学位論文要旨



No 114345
著者(漢字) 宮坂,茂樹
著者(英字)
著者(カナ) ミヤサカ,シゲキ
標題(和) パイライト型化合物NiS2-xSexの金属-絶縁体転移
標題(洋)
報告番号 114345
報告番号 甲14345
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4471号
研究科 工学系研究科
専攻 超伝導工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高木,英典
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 助教授 吉澤,英樹
 東京大学 助教授 辛,埴
内容要旨 1.研究の目的

 Mott転移近傍のように強い電子相関の効果により電子の遍歴性と局在性が競合している領域においては、電子の持つ遍歴する"電荷"としての特性と局在した"スピン"としての特性が入り組んだ複雑な物性を示す。そのため、Mott転移近傍の臨界領域の物性を理論的、実験的に明らかにすることは困難を極めてきた。Mottにより提唱されたMott転移は理論的には古くはHubbardにより定式化され、更にBrinkmanとRiceにより単純にキャリアの有効質量m*の発散的増大により生じると示唆されてきた。最近の無限次元のHubbardモデルの研究により理論と実験との定性的比較が可能になってきたが、このモデルを現実の系に当てはめることじたいが正しいのかという疑問もある。一方、実験的にはV2O3をはじめいくつかの系でMott転移近傍の物性の研究が行われてきた。しかし対象となる系がそれ程多くなく、更に各々の系固有の特性もあり現段階で実験的にもMott転移近傍の物性を明らかにできているとは言い難い。本研究の目的はこのようなMott転移近傍の物性をNiS2-xSexという典型的なMott転移を示す系を取り上げ、輸送現象を中心とした多角的な実験手段を用い総合的に本系のMott転移近傍の物性を解明することで実験面からMott転移近傍の物性を整理していこうというものである。

 本研究で取り上げたパイライト型化合物NiS2-xSexは広い意味でのMott転移を示す系である。母物質のNiS2は電荷移動型絶縁体であり、Seの置換効果によりNiの有効価数を変化させず/W(:電荷移動エネルギー、W:Band幅)を変化させることで金属化できる。他方、本系に物理的圧力を加えた際もまったく同じ物性が観測されており、本系ではSeの置換効果と圧力効果は実験的に等価であると考えられている。また、本系ではその過程で構造相転移は存在しておらず、Mott転移に伴う電子状態の変化を研究する上で非常に適した系であるといえる。その金属-絶縁体転移(MIT)の特徴は、x=0.40付近のMITに隣接して低温に反強磁性金属(AFM)相が存在しており、更にx=1.00でAFM相から常磁性金属(PM)相へと転移する点である。

 本研究はこの系の三つの興味深い物理的なポイントに着目して行われた。一つは、低温でのPM相→AFM相→絶縁相という場合のMott転移近傍の物性がどのように変化するかという点。特にPM相とAFM相との物性の変化について注目した。二つ目はPM-AFMの量子臨界点、x=1.00における物性に注目した。重い電子系ではこのような磁気的な量子臨界点において非Fermi液体的な物性が観測されており、本系でもそのような物性が期待された。第三はMIT近傍の一次のMITの熱力学的臨界点以上の高温領域の物性についてである。このような高温の領域においては、完全にギャップの開いた絶縁体の領域と電気抵抗率が金属的な挙動を示す領域とをクロスオーバー的につなぐ領域が存在していると考えられている。本研究ではこのクロスオーバー領域の物性について注目した。

2.低温のPM相とAFM相

 Mott転移は理論的にはBrinkmanとRiceにより、m*→∞によって生じるといわれてきた。NiS2-xSexのPM相ではAFM相に向けm*の増大を示唆する電子比熱係数の増大が観測されている。ところが、AFM相においては絶縁相に向けは減少していく。これは、絶縁相に向け状態密度が減少しているためだと考えられる。

 PM相とAFM相での物性の質的な変化はHall係数RHと、高圧下における残留抵抗0にも現れている。PM相ではRHは約1×10-4(cm3/C)と小さいのに対し、AFM相では絶縁相に向け急激に増大し少数キャリア状態への移行を示している。一方、不純物散乱による00∝1/SFl(SF:Fermi面の大きさ、l:不純物間の距離)と表されている。同一の試料に静水圧をかけた場合、lは一定で0の変化からSFの変化を観測することができる。常圧では低温でAFMとなるx=0.70の高圧下の電気抵抗率を測定した結果、PM相では0はほぼ一定で、SFはほとんど変化していないと考えられる。ところが、AFM相では絶縁相に向け0が増大し、絶縁相に向けFermi面が収縮していることを示している。(図1参照)

 以上の結果から、PM相ではAFM相に向けm*が増大が物性を特徴づけている。一方、AFM相では以下のような描像が予想される。反強磁性長距離秩序はBrillouin zoneを折りたたむ効果がある。これにより、FermiレベルにおいてBandが部分的に分裂し小さなFermi面が出現する。更に、絶縁相に近づくにつれBandの分裂が大きくなりFermi面が収縮しMITを生じると考えられる。

3.量子臨界点

 NiS2-xSexの量子臨界点、x=1.00では非Fermi液体的な物性が観測されている。まず、PM相(x=1.33〜2.00)では低温の電気抵抗率は0+AT2のような温度依存性を示す。T2項の係数AはAFM相に向け増大していく。この振る舞いはKadowaki-Woodsの関係A/2〜10-11(cm/K2/(mJ/K2mol)2)を満たしている。PM相でのAFM相に向けてのAの増大はの増大と同様にm*の増大によるものである。このように、PM相の振る舞いは通常のFermi液体論の範疇で理解できると考えられる。ところが、x=1.00においては電気抵抗率の温度依存性は∝T1.5となり、PM相とはまったく異なった振る舞いを示す。この電気抵抗率のT1.5的な温度依存性は、反強磁性スピンゆらぎを考慮したSCR理論の予想と一致している。このことは、x=1.00においては強い反強磁性スピンゆらぎが存在していることを示している。(図2)

 帯磁率にも電気抵抗率と同様に異常が現れている。PM相のx=1.33〜2.00では低温のの温度依存性は小さく(=2)のような温度依存性を示す。しかし、x=1.00に近づくにつれ温度依存性は大きくなり→1へと移行していく。

4.金属-絶縁体転移近傍の高温領域

 まず、4.2K〜500KにおけるMIT近傍の組成の電気抵抗率に注目する。x=0.45では、70K付近に低温の金属相から高温の絶縁相への弱い一次転移が見られる。一方x=0.50,0.55においては、各々140K,300K付近にピークを持つ低温の金属から高温の半導体的な振る舞いへの移行が観測されている。但し、一次転移に対応するヒステリシスは観測されておらず、これらの組成が一次のMITの臨界点近傍に存在していることを示している。

 電気抵抗率だけを見る限り、Seの組成の増加に対応してMITの温度の高温への移行が観測されるだけで、異常な物性は観測されなかった。ところが、x=0.50、0.55の高温におけるHall係数には非常に興味深い現象が観測されている。300K付近から500Kにおけるx=0.50、0.55のHall係数は約1×10-4(cm3/C)と非常に小さく、低温の金属相からの転移点以上の温度領域にもかかわらず多くのキャリアが存在していることを示している。これらの組成のHall係数の振る舞いは、同じ温度領域におけるPM相のHall係数の振る舞いと同じである。しかし、Hall mobilityは絶縁相近傍で急激に減少し、x=0.50、0.55とPM相のキャリアが本質的に異なっていることを示している。x=0.50、0.55ではHall mobilityが10-2(cm2/Vs)程度と非常に小さく、これらの組成の高温領域においてはインコヒーレントなキャリアの伝導が観測されているのではないかと予想される。

 以上の輸送現象の結果と相関した結果が光学反射スペクトルの結果にも表れている。(図3)まず比較のためNiS2の光学伝導度に注目する。NiS2では0.7eVにCTギャップによる吸収のピークが存在し、h =0では振動子強度は存在していない。これに対し、x=0.50の300Kにおいては電気抵抗率は半導体的な振る舞いを示すにもかかわらず、中赤外領域からh =0まで有限な振動子強度が存在している。但し、Drude的な吸収は存在しておらずキャリアのコヒーレンスは失われていると考えられる。温度を下げていくと共にこの中赤外領域の振動子強度が増大し、更に吸収のピークが低エネルギー領域へと移行していき、電気抵抗率が金属的な振る舞いを示す10Kに向けてDrude的な吸収へと移行していく。この光学測定の結果は、高温のインコヒーレントな伝導の状態から低温のコヒーレントな状態へのクロスオーバー的な移行を示している。

図1:NiS2-xSexの相図、0、RH●は組成(x)を変化させた際の結果 ○は圧力を加えた際のx=0.70の結果図2:-0 v.s.T2プロット インセットはx=1.00の v.s.T1.5プロット図3:x=0.00及び0.50の光学伝導度の温度依存性
審査要旨

 本論文は、「パイライト型化合物NiS2-xSexの金属-絶縁体転移」と題し、強相関絶縁体-金属転移(モット転移)を示す典型的な系であるNiS2-xSexをモデルシステムとして取り上げ、輸送現象、比熱、帯磁率、光学反射スペクトル等の多角的な実験手段を駆使する事によって、モット転移の臨界挙動を主に電荷のダイナミックスという観点から明らかにしたものである。構成は以下の6章からなっている。

 第1章では、研究の背景と目的が述べられている。高温超伝導の発見を契機として、電子間の強いクーロン反発によって遍歴電子が局在化する現象、モット転移に潜む豊かな物理が再認識されるようになった。特に、金属側から絶縁体に連続に近づくときどのような形で転移が起こるのか?というのは最も重要な問題である。ところが、多体効果があらわな転移近傍の臨界挙動を理論的に近似なしに取り扱うこと非常に困難であり、現実の系を用いた実験的なアプローチなくしてその物理の解明は成し得ない。

 本研究の題材であるNiS2-xSexはモット絶縁体NiS2を母体としている。Se置換あるいは圧力印加による伝導バンドの幅の制御によって、反強磁性絶縁体から反強磁性金属に転移した後、常磁性金属へと連続的に転移する。転移を精密に制御できるという点で、NiS2-xSexはモット点の臨界挙動を実験的に探る上で理想的な系である。本研究の目的はNiS2-xSexの金属-絶縁体転移近傍の物性の体系的な研究を通じて、モット転移の臨界挙動の物理の理解に寄与することにある。

 第2章では、試料の合成と測定法について述べている。化学輸送法により高品質の単結晶をすべての組成領域にわたって合成し、粉末X線による評価を行った。また、本研究で用いた測定手法の原理、実際の測定方法、データの解析法などがまとめられている。

 第3章では、NiS2-xSexの低温の諸物性を組成および圧力の関数として系統的に測定した結果が記述されている。電気抵抗、ホール効果、比熱、光学伝導度、磁化率などの測定結果をもとに、常磁性金属相と反強磁性金属相では金属-絶縁体転移に向けての挙動が全く異なっていることを明らかにした。常磁性金属相の諸物性は通常のFermi液体論の範疇で理解でき、金属-絶縁体転移へのアプローチはBrinkman-Rice流のキャリアの有効質量の増大として表現できる。一方、反強磁性金属相で有効質量の増大が抑制され、キャリア数の減少により金属-絶縁体転移が生じることを示した。この結果は、反強磁性磁気秩序の形成に伴い、ブリルアンゾーンを折りたたみが生じ、小さなFermi面が出現するとの描像によって理解される。磁気秩序の出現が金属から絶縁体へのアプローチを質的に変えることを実験的に明確に示したことが、本章の最も重要な成果である。

 第4章では反強磁性金属相と常磁性金属相の境界点、量子臨界点に焦点を当て、その特異性が議論されている。常磁性金属相では明確なFermi液体的な挙動が観測されるのに対し、量子臨界点では電気抵抗率が低温でT1.5に比例し、帯磁率も低温で-Tに比例した大きな温度変化を示すなど、非Fermi液体的な挙動が観測される。

 第5章では、高温領域で観測される金属から絶縁体クロスオーバー的な変化について述べられている。金属-絶縁体転移の弱い一次転移の臨界点より高温の領域では、温度および組成の変化に伴って、電気抵抗率に金属から絶縁体へ徐々に移行していくのが観測される。Hall係数及び光学伝導度スペクトルの組成依存性は、このクロスオーバーの過程でキャリア数には変化が現れず、伝導の状態がコヒーレントなものからインコヒーレントなものへと移行していくことを示している。また、温度変化によりクロスオーバーを生じさせた場合、キャリアのコヒーレンスの回復していく過程が光学伝導度スペクトルの中赤外領域の励起構造の変化として観測された。本章の内容はモット転移を示す系に普遍的に観測されるクロスオーバーの起源を実験的に明らかにしたものであり、その意義は大きい。

 第6章は本論文の結論が述べられている。本研究で明らかとなったNiS2-xSexのMott転移に関する知見と、強相関電子系全体の理解に与えるインパクト、今後の研究についての展望が示されている。

 以上を要するに、本論文はパイライト型NiS2Se2-xをモデル物質として選び、多角的な実験手法を駆使して、強相関金属-絶縁体転移(Mott転移)の臨界挙動の詳細を明らかにした。本研究を通じて、金属相から絶縁体相へのアプローチに果たす磁気秩序の役割、高温の金属絶縁体クロスオーバーの物理的描像が解明された。臨界挙動をこれだけ体系的にかつ精密に調べ例はほとんどなく、強相関電子系の物理を構築していく上で重要な基礎を与えることは疑いない。物性物理学さらには物理工学への貢献は大きく、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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