学位論文要旨



No 114342
著者(漢字) 市川,能也
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,ノリヤ
標題(和) 高温超伝導体のスピン・電荷秩序
標題(洋) Static Spin-and Charge-Density Modulation in High-Tc Superconductors
報告番号 114342
報告番号 甲14342
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4468号
研究科 工学系研究科
専攻 超伝導工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 助教授 吉澤,英樹
 東京大学 講師 永崎,洋
内容要旨

 高温超伝導現象は12年前にMullerとBednorzによってLa2-xBaxCuO4(LBCO)系において発見された.反強磁性絶縁体母物質であるLa2CuO4はLa2O2層とCuO2面が積層した構造をしており,3価稀土類元素Laの一部を2価のBaやSrで置換することでCuO2面にキャリアが導入される(キャリアドーピング).ドーピングが進むと,反強磁性転移温度(TN)は急速に減少しCuスピン間の反強磁性相関が短距離になっていく.x>0.06付近から電子状態は超伝導を基底状態とする金属的な振る舞いを示すようになる.x〜0.15まではxの増加ともに超伝導転移温度Tcは増加し,緩やかなピークを形成してTcは減少に転じたのちx〜0.22近傍で常伝導金属になると考えられている.1988年,LaBaCuOではx〜1/8(0.125)近傍でキャリアがドープされているにもかかわらず超伝導転移温度がほとんど完全に消失しており,このキャリア濃度が超伝導金属相中の特異点であることが報告された.しかも,局所的な反強磁性秩序があることもSR実験で明らかになった.特徴的なキャリア濃度からこの超伝導抑制は「1/8問題」と呼ばれ,高温超伝導発現機構と密接にかかわっていることが期待され盛んな研究対象となった.

 多結晶を用いた構造解析からx〜1/8では他のxでは見られない構造が低温にて現れ(低温正方晶:LTT),この構造と超伝導抑制の関係も関心を呼んできたが,LBCOの単結晶試料作成は困難である.一方,Sr置換による高温超伝導体La2-xSrxCuO4(LSCO)は溶媒移動浮遊帯域(TSFZ)法による単結晶成長が比較的容易に可能である.Crawford(1991)らはLa3+の一部をイオン半径の異なるNd3+で置換したLa2-x-yNdySrxCuO4多結晶のX線構造解析を行い,x=0.125を中心に広いxで低温正方晶が出現することを報告した.さらに,Nakamura(1992)はy=0.40としてx=0,0.12,0.20の単結晶成長に成功した.これが1/8問題の実験的探求を前進させる系であることを明らかにしたのはTranquadaらによる,スピン・電荷秩序(stripe秩序)の観測である.この結果はx〜1/8における超伝導抑制及びSRで見られた局所的反強磁性秩序に対するひとつのモデルを提唱することになった.

 本論文の筆者は銅酸化物におけるstripe秩序の最初の報告時点からNd置換系のサンプル作製を行ってきた.そこで本研究ではLa2-x-yNdySrxCuO4系の単結晶をTSFZ法で作製し,キャリア濃度としてx=0.08,0.10,0.15,0.20およびオーバードープの系としてx=0.25とした,y=0.40の単結晶に対して中性子弾性散乱実験を行い,スピン・電荷秩序の観測およびそのx依存性を明らかにした.また,同じくy=0.40として,中性子弾性散乱で電荷による格子位置の変調がいまだ充分に報告されていない,x=0.12(〜1/8)から外れたキャリア濃度x=0.15,0.20を採りあげ,高エネルギーX線散乱実験を行い,Nd置換系におけるスピン・電荷秩序がx〜1/8に限ったものではないことを明らかにした.以下にその概略を述べる.

 中性子弾性散乱ではx=0.08,0.10,0.15,0.20の場合にx=0.12の場合と同様なスピン秩序が観測された.スピン変調のincommensurabilityは,x<1/8では=xであり,x>1/8では1/8よりやや大きな一定値(0.13〜0.15)となる.この振る舞いはNdを加えない,高温超伝導体LSCOにおける中性子非弾性散乱によって明らかにされた動的スピンゆらぎのincommensurabilityの振る舞いとほとんど一致している.スピン電荷秩序に端を発した動的な相関がLSCOで実現していることを示唆するものである.x=0.10では電荷密度の変調による格子の変形も観測され,その形成の温度依存性はx=0.12と同様,スピン秩序よりも高い温度から始まった.

 LaNdSrCuOにおける静的スピン変調の発現温度はx=0.12が最も高温であり,x=0.10,0.08とxが0.12(〜1/8)から離れるにしたがって低温に移る.発現温度のSr濃度(x)依存性はincommensurabilityと歩調を合わせるように,明らかにx>1/8とx<1/8で異なっており,x=0.08での発現温度とx=0.20のそれとが同じであった.さらにスピン秩序のピーク幅については,x=0.12,0.15では比較的狭いピーク幅を持っているが,x〜1/8から離れるとピーク幅が増大する.その程度はx<1/8に離れる方が急速である.incommensurateな位置にあるスピン変調のピークの幅はひとつのドメインの空間的な広がりに反比例するので,幅の増大は秩序のコヒーレンスが抑えられることを意味する.比較的高いTcの組成でピーク幅が狭い振る舞いも,Ndで置換しないLSCOの中性子非弾性磁気散乱の結果で得られているものと同様である.

 中性子弾性散乱に関する以上の結果を総合すると,x〜1/8の時が一番スピン・電荷秩序は高温から発現してしかも空間的広がりも広いという意味で安定であり,x>1/8ではstripeの間隔はキャリア数の変化に対して「硬い」が,低ドーピング側(x<1/8)ではスピン・電荷秩序はincommensurabilityも空間的広がりもキャリア数に敏感に依存することになる.y=0の場合に常伝導金属相を基底状態に持つx=0.25ではT=1.4Kで=0.146のスピン変調が見られたが,5Kで消失した.低温で帯磁率がCurie則に従って発散することから低温ではNdのモーメントの秩序化に引きずられてスピン変調が顕になったものと考えられる.

 高エネルギーX線散乱は電荷密度の変調による超格子構造をよりよいk-空間分解能で観測するために行った.y=0.40,x=0.12の系においては,格子のBragg peakの近傍の(0,2±2,0)におけるサテライトピークは中性子弾性散乱以外にも高エネルギーX線散乱によっても確認され,その起源が磁気秩序の2次高調波成分ではなく電荷密度の変調による格子位置の周期的変調であることが確認されている.x=0.15,0.20,そしてNdなしのLSCOでx=0.12(〜1/8)としたものにZnを4%加えたものについて行った.y=0.40,x=0.12については以前に作成した単結晶を用いて実験が行われており,中性子散乱で得られた結果と整合している.x=0.15ではx=0.12のときと同じように,中性子散乱で得られたスピン変調のincommensurabilityをとして2で特徴付けられる変調ベクトルを持つ格子位置のmodulationの観測に成功した.スピン・電荷秩序のc-軸方向の相関も弱いながら存在することが確認され,CuO2面4枚を周期としている.LTT相での格子の形状からCuO2面2枚ごとに1次元的な電荷密度の高い領域は同一方向に走ると考えられるが,それらはCoulomb斥力によって互いに避けあっているものと考えられる.

 さらに,x=0.12における中性子散乱の結果と矛盾しない,stripeモデル以外の可能性を理論的に指摘するもののひとつに,2次元的な網目(mesh)モデルがある.スピンに対してひとつのCuO2面内で(±,0)で表されるantiphaseな変調がかかっている場合,格子位置のmodulationがそれと結合するならば(110)方向に’=1/8で特徴付けられる波数ベクトルを持つことが予想される.そこで高エネルギーX線散乱を用いて(110)及び(110)方向のスキャン(diagonal scan)も行った.(0,2±2,0)に見られるmodulationピーク自体非常に弱いものであるが,(±’,2±’,0)には少なくとも前者と同程度の強度では観測されなかった.よって網目的な秩序があったとしても何らかの理由で(110)方向には変位せずに(100)方向にのみ変位するという"不自然な"状況が実現しているか,もしくは網目状の格子変位秩序はきわめて弱く,ほぼ1次元的なstripe状態が実現していると考えられる.x=0.20では10Kのとき,(0,1.72,-0.5)(2=0.28)の位置にサテライトピークが存在するが,70Kでも消えないので格子位置のmodulationとは無関係であると思われる.キャリア数xが1/8から離れるとスピン・電荷秩序は形成されにくくなることの反映であろう.

 本研究によって,スピン・電荷秩序がx〜1/8だけに限らず広いキャリア数xで実現していることが明らかになった.また,x〜1/8以外の組成で電荷密度の変調の観測にも初めて成功した.

審査要旨

 最初に発見された高温超伝導体La2-xBaxCuO4はx=1/8で特異的に超伝導が抑制される。これは、「1/8問題」として高温超伝導にかかわる謎の1つとされてきた。この問題の解決に進展をみたのは1995年のTranquadaらによる中性子散乱実験である。実験は東京大学で合成されたLa1.6-xNd0.4SrxCuO4(LNSC)単結晶(x〜1/8)に対して行われ、スピンと電荷密度の変調を伴う静的秩序状態が発見された。変調構造として、ドープされた正孔が直線状に偏析し、その直線に挟まれた領域に反強磁性スピン秩序が形成されるというストライプモデルが提唱されている。本研究の主たる目的は、ドーピング量xを1/8からズラしたとき、この変調構造がどのように変化するかを追及することにある。そのために、中性子及び高エネルギー(硬)x線散乱の実験を、様々なxのLNSC単結晶について行った。本論文の意義は、広汎な実験結果とその解析に基くストライプモデルの検証と、ストライプ構造のドーピング量依存性を明らかにしたことにある。

 本論文は5つの章からなる。第1章では、本研究の動機となった高温超伝導体の「1/8問題」とLNSCに対する中性子散乱の実験からストライプモデルがどのように提案されたかの経緯と最近の中性子非弾性散乱研究の進展が述べられている。更に、ストライプ構造の提案により触発されて登場したいくつかの代表的理論モデルを要約し、ストライプ構造の研究が未解明の高温超伝導機構の理解に結びつくことへの期待を込めて本研究の目的が記述されている。

 第2章は、本研究に用いられた様々な実験手法の記述である。実験の根幹となるLNSC単結晶成長について、その成長法と組成制御、次に異方的電気抵抗率測定によるそのキャラクタリゼーションの結果が示されている。本研究の主要な実験は、中性子及び硬x線散乱であり、前者は、米国(NIST)、後者は独ハンブルグの軌道放射光施設において行われた。中性子は電子のスピン変調構造の決定に強力な手段であり、更に電荷密度の変調に伴う超格子構造の観測にも用いられた。硬x線は試料深く侵入することができ、バルクの性質をとらえるプローブとして、またより高い運動量分解能プローブとして、ストライプモデルの検証に重要な電荷密度変調の観測に利用された。

 第3章は、中性子散乱、硬x線散乱の実験結果の詳細を記述したものである。中性子弾性散乱では、x=1/8だけではなく、LSCの超伝導組成域(0.05<x<0.25)の全体でスピン密度変調を伴ったスピン秩序を観測している。また、硬x線散乱と併せて、x=0.10及びx=0.15に対しても電荷密度の変調に伴う超格子構造を観測した。また、スピン・電荷秩序のc軸(面に垂直)方向の相関の観測にも成功し、CuO2面が4枚周期でc軸方向に積み重なっていることがわかった。これらの結果から、1次元的なストライプモデルと2次元的な網目モデルが導き出されるが、運動量空間での広汎な散乱ピーク探査と上記のc軸方向の相関からストライプモデルが最有力と結論されている。

 本研究のもう1つの重要な発見は、スピン変調周期のドーピング(x)依存性である。x=1/8を境に、ストライプ変調構造が質的に変化することが示されている。また、x依存性はLSCにおける中性子非弾性散乱により明らかにされている動的スピンゆらぎの振る舞いと極めて良く一致しており、高温超伝導体一般の性質として、ストライプゆらぎの存在が示唆される。

 第4章では、散乱実験から明らかになったストライプ構造のx依存性についての詳細な議論が展開されている。x=1/8においてストライプ構造が最も安定に構築されていること、xが1/8から外れるにつれ、ストライプ構造に発生する不安定性がどのようなものであるか散乱ピークの幅や強度のx依存性に基き議論されている。その結果、現実のストライプは、その幅や間隔が空間的に変化していると推定され、その乱れあるいはゆらぎが電気抵抗などの物性に与える影響が考察されている。

 第5章は、まとめである。本研究によって、La系高温超伝導体のスピン・電荷秩序がx=1/8に限らず超伝導組成域全体にわたる性質であることが明らかになった。CuO2面にドープされた正孔は、対形成により高温超伝導を発現するだけでなく、ある状況下では、ストライプ状に偏析・整列することが示されたことになる。本研究は、高温超伝導を新しい視点から捉えるための基礎データを提供するとともに、高温超伝導体の新しい性質を掘り起こしたもので、超伝導工学に寄与するところ大であると判断される。

 よって本研究は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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