本論文は、「可燃性固体表面に沿っての燃え拡がりに及ぼす接着剤の影響に関する研究」と題し、建物などに多量に用いられている接着剤が火災性状に及ぼす影響を評価するための基礎資料とすることを目的として、薄いセルロースに接着剤をしみこませた試料表面に沿っての下方燃え拡がりが接着剤によって変化する機構について調べた結果をまとめたものであり、8章からなっている。 第1章は、「序論」で、接着剤の燃焼に関する研究の必要性ならびに下方燃え拡がり現象を利用した理由について述べ、本研究の位置づけを行っている。 建築材料、内装品、家具などに多量に使われている接着剤は、住宅火災の性状に大きな影響を及ぼしているはずであるが、接着剤を用いている物の火災時における燃焼性状については、まだほとんど解明されていない。そこで、火災時における可燃性固体の燃焼に及ぼす接着剤の影響を解明することにしたが、対象とする系を複雑なものとして本質を見失うことを避けるため、火災時の燃焼に関する研究に用いられるもっとも単純な系である、下方燃え拡がりを対象の系とすることにした。実験試料としては、一般によく使われている接着剤のうち、代表的な熱可塑性接着剤であるポリ酢酸ビニル樹脂と代表的な熱硬化性樹脂である尿素樹脂を、住宅における代表的な可燃性物質であるセルロースよりなるろ紙にしみこませたものを用いた。 第2章及び第3章は、それぞれ「高分子材料及び接着剤の特性」及び「実験試料の作製」で、本研究で用いた、接着剤とろ紙の特性及び試料の作製方法について述べている。 高分子の表面に沿っての燃え拡がり現象を理解するには、その現象を構成する各過程、特に火炎から固体への熱移動、熱分解、残さとしての炭素の残留などの知識が必要である。用いた2種類の接着剤それぞれとろ紙の特性は、分解の過程、炭化の過程、その結果としての燃焼特性などで、大幅に異なっている。これらの異なった特性の接着剤とろ紙による試料の作成においては、接着剤をろ紙に均一に分布させることおよび資料の厚さを一定にすることに留意した。 第4章は、「下方燃え拡がりの挙動」で、試料表面に沿っての燃え拡がり現象を観測した結果について述べている。 燃え拡がり速度は、試料に含有している接着剤の量が増すにつれて小さくなる。ポリ酢酸ビニル樹脂をしみこませたろ紙の場合には、樹脂の含有量が大きくなっても、燃え拡がりが中断することはないが、尿素樹脂をしみこませたろ紙の場合には、樹脂の含有量がろ紙の4分の1程度になると、燃え拡がりが中断する。また、これら2種類の試料のいずれについても、燃え拡がり時の質量燃焼速度は、樹脂の含有量とともに小さくなる。この結果は、質量燃焼速度がほぼ一定になるという従来の研究結果とは異なる。 第5章は、「可燃性固体及び接着剤の熱分解機構」で、燃焼現象を理解する上で必要な、試料の熱分解特性を調べた結果について述べている。 燃え拡がり現象を検討する際、熱分解温度に関する知識は不可欠である。ポリ酢酸ビニル樹脂をしみこませた試料と尿素樹脂をしみこませた試料のいずれにおいても、熱分解は複数の段階で起こるが、主たる熱分解過程の温度は、樹脂の含有量の増大とともに低下する。熱分解の第一段階での質量減少率は、樹脂の含有量の増大とともに、ポリ酢酸ビニル樹脂の場合には低下するが、尿素樹脂の場合には増大する。また、尿素樹脂をしみこませた試料では、熱分解で発生する燃焼不活性気体の量が、その含有量とともに増大すると推定できる。 第6章は、「火炎先端付近の熱移動」で、火炎先端付近の熱移動の評価を行い、燃え拡がりにおける諸現象を検討した結果について述べている。 ポリ酢酸ビニル樹脂をしみこませた場合の質量燃焼速度が減少する主な原因は、気相から試料への熱移動速度が減少することにある。一方、尿素樹脂をしみこませた場合の質量燃焼速度が減少する主な原因は、気相から試料への熱移動速度が減少していることに加えて、放射による熱損失が大きくなっていることにもある。 第7章は、「接着剤を含有する試料の難燃化の機構」であり、本研究で観測された、接着剤をしみこませると試料が燃え難くなるという現象を検討した結果について述べている。 本研究に用いた試料では、接着剤の含有量が増すと燃え拡がり速度が減少する。接着剤をしみこませると、試料の熱容量が大きくなり、燃え拡がり速度の減少をもたらすが、これは、難燃化した結果ではない。ポリ酢酸ビニル樹脂をしみこませた試料では、カルボニルイオン生成反応による水蒸気の生成および炭化が起こり気相に可燃性気体が出難くなることによって、難燃化する。また、尿素樹脂をしみこませた試料では、熱を受けることにより、高度に架橋した三次元ネットワーク構造になり、炭化が進行すると同時に、燃焼不活性気体を生成することによって、難燃化し、燃焼中断に至る。 第8章は、「結論」で、本研究の結果を総括している。 以上要するに、本研究では、薄いセルロースよりなるろ紙に接着剤をしみこませた試料表面に沿っての下方燃え拡がり現象について調べ、建物などに多量に用いられている接着剤が火災性状に及ぼす影響についての多くの知見を得ることに成功している。この結果は、建物の火災危険性を評価するための基礎資料として有効であり、火災科学、燃焼学ならびに化学システム工学の進展に貢献するところ大である。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。 |