学位論文要旨



No 114305
著者(漢字) 藤森,正成
著者(英字)
著者(カナ) フジモリ,マサアキ
標題(和) III族正20面体クラスターとB12クラスター固体の電子構造と結合
標題(洋)
報告番号 114305
報告番号 甲14305
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4431号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 木村,薫
 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 助教授 渡邉,聡
 東京大学 助教授 近藤,高志
内容要旨 1初めに

 準結晶及びフラーレンの発見以降、固体物理の中で正二十面体構造は一般的なものと認識され、特異な存在ではなくなってきた。ボロンは固体相で初めて正二十面体構造が見つかった物質である。その後の研究で多くのボロンリッチな固体が正二十面体構造(B12クラスター)を構造の基本要素としてもつことが分かった。その後、固体の性質の起源をB12の性質に求めるような議論が数多くなされてきたが、実際のところB12が有する性質で明らかになっているのは格子振動だけである。

 一方、準結晶の研究においてボロンと同じIII族のアルミニウムをベースにしたアルミ系正二十面体準結晶では、アルミ正二十面体の中心が空になったAl12クラスターが基本構造となっていることが分かってきた。これらの準結晶は、金属元素からできていながら極めて半導体的な電気的性質を持つことが知られている。このことは正二十面体の中心に原子があるアルミニウムクラスターからできている固体が金属であることと大きな違いを見せており、局所構造の相違が系の性質に現れていることを示唆している。正二十面体のB12からできている固体も全て半導体であること、近年になって数多く発見されつつあるIII族正二十面体を含んだZintl相にも同様な傾向が見られる。

 上記の様なことから、正二十面体クラスター単体の性質が固体全体の性質とどのように関連しているのか、どのように現れるのか、という問題意識に立ち、本研究では局所構造としてのクラスターの性質を明らかにすることを目標とした。

2III族正二十面体クラスターの結合性

 局所構造の性質を考える上では、化学結合が有効な視点になると考えられる。III族元素正二十面体固体のクラスター中心での原子の有無による結合の変化は系全体の性質に大きな影響を及ぼすことが予想できる。そこで、分子軌道計算によりクラスターの結合の性質を調べてみた。クラスターの外部に原子を付加し、最安定位置から推定した。付加位置は金属的な結合を有する場合に予想される面と、共有結合的な場合に予想される頂点を選び、その他に辺の中点についても計算した(図1)。最安定位置の結果を表1にまとめた。Al12は平衡状態から10%程原子間距離を縮める必要があるが、12原子の場合に頂点に、13原子の場合に面に付く傾向が強いことが分かる。実験では準結晶中のアルミニウム正二十面体内の原子間距離が短いほど抵抗率が高くなることが分かっており、最も短い原子間距離はfccアルミの2.86Åから10%程短い2.4Å程度のものが知られている。従って、Al12クラスターの計算で10%程度の原子間距離の縮小は実験と矛盾しない。

図1正二十面体クラスター上の付加原子位置表1最安定付加原子位置

 この様な局所領域での金属結合と共有結合の差はそれ程明確ではない。そこで、上記の様な計算に加えて電子密度、分子軌道の振幅、Baderらの理論に基づいた▽2(r)による解析なども併せて行った。その結果正二十面体クラスターの中心での原子の有無が結合を金属的か共有的かに分けていることが強く示唆される結果を得た。その理由及びアルミニウムクラスターにおいて原子間距離を標準的な値から10%程縮めなければならない理由は、その電子構造から説明された。III族の正二十面体ではクラスター外部との共有結合によって大きなエネルギーの利得を得ることの出来る一電子状態が存在する。この状態はクラスター内部に対しては反結合的に働くのに対し、クラスター外部との共有結合に対しては結合軌道となる。中心に原子がない場合この状態は空準位となり、クラスター外部に共有結合を作り安定化を図ることが出来る。それに対し、中心に原子がある場合はこの状態は占有状態となるため外部に共有結合を作る理由が無くなり、金属的な最密充填構造の方がエネルギーを稼ぐことが出来る。Al12クラスターでは平衡原子間距離においてはこの状態は占有されている。しかし、クラスター内部の原子間距離が短くなることにより、反結合的な性質を持つこの状態が高いエネルギーを持つようになり、クラスター外との相互作用で共有結合を作るようになるのであろう。なお、II属元素についての同様な計算ではこの様な特徴は認められず、III族元素の固有のものであることが示唆される。

3試料作製

 本研究では計算と実験を併せて行い、その両者の対応を検討して理解を深めることを試みた。以下で述べるように実験にはボロン及びB12H12クラスターからなる固体を使用した。ボロンは1950年代から存在が知られていたにも関わらず、作製が極めて困難であり、実験研究が非常に少ない。ここでは次のような4つの方法により作製を試みた。その結果も合わせて示す。

・BI3の熱分解

 BI3を850℃程度に熱したTaなどの基板上で熱分解する方法で、ボロンが初めて合成された方法である。抵抗加熱により実験を行い、相が不明な極めて小さな結晶を得た。原料の連続的供給が必要であることが分かり、常温で固体であるBI3はその点で装置に工夫が必要で不向きであると思われる。

・白金族元素を用いたフラックス法

 PtやPdとBの状態図が比較的単純な共晶系であることを用い、それらの状態図に従って温度条件や組成を変えた作成を行った。得られた結晶は出発組成から予想されるものとは異なる化合物相であった。両者の比重の違いが原因と思われ、単純なフラックス法にその影響を無くすような工夫が必要であろう。

・BCl3の水素還元

 上記のBI3の結果を基に原料を連続供給することを目的とした方法で、CVD法と同等である。BCl3、H2共に十分な注意が必要なガスであるため、装置の設計と作製に時間を取られてしまい、現時点ではようやく予備実験が可能になった段階である。

・アモルファスボロンの熱処理

 酸化を防ぐために石英に不活性ガスと共に封入し、1200℃前後で熱処理することにより、粉末試料ではあるが、再現性をもって作製することに成功した。

4電子密度分布

 上記の計算を実験によって確認するために、B12クラスターのみから構成されているボロンの電子密度分布を求めた。電子密度は放射光による粉末X線回折回折実験と最大エントロピー法による解析を利用している。極めて明瞭なボロンの電子密度を得ることができ(図2)、B12クラスターの共有結合性の確認の他に、今まで知られていなかったその特異な結合状態をも明らかにした。Siなどの典型的な共有結合では原子間を結ぶ直線上に結合が形成されるが、ボロン中のB12間共有結合では図に示すように結合の中央部で折れ曲がっている(図2(b))。これはB12クラスターが5回軸方向へ結合手を伸ばそうとする強い性質によるものと思われる。つまり、ボロンの格子ベクトルとそれに対応する2本の5回軸のなす角にずれがあり、そのずれと先の性質によって2つのB12から伸びた結合手が一致しないためであると思われる(図3)。ボロン中のその他の結合に比べ、この結合によって結ばれる原子間距離が短い。そのためにこの結合が強いと考えられてきたが、この結果及び結合を担う電子数のカウントからむしろB12内の結合がより強いことが分かった。

図2最大エントロピー法により求められたボロン電子密度の等値面。図3クラスター間の共有結合を担う原子を含む面での等高線。0.3-1.0eÅの範囲をステップ0.05e/Åで描いてある。点線が格子ベクトルで、太線が曲がった共有結合、細線がクラスター中心と結合を担う原子を結ぶ直線である。この直線の延長線上に結合があり、それが格子ベクトルとずれていることが分かる。
5B1212クラスターの持つ性質

 B12クラスターの持つ性質を調べるために、その性質が強く反映されるであろうB12H12クラスター固体の反射率を測定し誘電関数を調べた。試料はK2B12H12とCs2B12H12である。放射光を用いて4-40eVの範囲で反射率を測定し、6eV以下のエネルギー領域での分光光度計による絶対反射率の結果に接続することにより、価電子領域全体の絶対反射率を得た。Kramers-Kronig変換によって得られた誘電関数とクラスターの分子軌道計算から得た吸収スペクトルは極めて似ており(図4)、クラスター固有の性質を明らかにすることが出来た。更に、異なる結晶構造を持つB12固体に対する電子エネルギー損失分光(EELS)の結果との比較から、B12クラスター固体に共通な特徴が見て取れることが分かった。これは、例えばダイアモンド構造において結晶構造の類似が原子種の相違を越えて電子構造の類似をもたらすこととは異なり、B12の存在が結晶構造の相違を越えてスペクトルに類似点をもたらしており、B12クラスター固体の特徴であるといえる。

図4実験から求めた誘電関数の虚部と計算から求められた遷移モーメント。(a)K2B12H12(b)Cs2B12H12
6まとめ

 当初の目的に対し、次の様な結論を得た。

 ・ボロン及びアルミニウムの正二十面体クラスターでは、クラスター中心での原子の有無がクラスターを形成する結合の性質を、金属結合的なものか共有結合的なものかに分けている。このことはこれらのクラスターから構成されている固体のバルクとしての性質と合致しており、局所的な構造に依存した結合性が固体全体の性質に影響を及ぼしていることが示唆される。

 ・B12クラスターに起因した光学的な性質を実験的に明らかにした。その性質は結晶構造の相違を越えたボロン正二十面体クラスター固体に共通な特徴である。

審査要旨

 III族元素は共通して、固体構造中に正20面体クラスターを持つ場合があるが、そのクラスターは中心に原子を持たない12原子のものと、中心原子がある13原子のものの2種類が存在する。元素としては、周期律表の上で、金属結合するものと共有結合するものの境界に位置しており、固体としては、金属、半導体、絶縁体と様々な固体(化合物)がある。正20面体対称性は5回回転対称軸を持っており、周期性と共存できず、結晶の単位胞は必然的に大きくなり、単位胞が無限大になったと考えられる準結晶も存在する。これらの固体は、クラスターを固体の機能発現単位と考え、材料機能の設計や制御をクラスター・レベルで行おうとする試みのためのモデル物質と考えられる。ボロンの正20面体(B12)クラスター固体は、3中心結合という特異な共有結合を持ち、シリコンを初めとするsp3結合を主体とした半導体とは本質的に異なる半導体であり、高温熱電半導体等の新しい材料としても期待されている。本研究は、III族正20面体クラスターの結合の性質を分子軌道計算により明らかにすると共に、B12クラスター固体の電子密度分布と誘電関数を実験から求め、計算との対応から、固体の電子構造や物性をクラスターの性質から理解することを目的としている。論文は、6章より構成されている。

 第1章は序論で、研究の背景となる従来の研究について概観し、本研究の目的と論文の構成について述べている。

 第2章では、III族のボロンとアルミニウムにおいて、12原子と13原子の正20面体クラスターに対して分子軌道計算を行い、これらのクラスターの結合の性質が、金属的になったり、共有結合的になったりすることを明らかにしている。まず、半経験的分子軌道法であるMNDO法を用いて、正20面体クラスターの外部に他の原子を付加したときの安定位置を求めた。中心に原子があり充填率の高い13原子クラスターの場合は、剛体球パッキングから予想できる三角形面上で安定になる傾向があり金属結合的であるのに対し、充填率の低い12原子クラスターの場合(アルミニウムでは、さらに原子間距離を10%程度縮めた場合)は、その方向に結合の手が出ていると考えられる頂点原子上で安定になる傾向があり共有結合的であると結論している。さらに、これはIII族に特徴的な現象であり、II族のベリリウムやマグネシウムでは、中心原子の有無に関わらず、常に金属的であることを示している。次に、ガウシアンで展開した基底関数(6-31G*)を使う第一原理分子軌道法を用いて、電子密度分布やそのラプラシアンを計算し、何れも、金属的な場合はより一様で等方的であるのに対し、共有結合的な場合はより強い偏りが存在することから上記の結論を確かめた。この1原子の出入り等による金属結合-共有結合転換の起源として、正20面体クラスターに対しては反結合軌道的であり、頂点方向に付けた原子とは結合軌道的に振舞う一電子軌道の、電子による占有から非占有への変化を提案している。

 第3章では、本研究の実験で使用したB12クラスター固体試料の作製について述べている。固体の電子構造や物性を、クラスターの性質から理解することを試みるため、結晶構造が最も単純で単位胞がB12一つだけで構成される菱面体晶ボロンと、B12クラスターが孤立した状態で存在するK2B12H12およびCs2B12H12イオン結晶を選んでいる。菱面体晶ボロンは、通常の方法では単体としての多形のもう一方の構造である菱面体晶ボロンが得られるため、作製が困難である。本研究でも、4つの異なる作製方法を試み、アモルファスボロンの熱処理によりのみ作製に成功している。B12H12のイオン結晶については、単結晶の作製に成功した水溶液からの結晶成長について述べている。

 第4章では、前章で述べた二種類の試料について、軌道放射光を用いて測定した粉末X線回折パターンから、リートベルト法と最大エントロピー法を用いて電子密度分布を求め、その特異な結合を明らかにしている。また、第2章の結論が、固体中のクラスターについても成り立っていることを実験的に確認している。菱面体晶ボロンのクラスター内結合は、従来考えられてきた単純な3中心結合ではなく、3中心と2中心が共存しており、クラスターの極と赤道位置に高電子密度領域があることを明らかにした。一方、クラスター間2中心結合は折れ曲がっていることを明らかにし、その起源は、クラスター間3中心結合の存在のため、クラスターが結合の手を出そうとする擬5回軸方向間の角度と菱面体晶の軸角が一致しないためであると議論している。クラスター間3中心結合は、原子間距離がクラスター内より長いため、中心での電子密度が低く穴の空いたような形状をしていることを示した。何れにしろ、菱面体晶中のボロン12原子クラスターの電子密度は、原子間に密度の極大があり共有結合の特徴を持っているが、一方、桐原等による同じ方法で求めたAl12Re近似結晶中の13原子クラスター(アルミニウムの正20面体の中心にRe原子が存在する)の電子密度分布は、原子間に密度の極大が無く金属結合的であり、これらの結果は、第2章の結論の一部を、固体中のクラスターにおいて実験的に確認したことになる。

 第5章では、B12H12イオン結晶試料について、軌道放射光を用いて測定した反射率スペクトルから、クラマース・クローニッヒ変換により誘電関数を求め、その虚部のスペクトルが、分子軌道計算から求めた遷移モーメントにガウシアンで幅を付けることにより、ほぼ説明できることを示した。また、菱面体晶ボロン、菱面体晶ボロン、アモルファス・ボロンを加えた4つの試料について、電子エネルギー損失分光スペクトルから求められた誘電関数と比較し、4つのスペクトルの形状が概ね似ていることを示した。紫外領域の光学的な性質やバンド構造は、第一に結晶構造に依存し、原子種への依存性はその次の段階であるという考え方もあるが、B12H12イオン結晶と同じ逆螢石構造をとるCaF2結晶の誘電関数スペクトルが、上記4つのスペクトルと全く異なることから、これらのスペクトルの概形はB12クラスターの電子構造で決まっていると結論している。

 第6章は、総括である。

 以上要するに、この研究は、III族正20面体クラスターの結合の性質が特異であることを明らかにし、正20面体クラスター固体の電子構造や物性を、クラスターの電子状態や結合から理解できることを提案し、実験的に確かめることに成功している。特に、III族正20面体クラスターに特有な現象として、一原子の出入り等の僅かな構造の差で、金属結合-共有結合転換が起こることを提案し、実験的にも確かめている。これらの結果は、固体機能をクラスター・レベルで理解し、クラスターを設計・制御することにより、材料機能を制御したり新材料開発を行うための、基礎研究と位置付けることができ、物質科学や材料学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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