学位論文要旨



No 114309
著者(漢字) 榮長,泰明
著者(英字)
著者(カナ) エイナガ,ヤスアキ
標題(和) 光分子性磁性材料-57Feメスバウアー分光法による評価と新規複合機能材料の設計
標題(洋) Molecule-based Photo-magnets : Characterization by57Fe Mossbauer Spectroscopy and Design of New Composite Materials
報告番号 114309
報告番号 甲14309
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4435号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 助教授 水野,哲孝
内容要旨

 分子レベルでの設計や合成が可能である分子性磁性材料は、新規な機能をもつ磁性材料の開発が期待できることから、近年その研究がさかんである。なかでもプルシアンブルー類似体は金属とシアノ基が交互に並んで三次元面心立方構造をとっており、金属を幅広く選択できるなど機能性磁性材料としての多くの可能性を秘めている。また一方で、機能性脂質二分子膜の層間を利用して別の機能を有する分子を複合化することは、新規な機能を引き出す戦略として有効である。

 本研究では、まずプルシアンブルー類似体について、外場(光、電気、熱、化学的環境、磁場)による磁気特性の制御を試みると同時に、57Feメスバウアー分光法を有効に用いてそれらの機構についての検討を行った。57Feメスバウアー分光法により化合物中の鉄の電子状態について直接の情報を得、光磁気効果をはじめとする現象の機構を明らかにした。さらに、光異性化するアゾベンゼンを含む二分子膜(ベシクル)中にプルシアンブルーを複合化し、その磁気特性を評価した。その結果、二分子膜の可視光、紫外光照射によるシス-トランス異性化に伴い、その磁気特性を可逆に制御することに成功した。

光磁性材料プルシアンブルー類似体の57Feメスバウアー分光法による評価

 プルシアンブルー類似体は粉末または薄膜として作製した。粉末は金属のシアノ錯体ともう一方の金属の水溶液を混合してその沈殿を得、薄膜はそれらを水溶液中で定電位電解して電極上に作製した。赤外吸収(IR)、紫外可視吸収(UV-vis)測定は室温または低温で行い、磁気特性の評価はSQUIDを用いた。メスバウアー測定は57Co/Rhを線源として透過法により行い、必要に応じて57Feによる試料の濃縮合成も行った。

コバルト-鉄シアノ錯体

 フェリシアン化カリウムと硝酸コバルトを水溶液中で定電位電解し、薄膜としてコバルト-鉄シアノ錯体(K0.4Co1.3[Fe(CN)6]・5H2O)を合成した。これは常磁性的特性を示し、磁気転移が観測されない。ところが、この錯体に低温(5K)で可視光照射(500〜750nm)を行うと、磁化の増大が観測され磁気転移温度26Kをもつフェリ磁性体となる。また、その光により生じたフェリ磁性的特性は近赤外光(1319nm)を照射することによりもとの常磁性的特性にもどる。すなわち、波長の異なる光により磁気特性を可逆的に制御することができる。CN伸縮振動を示すIRスペクトル(20K)は、光照射前後で2120cm-1,2160cm-1付近にそれぞれ特徴的なピークを示し、光照射によって鉄-コバルト間で電子状態に変化があったことを示している。そこで、30Kにおけるこの錯体に対する可視光照射の効果を示すメスバウアースペクトルを測定した(図1ab)。光照射前にはFe(II)(low spin)を示すピーク(IS=-0.07mm/s,QS=0.00mm/s)のみが見られるが(図1a)、可視光照射後に測定した場合にはFe(III)(low spin)を示す2本ピーク(IS=-0.12mm/s,QS=1.02mm/s)が新たに観測され(図1b)、IR吸収の変化とあわせて、可視光照射によりコバルト-鉄間で電子が移動しFeII-CN-CoIII(low spin)からFeIII-CN-CoII(high spin)へと電子状態が変化したことがわかる。さらに、磁気転移温度(Tc)以下(11K)における同様な測定を行うと、光照射後にはFe(III)を示す成分が線幅の増大した磁気的な成分として観測される(図1c)。3Kで同様な測定を行うと、磁気的成分はより線幅が広がったものとして観測され、6本の磁気分裂成分が観測されるほどの大きな内部磁場はないことがわかる(図2)。

Fig.157Fe Mossbauer spectra of K0.4Co1.3[Fe(CN)6]・5H2O(a)before illumination at 30 K,(b)afler visible light illumination at 30 K,and(c)after visible light illumination at 11 K.Fig.257Fe Mossbauer spectra of K0.4Co1.3[Fe(CN)6]・5H2O at 3 K before(●)and after(○)visible light illumination.

 格子間位置でのアルカリ陽イオンがNa+の薄膜(Na0.4Co1.3[Fe(CN)6]・5H2O)を合成してそのT曲線を調べると、ヒステリシスをもつ室温付近でのスピン転移現象が観測される。一方、K0.4Co1.3[Fe(CN)6]・5H2Oについては室温付近でのの相転移は観測されない。磁化率の測定結果に矛盾せず、K0.4Co1.3[Fe(CN)6]・5H2Oのメスバウアースペクトルには顕著な温度依存性は見られない。ところが、このNa0.4Co1.3[Fe(CN)6]・5H2Oのメスバウアースペクトルの温度変化を測定すると、240K以下ではFe(II)(low spin)を示す1本ピーク(IS=-0.07〜-0.02mm/s,QS=0.00mm/s)のみ観測されるが、250Kを越えるとFe(III)(low spin)を示す2本ピーク(IS=-0.14〜-0.11mm/s,QS=0.85〜1.07mm/s)が現れ始める。この変化は磁化率の測定と一致しており、熱によるスピン転移を伴う相転移は、FeII-CN-CoIII(low spin)とFeIII-CN-CoII(high spin)との間の電子状態の変化によるものであるということが明らかになった。

コバルト-鉄ペンタシアノアンミン錯体

 CN配位子の一つをNH3に置換したFe(CN)5NH3と、コバルトの水溶液と混合して粉末のコバルト-鉄ペンタシアノアンミン錯体(Co[Fe(CN)5NH3]・6H2O)を合成した。この錯体Co[Fe(CN)5NH3]・6H2Oの室温のメスバウアースペクトルには2組の2本ピークが観測され、これらはそれぞれFe(II)(low spin)、Fe(III)(low spin)に帰属されることから、鉄の電子状態はこれらの混合であることがわかる。また、磁気転移温度(Tc=11K)以下ではフェリ磁性となるが、4Kのメスバウアースペクトルにはやはり線幅の増大した磁気的成分が観測される。さらに、この結晶水を脱離させたCo[Fe(CN)5NH3]・3H2Oは磁気転移温度をもたない常磁性的特性を示し、メスバウアースペクトルに顕著な温度依存性はみられない。脱水後の室温のメスバウアースペクトルを解析すると、脱水によりコバルト-鉄間の電子移動が起こったこと、3次元構造が壊れて部分的にアモルファス状態になり化学的に単核のFeIII(CN)5NH3に近い状態になった成分が含まれることなどが示唆された。

鉄-クロムシアノ錯体

 電気化学的に薄膜として合成したFe1.5II[CrIII(CN)6]・7.5H2Oは光照射により磁化が減少する。磁気転移温度(Tc=21K)以上の常磁性領域(77K)でのメスバウアースペクトルにはFe(II)(high spin)を示す2組の2本ピークが観測されるが、Tc以下(11K)では磁気分裂成分によりそれぞれの線幅が広くなり、あたかも1組の2本ピークになったかのように重ね合って見える。この試料に可視光照射を行いメスバウアースペクトルを測定すると、常磁性領域での測定と同様な2組の2本ピークが観測される。光照射により、鉄の電子状態はFe(II)(high spin)に変わりはなく、光化学的に電子移動やスピン転移は起こっていないことがわかる。一方、スペクトルの線幅の変化から、光照射後にはFeIIとCrIIIのスピン間には相互作用がないことがわかる。この結果から、FeII-CrIII間の強磁性的相互作用の強さは光照射により弱まることが示唆された。

プルシアンブルー磁性体を含む新規光機能性複合ベシクルの設計

 両親媒性二分子膜として[CH3(CH2)11]2(CH3)2N+Br-(ベシクル)を用い、合成したアゾベンゼンを含むC12AzoC5N+Br-とポリビニルアルコールとの複合膜を、キャスト法によりガラス基板上に作製した。水中でのイオン交換により単核の[FeIII(CN)6]3-を取り込み、その後、FeIICl2水溶液に含浸して、プルシアンブルーの複合化を行った。材料の評価はXRD、IR、UV-vis、エネルギー分散型X線検出器(EDS)を用いたSEM観察、磁気特性の評価はSQUIDにより行った。

フィルムの光異性化

 キャスト法によりガラス基板上に作成した[CH3(CH2)11]2(CH3)2N+Br-(ベシクル)とC12AzoC5N+Br-のみの二分子膜は光照射を行っても吸収スペクトルの変化はほとんどないが、ポリビニルアルコールとの複合フィルムを作製することにより、固体中でも室温での光照射によりシス-トランス異性化が観測される。低温(12K)においては、初期状態トランス体のフィルムに光照射を行ってもスペクトルに変化は見られない。ところが、室温で紫外照射を行ってシス体にした後、12Kに冷却したフィルムに可視光照射を行うとシス-トランス異性化が観測される。これは、初期状態としてのシス体がより大きな異性化のための自由スペースをもっているためであると考えられる。さらに、異性化したトランス体は再び紫外光を照射することによって約60%シス体に戻り、その後はこの範囲では可逆にシス-トランス光異性化が観測される。

磁気特性の光制御

 EDSを用いたSEM観察、UV-vis、メスバウアー測定から、コンポジットフィルム中に複合化したプルシアンブルーはベシクル(直径1000-5000Å)の内部に存在していることがわかる。このプルシアンブルーを複合したコンポジットフィルムは磁気転移温度(Tc=4.2K)をもつ強磁性的特性を示す。このフィルムに室温で紫外光照射を行い二分子膜をシス体にした後、2Kで可視光照射を行うと磁化が大きく増大した。さらにこの増大した磁化は紫外光を照射すると再び減少し、紫外-可視光照射により可逆に磁化を制御できることがわかった(図3)。

Fig.3 Changes in the magnetization for the composite film induced by visible light(solid arrow)and UV light(dashed arrow)at 2 K with an external magnetic field of 5 G.

 ここで、アゾベンゼン分子のシス-トランス異性化とベシクルの構造変化の関係を調べるため、フィルムの濁度(662nmの吸光度)変化を測定した。アゾベンゼン分子のシス-トランス構造異性化に起因する吸収は662nm付近に見られないため、この波長の吸収変化はベシクルの散乱光の変化、すなわちベシクルの構造変化を反映すると考えられる。トランス体における濁度は、紫外光照射により減少し(シス体)、再び可視光を照射すると回復した。この変化は、アゾベンゼンの光異性化に伴ってベシクルの構造が変化することによるものと示唆され、そのことにより二分子膜、プルシアンブルー間の静電的相互作用に影響するものと考えられる。

 本研究では、コバルト-鉄シアノ錯体の光磁気効果などプルシアンブルー類似体にかかわる機構を57Feメスバウアー分光法を用いることによって明らかにし、さらに機能性の有機分子中に分子性磁性材料を複合化して新たな機能を付加することに成功した。近年、光応答性などの新たな機能を有する分子性磁性材料の開発は活発化しており、磁性材料に限らず、このような複合化により純粋な有機物や無機物ではみられない新たな機能を発現させる試みは、今後積極的になされるものと考えられ、本研究でその可能性を示すことができた。また、そのような新たな機能性材料の開発が積極的になればなるほど、それらの基礎的な機構の解明もますます重要になってくると考えられ、その点において、メスバウアー分光法も化合物中の金属の電子状態について直接の情報を与えるという利点を生かし、積極的に利用されるものと考えられる。

審査要旨

 本論文は五章より構成されており、分子性磁性材料としてのプルシアンブルー類似体の57Feメスバウアー分光法を用いた評価と、人工脂質二分子膜を用いた新規複合機能材料の設計について述べている。第一章では問題の設定と研究の方向付けがなされ、第二章以降に具体的な研究成果を示している。最後の章は全体の総括と研究に関する将来展望を述べている。

 第一章は序論であり、前半では分子性磁性材料が近年積極的に研究されるようになってきた背景と、その特徴を述べている。また、分子性磁性材料の開発の際にはその評価が不可欠であるにもかかわらず、未だ研究の初期段階にあるため、機構等の解明が不十分であることを指摘している。次にその分子性磁性材料を利用した新規複合機能材料として、機能性有機化合物を複合する試みの有用性を提示しており、新規材料開発という観点から、この試みが多くの可能性を有していることを述べている。

 第二章では、プルシアンブルー類似分子性磁性材料の57Feメスバウアー分光法を用いた評価について具体的に述べている。はじめに、分子性磁性材料の評価において、遷移金属の電子状態、スピン状態を直接反映する57Feメスバウアー分光法の有用性について記述している。次に、機能発現のメカニズムを具体的に評価した錯体について解析している。はじめに、光誘起磁気転移の観測されるコバルト-鉄シアノ錯体については、光照射で誘起された鉄-コバルト間の分子内電子移動により生じたスピンが磁性を発現させているということを明らかにしている。配位子を置換したコバルト-鉄ペンタシアノアンミン錯体については、脱水によりやはり分子内電子移動が起こることなどを明らかにし、さらには、光照射により磁化が減少する鉄-クロムシアノ錯体については、光照射が磁気交換相互作用の大きさに変化を与えているということを、それぞれ57Feメスバウアー分光法から直接に明らかにしている。

 第三章では、コバルト-鉄シアノ錯体の光誘起磁化における外部磁場の効果について検討している。磁気特性の新しい外場による制御を目指し、外部磁場を適用した結果について述べている。強磁場下では、光誘起磁化過程でスピンの生成量が多くなることを明らかにし、協同的相互作用の存在を示唆している。

 第四章では、光異性化するアゾベンゼンを含む二分子膜(ベシクル)中に分子性磁性材料としてのプルシアンブルーを複合化した、光機能性複合材料の設計について述べている。二分子膜の可視、紫外光照射によるシス-トランス異性化に伴って磁気特性を制御することに成功したという結果は、磁性材料のみならず、機能性材料の複合化によって、純粋な有機物や無機物ではみられない新たな機能を発現させ得る大きな可能性があることを示唆している。

 第五章では、本研究で得られた結果の総括および将来への展望を述べている。この中で、無機-有機複合材料のような方法で新たな機能を発現させる試みが材料科学の分野への更なる発展につながる可能性を示唆している。

 本論文における結果は、材料科学の分野において、新機能の創製という観点できわめて有益な知見を与えるものである。さらには、そのような機能性材料の開発に伴い、メスバウアー分光法をはじめとするそれらの基礎的な機構の解明がきわめて有用となることも示しており、基礎、応用いずれの見地からも高く評価でき、かつこれらの分野における今後の発展に寄与するものと認められる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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