1.はじめに エネルギー物質とは単位体積内あたりのエネルギー含有量が大きい物質である。その性質から、従来、火薬、爆薬、ロケット推進燃料など、そして近年ではエアバッグ用ガス発生剤などに用いられており、今後さらに多岐に渡った利用が期待される。そのため用途開発とともに新規エネルギー物質の開発に対する要望はますます高まってきている。 新規エネルギー物質を有用なものにするためには、まず利用法に応じたエネルギー発生特性を有すること(威力)が必要とされる。同時に使用される環境に耐えうる安定性(感度)も要求される。これらの条件を満たしていなければ実用化は不可能であり、合成にかかったコスト、時間、人材などの多大なロスが生じる。そこでこのようなロスを防ぐためには、事前に化学構造からエネルギー物質の特性である感度や威力を推測することが不可欠である。しかしながら威力についてはある程度推測が可能なものの、感度に関しては未だ系統的な研究は行われていない。そこで本研究では最も基礎的で最も必要とされる感度の一つである熱安定性について着目した。 テトラゾールは4つの窒素と1つの炭素からなる五員環を基本構造に持つ化合物である(Fig.1)。通常高性能爆薬では窒素含有率が高いほど不安定であり、50wt%を越えるものが少ないのに対し、テトラゾールは窒素含有率が80wt%を越えているにもかかわらず特異的に熱に対する感度が低いといえる。したがって、窒素含有率が高いにもかかわらず、低感度であるという性質を解明することは科学的に興味深い。 Fig.1Structure of 1H-tetrazole そこで本研究ではテトラゾール類の熱安定性の要因を解明することを目的とし、そこで得られた知見により熱安定性の高い新規テトラゾール誘導体を設計することを目標としている。 2.テトラゾールの分子構造と分子軌道計算 最も基本的な構造を持つ1H-tetrazole(1HT)についてX線結晶構造解析およびab initio計算を行うことによってテトラゾール環が安定である基本的な原因を検討した。結晶中の1分子は、実測の誤差範囲内で、水素原子も含めてほぼ平面であった。特徴的なのは、5員環の結合距離であり、3本の単結合距離と2本の二重結合距離は全体に均一化している。したがって、これらの結合距離の均一化が、ベンゼンなどの芳香族炭化水素に見られるような芳香族的安定性をもたらしているものと考えられる。このため、1位の窒素はアミンにもかかわらず、ピラミッド型ではなく、結合している水素原子は実測において5員環と同一平面にある。この結果はab initio計算によっても支持された。 また適切な計算法を検討するために各種の計算法で分子構造を計算し、精度および計算時間を比較した。その結果、MP2/6-31G*レベルの3b initio計算が実用的であることが判明した。また分子間相互作用の扱いを検討するために、2分子、3分子系でab initio計算を行い、分子間相互作用の分子構造への影響を調べた。その結果、分子間相互作用存在下の分子構造と気相中の分子構造はほとんど変わらなかった。そのため、液相中の構造として、MP2/6-31G*レベルで計算した単分子の構造を用いることにした。 3.テトラゾールの熱分解初期過程に関する研究 熱安定性を大きく左右する要因として活性化エネルギー、結合解離エネルギーが考えられる。そのため熱安定性を予測する上で熱分解機構の解明が必要となってくる。そこでab initio計算を用いて熱分解初期過程の遷移状態を探索し、熱分解初期過程の解明を行った。 IRC計算の結果、2種類の熱分解機構が考えられ、穏やかな条件下ではN3-N4結合が初めに開裂し、その後、C5-N1結合開裂が起こり遷移状態に至ることがわかった(Fig.2)。そして、窒素、シアン化水素、アジ化水素、水素など様々な生成物を生じることがわかった。この機構は実験的に提唱されている機構と一致した。1H-テトラゾール(1HT)の他、5-メチル-テトラゾール(5MT)、1,5-ジメチル-テトラゾール(15MT)の遷移状態も探索した。その活性化エネルギーはそれぞれ187、190、233kJ/molであった。この結果は熱安定性が1HT<5MT<15MTであることと一致した。これにより熱安定性の予測の可能性がある。のしかしながら計算が困難であり、新規テトラゾールの熱安定性予測には適当ではないことがわかった。 Fig.2 The initial mechanism of thermal decomposition4.1-フェニル-テトラゾール誘導体の熱安定性予測 そこでその他にテトラゾール類の熱安定性を左右する要因を探索した。まず、電子の影響を調べるために1-フェニルテトラゾール誘導体についてab initio計算を行い、提唱した3種類の熱安走性の指数などの化学構造と熱安定性の関係を調べた。その結果、熱安定性とBirdの芳香族性の指数の間に相関があり、テトラゾル環の結合距離が均一化するほど熱安定性が高くなることがわかった(Fig.3)。 Fig.3 Relationship between Bird’s aromatic index and TDSC 電子密度の影響を検討した結果、テトラゾール環の電子密度と熱安定性の間に相関がみられ、電子がテトラゾール間に流入するほど熱安定性が高くなることが判明した。また軌道レベルと熱安定性の間にも相関がみられた。 これらのことより、熱安定性の高い1-フェニルテトラゾール誘導体を設計するためにはフェニル基側にアミノ基のような電子供与基を導入すればよいことがわかった。 5. アルキル置換テトラゾールの熱安定性予測 さらに検討範囲を1,5-アルキル置換テトラゾールに拡張して熱安定性と化学構造の関係を探索した。置換基によってテトラゾール環を構成する結合の長さはそれほど大きくは変化しなかった。しかし、分解の第一段階に開裂するN3-N4結合距離と熱安定性の間には相関があり、結合距離が短いほど、つまりN3-N4結合が強いほど熱安定性が高いことが判明した。 また5位にメチル基を導入した場合、特に安定であった。X線構造解析の結果、C5-C(methyl)結合距離が1.473(3)Åであり、通常のC-C結合長より短い。これは超共役によるものと考えられ、電子雲が広がることにより、さらに熱安定性が高まると考えられる。1位に導入した場合、5位よりは効果が小さいこともわかった。 熱安定性とBirdの芳香族性の指数の間には相関がみられ、Birdの芳香族性指数が大きいほど熱安定性が高いといえる。この評価法は電子も含めた共鳴の度合いを表しているものであり、熱安定性に電子が大きく関与していることがわかった。 これらの考察からテトラゾール環の結合次数の均一化が検討した中では最も熱安定性に影響し、結合次数が均一化するほど熱的に安定になる結論が示された。 環の電荷と熱安定性の関係を調べた結果、例外はあるものの環の電荷が正になるほど熱安定性は高まっている(Fig.4)。これからわかるように熱安定性が高いテトラゾールを得るためには電子を吸引する置換基を置換基効果が表れやすい5位に導入することが好ましいと考えられる。ここでNO2基のような置換基は置換基自体が反応してしまうと考えられるため例外と予想される。 Fig.4Relationship between thermal stability and ring charge by Mulliken analysis. ここで得られた相関は1-フェニル-テトラゾール誘導体の場合と逆の傾向である。これはテトラゾール環に直接置換する置換基が変わると電子の変化量より電子の変化量がはるかに大きいためである。 これらのことからテトラゾール環を安定にさせるには環の結合距離を均一化させる置換基、電子雲の広がりを大きくする置換基を5位に導入すればよいと言える。ここで窒素含有率が低くなると基本的にエネルギー物質の特性が失われてしまうため、なるべく窒素含有率が高いほど望ましい。 具体的にはFig.5に示される3つのテトラゾールを提案した。5-シアノ-テトラゾールを選択したのはシアノ基が電子吸引基であり、かつシアノ基自体の窒素含有率が高いためである。またビテトラゾール類を選択したのはテトラゾール環が強い電子吸引基であると同時に窒素含有率が80wt%以上と非常に高いためである。これら2つは予測通りの熱安定性を有していた。また特に1位にメチル基が置換した場合、超共役によってさらに熱安定性が高まり、ガス発生剤としても非常に有望ではないかと思われる。 Fig.5New tetrazoles |