学位論文要旨



No 114329
著者(漢字) 呉,暁聞
著者(英字)
著者(カナ) ウー,シャオウェン
標題(和) シクロヘキサンの部分酸素酸化反応
標題(洋)
報告番号 114329
報告番号 甲14329
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4455号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 幸田,清一郎
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 松村,幸彦
 東京大学 助教授 水野,哲孝
 東京大学 講師 大島,義人
内容要旨

 炭化水素の部分酸化反応は有機工業として重要な反応である。シクロヘキサンの部分酸化反応に関しては、生成物であるシクロヘキサノールやシクロヘキサノンがナイロン合成の原料として付加価値の高い化合物であることから、これまでに多くの研究がなされている。現行のシクロヘキサノンの工業プロセスでは、コバルト等の金属塩触媒を用いた液相自動酸化によるシクロヘキサンの空気酸化法が主流である。この方法では、160〜180℃、8〜12気圧程度が標準的な操作条件であるが、触媒の添加やこの程度の反応温度が必要な理由は、中間体であるシクロヘキシルヒドロペルオキシドの分解に高い活性化エネルギーがあるためである。この系をさらに低温化できれば、副反応である完全酸化が抑制され、選択性の点で有利であると考えられる。一方、無触媒系で行うことによって分離操作の簡素化も期待できる。このような着眼にもとづいた研究例はあまり多くない。

 これらの背景をふまえ、本論文では、シクロヘキサンの部分酸化反応に関する新たな反応プロセスの開発に役立つ基盤構築を目的とし、レーザー光によって誘起される酸素酸化反応、および超臨界二酸化炭素を反応溶媒とする鉄-ポルフィリン錯体触媒を用いた部分酸化反応について検討を行った。

1.シクロヘキサンのレーザー光誘起液相部分酸素酸化反応

 レーザー光を光源とした光誘起部分酸化反応の場合、レーザー光の単色性、強度、パルス性等の特色を生かし、適切な連鎖開始剤を用いることにより、連鎖開始過程と連鎖成長過程を独立に制御して、目的生成物の量子収率、選択率を向上させる可能性があると考えられる。本系では、光源としてKrFエキシマーレーザー(248nm)を用い、反応温度や酸素圧力、レーザー光の強度、パルスエネルギーなどの反応条件がシクロヘキサンの酸素酸化反応に及ぼす影響を調べた。

 まず、酸素を溶存させた液相のシクロヘキサンが、248nm付近の波長の光を実際に吸収することを確認するために、同系の紫外吸収スペクトルを測定した。その結果、酸素が溶存しない場合にはほとんど光吸収が見られないのに対し、酸素を溶存させると光吸収が観察され、その傾向は酸素圧の高い条件の方が顕著であることが明らかにされた。

 続いて、KrFエキシマーレーザー光を用いて、実際にシクロヘキサンの液相部分酸化反応を試みた。シクロヘキサン反応量への各反応条件依存性についてまとめると、以下のようになる。レーザー照射時間については、転化量は時間の経過に対してほぼ直線的に増加し、生成物分布には顕著な時間依存性は見られなかった。酸素圧力については、0.3〜2.0MPaの範囲において、酸素圧力の増加に伴いシクロヘキサンの転化量がわずかながら増加するが、2.0MPaを越えたあたりから、ほぼ頭打ちになる傾向が観察された。また、反応温度を301〜343Kの範囲で変化させた結果、シクロヘキサンの転化量は温度の上昇に伴い単調に増加し、343Kでは301Kの約1.4倍のシクロヘキサン転化量が得られた。

 生成物分布に関しては、以下のような条件依存性が明らかにされた。すなわち、いずれの反応条件においても、主生成物はシクロヘキサノールやシクロヘキサノンであり、副生成物としてビシクロヘキシルエーテルやシクロヘキセン、ビシクロヘキシル、シクロヘキシルヒドロペルオキシドも観察された。また、シクロヘキサノールとシクロヘキサノンの生成量比は、反応時間やレーザー光のパルスエネルギーにほとんど影響を受けないことが示された。これに対し、反応温度や酸素圧力を変えたところ、温度の上昇に伴ってシクロヘキサノールの選択性が、また酸素圧力の上昇に伴って、シクロヘキサノンの選択性が、それぞれ上昇することが明らかになった。

 反応がどの程度連鎖的に進行しているかを調べるため、量子収率(シクロヘキサンの反応量と吸収された光子の数の比)を指標として、その条件依存性について調べた。その結果、量子収率は反応温度に対して大きな正の依存性を持ち、343K程度の温度で量子収率がほぼ1に近い値をとることが示された。また、量子収率の温度依存性から、この反応には16kJ/mol程度の活性化エネルギーがあることがわかった。

 以上の結果から、本系の主たる反応経路を推定した。これにより、本反応系では、溶媒分子で取り囲まれたケージの中でおこるラジカルーラジカル反応が支配的であることを半定量的に示すことに成功した。レーザー光誘起合成反応の最大の課題である「光子コスト」の点から考えると、既存のプロセスを凌ぐために必要な技術的改良の余地は多く残されているとはいえ、レーザーによる高ラジカル密度の反応場を実現したことは、当該分野の今後の研究につながる結果である。

2.超臨界二酸化炭素中に可溶な{FeIII(TPFPP)Cl}錯体触媒を用いたシクロヘキサンの酸素酸化反応

 超臨界流体は物性的に気体や液体では得られない特徴的な性質を持っている。特に二酸化炭素は、比較的温和な条件で超臨界状態にできるという利点があり、また、温度と圧力の選択によって、溶媒の密度や拡散性、溶解度をコントロールすることが可能であることや、分離操作が簡単に行えることなどから、新規な反応溶媒として期待されている。本系では、超臨界二酸化炭素を反応溶媒として、鉄-ポルフィリン系錯体触媒を用いた、シクロヘキサンの均一相触媒酸素部分酸化反応に関する知見を得ることを目的とした。

 本系では、有機溶媒中で高い部分酸化活性を示すことが知られている鉄-ポルフィリン系錯体をベースに、5,10,15,20-テトラキス(ペンタフルオロフェニル)-ポルフィリン鉄(III)クロリド(以下{FeIII(TPFPP)Cl}と記す)に注目した。この研究では、超臨界二酸化炭素に触媒が可溶であることが必須であり、その確認のために、{FeIII(TPFPP)Cl}錯体触媒の超臨界二酸化炭素への溶解度を測定するための装置を作製し、実測した。その結果、{FeIII(TPFPP)Cl}錯体触媒は、超臨界二酸化炭素に可溶であることが明らかになった。また、触媒の溶解度には温度や圧力に対する依存性が見られ、高温、低圧ほど触媒の溶解度が低下する傾向が観察された。

 この触媒を用いて、シクロヘキサンの均一相部分酸化反応のバッチ実験を行った。触媒の{FeIII(TPFPP)Cl}、基質のシクロヘキサン、溶媒の二酸化炭素に加え、還元剤としてアセトアルデヒドを添加し、反応を行ったところ、液相(酢酸エチル溶媒)で行った場合と比較して3.8倍の反応速度が得られ、目的生成物であるシクロヘキサノールとシクロヘキサノンの選択性も極めて高いという結果が得られた。次に、溶媒である二酸化炭素の臨界点付近の温度・圧力条件で、触媒活性の変化を調べたところ、各反応温度において、収率が極大をとる圧力が存在し、その極大値は高温ほど大きいという興味深い結果が得られた。収率に極大値を与える圧力は、二酸化炭素の臨界圧力である7.3MPa付近であり、温度が高くなるにつれて、極大を与える圧力は高圧側へ少しずつシフトする傾向が観察された。この傾向は、各温度において、密度の圧力に対する偏微分値が最大となる時の圧力の軌跡とよく対応しており、触媒の溶解度など超臨界二酸化炭素の溶媒としての特徴が、反応の結果に反映していると予想される。

 反応条件依存性に関してさらに詳細な検討を行うために、超臨界二酸化炭素中に溶解する触媒量を一定にしながら、温度や圧力などの反応条件の依存性を調べる実験を行った。この実験では、触媒が実際に溶媒中で溶解し、均一相を形成していることを目視によって確認することができるよう、観察窓付きの特殊高圧セルを作製した。その結果、シクロヘキサンの転化量について、前述の結果と同様の温度・圧力依存性を示し、先ほどの結果が、単に触媒の溶解量の影響では説明できないことが実験的に明らかにされた。また、単位触媒量、単位時間あたりの反応速度の温度依存性から、この反応には約59kJ/molの活性化エネルギーがあることがわかった。一方、生成物については、溶媒である二酸化炭素の圧力の上昇に伴って、シクロヘキサノンの生成量が増加する傾向が認められた。また、シクロヘキサノールとシクロヘキサノンの生成比の時間依存性より、シクロヘキサノンの一部はシクロヘキサノールの二次的な酸化になることが示唆された。

 このように、鉄-ポルフィリン系触媒を用いた超臨界二酸化炭素中の均一系酸化反応によって、シクロヘキサンから目的とする部分酸化生成物を高選択的に合成することが可能であることを初めて示した。と同時に、本研究を通じて、今まで報告されていない同触媒の超臨界二酸化炭素への溶解度や、活性への温度・圧力効果などが明らかになった。

 以上述べたように、本論文は、シクロヘキサンの部分酸化反応について、レーザー光や超臨界流体といった、いわば新規な技術を積極的に導入し、新しい合成プロセス構築の可能性を示すことに成功したものである。本論文で検討した新規技術は、いずれも系の低温化をはかることを主たる狙いとするものであり、次世代のプロセスに要求される「省エネルギー」や「安全」の観点からも有望であると考えられる。本研究で得られた知見をベースに、今後さらに技術的な改良が施されれば、既存のプロセスが抱える本質的な問題点を克服するための新技術として展開することが大いに期待される。

審査要旨

 本論文は、「シクロヘキサンの部分酸素酸化反応」と題し、工業原料として重要なシクロヘキサンの部分酸化反応生成物を生成するプロセスを、現行のプロセスよりも環境により調和したプロセスへと変換するために必要な、反応工学上の基礎的な知見を得ることを目的に、シクロヘキサンのレーザー光誘起液相部分酸素酸化反応と、超臨界二酸化炭素溶媒における鉄-ポルフィリン錯体触媒を用いた還元的な触媒酸素酸化反応とを検討したものであり、6章より成っている。

 第1章は「緒言」であり、シクロヘキサンの部分酸化反応プロセスにおける現状とその問題点、レーザー光の反応工学への応用、および超臨界流体の反応溶媒としての応用における研究の現状と特徴を述べ、本研究の位置づけを行っている。

 第2章および3章においては、シクロヘキサンのレーザー光誘起液相部分酸素酸化反応を検討した結果が述べられている。この反応系では、レーザー光の単色性、強度、パルス性等の特色を生かして適切な連鎖開始を行わせることにより、連鎖開始過程と連鎖成長過程を独立に制御して、目的生成物の量子収率、選択率を向上させる可能性があるとの考察に基づき検討した結果が述べられている。光源としてKrFエキシマーレーザー(248nm)を用い、反応を行わせた。主要反応生成物はシクロヘキサノールとシクロヘキサノンである。反応温度や酸素圧力、レーザー光の強度、パルスエネルギーなどの反応条件が及ぼす影響を調べ、その結果を量子収率を用いて統一的に整理して検討し、室温よりやや高い温度までの範囲では、量子収率は1より小さな値を取ることから、反応は連鎖的に進行していない可能性が高いことを明らかにした。反応は溶媒分子のケージの中で進行するラジカル-ラジカル反応が主要であると論じている。一方、反応温度の上昇によって量子収率は上昇傾向を示し、連鎖的反応の要素が加わることから、レーザー光誘起ラジカル連鎖反応への展開が期待できると述べている。

 第4章においては、超臨界二酸化炭素を溶媒として用い、鉄ポルフィリン錯体触媒、5,10,15,20-テトラキス(ペンタフルオロフェニル)-ポルフィリン鉄(III)クロリド(以下、Fe(III)(TPFPP)Clと記す)、を用いたシクロヘキサンの酸素酸化反応を検討した結果が述べられている。触媒、基質のシクロヘキサン、溶媒の二酸化炭素に加え、還元剤としてアセトアルデヒドを添加し、室温ないし摂氏数十度までの温度で、反応を検討している。反応の主要生成物はシクロヘキサノールとシクロヘキサノンである。酢酸エチル溶媒で行った場合と比較して数倍の反応速度が得られ、目的生成物の選択性も極めて高いという結果を与えている。さらに二酸化炭素の臨界点付近の温度・圧力条件下で、収率が極大をとる傾向が認められた。触媒の溶解性に十分な注意を払った実験においても、この事実が確認でき、超臨界流体の特異的な反応性が示された結果であると強調している。触媒や還元剤の量、酸素圧力などの条件が反応に及ぼす効果を調べ、可能な反応機構に関しても考察を進めている。残された問題点は、反応時間の経過に対して反応の進行が次第に遅くなることであり、触媒の劣化の可能性に関しても、スペクトル測定の方法によって検討を加えている。

 第5章においては、錯体触媒の溶解度の検討結果が述べられている。超臨界二酸化炭素が有効な溶媒として作用するには、触媒が超臨界二酸化炭素に可溶であることが必須であり、さらに触媒の濃度効果の研究や、濃度の最適化のためには溶解度の正確な値が必要である。本章では溶解度測定装置を作製し、実測した結果が述べられている。測定の結果、Fe(III)(TPFPP)Cl錯体触媒は、超臨界二酸化炭素に可溶であることが確認され、また、触媒の溶解度に対する温度や圧力の効果が解析されている。すなわち溶解度を支配する主要な因子は溶媒の密度であること、同一密度においては温度の上昇によって溶解度が上昇することが明らかにされている。

 第6章は「総括」の章であり、本研究で得られた結果がまとめられている。

 以上要するに、本論文は、シクロヘキサンの部分酸化反応について、レーザー光および超臨界二酸化炭素溶媒という新規な技術を積極的に導入し、新しい環境調和型部分酸化反応プロセス構築の可能性を示すことに成功したものであり、既存のプロセスが抱える本質的な問題点を克服するための新技術を展開するのに必要な、反応工学上の基礎的な知見を与えたものであり、化学システム工学の進展に貢献するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク