学位論文要旨



No 114332
著者(漢字) 神谷,淳
著者(英字)
著者(カナ) カミタニ,ジュン
標題(和) 多核金属錯体によるRNAの加水分解
標題(洋)
報告番号 114332
報告番号 甲14332
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4458号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 助教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 石井,洋一
内容要旨 1.緒言

 近年のバイオテクノロジーの発展やアンチセンスオリゴマーとしての応用が期待されることから、人工リボヌクレアーゼの開発が望まれている(Figure1)。しかしながらRNAのリン酸ジエステル結合は非常に安定で、中性、室温ではその半減期は800年と見積もられている。また天然のリン酸加水分解酵素はその活性中心に複数個、種の金属イオンを有しており、反応はこれらが協同的に作用し進めていることが分かってきた。これまでにもいくつか複核金属錯体を用い、イオンの協同触媒作用によりRNAを加水分解する例が報告されてきた。しかし配位子の構造が及ぼす影響や、どの様な金属イオンを用いれば良いかなど未だ明らかになっていない点も多い。活性の制御という点での検討も望まれる。さらに、より高活性な化学種の探索もまた必要である。そこで、(1)活性の制御における異核金属錯体の持つ可能性、(2)二核金属錯体の加水分解活性とその配位子構造、(3)高活性な触媒としての多核金属クラスターの利用、の各々について検討した。

Figure1.Molecular design of artificial ribonuclease
2.結果と考察

 RNAの加水分解反応は基質としてadenylyl(3’-5’)adenosine(ApA)を用いた。触媒にあたる錯体は基質に対して大過剰に加え、擬一次反応条件で行った。反応は加水分解で進行し、追跡は逆相カラムHPLCで行った。また、以下で用いる7座配位子(1-3)をFigure2に示す。

Figure2.Structures of dinucleating ligands2-1.複数種の金属イオンの利用と活性の制御

 天然酵素の中には活性部位に複数種の金属イオンを有するものも多い。そこで異核錯体を用いて、同一錯体上の異なった金属イオンの協同触媒作用を利用する。これは加水分解活性の制御、さらに天然酵素との作用機構の比較という点でも意義深い。

 1、Fe3+、Zn2+の3つの化学種を組み合わせた反応系でのApA加水分解速度をFigure3に示す。[1]0に対して[Fe3+]0が1及び2当量の場合はいずれも非常に反応が遅い。Zn2+系もまた同様にほとんど活性を持たない。それに対して、[Fe3+]0:[Zn2+]0:[1]0=1:1:1の3成分系では効率良く反応が進んでいることが分かる。

Figure3.The rate constants for the hydrolysis of ApA by the combinations of Fe3+,Zn2+ and 1(=2.5mM)at pH5.6,50℃.

 加水分解能を有するのは3つの化学種のモル比が1:1:1の場合、即ち異核金属錯体だけであることを強く示唆している。[Fe3+]0:[Zn2+]0:[1]0=2:1:1の反応系が加水分解をあまり促進しないのは、Fe3+が配位子の配位座を二つとも占拠し、Fe3+二核錯体とZn2+イオンの形で系内に存在しているため、Fe3+とZn2+が効率良く協同的に働けないからである。

 さらに[Fe3+]0と[1]0を一定にし、ApA加水分解反応速度(Figure4a)、及びFe3+-フェノレートのMLCT由来の吸収スペクトルの[Zn2+]0依存性を調べた(Figure4b)。

Figure4a.Plot of the rate constant for the ApA hydrolysis by Fe3+/Zn2+/1 mixtures as a function of [Zn2+]0.Both of[Fe3+]0 and [1]0 were kept constant at 2.5mM at pH5.6 and 50℃Figure4b.Electronic absorption spectra for the Fe3+/Zn2+/1 systems at pH5.5and50℃.Both of[Fe3+]0 and[1]0 were kept constant at 0.25mM.
[Zn2+]

 0の増加とともに加水分解速度は上昇し、濃度比が1:1:1あたりから緩やかに飽和する様子が観察された。吸収スペクトルでは、[Zn2+]0の増加に対応して、吸光度の減少とmaxの短波長シフトが見られた。2つの[Zn2+]0依存性には相関が認められる。これはFe3+に配位したフェノレートがZn2+の添加により一つ外れFe3+/Zn2+異核錯体が生成、それがRNAを加水分解していることを意味している(Scheme1)。さらに[1]0=[Fe3+]0=[Zn2+]0=2.5mMの条件ではApA加水分解速度はpH5.5付近を頂点とするベル型の曲線を示した。これは錯体上のFe3+とZn2+がそれぞれ酸触媒、塩基触媒として協同的に働いていることを強く示唆している。

Scheme1.Formation mechanism of hetero-dinuclear complex

 さらにこの協同効果はFe3+/Cd2+系でも見られ、[Fe3+]0=[Cd2+]0=[1]0=2.5mM、pH5.6、50℃ではApA加水分解速度は3×10-3h-1だった。

 この様にFe3+/Zn2+異核錯体が、対応するFe3+二核錯体、Zn2+二核錯体に比べ、効率よくRNAを加水分解することを見出した。今後の分子設計に大きな知見を与え、さらには異核の時だけに活性を有するこの系は、活性制御の面からも有望である。

2-2.二核金属錯体の配位子構造と加水分解活性への影響

 人工リボヌクレアーゼの構築には配位子の設計も重要である。ここでは二核金属錯体の加水分解活性と配位子構造との関連を調べた。

 まず、異なった配位座を導入することによる活性の違いについて検討した。結果、1と2のCu2+系でのRNA加水分解活性では非常に大きな差が見られた。[1]0=2.5mM、[Cu2+]0=5mM、pH6、50℃ではApAの半減期はおよそ2時間であり非常に大きな活性を示した。それに対して2は同条件で1の1/10以下の活性しか持たない(Table1)。2よりも電荷的に考えて、基質への結合が弱くなっていると思われるアニオン性の1が大きな活性を持つのは興味深い。1、2は紫外-可視吸収スペクトルから、どちらもモル比1:1、及び2:1でCu2+と定量的に単核、及び二核錯体を形成することが確認された。また、Cu2+/1系でのApA加水分解速度の配位子濃度依存性では、Cu2+との濃度比が[Cu2+]0/[1]0=2の時に最も大きな活性を持つ(Figure5)。以上から1のCu2+二核錯体が大きな加水分解活性を示していることが解った。しかし、金属イオンをZn2+またはCd2+にすると、1及び2の金属錯体が有する加水分解活性は完全に逆転する。これらの結果は、金属イオンの選択が配位子の構造と連動して加水分解活性に及ぼしていると考えられる。また、実際に生体内での応用までをも視野に入れると、この様な生体内金属の利用がより好ましい。

Table1.The rate constants(in 10-4min-1)for the hydrolysis of ApA by the ligand-metal systems at50℃*Figure5.Plot of the rate constant for the ApA hydrolysis vs.[1]0 at pH6.0 and 50℃.[Cu2+]0 was kept constant at5mM.

 次に配位子構造が及ぼす二核錯体の安定性について調べた。2はLa3+の二核錯体を形成し大きなRNA加水分解能を有するものの、その安定度は小さく、[La3+]0/[配位子]0=2の水溶液中では全配位子のうち10%程度しか二核として存在しない。対照的に3はカルボキシル基を持つため、より安定化すると考えられる。実際に同条件だと約50%のLa3+二核錯体が系内に存在することが1H-NMRから示された。ApA加水分解活性については、中性条件下、La3+イオン単独の4倍を有する(Table2)。

2-3.高活性を持つ化学種の探索

 より効率良くRNAを加水分解する為に有効と考えられる、多核構造を持つ金属クラスターの利用について考察した。

 単独ではあまり加水分解活性のないLa3+イオンと、まったく活性のない過酸化水素を組み合わせることで、これらが協同的に働き、RNAの二量体を非常に効率良く加水分解することを見出した。[La3+]0=10mM、[H2O2]0=100mMの時、pH7.2、30℃という温和な条件でもApAの半減期はわずか9分であり、無触媒下と比較すると実に5×107倍もの加速効果が認められた。

 これは今までに発見された最も大きな活性をもつ化学種の一つであるTm3+イオンに匹敵する。さらにLa3+/H2O2系でのpH滴定は、eqn.(1)に示すような二核錯体の生成を示唆した(Figure6)。

 

 

 この平衡反応は反応条件では大きく生成系に偏っており、遊離のLa3+イオンはほとんど無く、ほぼ定量的に[La(OO)3La]になっている。さらに反応速度はLa3+の初期濃度に非常に大きく依存し、各々のlog-logプロットは傾き約3の直線を示した(Figure7)。これらのことから生成した[La(OO)3La]がさらに相互作用し、eqn.(2)に示すクラスター化した[La(OO)3La]3が加水分解活性種であることが分かった。この反応活性種の存在は、ApA加水分解反応の擬一次速度定数と反応溶液のpHとの関係をプロットした実験値と、理論曲線が一致したことからも支持された(Figure8)。

Table2.The pseudo-first-order rate constants for the hydrolysis of ApA by La3+/2 or 3 systems at pH7 and 50℃*Figure6.Typical titration curve for the La3+-H2O2 system.The solid line is theoretical and is obtained using the eqn.(1).

 この様に希土類イオンからなる多核クラスターが、RNA加水分解に有効であることを示した。

Figure7.Log-log plot of the pseudo-first-order rate constant vs.[La3+]0 for ApA hydrolysis by La3+-H2O2 combinations.The solid line is theoretical,in which[La(OO)3La]3 is active species.Figure8.pH-Rate constant profile for the ApA hydrolysis by La3+-H2O2 combinations.The solid line is theoretical,in which[La(OO)3La]3 is active species.
3.発表状況

 (1)Makoto Komiyama,Jun Kamitani,Jun Sumaoka and Hiroyuki Asanuma,Chem.Lett.,1996,869-870.

 (2)Jun Kamitani,Jun Sumaoka,Hiroyuki Asanuma and Makoto Komiyama,Nucleic Acids Symp.Ser.,1996,35,141-142.

 (3)Jun Kamitani,Jun Sumaoka,Hiroyuki Asanuma and Makoto Komiyama,J.Chem.Soc.,Perkin Trans.2,1998,523-527.

 (4)Jun Kamitani,Ryuto Kawahara,Morio Yashiro and Makoto Komiyama,Nucleic Acids Symp.Ser.,1998,39,139-140.

 (5)Jun Kamitani,Ryuto Kawahara,Morio Yashiro and Makoto Komiyama,Chem.Lett.,1998,1047-1048.

 (6)Jun Kamitani,Morio Yashiro and Makoto Komiyama,in preparation.

参考論文(1)Junko Ohkanda,Jun Kamitani,Takeshi Tokumitsu,Yoko Hida,Takeo Konakahara and Akira Katoh,J.Org.Chem.,1997,62,3618-3624.(2)Akira Katoh,Yoko Hida,Jun Kamitani and Junko Ohkanda,J.Chem.Soc.,Dalton Trans.,in press.
審査要旨

 DNA(デオキシリボ核酸)から転写され生成するRNA(リボ核酸)は二次的な遺伝情報を有する物質であり、エイズなどのレトロウイルスではRNAが遺伝子そのものである。またアンチセンスオリゴマーへの利用や、触媒活性を持つRNAであるリボザイムへの興味などRNAそのものも大きな注目を集めていることから、巨大なRNAを人工的に操作し再構築するために必要な、任意の位置でRNAを切断する人工リボヌクレアーゼ(RNA加水分解触媒)の開発が望まれている。天然のリボヌクレアーゼの塩基認識は1-2残基程度であり、人工的操作に用いるには不十分である。そこで特異的な塩基配列を認識、切断する人工リボヌクレアーゼの構築は、汎用性から鑑みても最も直接的な解決法になりうる。しかしながらRNAのリン酸ジエステル結合は非常に安定で、中性で室温だとその半減期は800年とも見積もられていることから、これを切断するのは困難である。一方、天然のリン酸加水分解酵素はその活性中心に複数個の金属イオンを有しており、反応はこれらの金属イオンが協同的に作用し進めていることが分かってきた。

 そこで本研究ではRNA加水分解活性を有する多核金属錯体を調整し、主にその反応活性種の考察を通して多核金属錯体の持つ可能性及びその活性に関する知見を求めた。

 第1章は序論である。本研究の背景にあるこれまでの経緯を述べ、さらにその上で研究を行う目的、意義について記述した。

 第2章ではCu(II)イオンを二核金属錯体化することで、RNAが効率良く加水分解されることを分光学、及び動力学的検討から示した。pH6、50℃の条件ではRNAの半減期はおよそ2時間であり、非常に効率良く加水分解する。また、反応は2つの金属が各々協同的に働いていることを見い出した。

 また同章において、希土類イオンの1つであるLa(III)イオンの二核錯体において、そのRNA加水分解能と錯体構造の関係を示した。二核錯体の持つ切断能は錯体全体の正電荷が減少するにつれて失われてゆく。また同節中で述べた、カルボキシル基を1分子中に2つ有する配位子は、単核では活性をほとんど有さず、二核錯体の時にのみ加水分解活性を発現する。これは活性の制御という面から有望である。

 第3章においてFe(III)イオンとZn(II)イオンからなる異核金属錯体の生成を分光学的実験から確認し、これがRNA加水分解に有効であることを初めて示した。それに対してFe(III)錯体、及びZn(II)錯体は非常に活性が小さい。また、動力学的にその加水分解活性種を検討した結果、2種類の金属イオンで酸、塩基触媒としての役割を各々分担していることを示した。これは個々の金属イオンの特徴を利用するもので、この成功は今後の分子設計において非常に有益な情報をもたらした。また天然酵素の活性中心との比較対象として新たな可能性を指し示した。

 第4章では、単独ではほとんど加水分解活性の無いLa(III)イオンと全く活性のない過酸化水素を組み合わせることで、非常に効率良くRNAの加水分解が促進することを述べた。この反応系ではpH7、30℃という温和な条件において、RNAの半減期をおよそ9分にまで短縮した。無触媒下に比べ5×107倍の加速効果であり、これまでに発見された化学種の中でも最も大きな加水分解能を持つTm(III)、Lu(III)イオンに匹敵するものである。また、動力学的検討から、La(III)イオンと過酸化水素からなる多核金属クラスターが触媒活性種であることを示した。これは、多くの金属イオンを近傍に集めることが有効な酸触媒の提供を促し、RNA加水分解に有効であることを示すものである。

 第5章は総括である。ここまでの各章で述べた内容を要約し、今後への展望を述べている。

 以上のように本研究で示した多核金属錯体のRNA加水分解に対する有効性、並びにこれら活性種への詳細な検討がもたらした反応機構の解明は分子生物学、遺伝子工学の分野に大きく寄与し、多方面への工学的応用も期待させる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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