括である。 以上要するに、この研究は、III族正20面体クラスターの結合の性質が特異であることを明らかにし、正20面体クラスター固体の電子構造や物性を、クラスターの電子状態や結合から理解できることを提案し、実験的に確かめることに成功している。特に、III族正20面体クラスターに特有な現象として、一原子の出入り等の僅かな構造の差で、金属結合-共有結合転換が起こることを提案し、実験的にも確かめている。これらの結果は、固体機能をクラスター・レベルで理解し、クラスターを設計・制御することにより、材料機能を制御したり新材料開発を行うための、基礎研究と位置付けることができ、物質科学や材料学の発展に寄与するところが大きい。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |