学位論文要旨



No 114336
著者(漢字) 藤田,哲男
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,テツオ
標題(和) 蛋白質生産の長期化を目指した細胞周期ならびにアポトーシス制御技術の開発
標題(洋)
報告番号 114336
報告番号 甲14336
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4462号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 助教授 関,実
 (財)地球環境産業技術研究機構 主席研究員 鈴木,栄二
内容要旨 1.緒言

 培養動物細胞を用いた蛋白質生産系は、微生物などの蛋白質生産系と比較して、糖鎖・プロセッシング等の高度な修飾を含んだ生理活性の高い蛋白質を生産することが可能であるという利点がある。しかし、動物細胞は倍加時間が長いため時間的にも労力的にも不利であり、培養装置や培地もよりコストがかかる。さらに、動物細胞は遺伝子内に自殺を行うシステムを備えている。動物細胞は自律的に分裂を続け、必然的に培地の細胞維持能力を越えた細胞密度に到る。その後、培地中の栄養分不足や老廃物の蓄積などを起因として、細胞自殺(アポトーシス)を引き起こす。このアポトーシスのために、高額な培地を消費し、多大な時間・労力を費やした生産培養が終結する。そこで本研究においては、細胞培養の長期持続により蛋白質生産量を向上させる目的で、細胞周期制御、即ち細胞分裂速度制御技術、並びにアポトーシス抑制技術の開発を目指した。

 細胞増殖を制御する手段として、細胞が本来内包する制御因子の利用により、様々な細胞種に対して汎用性が高く、機能消失を抑え長期安定化が可能な技術の開発に着手した。具体的には、アポトーシス抑制及び、細胞周期制御に重要な機能を果たす因子の遺伝子に高発現機能あるいは発現制御機能を付加して培養細胞に導入し、細胞周期制御およびアポトーシス抑制が可能な細胞株の樹立を目指した。

2.CHO細胞のアポトーシス抑制による蛋白質生産の長期化

 CHO(Chinese Hamster Ovary)細胞は、ハムスター卵巣組織の正常細胞が無限増殖能を持った細胞であり、実際に工業的な組み換え蛋白質生産に広範に用いられている。このため、CHO細胞に自殺抑制能を持たせて蛋白質生産量の向上を図ることは、工業的にも非常に有益であると考えられる。そこでCHO細胞に対し、アポトーシス抑制を行うBcl2蛋白質とp35蛋白質の遺伝子を導入し、それによるアポトーシス抑制効果を検証した。

 p35蛋白質は、バキュロウイルスの遺伝子内にコードされる蛋白質であり、アポトーシス時に実行機関である細胞内プロテアーゼを阻害することによりアポトーシス抑制を行う蛋白質である。アポトーシス抑制の蛋白質生産性に対する効果の検証を鎖蛋白質生産により行った。

[実験方法および結果]

 Bcl-2・p35蛋白質を発現するプラスミドBCMG-Bcl2-neo・BCMG-p35-neoをそれぞれCHO細胞に導入した(CHO/Bcl-2・CHO/p35)。CHO/Bcl-2・CHO/p35のアポトーシス耐性を検証するために、低血清培地にてアポトーシスを誘導させたところ、CHO/Bcl-2・CHO/p35共にコントロール細胞と比較してアポトーシス耐性を獲得していることが確認できた。そこで、蛋白質生産性を検証するために、さらに抗体1鎖発現プラスミドpZeoSV-を導入し、1鎖を生産するCHO細胞を作製し、1鎖生産量をELISAにて測定した。Bcl-2・p35を導入したCHO細胞(CHO/Bcl-2-・CHO/p35-)は、通常培養においてコントロール細胞(CHO/BCMGS-)と比較して2倍量の1鎖を生産した(Fig.1)。この原因として、コントロール細胞が接触阻害によりアポトーシスが開始され、同時に蛋白質生産速度が低下するのに対して、Bcl-2やp35導入によりアポトーシスを抑制した結果、高い生産速度を維持できたためと考えられる。

Fig.1 通常培養における1鎖生産

 また、アポトーシス耐性を示した低血清培養における1鎖生産量を測定したところ、Bcl-2導入細胞は死滅せずに蛋白質生産を継続することが出来た(Fig.2)。

Fig.2 低血清培養における1鎖生産
3.COS-1細胞のアポトーシス抑制による蛋白質生産の長期化

 アフリカミドリザル腎臓由来のCOS-1細胞は、簡便な操作で短期間のうちに組み換え蛋白質を大量に発現させる動物細胞株として広範に用いられている。しかし、組み換え蛋白質を一過性に大量発現した後に急速に死滅することが特徴である。この時の細胞死を解析したところ、アポトーシスの一般的な指標である染色体の断裂化が認められた。そこで、アポトーシス抑制蛋白質であるBcl-2を導入することで、細胞自殺抑制による蛋白質生産期間の延長と、それによる蛋白質生産量の向上を狙った。

[実験方法および結果]

 ウシパピローマウイルス由来の多コピー性プラスミドBCMGS-neoを用いてBcl-2を細胞内で強力に発現させることを狙った。このBCMG-Bcl2-neoを電気穿孔法によりCOS-1細胞に導入し、選択マーカーのG418により遺伝子導入された細胞を選択した。Bcl-2を定常的に発現していることを抗Bcl-2モノクローナル抗体を用いたウエスタンブロット法により確認した(Fig.3)。

Fig.3 Bcl-2蛋白質の発現確認

 一般的に細胞は低栄養下ではアポトーシスを引き起こす現象を利用し、COS-1細胞でのBcl-2の過剰発現による自殺抑制効果を検証するために、細胞を0.2%の低血清下で培養した。初期細胞数1.0×105にて培養開始すると、Bcl-2導入細胞は徐々に増殖し初期の4倍になったが、未導入細胞は増殖せず、細胞死により生細胞数が減少した(Fig.4)。

Fig.4 低血清培養におけるアポトーシス耐性の検証

 Bcl-2導入細胞の蛋白質生産性を、マウスの抗体の鎖蛋白を生産させることにより検証した。鎖発現プラスミドpcDNA-を細胞に導入し一過性の蛋白発現を行い、培養上清中に産生される鎖を適時回収し、生産量をELISA法にて測定した。その結果、鎖生産開始後6日目において、Bcl-2未導入細胞は生産を停止していたのに対して、Bcl-2導入細胞はそれ以降も蛋白生産を継続し、最終的に2倍以上の鎖を生産した(Fig.5)。

Fig.5 Bcl-2導入COS細胞による一過性蛋白質生産

 以上により、COS-1細胞にBcl-2を導入することにより一過性の蛋白質生産を長期化させ、生産量を2倍以上に向上させた。

4.サイクリンインヒビターによるハイブリドーマ細胞の抗体生産

 ハイブリドーマ細胞は比較的増殖が速く、また医薬品・診断薬として利用価値の高いモノクローナル抗体を産生する。このハイブリドーマ細胞を対象とした抗体生産と細胞周期との関連を解析した結果によると、細胞は細胞周期のG1期において最も抗体を生産している。そこで本研究においては、G1期において細胞増殖を停滞させるサイクリンインヒビターの発現制御によりハイブリドーマ細胞の細胞周期制御を行い、培養系の長期維持と抗体生産量の向上を企図した。

[実験方法および結果]

 マウスハイブリドーマ2E3株を対象に実験を行った。細胞周期中のG1期において細胞増殖を妨げる働きを持つサイクリンインヒビターp27およびp21のcDNAを、プラスミドpMAM-neoに組み込んだ。このプラスミドを導入した細胞はデキサメタゾンを培地中に添加することによりp27やp21の発現が強く誘導されるため、外部より細胞増殖の制御が可能となる。

 プラスミドが導入された細胞をG418により選択しクローニングを行った。クローン化された細胞について、培地中にデキサメタゾンを添加することにより細胞増殖の抑制を行い、細胞数を測定した。培養上清中に含まれる抗体の濃度はELISA法により測定した。

 p27・p21の発現制御による細胞増殖(Fig.6,8)と、培地中に産生される抗体濃度の測定結果を示す(Fig.7,9)。通常の2E3細胞は、デキサメタゾン無添加時と同様の増殖と最終抗体濃度を示した。p27およびp21導入細胞にデキサメタゾン添加培養を行うと、初期に細胞増殖を抑制した。これはデキサメタゾン添加によりサイクリンインヒビターが発現しているためと考えられる。抗体生産については、p27導入細胞は3倍、p21導入細胞は1.5倍の抗体を最終的に生産した。これは、細胞増殖の抑制により抗体生産期間を延長させたことと、特にp27導入細胞については、細胞増殖が最大到達密度に近づくにつれて急速に増殖速度を落としていた。つまり、over growthに達する直前で細胞増殖が抑制され、この時期において抗体生産を最も良く行っていた。

Fig.6 p27発現制御による細胞増殖制御Fig.7 p27発現制御による最終抗体生産量Fig.8 p21発現制御による細胞増殖制御Fig.9 p21発現制御による最終抗体生産量
6.結言

 1.CHO細胞に、アポトーシス抑制因子Bcl-2またはp35遺伝子を導入しアポトーシス抑制能を付与することにより、蛋白質生産能を2倍に向上させた。さらにBcl-2導入によりCHO細胞は低血清培地にて8日以上、蛋白質生産継続が可能となった。

 2.COS-1細胞による一過性蛋白発現の生産量を、アポトーシス抑制因子Bcl-2の遺伝子導入により2倍に向上させた。

 3.ハイブリドーマ細胞による抗体の生産性の向上を狙い、サイクリンインヒビターの発現制御による増殖制御を行い、p27誘導時においては通常の3倍量の抗体を生産させることに成功した。

審査要旨

 動物培養細胞を用いた蛋白質生産系は、糖鎖付加、プロセッシング等の翻訳後修飾を受けた生理活性の高い蛋白質の生産が可能であり、特に医薬品用蛋白質生産に広く利用されている。しかし、動物細胞を高濃度培地あるいは低血清培地を用いて回分培養すると、培養後期において培地中の微量成分の不足や老廃物の蓄積などが引き金となって、主要な栄養成分が培地中に十分に存在しているにもかかわらず、遺伝子上にプログラムされた死である細胞自殺(アポトーシス)が起こる。その結果、生細胞数が急激に減少し、目的蛋白質の生産もすみやかに停止する。このため、蛋白質の生産期間が短く、また、使用培地量当たりの蛋白質生産量、すなわち蛋白質収率も低くなるという問題点があった。

 本論文では、アポトーシス抑制や細胞周期制御に関わる種々の蛋白質の遺伝子を高発現可能なベクターあるいは発現誘導可能なベクターに組み込んで動物培養細胞に導入することにより、アポトーシスを抑制したり、細胞周期を外部から制御可能な細胞株を樹立し、この細胞株を用いた蛋白質生産期間の長期化と生産量の増加を目指した研究の成果を述べており、以下の7章から構成されている。

 第1章は序論であり、本研究の背景と目的を述べている。

 第2章では、動物細胞培養技術および細胞周期、アポトーシスに関する既往の研究について述べている。

 第3章では、遺伝子組み換え蛋白質の工業的生産に広く利用されているチャイニーズハムスター卵母細胞(CHO細胞)を用いた蛋白質生産系において、遺伝子工学的手法によりアポトーシス抑制可能な細胞株の構築を行い、この細胞株のアポトーシス抑制、ならびにマウス抗体1鎖の生産期間と生産量に関して得られた成果について述べている。すなわち、低血清培地で培養を行った場合、通常のCHO細胞は約2日でアポトーシスが起こり死滅するのに対して、アポトーシス抑制能を持つBcl-2遺伝子を導入したCHO細胞は6日以上生存することが可能となり、その結果、マウス抗体1鎖の生産期間も大幅に長期化することを報告している。一方、同じくアポトーシス抑制能を持つと考えられているp35遺伝子を導入したCHO細胞の場合にはこのようなアポトーシスの抑制効果は観察されず、通常のCHO細胞と同程度の生存期間であったことを報告している。さらに、Bcl-2遺伝子、p35遺伝子を導入したCHO細胞では、通常のCHO細胞と比較して増殖速度は低下するものの、マウス抗体1鎖の比生産速度がそれぞれ4倍、2倍に増加することを明らかにしている。このようにアポトーシス抑制遺伝子の導入により、抗体の生産期間を長期化したり、蛋白質の比生産速度を向上させることにより、蛋白質生産量を2倍程度まで増加させることに成功している。

 第4章では、組み換え蛋白質の一過性発現に広く用いられているCOS細胞にBcl-2遺伝子を導入した細胞株を構築し、この細胞株のアポトーシス抑制、ならびにマウス抗体1鎖の生産期間と生産量に関して得られた成果について述べている。すなわち、低血清培地を用いて培養を行った場合、通常のCOS細胞は全く増殖せず、蛋白質生産も一週間以内で停止するのに対して、アポトーシス抑制能を持つBcl-2遺伝子を導入したCOS細胞の場合には低血清培地のような貧栄養条件下でも増殖することが可能となり、その結果、マウス抗体1鎖の生産が一週間以上継続し、通常のCOS細胞の2倍の蛋白質生産量が得られたことを報告している。一方、アポトーシス抑制効果については、Bcl-2遺伝子を導入した細胞株でも通常のCOS細胞と同様にアポトーシスに特徴的な現象である核内の染色体の断片化が起っており、COS細胞ではBcl-2遺伝子による完全なアポトーシス抑制は困難であると述べている。このように、Bcl-2遺伝子は核内の染色体の断片化は抑制できないものの、蛋白質の生産期間を延長する効果があったこと、さらに、Bcl-2遺伝子産物がミトコンドリアの膜に存在するという他の研究者の報告に基づき、Bcl-2遺伝子産物の過剰発現によりアポトーシスの過程でおこるミトコンドリアの崩壊が抑制され、その結果としてミトコンドリアにおけるATP生産が維持されたことが、蛋白質生産量の増加の原因であると考察している。

 第5章では、診断薬、治療薬として注目を浴びているモノクローナル抗体の工業的生産に広く用いられているハイブリドーマ細胞を用いた抗体生産系において、遺伝子工学的な手法により細胞周期制御あるいは増殖速度制御が可能な細胞株の構築を行い、この細胞株の増殖速度制御、ならびに抗体の生産期間と生産量に関して得られた成果について述べている。すなわち、蛋白質生産が最も活発に行われるG1期に細胞周期を停滞させることで蛋白質生産量を増加させることを目標として、G1期において細胞周期の進行を阻害する蛋白質として知られているサイクリンインヒビターp21あるいはp27の遺伝子をハイブリドーマ2E3細胞に導入し、これらの遺伝子を発現誘導させることにより、細胞の増殖速度を低下させ、p21遺伝子を導入した細胞では抗体生産量を通常のハイブリドーマ細胞の生産量の1.5倍に、また、p27遺伝子を導入した細胞では抗体生産量を3倍に増加させることに成功している。p27遺伝子を導入した細胞の場合には、細胞の生存期間は通常の細胞の8日から12日へと長期化され、抗体の比生産速度も通常細胞の1.5倍程度の高い値を培養後期まで維持していたが、一方で細胞の最大到達濃度は通常のハイブリドーマ細胞の約80%とかなり低下した。これは、p27遺伝子誘導発現による細胞周期進行の阻害効果が強すぎたため、G1期停滞のみならず細胞のアポトーシスも誘発したためと考察している。これに対して、p21遺伝子を誘導発現させた場合には、細胞の増殖速度は低下するものの、細胞の最大到達濃度は通常のハイブリドーマ細胞と同等であり、細胞の生存期間は通常の細胞の8日から12日へと長期化された。また、抗体の比生産速度は通常細胞と同程度であったが、培養後期までその生産活性が維持された。これは、p21遺伝子を誘導発現させた場合には、アポトーシスを誘発せずに細胞周期を適度にG1期に停滞させることができたためと考察している。

 第6章では、本論文を総括し、ここで構築したアポトーシス抑制、細胞周期制御が可能な細胞株を工業的生産規模での蛋白質生産へ応用する上での展望を述べている。

 第7章は結言である。

 以上、本論文は、有用蛋白質の工業的な生産に広く利用されている動物培養細胞であるCHO細胞、COS細胞、ハイブリドーマ細胞を対象として、遺伝子工学的手法によりアポトーシス抑制、細胞周期制御可能な細胞株を構築し、アポトーシス抑制、細胞周期制御などの技術により蛋白質生産期間の長期化や生産量の増大が可能であることを実証したものであり、動物培養細胞を用いた蛋白質生産技術の向上に寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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