学位論文要旨



No 114351
著者(漢字) 甲斐,絵理子
著者(英字)
著者(カナ) カイ,エリコ
標題(和) 病原性大腸菌O157の迅速測定法の開発
標題(洋)
報告番号 114351
報告番号 甲14351
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4477号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 助教授 山本,順寛
 東京大学 講師 池袋,一典
内容要旨

 現在、我が国の衛生管理の水準は、国際的にみても高いといえるが、食中毒の発生件数はいまだ減少していない。食中毒の原因は病原性微生物によるもの、化学物質によるもの、自然毒によるものがあるが、病原性微生物がその原因の大部分をしめる。

 今までのところ、病原性微生物の検出・同定は時間のかかる培養検査に頼らざるを得ず、感染早期の適切な治療の遅れが患者の生命予後を左右することが多い。また検出・同定する時間が遅いために感染の拡大化につながる可能性が高い。したがって、臨床や食品産業の分野において、病原性微生物を迅速かつ高感度に測定できる検出法の開発が切望されている。

 本研究では、2種類のプローブを用いて、病原性微生物のDNAを迅速に測定できる方法を開発した。更にこの測定方法を用いて、臨床検体中の目的DNAをpolymerase chain reaction(PCR)で増幅し、これを検出できるか検討した。

 すなわち、まず最初に2種類のプローブを用いて、腸管出血性大腸菌O157:H7のベロ毒素産生遺伝子の検出システムを検討し、次にそこから得られた知見を用いて、臨床検体中の病原性大腸菌O157のベロ毒素産生遺伝子を検出できるか確認した。

 第1章は緒論であり、腸管出血性大腸菌O157:H7の従来の同定法およびDNAプローブをもちいるバイオセンサーについて、これまで得られている知見をまとめた。

 第2章は、DNAセンサーの課題である、二本鎖DNAの検出をおこなうために、標的となるDNAの構造を工夫した。標的DNAは、長さの異なる2種類の非対称PCR産物を組み合わせた片側突出端DNA(unilateral protruding DNA;UPD)とし、プローブ結合部位以外の部分は二本鎖DNAの構造をとるように設計し、標的DNAの構造の安定化を図った。

 UPDの測定には、表面プラズモン共鳴現象(SPR)を利用した高感度なバイオセンサーであるBIAcoreTM2000を用いた。UPDがセンサーチップに固定化したプローブDNAとの間で相互作用すると共鳴角が変化するので、この変化の差を応答値として検出した。

 その結果、UPDの鎖長が長くなるにしたがい応答値は大きくなり、300塩基以上591RU(1RU=1/1000°)で飽和に達した。これは鎖長が長くなると、固定化したプローブDNAとUPDが相互作用する際に立体障害やマストランスファー・リミテーション効果が生じるためだと考えられる。

 対照実験として、プローブの結合サイトを持たないpseudo-UPDおよびPCRの未反応溶液を用いて実験を行ったが、いずれの場合も50RU程度であり、UPD1(鎖長143bp)のような高い応答値を得ることができなかった。したがって、UPDがプローブDNAと塩基配列特異的にハイプリダイゼーションしていることが確認できた。UPD1に関して検量線を求め、検出限界を検討したところ、64.7RUをプローブDNAの陽性応答値とした場合、検出限界は1.5×10-7Mであった。O157のゲノムDNAからPCRによる増幅、測定・検出までにかかった時間はおよそ3時間30分であった。この結果から、増幅されたPCR産物によるベロ毒素産生遺伝子の検出ができることが示された。

 第3章では、PCR産物である二本鎖DNAを検出するため、プローブとしてペプチド核酸(peptide nucleic acid;PNA)を用いた。プローブとしてDNAを用いた場合、標的は短いオリゴヌクレオチドもしくは一本鎖DNA及および前節で示したUPDである。プローブDNAでUPDを測定する場合、従来の手法よりも迅速かつ特異的に検出することは可能であるが、異なる非対称PCR産物を混合し、熱変性させる操作が必須である。そこで、このステップなしで二本鎖PCR産物をPNAをプローブとして、直接検出できる測定方法を検討した。

 標的DNAに10%ホルムアミドを加え、熱変性処理して、二本鎖PCR産物(analyte PCR product;APP)とし、前章と同様にBIAcoreTM2000を用いて測定を行った。

 その結果、APPは、塩基配列特異的にプローブPNAと相互作用することがわかった。また、APPの鎖長が長くなるにしたがい応答値が大きくなり、UPDと同様に約300塩基程度で応答値が332RUで飽和に達した。これも同じく鎖長が長くなるにつれて、固定化したプローブPNAとAPPが相互作用するときに、立体障害やマストランスファー・リミテーション効果が生じるためだと考えられる。4種類のAPPを用いて、PCRサイクル数やPCR産物の濃度変化と応答値との関係を検討した。いずれのAPPも25サイクルで増幅すれば検出できることがわかった。また、APP1(鎖長143bp)に対して検量線を作成したところ、検出限界はセンサーの陽性応答値を45.6RUとした時、4.3×10-7Mであった。プローブDNAを用いた時よりも多少感度は劣るが、1ステップで迅速にPCR産物を検出することができた。この結果、O157のゲノムDNAからPCRによる増幅、測定・検出までの時間はおよそ2時間30分であった。

 第4章では、臨床検体から直接PCRを行い、第3章で用いた手法によりその産物の検出の可能性について検討した。

 臨床検体中には、ポルフィリンなどの多様なPCR反応の阻害因子が存在するので、臨床検体から直接PCRを行うことは困難である。したがって、鋳型となる核酸の抽出・精製処理が必要となってくる。これらの処理は多数の試料を扱う際には煩雑であり、処理中にDNAが切断されてしまう可能性がある。そこでまず、臨床検体に存在する病原性大腸菌を試料とする場合に、PCRの酵素反応を阻害する因子を簡単に除去する方法を試みた。そしてこの処理をおこなったあとに、得られた鋳型DNAからPCRをおこなった。このPCR産物は、第3章と同様にプローブPNAを用いて、BIAcoreTM2000により測定をおこなった。

 患者便をリン酸緩衝液で10倍希釈し、糞便中の食物残渣を除去するため、2,000rpmで遠心分離をおこなった。次に、上清を再度15,000rpmで遠心をおこなった。さらに、得られた沈殿物をエタノールで洗浄し、再び15,000rpmで遠心をおこなった。その結果得られた沈殿物をPCRの鋳型として用いた。

 99℃20分間加熱処理を行ったのち、Toq polymeraseを通常の2倍量加え、40サイクルのPCRを行ったところ、目的の長さのPCR産物を得ることができた。すなわち、糞便中の大腸菌O157のVT2の遺伝子をゲノム抽出・精製をすることなくPCRで増幅することができた。

 得られた標的DNAは、第3章と同様にPCR産物と10%ホルムアミドを加え、熱変性処理して測定した。臨床検体からPCRを行ったサンプルは、疑似感染便、O157感染患者便及び健康保菌者便いずれも、PCRにより40サイクル増幅すると測定が可能であった。精製ゲノムからPCRを行ったものは、25サイクルで測定可能であったことからも、臨床検体中のPCR阻害物質の影響は大きいと考えられる。

 臨床検体から直接PCRをおこない、その産物をSPRで測定する場合、糞便採取からベロ毒素産生遺伝子検出までに要する時間はおよそ4時間30分である。従来の培養検査が1日半かかることと比較して、大幅に検出に必要な時間が短縮された。本研究により得られたDNAの迅速な検出法は、他の様々な微生物の検出に応用できる。つまり、汎用性の高い測定法であるといえる。

 第5章は結論であり、本研究で得られた結果をまとめた。

審査要旨

 本論文は腸管出血性大腸菌O157:H7の迅速測定法の開発に関するものであり、5章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、DNAセンサーの課題である、二本鎖DNAの検出をおこなうために、標的となるDNAの構造を工夫している。標的DNAは、長さの異なる2種類の非対称polymerase chain reaction(PCR)産物を組み合わせた片側突出端DNA(unilateral protruding DNA;UPD)とし、プローブ結合部位以外の部分は二本鎖DNAの構造をとるように設計することによって、標的DNAの構造の安定化を図っている。UPDの測定には、表面プラズモン共鳴現象(SPR)を利用した高感度なバイオセンサーであるBIAcoreTM2000を用い、UPDがセンサーチップに固定化したプローブDNAと相互作用するときの共鳴角変化を応答値として検出している。

 その結果、UPDの鎖長が長くなるにしたがい応答値は大きくなり、300塩基以上591RU(1RU=1/1000°)で飽和に達したことを明らかにしている。対照実験として、プローブの結合サイトを持たないpseudo-UPDおよびPCRの未反応溶液を用いて実験を行っているが、いずれの場合も50RU程度と低い値であり、UPDがプローブDNAと塩基配列特異的にハイブリダイゼーションしていることを確認している。UPD1(鎖長143bp)に関して検量線を作成し、検出限界を検討したところ、64.7RUをプローブDNAの陽性応答値とした場合、検出限界は1.5×10-7Mであることを明らかにしている。O157のゲノムDNAからPCRによる増幅、測定・検出までにかかった時間はおよそ3時間30分であり、この結果から、増幅されたPCR産物によるベロ毒素産生遺伝子の検出ができることを示している。

 第3章では、PCR産物である二本鎖DNAを直接検出するため、プローブとしてペプチド核酸(peptide nucleic acid;PNA)を用いている。標的DNAに10%ホルムアミドを加え、熱変性処理して二本鎖PCR産物(analyte PCR product;APP)とし、前章と同様にBIAcoreTM2000を用いて測定を行っている。その結果、APPは、塩基配列特異的にプローブPNAと相互作用することを明らかにしている。また4種類のAPPを用いて、PCRサイクル数やPCR産物の濃度変化と応答値との関係を検討した結果、いずれのAPPも25サイクルで増幅すれば検出できると述べている。さらに、APP1(鎖長143bp)に対して検量線を作成したところ、検出限界はセンサーの陽性応答値を45.6RUとした時、4.3×10-7Mであることを明らかにしている。O157のゲノムDNAからPCRによる増幅、測定・検出までの時間はおよそ2時間30分であり、本方法はプローブDNAを用いた時よりも多少感度は劣るが、1ステップで迅速にPCR産物を検出できると述べている。

 第4章では、臨床検体から直接PCRを行い、第3章で用いた手法によりその産物の検出の可能について検討している。すなわち、臨床検体に存在する病原性大腸菌を試料とする場合に、PCRの酵素反応を阻害する因子を簡単に除去する方法を試みている。まず、患者便をリン酸緩衝液で10倍希釈し、糞便中の食物残渣を除去するため、2,000rpmで遠心分離を行い、上清を再度15,000rpmで遠心している。さらに、得られた沈殿物をエタノールで洗浄し、再び15,000rpmで遠心し、その結果得られた沈殿物をPCRの鋳型としている。99℃20分間加熱処理を行ったのち、Toq polymeraseを通常の2倍量加え、40サイクルのPCRを行ったところ、目的の長さのPCR産物を得ることができたと述べている。すなわち、糞便中の大腸菌O157のVT2遺伝子をPCRで増幅できることを明らかにしている。臨床検体からPCRを行ったサンプルは、疑似感染便、O157感染患者便及び健康保菌者便いずれも、PCRにより40サイクル増幅すると測定が可能であることを明らかにしている。臨床検体から直接PCRを行い、その産物をSPRで測定する場合、糞便採取からベロ毒素産生遺伝子検出までに要する時間はおよそ4時間30分であり、従来の培養検査が1日半かかることと比較して、検出に必要な時間が大幅に短縮されたと述べている。さらに本研究により得られたDNAの迅速な検出法は、他の様々な微生物の検出にも応用できる汎用性の高い測定法であることを示唆している。

 第5章は結論であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめている。

 このように本論文では、2種類のプローブを用いて、腸管出血性大腸菌O157:H7のDNAを迅速に測定できる方法を開発している。更にこの測定方法を用いて、臨床検体中のベロ毒素産生遺伝子をPCRで増幅し、これを検出することに成功している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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