学位論文要旨



No 114328
著者(漢字) 高,黎静
著者(英字)
著者(カナ) ガオ,リージイン
標題(和) 可燃性固体表面に沿って燃え拡がりに及ぼす接着剤の影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 114328
報告番号 甲14328
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4454号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 教授 幸田,清一郎
 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 助教授 新井,充
 東京大学 助教授 土橋,律
内容要旨 1.緒論

 近年、住宅の建築材料あるいは内装品や家具として種々の合成高分子物質が使用されるようになってきた。このような住宅の火災では、これらの合成高分子物質や材料が相互に影響しながら燃焼しているものと考えられる。したがって、住宅火災の予測をより正確にするためには、それらの高分子物質の燃焼についての知識の蓄積が不可欠である。

 高分子物質が空気中で燃焼する場合には、一般に気相の火炎中で発生した熱の一部が高分子物質(固体)に向かって流れ、その熱によって高分子物質が熱分解を起こし、発生した可燃性気体が気相中に供給され、そこで空気中の酸素と燃焼反応を起こすという経過をとる。火災拡大時の重要な燃焼現象である高分子物質の燃え拡がり現象は、このような過程の起こっている部分が燃え拡がってゆく現象であり、未燃焼部分への熱の移動現象に依存する。

 高分子物質の燃え拡がり現象についての研究は、多くの人々によってなされてきたが、高分子物質の種類は数多く、また、個々の高分子物質によって熱分解反応が異なるというように対象が多様であり、まだ十分とはいえない。特に、建築、内装、家具及び日常の生活の場に多量に使われている接着剤を用いて接着した可燃性固体の燃焼性については、これまでに系統的に調べられた例は少なく、不明な点が多く残っている。その使用量から考えても、住宅火災の性状を的確に理解するためには、接着剤が、火災時の各種の可燃性固体の燃焼特性に及ぼす影響を明らかにする必要がある。このような背景のもとで、火災時の可燃性物質の燃焼性に及ぼす接着剤の影響を明らかにすることを目標として研究を行うことにした。この目標に従うとすれば、接着剤によって接着した試料について調べるべきであるということになる。しかし、そのような不均質で複雑な系について調べてみても基礎的現象の解明にそれほど役に立つとは思えず、また将来の科学技術の進展に資するような的確なデータを得ることは難しい。そこで、本研究は、系を単純化し、可燃性物質に接着剤が均一に浸み込んだ場合に、接着剤が燃焼性に及ぼす影響を、系統的に明らかにすることにした。

 材料の表面にそって鉛直下方へ燃え拡がる現象は、準定常で解析しやすく、基礎的な理解を深めるうえで有用であるので、これまで多くの研究に利用されてきている。本研究は、内装や家具などに広く用いられている代表的な熱硬化性接着剤である尿素樹脂ともう一つ代表的な熱可塑性接着剤であるポリ酢酸ビニルエマルジョン樹脂を取り上げ、これを代表的な可燃性物質であるセルロースよりなるろ紙に浸み込ませ、その表面に沿っての下方燃え拡がりについて調べた。また、電子顕微鏡を用いて、単純な高分子物質と樹脂を含有する試料の燃焼前後の繊維の変化を調べた。続いて、TG、GC-MS等の分析方法を利用して、単純な高分子物質と樹脂を含有する試料の熱分解挙動、熱分解で発生したガスの成分などを調べた。さらに、気相の温度分布を詳細に測定し、火炎から固体への熱移動を調べた。これらの結果から、接着剤が可燃性固体表面に沿っての燃え拡がりに及ぼす影響を明らかにした。

2.試料の作製

 本研究は、ろ紙と接着剤が共存する場合の燃え拡がりを条件を少しずつ変化させて調べ基礎的な知見を得ることを主目的とするものであり、接着剤を含有するろ紙の作製は、研究の第一歩として非常に重要である。接着剤を含有する試料の作製において、留意すべきことは、接着剤をろ紙に均一分布させることである。本研究では、接着剤をろ紙に浸み込ませるという方法で接着剤を含有する試料を作製した。樹脂の含有量が異なる試料を作製するため、樹脂に純水を添加して、濃度を0%(純水)から市販の樹脂の濃度範囲の水溶液を作製し、これにろ紙を浸した後に乾燥して、試料とした。このようにして作製した試料の厚さはほぼ変わらず、0.53mmで、樹脂の含有量は0(ろ紙のみ)から30mg/cm2の範囲となった。したがって、試料の密度は0.26〜0.83g/cm3の範囲で変化することになる。

 本研究では、試料作製の最終段階を研究者自身がおこなっている。このような場合、しばしば試料作製の過程におけるその特性の変化が問題になる。今回の場合には、試料作製に樹脂水溶液に浸すという手順をとるが、ろ紙の特性はこの手順によってほとんど変化しないと考えてよいことを実験により実証した。

3.下方燃え拡がりの挙動

 可燃性固体に沿った燃え拡がり現象は、火災研究にとって基礎的かつ重要な現象である。本研究では、試料の樹脂の含有量を変化させたとき、燃え拡がり挙動の変化を調べた。下方燃え拡がり実験では、試料の両辺をそれぞれアルミニウム製の支持板で挟み、長さ20cm、幅5cmの露出した試料面が鉛直になるように固定し、試料上端の全幅にわたって、平板状バーナ火炎により着火した。燃え拡がり速度は、火炎先端の挙動をビデオカメラで撮影、解析することにより計測した。

3.1燃え拡がりの様子

 燃え拡がりの様子は、ろ紙に浸み込ませた接着剤の種類及び含有量によって異なる。樹脂を含有しないろ紙のみの燃え拡がりにおいては、燃焼後、微量の灰が残るだけである。これに対し、燃え拡がりが持続する範囲で、尿素樹脂含有試料とポリ酢酸ビニル樹脂含有試料を比較すると、燃え拡がりの様子はほぼ同じであるが、火炎の大きさはポリ酢酸ビニル樹脂含有試料の方が大きい。また、尿素樹脂含有試料では、燃焼後生成した炭化物がそのまま残留するのに対し、ポリ酢酸ビニル樹脂含有試料は、生成した炭化物が火炎通過後表面燃焼する。このような燃え拡がり現象の差は、熱分解の過程が異なり、発生する熱分解気体の組成や熱分解領域における炭素残さと未燃焼部分への熱移動との関係にも、差があることを示していると考えられる。

 今回用いた接着剤用樹脂の燃焼性についても、接着剤の燃え拡がりに及ぼす影響を論ずるうえで、知っておく必要がある。尿素樹脂は、それのみでは着火しないが、ポリ酢酸ビニル樹脂は、着火し、燃え拡がる。また、ポリ酢酸ビニル樹脂のみの場合、炭化物が全く生じないことが分かった。

 樹脂を含有する試料は、燃焼後生成した炭化物が燃え拡がりに影響を及ぼしていると考えられ、炭化物についてより詳細に調べる必要があると思われる。そこで、電子顕微鏡を用いて、炭化物のSEM写真を撮った。SEM写真により、尿素樹脂を含有する試料の方が、ポリ酢酸ビニル樹脂を含有する試料より、燃焼後残る炭化物が多く、また繊維と繊維の間にの隙間が小さいことが分かった。

3.2燃え拡がり速度に及ぼす尿素樹脂とポリ酢酸ビニル樹脂の影響

 試料中の樹脂の含有量によって、燃え拡がり速度が変化する様子を調べた。いずれの場合にも、試料中の樹脂含有量が増すにつれて燃え拡がり速度が低下してゆく。ポリ酢酸ビニル樹脂を含有する場合、樹脂の含有量が大きくなると、燃え拡がり速度は、樹脂を浸み込ませないろ紙の燃え拡がり速度の5分の1程度にはなるが、燃え拡がりが中断することはない。これに対して、尿素樹脂を浸み込ませた場合、燃え拡がり速度の減少の割合はポリ酢酸ビニル樹脂を浸み込ませた場合より大きい。また、含有量がろ紙の質量の4分の1程度を超えると、燃え拡がりは中断してしまう。中断する場合、着火後燃え拡がりが中断するまでに熱分解領域が移動する距離は、試料中の尿素樹脂の含有量とともに急激に減少し、その含有量が10mg/cm2を超えると着火直後に燃え拡がりは中断する。

3.3質量燃焼速度

 可燃性固体の燃焼速度を質量燃焼速度として表すことがあるが、これは質量燃焼速度が火災の燃焼を支配する重要な要素の一つであることによる。セルロースよりなる薄い可燃性固体である紙の燃え拡がりにつては、数多くの人々によって研究され、これらの研究の結果として、薄いろ紙の単位幅あたりの質量燃焼速度はほぼ定数であるとされてきた。本研究では、用いた試料は薄いといえ、これについて、単位幅あたりの質量燃焼速度(V)は定数になるかどうかを調べるため、Vを実験結果をもとに計算してみた。樹脂を含有していない薄いろ紙のみの場合、単位幅あたりの質量燃焼速度Vはほぼ定数であるが、樹脂を含有している試料の場合、樹脂の含有量が大きくなると、Vの増大とともに減少してゆくという結果が得られた。また、Vの減少の割合は、尿素樹脂含有試料の方がポリ酢酸ビニル樹脂含有試料より大きくなっている。これらの結果は、接着剤が浸み込んだ薄いろ紙については、単位幅あたりの質量燃焼速度が定数であるという従来の結果と大幅に異なっている。

4.可燃性固体及び接着剤の熱分解機構

 高分子物質は、燃焼に先立って、必ず熱分解する。接着剤が可燃性固体の燃え拡がりに及ぼす影響を論じるうえで、可燃性固体及び接着剤の熱分解機構を把握しておくことは重要である。そこで、本研究では、TG、GC-MS等の分析方法を利用して、単純な高分子物質と樹脂を含有する試料の熱分解挙動、熱分解で発生したガスの成分を調べた。

4.1熱分解挙動

 TG分析では、試料を窒素あるいは空気雰囲気中におき、一定の昇温速度(10,20,30,40,50℃/min)で室温から800℃まで加熱し、時間或いは温度に対する重量変化を調べた。また、得られたDTG曲線のピーク点での温度を熱分解温度と定義し、測定した。

 ろ紙のみの場合、DTG曲線には二つピークが現れる。このことから、ろ紙の熱分解反応は二段階で起きていることがわかる。第一段階(320〜440℃)では、ろ紙の主な熱分解プロセスが起こり、セルロースのモノマー単位であるリボグルコサンが生成昇華し、急速な重量減少(約90%)が起こる。第二段階では、残る炭化物の高温分解が起こる。ポリ酢酸ビニル樹脂の場合には、DTG曲線には三つピークが現れる。第一段階(310〜430℃)では、熱分解反応の主反応が起こり、ポリ酢酸ビニル樹脂の側鎖が離脱し、酢酸ビニルを生成しながら、主鎖に二重結合を形成する。第二、第三段階では、それぞれ、酢酸ビニルの熱分解と残る炭化物の高温分解が起こると推定される。ポリ酢酸ビニル樹脂の第一段階での重量減少率(熱分解で減少した質量と初期質量の比)は約75%で、ろ紙のみの場合より熱分解で残る炭化物の量が多いことが分かる。尿素樹脂の場合には、より低い温度で熱分解反応が始まり、第一段階(180〜240℃)での重量減少率は約10%である。第二段階(240〜400℃)では、熱分解反応が激しく進行し、約70%の質量が減少する。GC-MSの分析結果によれば、この段階で熱分解生成物は主な二酸化炭素(CO2)と亜酸化窒素(N2O)である。

4.2熱分解温度及び質量減少率と樹脂の含有量との関係

 樹脂を含有する試料について、含有量が熱分解温度及び質量減少率に及ぼす影響を調べた。ポリ酢酸ビニル樹脂を含有する試料と尿素樹脂を含有する試料のいずれにおいても、熱分解温度は樹脂の含有量の増加とともに低下する。ポリ酢酸ビニル樹脂を含有する場合、熱分解の第一段階での質量減少率は樹脂の含有量の増加とともに低下し、最大限に樹脂を含有させた時の質量減少率は約78%となる。これに対して、尿素樹脂を含有する場合、熱分解の第一段階での質量減少率は樹脂の含有量の増加とともに増加する。しかし、第二段階での質量減少率は、樹脂の含有量が増加してもそれほど変化せず、約75%である。これらの結果から、ポリ酢酸ビニル樹脂を含有する試料では、熱分解で残る炭化物の量が樹脂の含有量の増加とともに増加することが分かる。また、尿素樹脂を含有する試料では、熱分解で発生する燃焼不活性ガスの量が樹脂の含有量の増加とともに増加し、熱分解で残る炭化物の量もポリ酢酸ビニル樹脂を含有する試料より大きいことを示した。

5.温度場に及ぼす接着剤の影響

 火炎から試料への熱流束と樹脂の含有量の関係を調べるため、微動装置に取り付けた四本の熱電対(Pt/Pt 13%Rh、線径50m、試料の垂直方向に1mm間隔で設置する)を用いて、火炎先端付近の気相の温度分布を測定した。ろ紙のみ、ポリ酢酸ビニル樹脂を含有する試料及び尿素樹脂を含有する試料の3種類の試料を用いておこなった燃え拡がり実験において、気相の温度分布はそれほど大きく異ならないが、樹脂を含有する場合、高温領域が試料表面に近づくことが分かった。この現象は、尿素樹脂を含有する試料のほうが顕著に現れる。熱流束はポリ酢酸ビニル樹脂の含有量の増大とともに減少してゆき、その減少の割合は、火炎先端近傍未燃焼側のほうが大きくなる。

6.接着剤を含む高分子材料の燃え拡がり機構

 可燃性固体の表面に沿っての燃え拡がり速度は、可燃性固体の未燃焼部分への熱の移動速度に依存する。未燃焼部分への熱の移動過程として、伝導、対流および放射のうちどれが支配的であるか、またその支配的な熱の移動過程に影響すると思われる雰囲気や可燃性固体の性質および状態がどのようであるかによって、燃え拡がり現象が異なる。

6.1熱輸送モデル

 可燃性固体の質量燃焼速度は、火炎から固体に伝えられる熱量と分解、気化等に使われる熱量のバランスを考えることにより予測できる。火炎先端近傍での熱移動と単位幅あたりの質量燃焼速度の関係を整理すると、次のようになる。

 

 ここで、は厚さ、は密度、cは比熱、Tは温度、は熱伝導係数、は放射率、はStefan-Boltzmann定数である。添え字gとsは気体と固体の意味で、温度の添え字x=0,r,wはそれぞれ熱分解温度、室温、試料の表面温度である。左辺Vは単位幅あたりの質量燃焼速度で、右辺の大括弧の第一項は気相からの熱伝達、第二項は放射による熱損失、第三項は固相からの熱伝達である。

 薄いろ紙のみでは、第三項で表れる固相からの熱伝達は無視することができる。また熱分解先端の温度がそれほど高くないので、第二項で表れる放射による熱損失も無視することができる。火炎の温度と熱分解温度が一定であるので、第一項と大括弧前の項は定数であると考えてよい。以上のように仮定できれば、単位幅あたりの質量燃焼速度は定数になるはずである。

 ところが樹脂を含有する場合、前述したように、熱分解温度は樹脂の含有量の増加と共に減少するので、試料の厚さとろ紙、樹脂の比熱があまり変わらなければ、この式の大括弧の前の項は大きくなる。Vが減少するには、もし大括弧内の第二項、第三項が無視できるとすれば、同じ大括弧の第一項で表わされる気相からの熱伝達は減少しなければならない。以上のことを検証するため、本研究では、実験で得られた試料が燃焼する時の気相温度及び試料の表面温度を用いて、式の右辺の各項について計算を試みた。結果は次のようである。

 ポリ酢酸ビニル樹脂を含有する場合、式の右辺の大括弧内の第二項によって表わされる放射による熱損失と第三項によって表わされる固相からの熱伝達は、樹脂を含有しないろ紙のみの場合と比較すると、あまり変わらない。すなわち、Vが減少する主な原因は、第一項で表わされる気相からの熱伝達が減少しているためである。

 尿素樹脂を含有する場合、式の右辺の大括弧内の第三項にで表わされる固相からの熱伝達は、ろ紙のみの場合と比較すると、あまり変わらないが、第二項で表わされる放射による熱損失は、ろ紙のみの場合より大きくなっている。Vが減少する主な原因は、第一項で表わされる気相からの熱伝達が減少していることに加えて、放射による熱損失も大きくなっているためである。

6.2接着剤を含有する試料の難燃化の機構

 これまでに行ってきた、燃え拡がり現象に関する研究の結果から、ポリ酢酸ビニル樹脂と尿素樹脂を含むろ紙の燃え拡がりにおいて、いずれの場合にも、樹脂の含有量が増加すると、燃え拡がり速度が減少することが分かった。その理由としては、次のようなことが考えられる。樹脂を浸み込ませると、試料の密度が大きくなり、熱容量も大きくなる。したがって、気化するのに必要な熱量が大きくなり、この結果、燃え拡がり速度が減少する。

 ポリ酢酸ビニル樹脂を含有場合、ポリ酢酸ビニル樹脂の熱分解によって、酢酸が生成するので、セルロースのエステル化による脱水反応とカルボニルイオン生成反応が起こる。その結果、固相内で可燃成分である水素が水に変化し、水蒸気となって気化熱を奪うことになり、燃え拡がり速度が低下する。また、可燃成分が炭化物になることによって固相にとどまり、気相内には可燃性成分が出でないという反応機構でも難燃化している。

 尿素樹脂を含有する場合、尿素樹脂自体が難燃性を持つ熱硬化性高分子物質である。このような高分子物質は、熱を加えると、高度に架橋した三次元ネットワーク構造になる。この場合、結合がきれても可燃性の気体が発生せず、炭化が進行し、熱安定性の高い高分子を得るため、難燃性が高くなる。

 尿素樹脂含有量が増加すると、燃え拡がりが中断する原因として、次のようなことが考えられる。まず、樹脂の含有量が増加すると、生じる炭化物の割合も増加し、それによる熱移動の抑制効果が大きくなる。また、樹脂の含有量の増大とともに熱分解によって生じる燃焼不活性な気体の濃度も増加し、そのため、希釈の効果が大きくなる。これらのことにより、火炎において発生する熱が減少し、熱分解領域へ伝わる熱が減少するため、気体発生量自体が少なくなり、ついには火炎を維持できなくなる。このようにして燃え拡がりが中断する。

7.結論

 本研究では、可燃性固体表面に沿っての燃え拡がり及ぼす接着剤の影響に関して調べ、以下の結果を得た。

 1)接着剤が燃え拡がり挙動に与える影響を明らかにした。その結果、接着剤の含有量が増すと燃え拡がり速度が低下する。燃え拡がり速度の減少割合は、尿素樹脂含有試料の方がポリ酢酸ビニル樹脂含有試料より大きい。また、ポリ酢酸ビニル樹脂含有試料は、含有量が増加しても燃え拡がることができるが、尿素樹脂含有試料では、含有量が5mg/cm2を超えると、燃え拡がりは中断する。

 2)可燃性固体及び接着剤の熱分解挙動を調べた結果、熱分解温度が樹脂の含有量の増大と共に低下する。ポリ酢酸ビニル樹脂を含有する場合、熱分解後残る炭化物の量は、含有量の増加と共に増加する。尿素樹脂を含有する場合、燃焼不活性気体の発生量は、含有量の増加と共に増加する。

 3)接着剤を含有する試料に対して、単位幅あたりの質量燃焼速度は試料の単位面積あたりの重量の増大につれて減少する。その減少の割合は、尿素樹脂含有試料の方がポリ酢酸ビニル樹脂含有試料より大きい。

 4)接着剤を含有する試料の難燃化の機構を明らかにした。ポリ酢酸ビニル樹脂では、可燃性ガス成分が減り、水のような不燃性成分及び固体炭化物が生成するので、難燃化が起こる。尿素樹脂では、架橋反応によって、熱安定性の高い高分子となり、難燃化が起こる。

審査要旨

 本論文は、「可燃性固体表面に沿っての燃え拡がりに及ぼす接着剤の影響に関する研究」と題し、建物などに多量に用いられている接着剤が火災性状に及ぼす影響を評価するための基礎資料とすることを目的として、薄いセルロースに接着剤をしみこませた試料表面に沿っての下方燃え拡がりが接着剤によって変化する機構について調べた結果をまとめたものであり、8章からなっている。

 第1章は、「序論」で、接着剤の燃焼に関する研究の必要性ならびに下方燃え拡がり現象を利用した理由について述べ、本研究の位置づけを行っている。

 建築材料、内装品、家具などに多量に使われている接着剤は、住宅火災の性状に大きな影響を及ぼしているはずであるが、接着剤を用いている物の火災時における燃焼性状については、まだほとんど解明されていない。そこで、火災時における可燃性固体の燃焼に及ぼす接着剤の影響を解明することにしたが、対象とする系を複雑なものとして本質を見失うことを避けるため、火災時の燃焼に関する研究に用いられるもっとも単純な系である、下方燃え拡がりを対象の系とすることにした。実験試料としては、一般によく使われている接着剤のうち、代表的な熱可塑性接着剤であるポリ酢酸ビニル樹脂と代表的な熱硬化性樹脂である尿素樹脂を、住宅における代表的な可燃性物質であるセルロースよりなるろ紙にしみこませたものを用いた。

 第2章及び第3章は、それぞれ「高分子材料及び接着剤の特性」及び「実験試料の作製」で、本研究で用いた、接着剤とろ紙の特性及び試料の作製方法について述べている。

 高分子の表面に沿っての燃え拡がり現象を理解するには、その現象を構成する各過程、特に火炎から固体への熱移動、熱分解、残さとしての炭素の残留などの知識が必要である。用いた2種類の接着剤それぞれとろ紙の特性は、分解の過程、炭化の過程、その結果としての燃焼特性などで、大幅に異なっている。これらの異なった特性の接着剤とろ紙による試料の作成においては、接着剤をろ紙に均一に分布させることおよび資料の厚さを一定にすることに留意した。

 第4章は、「下方燃え拡がりの挙動」で、試料表面に沿っての燃え拡がり現象を観測した結果について述べている。

 燃え拡がり速度は、試料に含有している接着剤の量が増すにつれて小さくなる。ポリ酢酸ビニル樹脂をしみこませたろ紙の場合には、樹脂の含有量が大きくなっても、燃え拡がりが中断することはないが、尿素樹脂をしみこませたろ紙の場合には、樹脂の含有量がろ紙の4分の1程度になると、燃え拡がりが中断する。また、これら2種類の試料のいずれについても、燃え拡がり時の質量燃焼速度は、樹脂の含有量とともに小さくなる。この結果は、質量燃焼速度がほぼ一定になるという従来の研究結果とは異なる。

 第5章は、「可燃性固体及び接着剤の熱分解機構」で、燃焼現象を理解する上で必要な、試料の熱分解特性を調べた結果について述べている。

 燃え拡がり現象を検討する際、熱分解温度に関する知識は不可欠である。ポリ酢酸ビニル樹脂をしみこませた試料と尿素樹脂をしみこませた試料のいずれにおいても、熱分解は複数の段階で起こるが、主たる熱分解過程の温度は、樹脂の含有量の増大とともに低下する。熱分解の第一段階での質量減少率は、樹脂の含有量の増大とともに、ポリ酢酸ビニル樹脂の場合には低下するが、尿素樹脂の場合には増大する。また、尿素樹脂をしみこませた試料では、熱分解で発生する燃焼不活性気体の量が、その含有量とともに増大すると推定できる。

 第6章は、「火炎先端付近の熱移動」で、火炎先端付近の熱移動の評価を行い、燃え拡がりにおける諸現象を検討した結果について述べている。

 ポリ酢酸ビニル樹脂をしみこませた場合の質量燃焼速度が減少する主な原因は、気相から試料への熱移動速度が減少することにある。一方、尿素樹脂をしみこませた場合の質量燃焼速度が減少する主な原因は、気相から試料への熱移動速度が減少していることに加えて、放射による熱損失が大きくなっていることにもある。

 第7章は、「接着剤を含有する試料の難燃化の機構」であり、本研究で観測された、接着剤をしみこませると試料が燃え難くなるという現象を検討した結果について述べている。

 本研究に用いた試料では、接着剤の含有量が増すと燃え拡がり速度が減少する。接着剤をしみこませると、試料の熱容量が大きくなり、燃え拡がり速度の減少をもたらすが、これは、難燃化した結果ではない。ポリ酢酸ビニル樹脂をしみこませた試料では、カルボニルイオン生成反応による水蒸気の生成および炭化が起こり気相に可燃性気体が出難くなることによって、難燃化する。また、尿素樹脂をしみこませた試料では、熱を受けることにより、高度に架橋した三次元ネットワーク構造になり、炭化が進行すると同時に、燃焼不活性気体を生成することによって、難燃化し、燃焼中断に至る。

 第8章は、「結論」で、本研究の結果を総括している。

 以上要するに、本研究では、薄いセルロースよりなるろ紙に接着剤をしみこませた試料表面に沿っての下方燃え拡がり現象について調べ、建物などに多量に用いられている接着剤が火災性状に及ぼす影響についての多くの知見を得ることに成功している。この結果は、建物の火災危険性を評価するための基礎資料として有効であり、火災科学、燃焼学ならびに化学システム工学の進展に貢献するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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