学位論文要旨



No 114316
著者(漢字) 肖,延安
著者(英字)
著者(カナ) シャウ,エンアン
標題(和) シミュレーションによる粉末X線分光回折法を用いるサイト選択的化学状態分析法の研究
標題(洋) Site-Selective Chemical-State Analysis Using Powder Spectro-diffractometry Based on In-Advance Simulations
報告番号 114316
報告番号 甲14316
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4442号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 二瓶,好正
 東京大学 教授 北森,武彦
 東京大学 助教授 尾張,真則
内容要旨 【目的】

 材料中の原子の存在状態がその物性に決定的な影響を持つ例は数多いが、特にその原子が複数の状態をとり得る場合は、大きな問題となるので、サイト選択的な分析手法が必要となる。サイト選択的化学状態分析を実現するために分光回折法を行う。分光回折法は放射光のエネルギー連続可変と高強度等の特徴を利用して、X線の異常散乱を起こすエネルギーが化学状態により僅かに変化することに着目し、粉末回折とRietveld法による結晶構造分析法と組み合わせて固体の結晶格子のサイト選択的元素の非破壊状態分析を行う方法を実現しようとするものである。しかし、今までの粉末分光回折法は、数エネルギー点でほぼ全回折パターンをとるため、長いMachine timeが必要であり、エネルギー点が少ないという欠点がある。そこで、本研究では予めシミュレーションによって、異常散乱に敏感な反射をさがし、その少数の反射だけを測定する。その事により1つのエネルギーでの測定時間を大幅に短縮することができ、エネルギー点を多く取ることができるため、もっと精確な化学状態分析ができる。さらにサイト選択性的XANESとEXAFSの実現を可能とする。

【分光回折法の原理】

 原子散乱因子fは式1のように正常部分(fn)と異常部分(f’、f")を含む。

 

 光学定理とKramers-Kronigの関係式から、異常散乱因子f’とf"より、X線吸収スペクトルと同様の情報を得ることができる。また、X線回折においては、構造因子の式より、異常散乱因子はサイト選択性があるという利点がある。そして、Fig.1に示しているように異常散乱因子は吸収端の近くで大きく変化し、異なる化学状態にある元素は化学シフトを起こすため、吸収端の近くでは異なる化学状態にある元素の異常散乱因子の差は大きくなる。分光回折法ではこの差を利用してエネルギーを変えながら、X線回折によりサイト選択的なf’とf"を求めてサイト選択的化学状態分析を行う。

Fig.1.Schematic of the shift in the curve for f’ and f" as a function of X-ray energy.
【RIETANの修正】

 元のRietveld解析ソフトRIETANは実測パターンから異常散乱因子f’とf"を精密化することができないためRIETANを修正した。具体的には異常散乱因子f’とf"に対する回折強度の導関数を求めてRIETANへ書き加えた。修正したソフトのテストは以下のように行った。まず元のRIETANで既知の異常散乱因子値を入力してシミュレーションしたパターンを計算し、このパターンについて修正したRIETANで異常散乱因子を精密化した。精密化値と入力値がよく一致した。次に、実測したFe3O4粉末回折パターンから、異常散乱因子を精密化した結果は文献値と一致した。従ってRIETANの修正は成功したと言える。

【シミュレーション】

 本研究のキー・ポイントは予めシミュレーションによってさがされた異常散乱に敏感な反射(ピーク)だけを測定して測定時間を大幅に短縮し、もっと精確なサイト選択的化学状態分析を可能にすることである。シミュレーションに使用するソフトはRIETANである。方法としては入射X線エネルギーを対象元素の吸収端の下のエネルギーにセットして異なるサイト(例えばAサイトとBサイト)にある対象元素の異常散乱因子を交換する前と後の二つの回折パターンを比較する。多くのサンプルについてシミュレーションを行ったが、ここではCo3O4(Magnetite構造)を例として説明する。Magnetite構造では金属原子がAサイト(四面体サイト)とBサイト(八面体サイト)にある。Fig.2はCo3O4のシミュレーションの結果である。破線はAサイトとBサイトの異常散乱因子を交換する前の結果で、実線は交換する後の結果である。この図は一番高いピーク(311)に対して規格化した。この図から、交換に敏感なピーク(220,400)と敏感ではないピーク(511&333,440)がすぐわかる。

Fig.2 Powder diffraction patterns simulated by RIETAN for Co3O4.
【実験】

 測定試料については、通常X線粉末回折予法とRietveld精密化によって、結晶のいろいろな構造パラメーターを決定する。その後、シミュレーションと放射光粉末分光回折実験を行った。実験配置はFig.3に示している。入射X線はSi(111)によって単色化され、その分解能は1eVぐらいである。入射X線の強度はIon Cham-berによって記録される。試料の不均一性を除くため試料は面内に回転を行いながら測定を行った。

Fig.3.Instrumental geometry(BL-4B2,KEK-PF)
【結果および考察】

 Fig.4はCoのK吸収端近くの6エネルギー点で測定した酸化コバルトの粉末回折パターンである。入射X線のエネルギーの増加にしたがって、ピークは低角度に移動し、吸収係数の増大により回折強度は減少する。同様にFeの吸収端近くの9エネルギー点で酸化鉄の粉末回折パターンも測定した。

Fig.4. Collected powder diffraction peaks for Co3O4 at 6 energy points near the absorption edge of Co.

 Fig.4に示すCo3O4のパターンについてすべでの6ピークから精密化された異常散乱因子の実部f’をFig.5に示す。実線はAサイトを示しており、破線はBサイトを示す。Fe3O4についての同様な結果をFig.6に示す。以上の二つの図から見ると、(1)AサイトとBサイトのf’が明瞭に区別できた;(2)Fe3O4の場合、Aサイトのf’がBサイトのf’より高い。Co3O4の場合、Aサイトのf’がBサイトのf’より低い。文献によれば、(1)Fe3O4は逆スピネル構造をもって、Fe3+がAサイトにあり、等量のFe3+とFe2+がBサイトにある。(2)Co3O4は正スピネル構造をもって、Co2+がAサイトにあり、Co3+がBサイトある。以上より、文献と実験結果のカチオン分布は定性的に一致した。

Fig.5.f’refined with all 6 peaks in the powder diffraction patterns of Co3O4.Fig.6.f’refined from the powder diffraction patterns of Fe3O4.

 次に、シミュレーションにより異常分散に敏感なピークを選択する方法について検討を行った。Fig.7に一番高いピーク(311)と二つの散乱因子の交換に敏感なピーク(220,400)から精密化された結果を示す。この2つの結果はほぼ同じであることがわかる。よってシュミレーションで選んだ少数のピークからでもf’を精密化できることがわかる。Fig.8にCo3O4の一番高いピーク(311)と2つの異常散乱因子の交換に敏感ではないピーク(511&333,440)から精密化された結果を示す。この場合は6ピークの場合と大きく異なり、誤差も大きくなる結果が得られた。

Fig.7.f’refined from peaks 200,311,and 400 in the diffraction patterns ofCo3O4.Fig.8.f’refined from peaks 311,511&333, 440 in the diffraction patterns of Co3O4.
【まとめ】

 本研究の結論をまとめると、(1)RIETANソフトの修正により、f’とf"の精密化を実現した;(2)予めシミュレーションによって特定の少数反射ピークを選択すれば、異なるサイトにある元素の異常散乱因子の決定は可能で、また、粉末サンプルに対してサイト選択性があるXANESとEXAFS解析の見通しが得られた;(3)Magnetite構造のFe3O4とCo3O4中カチオン分布について、文献と実験結果がよく一致した、となる。

【今後の展開】

 (1)異常散乱因子は格子定数、ピークの非対称性、零点シフト、ピークのプロフィール、配向性などに影響せず、回折ピークの強度のみに影響するので、2をスキャンせず、ピークの積分強度を測定し、多検出器を併用することで、約1万倍のデータ収集効率が期待される。速いコンピューターの広範な応用と第三世代の放射光源を組み合わせることによって、サイト選択性があるXANESとEXAFSが実現する;(2)Rietveld法とMEM(maximum entropy method)を結合して得られる異常散乱因子の精密化を大幅に増加させる可能性を検討している。

【発表状況】

 1.Y.Xiao et al.,Chemistry Letters,761(1998).

 2.Y.Xiao et al.,Bull.Chem.Soc.Jpn.,71,2375(1998).

 3.Y.Xiao et al.,ANALYTICAL SCIENCES,14,1139(1998).

 4.Y.Xiao et al.,POWDER DIFFRACTION,13(4),(1998)in press.

 5.Y.Xiao et al.,(submitted to)JAPAN JOURNAL OF APPLIED PHYSICS.

審査要旨

 材料中の原子の存在状態がその物性に決定的な影響を持つ例は数多いが、特にその原子が複数の状態をとり得る場合は、大きな問題となるので、サイト選択的な分析手法が必要となる。そこで本研究ではサイト選択を持つ化学状態分析を実現するために分光回折法の開発を行った。分光回折法は放射光のエネルギー連続可変性と高輝度性等の特徴を利用して、X線の異常散乱を起こすエネルギーが化学状態により僅かに変化することに着目した手法であり、粉末回折法とRietveld法による結晶構造解析法とを組み合わせて結晶格子のサイト選択的非破壊状態分析を行う方法である。従来の粉末分光回折法は、幾つかのエネルギー点でほぼ全回折パターンを測定する必要があったため、長いマシンタイムが必要であり、測定できるエネルギー点が少なくなってしまうという欠点があった。そこで、本研究ではin-advanceシミュレーションによって、異常散乱に敏感な反射を探し、その少数の反射だけを測定するという手法を開発した。そのことにより1つのエネルギー点での測定時間を大幅に短縮することができ、エネルギー点を多く取ることができるため、もっと精確な化学状態分析ができるという特徴を持っている。さらにサイト選択性のあるXANESの実現も可能になると期待される。

 まず本研究の原理について説明する。原子散乱因子は正常部分と異常部分を含むため、光学定理とKramers-Kronigの関係式から、異常散乱因子を求めることによって、X線吸収スペクトルと同様の情報を得ることができる。また、X線回折においては、構造因子の式より、異常散乱因子はサイト選択性があるという利点がある。そして、異常散乱因子は吸収端の近くで大きく変化し、異なる化学状態にある元素は化学シフトを起こすため、吸収端の近くでは異なる化学状態にある元素の異常散乱因子の差は大きくなる。分光回折法はこの差をうまく利用する手法であり、入射X線のエネルギーを変えながら、X線回折によってサイト選択的な異常散乱因子を求めてサイト選択的化学状態分析を行う手法である。

 次に、実測された粉末回折パターンから異常散乱因子を精密化するために元のRietveld解析ソフトRIETANを修正した。修正したソフトのテストはシミュレーションしたパターンと実測した粉末回折パターンで行った。精密化された結果はそれぞれ入力値、文献値とよく一致した。従って修正版RIETANの妥当性が実証された。

 本研究のキー・ポイントは、in-advanceシミュレーションによって探された異常散乱に敏感な反射(ピーク)だけを測定することによって測定時間を大幅に短縮し、もっと精確なサイト選択的化学状態分析を可能にすることである。方法としては入射X線エネルギーを対象元素の吸収端の下のエネルギーにセットして異なるサイトにある対象元素の異常散乱因子を交換する前と後の二つの回折パターンを比較する。これによって、異常散乱に敏感なピークと敏感ではないピークがすぐに判別できることが示された。

 本研究では、測定試料について、通常X線粉末回折予法とRietveld精密化によって結晶のいろいろな構造パラメーターを決定した。その後、シミュレーションと放射光共鳴粉末分光回折実験を行った。放射光実験においては幾つかの工夫を行い、CoのK吸収端近くの6エネルギー点で測定したCo3O4の粉末回折パターンとFeの吸収端近くの9エネルギー点でFe3O4の粉末回折パターンを測定した。

 次にCo3O4の実測データを解析するため、シミュレーションにより異常分散に敏感なピークを選択する方法について検討を行った。その結果、3つの散乱因子に敏感なピークから精密化された結果は全てのピークからの結果とほぼ同じであることが見出した。これはシュミレーションで選んだ少数のピークからでも異常散乱因子を精密化できることを示している。しかし、三つの異常散乱因子に敏感ではない3つのピークを用いて精密化された結果は全てのピークの場合と大きく異なり、誤差も大きくなったことから少数ピークの選択の仕方が極めて重要であることを見出した。本研究で決定したMagnetite構造のCo3O4とFe3O4のAサイトとBサイトの異常散乱因子の結果は、文献のカチオン分布はよく一致しており、本手法の妥当性が証明された。

 最後に展望について議論している。異常散乱因子は回折ピークの強度のみに影響するので、2をスキャンせずにピークの積分強度のみを測定し、多検出器を併用することで、約1万倍のデータ収集効率が期待される。高速コンピューターの利用と第三世代放射光源の利用を組み合わせることによって、サイト選択性があるXANESの実現が期待される。さらに、Rietveld法とMEM法を結合することによって得られる異常散乱因子の精密化を大幅に約1ケタ増加させる可能性も期待される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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