学位論文要旨



No 114326
著者(漢字) 古川,喜久夫
著者(英字)
著者(カナ) フルカワ,キクオ
標題(和) NOxによる芳香族ニトロ化反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 114326
報告番号 甲14326
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4452号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田村,昌三
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 助教授 新井,充
 東京大学 助教授 堤,敦司
内容要旨 1.緒論

 芳香族ニトロ化反応は、一般的に硝酸が用いられており工業的に極めて重要な役割を担っている。その反応については、理論有機化学や工業的視点から数多くの研究が行われており、反応機構はほぼ確立されている。

 一方、NOxによる芳香族ニトロ化反応に関する研究はほとんど行われていないが、近年NOxによる芳香族ニトロ化反応に関心が高まっており反応機構の解明が期待されている。一つには、大気環境中における発ガン性を有するニトロ多環芳香族化合物の生成である。もう一つには、工業的見地から硝酸に代わる反応試薬が待望されていることから、硝酸に代わる反応試薬の可能性である。

 ここでは、NOxとしてNO2およびN2O5に注目した。NO2は、ディーゼル排気中におけるニトロ多環芳香族化合物の生成に関与していると考えられている。また、N2O5は芳香族化合物との反応性が極めて高く硝酸に代わるニトロ化試薬として有用である可能性が高いと考えられている。

 本研究では、NO2およびN2O5による芳香族ニトロ化反応機構を解明し、近年芳香族ニトロ化反応に関して提起されている問題を解決するための基礎的知見を得ることである。

2.NO2によるアルキルベンゼンのニトロ化反応2.1.各基質のニトロ化反応

 各基質のNO2によるニトロ化反応では環ニトロ化物が得られた。生成物分布も硫硝混酸によるニトロ化と近い値が得られた。また、基質の側鎖酸化物も検出された。

2.2.置換位置の電子密度と部分速度因子との相関

 置換アルキル基の反応に対する影響を定量的に評価するため、基質の反応位置の電荷と部分速度因子とを比較した(Fig.2-1)。その結果、反応は求電子的であることが確認された。また、反応速度は基質の置換位置の電荷に依存していることが示唆される。

2.3.相対反応速度とイオン化ポテンシャルとの相関

 電子移動速度は基質のHOMOのエネルギーレベルに依存するので、基質のイオン化ポテンシャルと相対反応速度と比較した(Fig.2-2)。その結果、相関が観測され反応速度に電子移動が重要な役割を担っていることが示唆された。

2.4.Galliの競争反応による反応の律速段階の検討

 Galliの方法を用いて、反応の律速段階に関する知見を得ることを試みた。メシチレンとナフタレンの競争反応を行った結果、環ニトロ化物生成速度の比率は、Kmes/Knaph=1.4×10-2となった。この結果は、-complex生成律速と考えられるNO2+によるニトロ化反応のKmes/Knaph=20と異なる。

 以上より、反応機構は、芳香環からNO2への一電子移動を律速とするラジカルカチオンを経由する機構(Scheme2-1)が示唆される。

3.N2O5による芳香族ニトロ化反応3.1.N2O5によるトルエンのニトロ化反応1)生成物分布

 トルエンのニトロ化反応において、その生成物分布は求電子置換反応を示したが、反応温度25℃以上において、特異的な生成物分布を示した(Fig.3-1)。基質は、反応温度の上昇とともに反応の割合が減少し、さらには収率も減少した(Fig.3-2)。エチルベンゼン、クメン、クロロベンゼンにおいても同様の傾向が観測された。

2)溶媒を用いないトルエンのニトロ化反応

 溶媒のN2O5への影響を検討するため、溶媒を全く用いない反応を行った。トルエン(液体)にN2O5(固体)を直接導入したところ、温度に依存せず一定であり(Fig.3-3)、N2O5を四塩化炭素溶媒に溶解させて滴下させた場合と異なる結果が得られた。反応前段階にN2O5を四塩化炭素溶媒に溶解させると、

 

 に解離してNO3を攻撃活性種とする反応と同じ挙動を示すのではないかと推測される。N2O5自身は常温で個体であり、その構造はイオン性結晶構造[NO2+NO3-]を形成していることが知られている。さらに、反応温度の上昇とともにN2O5が熱分解して多量のNO2を生成し、それが中間体[Ar(H)(ONO2)]を攻撃して[Ar(H)(ONO2)(H)(NO2)]を生成し、特異的な生成物分布を示したと推測される。(Scheme3-1)。

3)N2O5/N2O4によるトルエンのニトロ化反応

 高温領域について検討するために、N2O5/N2O4によるトルエンのニトロ化反応を行った。N2O4の割合が大きいほど高い反応温度を想定している。その結果、一致が観測され(Fig.3-4)上記の想定を補足しているものと考えられる。

3.2.N2O5によるベンゼンおよびニトロベンゼンのニトロ化反応

 ベンゼンのニトロ化反応では、ニトロベンゼンおよびジニトロベンゼンが観測された。その副生成物の生成量について特異的な挙動を示した。一方、ニトロベンゼンのニトロ化反応では、その主生成物はm-ジニトロベンゼンで典型的求電子置換反応であり、ベンゼンのニトロ化反応におけるジニトロベンゼンの生成物分布と大きく異なった。以上の結果から、トルエンの場合と同様にNO3の芳香環への求電子反応を初期段階とする反応機構の可能性が示唆される。この反応系について、N2O5/N2O4によるベンゼンのニトロ化反応より上記の想定を補足した。

4.N2O5による芳香族ニトロ化反応におよぼす溶媒効果4.1.各溶媒中におけるN2O5による置換ベンゼンのニトロ化反応

 極性溶媒であるニトロメタン溶媒およびアセトニトリル溶媒中では、いずれの温度領域でも反応は求電子置換反応で、四塩化炭素溶媒中と挙動が異なった。収率は高く、反応温度の変化による反応した基質の割合、環ニトロ化物の収率、生成物分布について大きな変化は観測されなかった。

4.2.Hammettプロット

 モノ置換ベンゼンの競争反応を行い、Hammettプロットから反応について検討した。

1)四塩化炭素溶媒

 反応温度の上昇とともにHammettの値が大きくなり求電子性の減少が観測された(Fig.4-1)。また、NO3と芳香環との反応では、値-3.2という報告があり、再び四塩化炭素溶媒中では、NO3を攻撃活性種とする可能性が示唆された。5℃におけるジクロロメタン溶媒中での=-2.8を示した。

2)アセトニトリル溶媒

 アセトニトリル溶媒の場合、四塩化炭素溶媒と同様の傾向が観測された(Fig.4-2)。反応温度-25℃における=-6.1は、HNO3/H2SO4=-6と近い値を示した。アセトニトリル溶媒に関しては、HNO3/H2SO4によるニトロ化と近い機構で進行している可能性が考えられる。

3)ニトロメタン溶媒

 一方、値は反応温度によらず一定値=-2.1を示した。ニトロニウム塩によるニトロ化と近い挙動を示した。各溶媒中でo-キシレンのニトロ化反応を行ったところ、ニトロメタン溶媒における生成物分布は他の溶媒や硫硝混酸の場合と大きく異なり、ニトロニウム塩に近い値が得られた。N2O5自身もルイス酸を用いることによりニトロニウム塩を生成することから、ニトロメタン溶媒中におけるN2O5の反応はニトロニウム塩のそれと近い可能性が考えられる。

 反応は、ジクロロメタン、四塩化炭素、アセトニトリルと溶媒を変化させると、攻撃活性種がNO3らHNO3/H2SO4によるニトロ化反応に近い反応へと連続的に変化している可能性が考えられる。また反応温度を低下させたときにも、同様の連続的な変化の可能性が考えられる。

4.3.各溶媒中におけるニトロ化反応の生成物分布の検討

 生成物分布の変化について検討するため、溶媒および反応温度を同時に評価する値として値に注目した。そこで、ニトロメタン溶媒における結果を除くo/p比と値と比較した。その結果、トルエンに関して反応性の変化に従い生成物分布が連続的に変化することを示した(Fig.4-3)。

4.4.各溶媒中におけるポリメチルベンゼンの相対反応性

 ポリメチルベンゼンの競争ニトロ化反応を行い相対反応速度を求め、更なる置換基効果について検討を行った。また、四塩化炭素溶媒にわけるニトロ化反応の相対反応速度とオン化ポテンシャルとの相関が観測され(Fig.4-4)、NO3を攻撃活性種とする可能性が再び示唆された。

4.5.各溶媒中におけるN2O5のラマンスペクトル測定

 さらに、各溶媒中におけるN2O5のラマンスペクトル測定を行い、攻撃活性種に関する知見を得ることを試みた。その結果、四塩化炭素およびジクロロメタンでNO2が観測され、アセトニトリルおよびニトロメタン溶媒ではNO2は観測されなかった。この結果は、上記の推測を補足しうると考えられる。

5.総括

 近年注目されているNOxによる芳香族ニトロ化反応について基礎的知見を得るために、NOxとしてNO2およびN2O5に注目し芳香族ニトロ化反応を行い反応機構について検討を行った。NO2による芳香族反応機構は、芳香環からNO2への一電子移動を律速とするラジカルカチオンを経由する機構の可能性を示した。四塩化炭素溶媒中でのN2O5によるニトロ化反応ではNO3を攻撃活性種とする機構を示した。また、N2O5によるニトロ化反応におよぼす溶媒効果を検討を行い、反応の温度依存性を示し、アセトニトリル溶媒、四塩化炭素溶媒、ジクロロメタン溶媒での連続的な反応性の変化、ニトロメタン溶媒についてニトロニウム塩によるニトロ化に近い反応性を示した。また、ラマンスペクトル測定により攻撃活性種の推測の補足をした。

Fig.2-1 Relationship between logarithm of partial rate factors and net atomic chargesFig.2-2 Relationship between logarithm of rate constants and ionization potentials of substratesScheme 2-1 Mechanism for the nitration ofalkylbenzenes with NO2Fig.3-1 lsomer distribution of nitroderivatives in the nitration of toluene with N2O5Fig.3-2 Conversion ratio of nitrotoluene toward reacted toluene in the nitration of toluene with N2O5Scheme 3-1 Nitration mechanism of toluene with N2O5 in CCI4Fig.3-3 lsomer distribution in the nitration of toluene by direct injection of N2O5 powder(without solvent)Fig.3-4 lsomer distribution and ratio of produced nitrotoluenes in the nitration of toluene with N2O5/N2O4Fig.4-1 Relationship between Hammett’r and reaction temperature in the aromatic nitration with N2O5 in CCl4Fig.4-2 Relationship between Hammett’r and reaction temperature in the aromatic nitration with N2O5 in CH3CNFig.4-3 Relationship between ratio of o/p and Hammett’s in the nitration of tolueneFig.4-4 Relationship between relative rate and ionization potenntial of substrate in the aromatic nitration with N2O5 in CCl4
審査要旨

 本論文は、「NOxによる芳香族ニトロ化反応に関する研究」と題し、NOxとしてNO2およびN2O5に着目してそれらによる芳香族ニトロ化反応の機構解明を試み、近年環境問題として話題となっているニトロ多環芳香族化合物生成の抑制や特徴的なニトロ化合物合成への応用に資する基礎的知見を得ることを目的として行った研究成果をまとめたもので、5章から成る。

 第1章は序論であり、本論文の研究の背景および既往の研究を概説し、本論文の目的と方針を明らかにしている。

 第2章は、芳香族基質としてアルキルベンゼン類を用いて、NO2による環ニトロ化反応の機構について検討した結果を述べている。ニトロ化速度およびニトロ化物の生成物分布におよぼす置換基効果についての検討結果は、部分速度因子と基質のニトロ化位置の電子密度との間に相関があること、また、基質相対反応速度と基質のイオン化ポテンシャルとの間に相関があること、さらに、Galliの方法による検討結果は律速段階が芳香族基質からNO2への一電子移動過程を示すことから、芳香族基質からNO2への一電子移動によりラジカルカチオンを生成する過程を律速段階とする機構を提案している。

 第3章は、N2O5による置換ベンゼン類の四塩化炭素溶媒中での環ニトロ化反応について検討した結果を述べている。低温領域ではN2O5によるニトロ化反応は、その反応速度がNO2による場合に比較して極めて大きく、Hammettプロットの値から典型的な求電子置換反応であることを示していることから、N2O5の均一分解から生成したNO3を主な攻撃活性種とする求電子反応が支配的であるとしている。一方、環ニトロ化物の収率および生成物分布は反応温度により顕著な影響を受け、高温領域では特異的な環ニトロ化物の収率および生成物分布を示しており、N2O5の分解により生成したNO2を主な攻撃活性種とする求電子反応が重要になるとしている。このことはN2O5とN2O4の混合ニトロ化剤を用いたニトロ化の場合のN2O4の割合を増すと環ニトロ化物の収率および生成物分布が変化することからも支持される。

 第4章は、N2O5による置換ベンゼン類の環ニトロ化反応におよぼす溶媒効果について検討した結果を述べている。環ニトロ化物の収率と生成物分布およびHammettの値におよぼす溶媒の影響についての検討結果から、ジクロロメタン溶媒中では四塩化炭素溶媒中と同様にNO3を攻撃活性種とするニトロ化機構、アセトニトリル溶媒中では、硫硝混酸中でのニトロ化と同様にNO2+を攻撃活性種とするニトロ化機構、ニトロメタン溶媒中ではニトロニウム塩によるニトロ化に近いニトロ化機構がそれぞれ関与している可能性を示している。また、アセトニトリル溶媒、ジクロロメタン溶媒および四塩化炭素溶媒について、溶媒の極性および反応温度の変化によりニトロ化反応の攻撃活性種がNO2+からNO3へ変化する様子を明らかにしている。一方、各種溶媒中でのN2O5のラマンスペクトルによる解析結果から、提案したニトロ化反応の攻撃活性種が妥当であることを示している。さらに、N2O5によるニトロ化反応は反応条件の適切な選択により反応の操作が可能であり、目的とするニトロ化を行う上で有用であるとしている。

 第5章は、総括であり、本論文の成果をまとめている。

 以上要するに、本論文はNOxによる芳香族ニトロ化反応について系統的な検討を試み、その機構を明らかにする上で貴重な知見を与えたもので、大気環境化学ならびに化学システム工学の発展に貢献するところが少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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