反応工学の分野において溶媒の役割は大きく、適正な反応場の構築は、反応速度や反応経路の制御に対し、きわめて重要な影響を与える。超臨界流体の反応場への応用に関する研究は、ここ10年間で活発化している。特に環境調和性の高いCO2、H2Oが有望視されている。超臨界流体のきわだった特徴は、温度、圧力を変化させることによって、密度を連続的に幅広く制御できる点である。溶媒密度を変化させることによって、溶解度、粘性率、拡散係数、誘電率等の反応速度に影響を与える物性値を制御することが可能である。一方、高密度流体中の化学反応では、反応基質が溶媒に囲まれており、分子間相互作用の複雑さの故に系統的な理解が困難な段階にある。超臨界流体中の反応機構の理解のために、分子間相互作用の知見が重要である。 本研究の目的は、第1番目として、超臨界流体中の溶媒和構造を系統的に理解することである。溶質分子の吸収スペクトルシフトを測定することにより、超臨界CO2中の溶媒和構造の知見を得た。2番目の目的は、素反応過程に及ぼす超臨界流体の溶媒效果を検討することである。本研究では、炭化水素/O2/CO2の混合流体の光誘起酸化反応を検討した。超臨界CO2中の活性酸素種の各素反応過程(光吸収、光解離、再結合、エネルギー移動、水素引き抜き等)を検討し、超臨界CO2の溶媒効果がどの反応段階で影響を与えるかを考察した。 超臨界流体中での溶媒和構造の知見を得るために、超臨界CO2中のベンゼン、ナフタレン、クロロベンゼンの紫外線吸収スペクトルシフトの測定を、溶媒の密度及び温度を変化させて行った。スペクトルシフトは溶質分子周辺の溶媒の局所密度の変化を反映する。溶媒密度の増加に従い、ベンゼンの電子遷移(A1B2u←X1A1g)による紫外線吸収スペクトルのレッドシフトが観測された。誘電体理論によってベンゼンのスペクトルシフトを定量的に評価した結果、溶質分子周辺における局所的な溶媒密度は、バルクの溶媒密度にほぼ等しいことが示された。一方、CO2中におけるナフタレン、クロロベンゼンのスペクトルシフトの結果から、臨界点近傍において、溶質分子周辺の局所密度の増加が生じていることが示された。ラングミュア型吸着モデルにより、局所密度増加を定量的に評価した結果、局所密度増加の程度は、溶質-溶媒間の分子間相互作用の関数として説明できることが明らかになった。 次にラングミュア型吸着モデルの妥当性を検討するために、ベンゼン、ナフタレン、アントラセン、クロロベンゼン、2-ニトロアニソール、4-アミノベンゾフェノン、4-ジメチルアミノベンゾニトリル等の芳香族化合物の超臨界CO2中のスペクトルシフトをラングミュア型吸着モデルで解析した。全ての系において、ラングミュア型吸着モデルにより、亜臨界及び超臨界CO2中での溶媒密度に対するスペクトルシフトの変化を適切に説明することができた。溶質周りの溶媒和した分子1個当たりのスペクトルシフト量をラングミュア型吸着モデルによって算出したところ、その値は誘電体理論と矛盾しないことが示された。この結果から、超臨界CO2中での溶媒和のメカニズムは、多くの芳香族化合物の溶質分子に対し、統一的に扱うことができることが示された。 超臨界CO2の反応溶媒特性の検討の一環として、亜臨界相及び超臨界相における、アルカン及びシクロアルカンの光誘起酸化反応を検討した。具体的には、エタン/O2/CO2及びシクロヘキサン/O2/CO2の混合流体に対する光照射実験を行った。光源にはKrFエキシマーレーザー(発振波長:248nm)を用いた。主生成物として、エタンの系ではアセトアルデヒド、エタノールが検出され、シクロヘキサンの系では、シクロヘキサノン、シクロヘキサノール及びシクロヘキシルハイドロパーオキサイドが検出された。生成物分岐比に対する圧力効果は観測されなかった。量子収率は、溶媒密度に対し減少する傾向が観測され、反応は1光子過程であることがわかった。248nmの光の吸収剤は酸素分子であり、反応初期過程として、酸素原子O(3P)もしくは励起酸素分子O2(A’3u)による水素引き抜きが示唆された。 次にエチレン/O2/CO2の混合流体の亜臨界相及び超臨界相において、KrFエキシマーレーザー光による光誘起酸化反応を検討した。主生成物はアセトアルデヒドとエチレンオキサイドであった。主生成物量に対する量子収率は、溶媒密度の増加に伴い減少した。一方、主生成物の分岐比は溶媒の密度に依存しなかった。分岐比の値から、O(3P)のエチレンへの挿入反応によって、アセトアルデヒドとエチレンオキサイドが生成する機構が示唆された。飽和炭化水素類と同様に、反応過程は1光子過程であることが明らかになった。臨界点近傍において、反応速度及び選択率に対する顕著な圧力効果は観測されなかった。 亜臨界及び超臨界CO2中でKrFエキシマーレーザー光の照射によるベンゼンの光誘起酸化反応を検討した。ベンゼン/O2/CO2の混合流体の紫外線吸収スペクトル測定により、主な光の吸収剤はベンゼンであることがわかった。反応生成物としてフェノール及びジヒドロキシベンゼン類(ヒドロキノン、カテコール)が検出された。本研究の標準的な実験条件において、臨界点近傍における量子収率は0.004であった。照射パルスエネルギーを変化させた実験の結果、反応はl光子過程であることがわかった。量子収率は溶媒の圧力変化に対し依存性はなく、一定であった。反応機構についての直接的な証拠は得られてないが、ベンゼン及びO2の分圧に対する量子収率の依存性から、[O2-ベンゼン]の励起錯体とベンゼンの反応によってフェノールが生成する機構が示唆された。 炭化水素類の光誘起酸化反応の初期過程をより詳細に検討するために、反応過程で生成することが予想されるオゾンをバッチ型反応器でin situ測定することを試みた。KrFエキシマーレーザー光を照射し、同時に垂直方向からオゾンの紫外線吸収スペクトルを測定した。O2/CO2混合流体にKrFレーザー光を照射したところ、オゾンの基底状態からHartley帯(1B2←1A1)への吸収が観測され、実際にオゾンが生成することが明らかになった。レーザー光照射中、オゾンは単調に増加した後、定常状態濃度で一定になった。オゾンの初期の生成速度の酸素分圧依存性、パルスエネルギー依存性及び溶媒密度依存性について調べた。その結果、オゾンは1光子過程で生成することが明らかになった。また溶媒密度の増加に対し、初期生成速度は気相領域(<3mol/dm3)で単調に増加し、亜臨界相及び超臨界相で、一定の値をとった。248nmの光の吸収剤は酸素分子であると考えられ、光吸収率は溶媒密度の増加に対し単調に増加した。初期の生成速度と酸素分子による光吸収率から量子収率を算出したところ、量子収率は溶媒密度の増加に対し単調に減少する傾向が観測された。反応初期過程として、248nmの光照射によりO2(A’3u)が生成し、その後続反応によってオゾンが生成する機構が考えられた。溶媒密度の増加に伴う量子収率の減少の主な理由は、ケージ内での再結合反応によって、オゾンの生成が阻害されるためと考えられた。生成したオゾンの光解離によってO(1D)が生成する。気相ではO(1D)とCO2との衝突失活によりO(3P)が生成することが報告されている。一方、高密度のCO2中では、O(1D)はCO2と反応する可能性が示唆された。 活性酸素種と炭化水素類の反応性を検討するために、オゾン生成速度に対する炭化水素の添加効果を観測した。エチレン/O2/CO2混合流体では、エチレンとオゾンの反応が観測された。観測したオゾン生成量からO(3P)の生成量を見積もったところ、エチレン/O2/CO2の系で観測された反応生成物(アセトアルデヒド、エチレンオキサイド)はO(3P)とエチレンの反応によって生じることが示された。一方、エタン/O2/CO2及びシクロヘキサン/O2/CO2の系では、炭化水素の添加によるオゾン生成速度に顕著な変化は観測されなかった。O2(A’)の炭化水素類との反応に関する情報は報告されていないが、エタン及びシクロヘキサンの系では、O(3P)による水素引き抜きだけでは反応生成物量は説明できず、O2(A’)による炭化水素からの水素引き抜き反応が考えられた。なおこの実験条件では、O2(A’)と炭化水素の反応によるオゾン生成速度への影響は小さく、実験結果と矛盾しないことがわかった。 以上述べたように、超臨界CO2中の溶媒和構造、及び活性酸素種の反応性について考察した。スペクトルシフトの実験結果から、ベンゼン程度の極性を有する溶質分子の場合、溶質周辺の局所密度の増加は生じないことが示された。事実、炭化水素/O2/CO2の反応において、溶媒の影響は、主にO2の光吸収断面積の増加と、活性酸素種の再結合反応に対するケージ効果として現れたが、これらの現象はバルクの密度で説明することができる。超臨界CO2の溶媒効果は、主に活性酸素種の輸送過程に影響を与える。また一連の反応観測により、超臨界CO2中の活性酸素種のO2、CO2、炭化水素との反応性についての知見を得た。本研究で得られた情報により、広く凝縮相反応の化学と反応工学に貢献することができた。 |