学位論文要旨



No 114331
著者(漢字) 近藤,晶子
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,アキコ
標題(和) マボヤミトコンドリアタンパク質合成系における変則暗号の分子機構
標題(洋)
報告番号 114331
報告番号 甲14331
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4457号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,公網
 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 上田,卓也
内容要旨

 後生動物ミトコンドリアでは遺伝暗号が普遍暗号と異なっている例が多く報告されている。本研究ではその中でも例外的な遺伝暗号が見つかった尾索類マボヤにおいて変則暗号が翻訳される分子機構の解明を目指した。

 後生動物ミトコンドリアでは変則暗号は次の4種類のコドンで見つかっている。コドンAUAは普遍暗号ではイソロイシン(Ile)を指定するが、棘皮、扁形、刺胞動物を除く後生動物ではメチオニン(Met)に変化し、開始コドンとしても用いられている。普遍暗号では終止コドンであるコドンUGAがすべての後生動物においてトリプトファン(Trp)となっている。コドンAAAは普遍暗号ではリジン(Lys)だが、棘皮、扁形動物ではそれがアスパラギン(Asn)である。アルギニン(Arg)に対応するコドンAGR(R:A,G)では生物の系統に従って変化しており無脊椎動物ではセリン(Ser)、脊椎動物では終止コドンである。このAGRコドンのみを翻訳するtRNAはミトコンドリアゲノム上にコードされていなく指定されるアミノ酸が変化しているのもそのためと考えられる。以前当研究室でマボヤミトコンドリアゲノム解析を行いったところ、それがグリシン(Gly)であった。また、通常コードされていないアンチコドンTCTを持つtRNA遺伝子も見つかった。一般に、コドン3字目とアンチコドン一字目はワトソン・クリック塩基対に加えてウォブル則と呼ばれる他の組み合わせの塩基対も形成する。後生動物ミトコンドリアでは限られた種類のtRNAで全てのコドンを解読するため、コドン・アンチコドン対合は、細菌や細胞質のものとは異なったウォブル則で行われていると考えられている。ミトコンドリアのウォブル則ではアンチコドンTCTは変則暗号に翻訳されるコドンAGRと対合出来ると考えられるため、このtRNAがGlyを受容しコドンAGRと対合することが予想された。本研究ではこのtRNA遺伝子から作られるtRNAの塩基配列と機能の解析を行うことにより、マボヤの変則暗号翻訳の分子機構の解明を目指した。また、マボヤではコドンAUAも他の後生動物同様にIleからMetに変化している。このtRNAに関しても同様に解析をおこなった。

1.コドンAGRを変則暗号に翻訳するtRNA

 目的とするミトコンドリアtRNAを単離精製し、塩基配列をRNAレベルで解析した。tRNAは以下のようにして調製し解析した。マボヤ筋肉よりフェノール法で核酸を抽出し、陰イオン交換カラムでDNA等を取り除いたものを全tRNAとした。特定のtRNAの一部に相補的なDNAプローブを用いたノーザンプロッティング法によりtRNAが発現していることを確認した。その後固相化プローブ法を用いて目的tRNAを精製した。このtRNAはポリアクリルアミドゲル電気泳動でさらに精製しドニス・ケラー法とポストラベル法による塩基配列の解析に用いた。ノーザンプロッティング法の結果、通常コードされていないコドンAGRと対合出来ると考えられるアンチコドンTCTを持つtRNAが発現していることを確認された。また、塩基配列を解析したところこのtRNAのアンチコドン一字目は5-carboxymethylaminomethyluridine(cmnm5U)であった(図1)。同様の解析したところ同じコドンボックスに属するコドンAGY(Y:U,C)を解読するtRNASer(GCU)はアンチコドン一字目が未修飾のG、Glyに対応する普遍暗号GGN(N:U,C,A,G)を読むtRNAGly(UCC)は未修飾のUであることを確認した(図2)。ミトコンドリアのウォブル則ではアンチコドン一字目が未修飾のGではU,C(稀にはA)と、未修飾のUではU,C,A,G全てと対合する。一方、5位に修飾の入ったUではA,Gのみの制限される。マボヤではtRNA(UCU)がアンチコドン一字目の修飾によりコドンAGRにのみ対合し同じコドンボックスでコドンAGYと対合するtRNASer(GCU)と読み分けていることが示唆された。また、後生動物ミトコンドリアではtRNASer(GCU)の33位の塩基はCに保存されているがマボヤではそれがUに変化している。E.coliにおいてこの部位の塩基がCからUに変化することにより対合するコドンが制限される例が報告されており、マボヤの場合もコドンAGRのみと対合するようにtRNASer(GCU)が変化して制限している可能性も考えられる。一方、普遍暗号のGlyコドンと対合するtRNAGly(UCC)は未修飾のUをアンチコドン一字目に持つことによって、コドンGGN全てと対合するが、コドンAGRとは対合しないのでtRNAGly(UCC)がコドンAGRをGlyに翻訳することはないと考えられる。

 tRNA(UCU)が受容しているアミノ酸を、当研究室開発した細胞内アミノアシルtRNAの解析法を用いて調べた。酸性条件化で調製した全アミノアシルtRNAのアミノ酸を[1-14C]無水酢酸でアセチル化し標識した。その全アセチルアミノアシルtRNAは固相化プローブ法で精製したのち薄相クロマトグラフィーで解析した。その結果tRNA(UCU)はGlyを受容していた(図4)。このことよりマボヤミトコンドリアでは、tRNA(UCU)がGlyを受容し、コドンAGRと対合することで変則的にコドンAGRをGlyに翻訳することが示唆された。一方、E.coli等の原核生物、酵母等の細胞質のGlytRNA合成酵素(GlyRS)ではアンチコドン3字目のCを認識することが報告されている。tRNAGly(UCU)ではそれがCではなくUである。普遍暗号のtRNAGly(UCC)のみを持つ牛ミトコンドリアGlyRSの粗精製画分を用いin vitroでのアミノアシル化実験を行ったところ、tRNAGly(UCC)はGlyを受容することができたが、tRNAGly(UCU)では受容活性が見られなかった(図3)。マボヤミトコンドリアでは、tRNAGly(UCU)がコドンAGRを変則的にGlyに翻訳する必要があったためにGlyRSも基質認識が変化したか、または普遍暗号のtRNAを認識するGlyRSの他に新たにtRNAGly(UCU)を認識するGlyRSがコードされるようになったと推測される。

2.コドンAURをMetに翻訳するtRNA

 コドンAUAは普遍暗号ではIleを指定しているが、マボヤミトコンドリアではMetを指定している。コドンAURをMetに翻訳する牛、線虫のミトコンドリアtRNAは5-ホルミルシチジン(f5C)をそのアンチコドン一字目に持つ。一方コドンAUGのみがMetを指定する棘皮動物ヒトデでは、その位置が未修飾のCであることが以前報告されている。マボヤのtRNAMet遺伝子では、アンチコドンはTATである。このtRNAがどのようにしてコドンAURと対合しているのかを調べるため以下の実験を行った。

 tRNAGly(UCU)の場合と同様にtRNAMet(UAU)の単離精製と塩基配列の解析を行い、その結果、アンチコドン一字目はcmnm5Uであった(図5)。この修飾塩基はミトコンドリアのウォブル則ではA、Gと対合することができる。コドンAURがMetに翻訳されていることはこのウォブル則と矛盾せず、アンチコドン一字目の修飾塩基によって変則暗号に翻訳されると推測される。また、tRNAMet(UAU)がタンパク質合成系で機能していることを確かめるために、マボヤミトコンドリアの抽出液を用いてin vitroでのMetの受容活性を調べ、このtRNAがMetを受容することが示された(図5)。一方アンチコドンがf5CAUであるウシのミトコンドリア抽出液と牛ミトコンドリアtRNAMetを用いて、マボヤミトコンドリア抽出液とtRNAMetとの交換実験を行ったところ、マボヤのミトコンドリア抽出液では両方のtRNAがMet受容活性を示したが、牛のミトコンドリア抽出液では牛のtRNAのみがMetを受容した(図5)。通常tRNAMetのアンチコドンは広く保存されており、これはミトコンドリアでも同じである。E.coliではこのアンチコドンがメチオニルtRNA合成酵素(MetRS)の基質認識を決める部位であることが報告されている。軟体動物二枚貝(Mytilus edulis)ではアンチコドンCATとTATを持つ2種類のtRNAMet遺伝子が報告されてが、マボヤではアンチコドンがTATのtRNAMet遺伝子のみがDNA上に存在している。この事実は、アンチコドンが変化したことに伴い、一般に核にコードされているMetRSも変化したことを示唆している。

発表状況

 1)A Kondo,S Yokobori,T Ueda and K Watanabe(1996)"Primary sequence of ascidian mitochondrial glycine tRNA translating non-universal codons AGR(R:A,G)"Nucleic Acid Symposium Series No.35,279-280

 2)A Kondow,S Yokobori,T Ueda and K Watanabe"Ascidian mitochondrial tRNAMet possessing unique structural characteristics"Nucleosides and Nucleotides No.17(1-3),531-539

(図1)マボヤH.roretzi mt tRNAGly(UCU)a.塩基配列 b.薄相クロマトグラフィーによるアンチコドン一字目の塩基の分析 系1 一次元 イソ酪酸:アンモニア:水(v/v/v)66:1:33 二次元 イソプロパノール:濃塩酸:水(v/v/v)70:15:15 系2 一次元 イソ酪酸:アンモニア:水(v/v/v)66:1:33 二次元 0.1Mリン酸ナトリウム(pH6.8)100ml,硫安60g,n-プロパノール2ml c.cmnm5Uの構造(図2)マボヤH.roretzi mt tRNAGly(UCU)tRNAGly(GCU)の塩基配列(図3)mt tRNAGlyのin vitroアミノアシル化標準的な反応液組成を以下に示す100mM Tris HCl(pH8.0) 15mM MgCl2 2mM ATP 20mM KCl 0.2mM spermine 0.4M mt tRNAGly 38M[14C]Gly(3.81GBq/mmol)1/10vol.mitochondrial extract(図4)細胞内アミノアシルtRNA(UCU)の解析展開溶媒:n-ブチルアルコール:酢酸:水(v/v/v)4:0.9:1(図5)マボヤH.roretzi mt tRNAMet(UAU)の塩基配列(左図)とアンチコドン一字目の塩基の分析(図6)mt tRNAMetのin vitroでのアミノアシル化
審査要旨

 普遍暗号と異なる遺伝暗号(変則暗号)を用いているタンパク質合成系がミトコンドリアや細胞質で報告されている。本論文は「マボヤミトコンドリアタンパク質合成系における変則暗号の分子機構」と題し、変則暗号を用いていることが推測されていた尾索動物マボヤを研究対象として、その変則暗号の生成機構の解明を目指して、マボヤにおける遺伝暗号の確定と、変則暗号が翻訳される分子機構の解析を行ったものであり、5章よりなる。

 第1章は序章であり、本研究の背景、これまでの知見、および本研究の目的が書かれている。1979年に牛ミトコンドリアで初めて変則暗号が発見されて以来、ミトコンドリアだけでなく細胞質でも変則暗号の存在が続々と報告された。遺伝暗号を決定づけているのはアダプター分子のtRNAであるから、本研究では主としてマボヤミトコンドリアでの変則暗号の翻訳に関わるtRNAの解析を行ったという事情が述べられている。

 第2章では、本研究で用いられた材料と方法について集中的に記述されている。

 第3章ではAGR(RはAかG)コドンを変則暗号に翻訳するtRNAの解析について述べている。普遍暗号ではアルギニン(Arg)に指定されているAGRコドンは、多細胞動物ミトコンドリアでは多様であり、無脊椎動物ではセリン(Ser)、脊椎動物では終止コドンに変化している。ところが、系統的にこれらの生物群の中間に位置する尾索動物のマボヤでは、AGRコドンの翻訳がこれらのどちらにも属さず、特別にグリシン(Gly)に翻訳されることがDNA配列の比較から推測されていた。そこでまず、AGRコドンがどのアミノ酸に指定されているかを決定した。他の多細胞動物ミトコンドリアのゲノム上にはコードされていないが、マボヤにだけ特別に存在するtRNA(UCU)がAGRコドンの翻訳に関与すると考えられたため、このtRNA(UCU)を単離精製し、その塩基配列の解析を行った。ドニス・ケラー法、口野らの方法、そしてLC/MSでの解析の結果、アンチコドン1文字目に分子量381.3の新規のUの誘導体(U*)が存在することが見いだされた。この修飾塩基は、ウシミトコンドリアtRNAの1文字目に存在し、AとGに対合することがすでに明らかにされていたものと同じ分子量を持つことより、これらの修飾塩基は同一のものであると判定された。従って、マボヤでもこのU*はAとGに対合すると予測できるので、AGRコドンはtRNA(UCU)と対合すると結論づけられた。また、細胞内に存在するアミノアシルtRNAをそのまま解析可能な方法でtRNA(UCU)に結合しているアミノ酸を解析したところ、Glyであった。このようにしてマボヤミトコンドリアでは、AGR=Glyという新規の変則暗号を用いていることが明らかになった。また、このマボヤ特異的な変則暗号はマボヤのゲノム上に生じたtRNA(UCU)遺伝子に起因することが示された。AGRコドンがSerからGlyに暗号変化した過程は、Glyを受容するtRNA(UCU)の出現によって起きたと考えられる。ところが、グリシルtRNA合成酵素(GlyRS)は、大腸菌等ではtRNAのアンチコドン3文字目のCを強く認識することが報告されており、このルールがミトコンドリアでも成立すると考えれば、tRNA(UCU)の出現に伴ってGlyRSの基質認識能も変化しなくてはならない。tRNAGlyのアンチコドン3文字目がCである牛ミトコンドリアGlyRSを用いたin vitroアミノアシル化実験を行ったところ、マボヤのtRNA(UCC)はGlyを受容できたが、tRNA(UCU)は受容できなかった。マボヤではこれら両tRNAがGlyを受容していることが明らかになっているので、マボヤでは暗号変化に伴いGlyRSの基質認識能が変化した(暗号変化と共進化した)可能性が示唆された。これについては、1つのGlyRSが2種類のtRNAGlyを認識できるようになった、もしくは、tRNA(UCU)専用の2つめのGlyRSが新たに出現という2つの可能性が考えられる。

 第4章ではAUAコドンをメチオニン(Met)に翻訳するtRNAの解析結果について述べている。マボヤでは他の多くの動物と同様に、AUAコドンはMetに翻訳されることが予想されていたので、tRNA(UCU)の場合と同様に、AUAコドンと対合すると予想されるtRNA(UAU)の塩基配列を解析した。その結果、アンチコドン1文字目には、tRNA(UCU)と同じ、分子量381.3を持つUの誘導体が見いだされた。このことから、tRNA(UAU)がコドンAUAと対合することが示された。また、マボヤミトコンドリア抽出液を用いたin vitroのアミノアシル化実験を行い、tRNA(UAU)がメチオニンを受容したことから、tRNA(UAU)がAUAコドンをMetに翻訳することが確定された。通常のtRNAMet遺伝子のアンチコドンはCATで、これは生物種間を越えて保存されているが、それがCATでなくTATのアンチコドンを持つtRNAMet(UAU)の実在は本研究で初めて示された。通常のメチオニルtRNA合成酵素(MetRS)はアンチコドンCAUを強く認識することが大腸菌等で報告されており、ミトコンドリアでも同様であれば、マボヤではtRNAMet(UAU)の出現に伴ってMetRSの基質認識能も変化しなくてはならない。アンチコドンがf5CAU(f5C:5-ホルミルC)であるtRNAMetをもつ牛ミトコンドリアのMetRSと、マボヤミトコンドリアの抽出液(MetRSを含む)を用いてin vitroアミノアシル化実験を行ったところ、マボヤの酵素はウシ、マボヤ両方のtRNAを認識したが、牛の酵素は牛tRNAしか認識しなかった。このことよりマボヤではtRNAMet(UAU)の出現に伴ってMetRSの基質認識能が変化したことが示唆された。

 第5章では総合考察と結論が述べられている。

 以上要するに、本研究は他のいかなる生物とも異なる独自の変則暗号をもつマボヤを対象とし、その変則暗号翻訳の分子機構を明らかにしたものである。この研究は単に基礎科学に資するだけでなく、変則暗号の利用を試み、それを利用して新規蛋白質の人工創製を目指す蛋白工学分野にも寄与するところ大である。従って本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク