学位論文要旨



No 114310
著者(漢字) 野崎,知香
著者(英字)
著者(カナ) ノザキ,チカ
標題(和) 鉄置換ケイタングステン酸塩による炭化水素の選択酸化に関する研究
標題(洋)
報告番号 114310
報告番号 甲14310
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4436号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御園生,誠
 東京大学 教授 藤元,薫
 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 篠田,純雄
 東京大学 助教授 水野,哲孝
 横浜国立大学 教授 辰巳,敬
内容要旨 1.緒言

 ヘテロポリ酸は、その構成元素を種々の金属イオンで置換することにより、活性点を設計できる。一方、過酸化水素や分子状酸素は環境に無害な酸化剤であるため、それらを酸化剤とした炭化水素の酸化が注目されている。

 本研究では、鉄0〜3置換Keggin型タングストケイ酸塩(Fig.1参照)の合成を行い、それらを触媒として過酸化水素や分子状酸素による炭化水素の酸化を行い、その活性、選択性、過酸化水素の有効利用率などの点から鉄サイトのもつ特長を明らかにすることを目的とした。

Fig.1.Polyhedral representation of (A)-SiW12O404-.(B)-SiW11Fe(OH2)O395-. (C)-SiW10{Fe(OH2)}2O386-,and(D)-SiW9{Fe(OH2)}3O377- Keggin-type polyoxometalates. Iron atoms are reprtsented by shaded octahedra. WO6 octahedra occupy the white octahedra and an SiO4 group is shown as the intemal tetrahedron.
2.実験

 鉄の0〜3置換Keggin型タングストケイ酸塩、[-SiW12O40]4-、[-SiW11{Fe(OH2)}O39]5-、[-SiW10{Fe(OH2)}2O38]6-、[-SiW9{Fe(OH2)}3O37]7-は既報2)により、あるいは新規3)に合成した。対カチオンはテトラブチルアンモニウムとした。キャラクタリゼーションは、UV-vis、FT-IR、183WNMR、TG/DTA、元素分析、ESR、FAB-MS、メスバウアー、磁化率などで行い、組成および構造を確認した。酸化反応は、Ar雰囲気下、基質1000mol、酸化剤1000molまたは200mol、触媒8molの条件下で行った。反応は、溶媒にアセトニトリルを用い、32-83℃で96h行った。分析は、GC(FID,Capillary Column TC-WAX,30m)で行った。反応後の溶液中の過酸化水素量は、Ce4+/Ce3+滴定で求めた。

3.鉄二置換タングストケイ酸塩の合成[-SiW10{Fe(OH2)}2O38]

 6-は、-Keggin型二欠損ヘテロポリ化合物、[-SiW10O36]8-2)と硝酸鉄を酸性水溶液中で混合することにより合成した。精製は、アセトニトリル/水からの再沈殿を繰り返すことにより行った。収率は37%であった。183W NMRスペクトルは、-1334と-1847ppmに強度比が2:1の2本線スペクトルを示した。このスペクトルパターンは、既に構造が報告されているマンガン二置換体4)のものと一致しており、置換された2個の鉄は陵共有した2核サイト(Fig.1(c)参照)であると推論した。さらに、UV-vis、FT-IRスペクトル結果より、この化合物はC2v対称の-Keggin型構造を保持していることを確認した。また、磁化率,ESR,メスバウアー,UV-visスペクトルより、置換された2個の鉄は等価であり、3価の高スピン状態であることがわかった。

4.過酸化水素を酸化剤とする選択的酸化反応[-SiW10{Fe(OH2)}2O38]

 6-を触媒としたシクロヘキサンの酸化反応の主生成物は、シクロヘキサノールとシクロヘキサノンであった。誘導期は観測されなかった。ビシクロヘキシルの量は極めて少量であった。96h後のシクロヘキサン基準の転化率は25%、TON(ターンオーバー数)は53であった。この時、シクロヘキサノールとシクロヘキサノンの選択率はそれぞれ32%と68%であった。過酸化水素の有効利用率([アルコール]+2[ケトン]/[消費した過酸化水素])は約100%であった。気相に酸素はほとんど観測されなかった。これまでに報告されている過酸化水素の有効利用率は、Fe(PA)2/py/CH3OOH systemの85%5)が最高であり、アルカンの酸化で100%という高い過酸化水素の有効利用率はこれまで報告されておらず、鉄二置換体の利用率が極めて高いことがわかった。

 鉄二置換体を触媒として種々のアルカンおよびアルケンの酸化反応を行った。結果をTable 1に示す。アルカンの酸化において、アダマンタン、シクロヘキサンのみならず、n-ヘキサン、n-ペンタン、さらにメタン酸化も触媒的に進行した。さらに,シクロヘキサン、アダマンタンの酸化に対して、鉄二置換体の過酸化水素の有効利用率がほぼ100%であったばかりでなく、n-ヘキサン、n-ペンタンの酸化においても、高い過酸化水素有効利用率を示した。またアルケンの酸化において、シクロオクテン、2-オクテン、1-オクテン、シクロヘキセン、スチレンのいずれの基質の酸化に対してもエポキシドが主生成物であり、誘導期は観測されなかった。24h後のシクロオクテン、2-オクテン、1-オクテン、シクロヘキセンの酸化に対するエポキシドの選択性はそれぞれ96、89、85、48%であった。24h後には過酸化水素は完全に消費し、反応は停止した。シクロオクテン、2-オクテン、シクロヘキセンの過酸化水素の有効利用率は92%以上の高い値となった。これまで報告されているアルケンの酸化の有効利用率は、鉄錯体の中ではFe(PA)2(PA=picolinic acid)の59%5)が最高であり、またアルカンの酸化において高い有効利用率を示すGif systemは、アルケンの酸化に対しては不活性であることが報告されていることから、6)鉄二置換体が他の鉄触媒に比べて高い有効利用率を示すことがわかった。以上より、鉄二置換体はアルケン、アルカンの両方の酸化に対して有効であると結論した。

Table 1.Oxidations of Alkanes and Alkenes with Hydrogen Peroxide Catalyzed by [-SiW10{Fe(OH)2}2O38]6-at 32℃Table 2.Oxidation of Cyclohexane with Hydrogen Peroxide Catalyzed by Various Catalystsa

 活性は鉄の置換量に大きく依存した。結果をTable2に示す。ここで他の触媒の活性が低いため反応は83℃で行った。鉄二置換体では、シクロヘキサン転化率が66%、過酸化水素の有効利用率が95%となった。83℃に反応温度を上げても、過酸化水素の有効利用率は95%と高い値を示した。他の触媒の有効利用率は41%以下であり、鉄二置換体に比べて著しく低かった。

 さらに活性を比較すると、鉄二置換体が他の触媒の9倍以上であり、反応活性および過酸化水素の有効利用率は著しく活性点構造依存性を示した。このような触媒作用の構造依存性は、メタンモノオキシゲナーゼやGif systemでも報告されている。

 反応機構に関しては、(1)反応初期に誘導期が観測されなかったこと、(2)ビシクロヘキシルがほとんど生成しなかったこと、(3)ラジカル捕捉剤の添加により活性低下がみられなかったことなどから、本反応系は非ラジカル的な機構で進行していると推測している。また、シクロヘキサン-h12/シクロヘキサン-d12の同位体効果、kH/kDが3.3だったことから、C-H結合の水素引き抜きが律速段階に関与していると推定した。

5.触媒の安定性

 シクロヘキサンの酸化反応前後のスペクトルはどちらも275nm(22600M-1cm-1)と334nm(10000M-1cm-1)に-Keggin型構造に特有のバンドを示しており、反応前後でピーク位置および強度がほとんど変化しなかったことから、反応後も触媒は-Keggin構造を保持していた。また反応後の触媒のFT-IRスペクトルが反応前のものとほぼ一致したことからも、触媒が本反応条件下で安定であることを支持した。さらに,鉄二置換体のアセトニトリル溶液に過剰の過酸化水素を加え、UV-visおよび183W NMRで観測した結果、過酸化水素添加前後で-Keggin型構造特有のスペクトルパターンに変化がなかったことから鉄2置換体は過酸化水素に対して安定であることが示唆された。

6.分子状酸素を酸化剤とする選択的酸化反応

 鉄二置換体を触媒とした1気圧の分子状酸素を酸化剤とするシクロヘキサンの酸化反応で、96時間後のターンオーバー数は135-147を示し、これまでに報告されている1気圧の分子状酸素を酸化剤としたシクロヘキサンの酸化におけるTONよりも高い値を示すことがわかった。

【参考文献】(1)A.C.Rozenzweig et al.,Nature,1993,366,537.(2)(a)W.G.Klemperer et al.,Inorg.Synth.,1990,27,71.(b)F.Zonnevijlle et al.,Inorg. Chem.,1982,21,2751.(c)J.Liu et al.,J.Chem.Soc.,Dalton Trans.,1992,1901.(3)N.Mizuno et al.,J.Am.Chem.Soc.,1998,120,9267.(4)X.Zhang et al.,Inorg.Chem.,1996,35,30.(5)C.Sheu et al., J.Am.Chem.Soc.,1990,112,1936.(6)A.E.Shilov et al.,Chem.Rev.,1997,97,2879.【発表状況】

 [論文](1)J.Am.Chem.Soc.,1998,120,9267.(2)J.Mol.Catal.A.,1996,114,181.(3)Chem.Lett.,1998,1263.(4)J.Am.Chem.Soc.,submitted.(5)J.Catal.,in press.

 [参考論文](1)J.Organometal.Chem.,1995,505,23.(2)J.Organometal.Chem.,1997,533,153.(3)Bull.Chem.Soc.Jpn.,1997,70,1369.(4)J.Mol.Catal.A.,1997,117,159.(5)J.Catal.,in press.(6)Res.Chem.Intermed,submitted.

審査要旨

 本論文は、「鉄置換ケイタングステン酸塩による炭化水素の選択酸化に関する研究」と題し、鉄の置換数が異なるケイタングステン酸塩を合成し、炭化水素の酸化反応に対する鉄の活性点構造のもつ触媒機能および反応機構について検討して得た新しい知見をまとめたもので、全4章からなる。

 第1章では、炭化水素の選択酸化の重要性とポリオキソメタレートを利用した最近の活性点設計の動向にふれ、ポリオキソメタレートと有機配位子を有する酵素モデル錯体の安定性を比較し、ポリオキソメタレートを用いた活性点構造の創成と触媒の開発の意義を述べている。

 第2章では、新規もしくは既知の遷移金属(鉄、マンガン、銅)置換ケイタングステン酸塩の合成法とその同定法について述べている。新規に合成した鉄二置換ケイタングステン酸塩は、全元素分析、熱分析、酸・塩基滴定から得られた化合物の組成を確認し、核磁気共鳴、赤外、紫外、ラマン、メスバウアー、磁化率測定から得られた化合物はC2v対称の-ケギン型構造を保持していること、鉄の酸化状態が3価であること、二個の鉄-鉄間には弱い反強磁性相互作用が存在すること、を明らかにした。

 第3章では、鉄一〜三置換ケイタングステン酸塩を触媒とした過酸化水素を酸化剤とする炭化水素の酸化について検討し、活性、過酸化水素の有効利用率が鉄の構造に大きく依存していることを明らかにした。なかでも鉄二置換ケイタングステン酸塩は、炭化水素の酸化に対し高い過酸化水素の有効利用率を示すことを見出した。さらに、繰り返し過酸化水素を添加しても同じ活性を示すこと、反応前後の紫外スペクトルが変化しないことなどから、鉄二置換ケイタングステン酸塩は反応中もその構造を保持していると結論している。シクロヘキサンの酸化ではビシクロヘキシルがほとんど生成しなかったこと、シス-スチルベンの酸化において、エポキシドのシス/トランス選択性が76:24で概ね立体選択性が保持されていたこと、ラジカル捕捉剤を添加しても活性低下がみられなかったこと、反応に誘導期が観測されなかったことから、反応は主に非ラジカル的機構で進行していると推論している。またシクロヘキサン酸化反応の同位体効果および反応速度式の検討より、C-H結合の水素引き抜きが反応の律速段階であると推定している。

 第4章では、鉄一〜三置換ケイタングステン酸塩を触媒とした分子状酸素を酸化剤とするアルカンの酸化について検討し、鉄二置換ケイタングステン酸塩がシクロヘキサンの酸化において高いターンオーバー数を示すこと、反応中も安定であることを明らかにした。また本系の活性も鉄置換数に依存し、鉄二置換ケイタングステン酸塩が最高活性を示すことを明らかにした。

 以上、本論文では新規な鉄二置換ケイタングステン酸塩の合成法を確立し、その組成および構造を確認した上で、鉄置換数の異なる触媒の物性を比較し、過酸化水素を酸化剤とした炭化水素の酸化に対して鉄二置換ケイタングステン酸塩が高い活性、過酸化水素有効利用率を示すこと、過酸化水素存在下でも安定であること、反応機構は主に非ラジカル機構で進行しており、C-H結合の水素引き抜きが反応の律速段階に関与していること、分子状酸素を酸化剤としたアルカンの酸化に対しても高いターンオーバー数を示すこと、を明らかにしている。鉄の構造が炭化水素の酸化活性に大きく影響し、酸素陵架橋した二核の鉄サイトが反応に有効であるという知見は、原子レベルで活性点構造を構築し、その構造と触媒作用の関係を明らかにした点で、触媒化学、無機化学に貢献するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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