学位論文要旨



No 114315
著者(漢字) 金,有洙
著者(英字)
著者(カナ) キン,ユスウ
標題(和) フラーレンの構造及び物性の光制御
標題(洋) Optical manipulation of fullerene-based materials
報告番号 114315
報告番号 甲14315
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4441号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 澤田,嗣朗
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 助教授 宮山,勝
 東京大学 講師 中野,晴之
内容要旨

 C60の大量合成法が確立されて以来、C60及びその関連物質の研究が現在にわたって幅広くなされている。なかでも特に、アルカリ金属ドープによる超伝導性や有機アミンとの電荷移動錯体における強磁性など、さまざまな機能を有する新規材料としての研究開発が盛んである。また、C60の光誘起過程に関する研究も活発に行われており、その典型的な現象として、バンドギャップ以上の光照射による光重合及び光誘起酸化などが多数報告されている。本論文では、C60の光学的特性に基づいた光機能性分子材料としての可能性を広く検討することを目的として、C60や関連化合物の構造及び物性の光制御を試みた。

 本論文は、(1)C60のエピタキシャル膜の成長パターン及び表面構造を走査型原子間力顕微鏡を用いた詳細な観察による、C60結晶表面の構造的特性、(2)C60単結晶における光励起表面分子再配列に伴う超構造の生成の発見と、その構造及び形成メカニズムの研究、C60化合物の物性の光制御、特に、紫外線の照射による(3)K3C60の超伝導性及びTDAE-C60の磁気特性変化の研究から成り立っている。

C60エピタキシャル膜の表面構造観察及び成長制御

 まず、固体C60の表面構造を詳細に把握するため、本研究では、様々な厚さを持つエピタキシャル膜を作製し、その成長パターン及び表面現象を観察した。

 C60粉末をタンタルボートの上に置いて加熱し、KBr(001)基板の上に真空蒸着させて作製したC60エピタキシャル膜の表面構造を走査型原子間力顕微鏡(AFM)を用いての観察した。

 KBrを基板としたC60のエピタキシャル成長は、基板との格子整合条件に従わずに自ずからファンデルワールス界面を形成しながら自分自身の格子定数を持って成長することが観測された。また、蒸着速度を変化させることにより膜の結晶面を制御することに成功した。作製したC60エピタキシャル膜の表面をAFMにより観察すると、これまでに報告のない多くの特異な表面現象が見られた。まず、厚さ数十nmの膜を作製した際は基板の全面が完全には覆わらず、凹型上面や五重双晶、らせん転位などの結晶格子欠陥が観察された。また、厚さ数百nmの膜の場合、らせん転位によるらせん型結晶成長を見出した。さらに、面心立方構造と六方最密構造との表面相転移による部分転位線を分子レベルで観察し、その詳細な解析を行った(図1)。

図1.(a)転位線を中心とした分子レベルAFM像。右上はフリエー変換像。(b)一本の転位線の断面図。(c)表面相転移による部分転位の模式図。表面の分子配列の、面心立方構造から六方最密構造への連続的な移動を示す。
C60単結晶の表面構造の光制御

 C60単結晶の表面光物理過程と表面光化学反応を通して起こる固体表面相転移に着目し、その直接観察と光による制御を目的として研究を行った。

 C60単結晶は、C60粉末を真空にした石英アンプルの一端に置き両端の温度を精密に制御しながら下降させて良質な単結晶を作製した。得られた単結晶の平均直径は約2〜5mmである。光照射は様々な波長を持つ半導体レーザを使用し、NDフィルターを用いて光強度を制御した。表面構造の観察は、AFMを用いて行った。

 C60単結晶の(111)面に、バンドギャップ(2.3eV)より低いエネルギーである赤色光(670nm,1.8eV)を照射したところ、互いに60度を成す[112]方向に線状の超構造が観察された(図2a)。室温付近におけるC60の面心立方構造は、六方最密構造より約0.9kcal/mol安定であり、この値は熱エネルギーに比べて十分小さいため表面分子が容易に動けると考えられる。したがって、光励起により不安定な六方最密構造を安定な面心立方構造が囲むように互いに孤立した超構造が形成されたと考えられる。また同様に(001)面に光照射を行うと、[010]方向に直交する線状の超構造が観察された(図2b)。金属の(100)面での表面相転移と同様、正方格子である最表面の分子配列が最密集相である六方格子をとるように再配列したものと考えられる。このように、バンドギャップ以下の光照射による光励起表面分子再配列現象は従来の光化学反応とは全く異なり、フレンケル励起子の集団的な励起に起因することで説明できる。そして、このような現象は分子性結晶においての表面光物理過程の極明な例として理解できる。偏光と励起分子の分極との相互関係を調べるために偏光を照射したところ、超構造は偏光に垂直な方向に形成され、励起分子の運動方向は偏光の電場に平行であることがわかった。さらに、超高真空中(10-10Torr)での光照射でも同じような超構造を形成することができ、このことから光誘起表面分子再配列は表面吸着種に影響されないことが明らかになった。

図2.光照射後(a)(111)面と(b)(001)面に生成された超構造。

 次に、形成された超構造の熱的安定性を試みるため、加熱実験をおこなった結果、約300℃付近で超構造の消滅が観察された。このことより、光励起により準安定状態になった表面構造が、熱的刺激によってもとの安定状態に戻ると考えられる。

K3C60の超伝導性及びTDAE-C60の磁性の光制御

 AxB3-xC60組成で超伝導現象が観測されており、結晶の格子定数(a0)が大きくなるに従って超伝導臨界温度(TC)が上昇することが知られている。一方、AxB3-xC60は、表面の欠陥などの原因により超伝導遮蔽率(XSC)が顕著に低いため、これまで加圧あるいは熱処理によりXSCを高め試みが積極的に行われてきたが、100%まで引き上げるには至っていない。本研究では、光照射によってK3C60のXSCを可逆的制御し、さらにXSCを100%に増大させることを目的とした。。

 K3C60の結晶は、C60結晶と当量のカリウム粉末を真空アンプルに封入し、加熱して作製した。得られた試料をガラスアンプルの中に密封し光照射及び磁化測定に供した。磁気特性はSQUID(超伝導量子干渉計)を用いて測定した。

 光照射前後でTC(=19K)に変化は見られなかったが、光照射前には10%であったXSC値が7日間の光照射によりほぼ100%まで増大した。さらに、光照射後の試料を250℃で10時間熱処理したところ、元のXSC値が得られた(図3)。以上の過程は、数回の反復実験により、安定な可逆反応であることがわかった。また、Ramanスペクトルの分析結果は、この現象がバンドギャップ以上の光励起によるC60の光重合に起因することを示唆しており、結晶の近表面領域での光重合により、表面の伝導度が高くなり、印加磁場に対する反発がほぼ理想の超伝導状態まで高められると考えられる。

図3.光照射前後のK3C60の超伝導遮蔽率(XSC)の変化

 一方、C60と最強の有機ドナー分子として知られるテトラキス(ジメチルアミノ)エチレン(TDAE)の1:1電荷移動錯体であるTDAE-C60がTC=16Kで強磁性体になることが見出されたが、この系の強磁性発現機構はまだ確立されていない。本研究ではこの物質の光化学的、光物理的操作による磁性制御及び磁性メカニズムの解明を目的とし、TDAE-C60結晶の作製及び光照射による磁気特性の変化の観測を行った。

 C60のトルエン溶液に、20倍相当量のTDAEを添加したところ、ただちに黒い微結晶が沈殿した。極めて酸素に不安定なこの微結晶をドライボックス中でキャピラリーに移し、真空に封じて光照射及び磁化測定を行った。

 常温においてC60の光重合を誘発する紫外線照射を行うと、5Gの弱い磁場下では磁化率が照射以前値の1%に激減したが、100Gの強い磁場下では磁化率の変化が見られなかった。以上の実験結果から、強磁性体であったTDAE-C60系が、光照射により超常磁性体への変化を示すと考えられる。

 以上の研究より本論文は、C60が有する光特性に着目し、C60やその関連物質の構造及び物性の光制御を試みた。すなわち、C60エピタキシ成膜過程における結晶面の選択制御や、C60単結晶での光誘起表面分子再配列現象の発見及び解析は、他の分子性結晶系まで拡張適用が可能なものと考えられる。また、光重合による超伝導率の増加の発見は、AxB3-xC60系が示す超伝導現象の本質の研究に新しい方向を提示した。さらに、TDAE-C60の持つ強磁性も光照射による制御の可能性を示した。以上の研究結果は、C60やその関連物質に関する基礎物性の研究だけではなく、優れた機能を持つ新規材料の創製に資する端緒を提供したものと考えられる。

審査要旨

 本論文は五章より構成されており、新規な炭素材料であるフラーレン及びその化合物の、表面構造及び物性の光制御について記述したものである。

 第一章では、問題の設定と研究の方向付けとがなされ、それに続く三つの章で具体的な研究成果が示されている。最後の章では、全体の総括と研究に関する将来展望が述べられている。

 第一章は、序論であり、本研究で用いられたフラーレンの作製法及び精製法、そしてこれまで行われてきたフラーレンに関する研究例がまとめられている。前半では、フラーレンが分子間結合力の弱い分子性結晶であることに注目して、構造的な特性及び表面分子配列を制御する可能性について述べている。後半では、まず、フラーレンの持つ電子的、光学的特性についての既存の報告例が詳細に紹介されており、そうした特性に基づく光機能材料への応用の可能性が示されている。次に、フラーレンの光反応に関する従来の研究例が紹介されている。フラーレン及びその化合物の光励起過程については、未だに解明されていない部分が多いため、光機能材料としての応用のためにはさらに詳細な検討が必要であることが指摘されている。

 第二章では、フラーレンのエピタキシー膜の成長制御及び原子間力顕微鏡を用いた表面構造の観察について説明している。前半では、エピタキシー膜作製用の蒸着装置が紹介されており、KBr(001)単結晶を基板としたフラーレンのエピタキシー成長が基板との格子整合条件に従わず、自ずからファンデルワールス界面を形成しながらフラーレン自身の格子定数を保って成長することが明らかにされている。また、蒸着速度を変化させることにより、膜の結晶面を制御できることも見出している。後半では、エピタキシー膜の表面で起こる多くの特異な現象について述べている。さらに、面心立方構造と六方最密構造との表面相転移による転位線を分子レベルで観察し、その詳細な解析を行っている。このことにより、固体状態のフラーレンの表面では二種類の類似構造からなる準安定状態が存在することが明らかにされ、その二種類の状態を外部からの刺激により制御する可能性について記述されている。

 第三章では、気相成長法を改良してフラーレン単結晶を作製し、その表面構造の観察及び光照射による分子配列の制御について検討が行われている。フラーレン単結晶の表面に、バンドギャップ(2.3eV)より低いエネルギーである赤色光(670nm,1.8eV)を照射した際に、表面に線状の超構造が現れる現象を観察し、その構造的な解析が行われている。しかし、バンドギャップ以上の光エネルギーを照射すると、超構造は現れずに、結晶表面の亀裂のみが観察されたことから、超構造の形成はバンドギャップ以下の光照射による光誘起表面再構成による現象であると述べられている。この結果及び分光化学的な分析により、光誘起表面再構成は、従来の光化学反応とは全く異なり、フレンケル励起子の集団的な励起に起因するものであると説明されている。このことから分子性材料における光誘起表面再構成という新しい概念が、実験的に証明されたといえる。次に、この超構造が偏光に垂直な方向に形成されることから、励起分子の運動方向は偏光の電場に平行であることが明らかにされている。さらに、超構造が形成された結晶を常圧の窒素雰囲気で加熱したところ、約300℃付近で超構造が消去されることを観察し、光を利用した記録材料としての応用の可能性が示唆されている。

 第四章では、有機強磁性体であるTDAE-C60と、超伝導体であるK3C60を合成し、光照射によるそれぞれの物性制御について述べている。前半ではTDAE-C60の作製方法及び基本的な磁気特性について記述されており、TDAE-C60の持つ光学的特性が説明されている。また、常温においてフラーレンの光重合を誘起する紫外線の照射を行うと、磁化曲線の遅い立ち上がりや転移温度の低下が観測され、元来強磁性であった磁気特性が、光照射により超常磁性的特性に変化することが述べられている。後半では、K3C60の合成方法及びこれまでの研究例が挙げられており、そのなかで超伝導性の制御におけるこれまでの問題点が指摘されている。また、加熱、加圧などと言った従来の方法とは異なり、光照射により超伝導の遮蔽率を向上させることに成功し、この現象がバンドギャップ以上の光照射による光重合に起因することも明らかにされている。

 第五章では、本研究で得られた結果の総括と将来の展望が述べられている。このなかで、フラーレン単結晶における光誘起表面再構成という新概念の創案及び実現が、今後の分子性材料の分野に広く貢献できると記述されている。

 本論文における結果は、新規の光機能性材料の設計及び開発に新たな知見を与えるものであり、基礎・応用いずれの見地からも高く評価できると同時に、この分野における今後の更なる発展に寄与するものと考えられる。

 よって本輪文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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