学位論文要旨



No 114354
著者(漢字) 玄場,公規
著者(英字)
著者(カナ) ゲンバ,キミノリ
標題(和) わが国製造業の多角化の動学過程に関する研究 : 技術機会・脅威と収益性・成長性の産業別分析
標題(洋)
報告番号 114354
報告番号 甲14354
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第4480号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,文雄
 東京大学 教授 野口,悠紀雄
 東京大学 教授 馬場,靖憲
 東京大学 教授 玉井,克哉
 東京大学 助教授 橋本,毅彦
内容要旨

 多角化とは、企業の事業活動の多様性を広げることである。我が国では、本業が成熟した企業を中心に、多角化を行い、企業成長をなし遂げた企業も多い。しかし、一方で、近年の我が国経済の低迷下では、行きすぎた多角化が収益性を低下させたとも言われている。このように多角化は我が国製造業の重要な経営課題となっているが、多角化の決定要因及びその成果に関する詳細かつ定量的な研究は数少ない。また、多角化の決定要因については、本業たる市場、あるいは海外からの脅威との関係を中心に論じている。しかしながら、製造業の多角化においては、各産業において蓄積した産業技術が多角化の重要な決定要因と考えられる。そこで、本研究は、製造業の多角化の重要な決定要因である技術機会・技術脅威を中心に、多角化と収益性・成長性といった成果との相関を定量的に分析するものである。

 本研究では、第一に、研究開発費及び事業の多角化度についてエントロピー値を用いて分析した。多角化度を測定する指標としては、通常、ハーフィンダル指数とエントロピー値が用いられるが、多角化が進展した企業、産業に対しては、エントロピー値の方が指標として有効であるため、エントロピー値により分析を行った。この分析により、我が国の製造業の多角化に関する動態分析を行い、多くの産業が多角化していることを実証した。また、研究開発費の多角化度と事業の多角化度には有意の相関を分析したが、有意な相関が認められなかった。既存研究では、研究開発費の大小により、技術機会を論じ、技術機会と事業の多角化との相関を分析している。この結果、両者には有意な相関がない、あるいは負の相関があるとしている。しかし、技術機会は、単なる量的な指標でなく、方向性を持った質的な指標により分析することが必要である。

 技術機会に関しては、定まった定義はないが、「技術知識の潜在的利用可能性」あるいは「研究開発がイノベーションに結び付く機会」とされている。本研究では、多角化の視点から技術機会を分析するため、異分野における技術機会を分析対象とする。そして,研究開発費の多角化データによる分析を行っているため、技術機会の定義は、「本業としてない製品分野における研究開発の成果を利用する機会」であると考える。また、技術機会の対概念として、技術脅威という概念が考えられる。技術脅威とは「研究開発の成果により本業とする製品分野に参入される脅威」と定義する。

 技術機会・脅威は産業別にマクロな視点で分析することが不可欠であり、本研究では産業単位のデータを用いて分析を行った。分析には、研究開発費の産業別製品分野別の多角化統計と産業連関表を用いた。実際の企業活動として、技術機会のない分野に対して研究開発が行われることも想定されるが、厳しい競争にさらされている民間企業の多くが技術機会のない分野に対して、長期間にわたり、研究開発費を投入することはあり得ないと仮定できる。そこで、マクロレベルの研究開発費の統計データは、各産業の技術機会をもっとも良く表す定量データであると考えられる。また、産業連関表は、各産業の川上方向、川下方向を定量的に表すデータである。技術機会は、各産業の産業技術及び取引関係に基づき創出されると考えられ、川上、川下方向という方向性を検討することが重要である。産出投入表においては、各産業の産出方向が川下であり、投入方向が川上である。分析においては、各産業の多角化データと産出投入表のデータをベクトル化し、両者の一致度を測定した。すなわち、各産業の研究開発費がどの程度、川上方向の分野になされており、また、どの程度、川下方向の分野になされているかを測定した。それぞれが川上、川下方向への技術機会と考えられ、各産業の技術機会を定量化した。この結果を用いて、各産業の技術の性質、取引関係により、産業のカテゴリー化を行い、技術機会の特徴を明示した。

 技術機会の重要性は、既存研究においても十分指摘されていたことであるが、産業別に技術機会が異なり、また、それを定量的に示した研究はほとんどない。さらに、本研究では、事業の多角化データを用いて、各産業の多角化がどの程度、川上方向及び川下方向に一致するかを技術機会と同様の手法により測定した。このデータと技術機会の方向性のデータとの相関を分析し、両者に相関があることを実証した。すなわち、技術機会によって、各産業の多角化行動が異なること、すなわち技術機会が多角化の決定要因の一つであることを実証したと考えられる。ただし、この定量分析だけであれば、技術機会によって事業展開を行ったというよりも、事業展開を行うために研究開発を行ったという解釈も可能である。すなわち、技術が先か、事業が先かということについては、事例分析により、補わなければ結論を導くことができない。この点、本研究で行った事例分析では、コアとなる技術、コンポーネントがあることが川下方向への事業展開の理由であると考えられ、技術が事業展開を導いたという例が多いと考えられる。

 以上のような技術機会の重要性から、技術機会の時系列分析と特徴的な産業の多角化戦略の検証を行った。この分析により、技術機会に基づいた多角化が重要であることを示した。技術機会を認識しない多角化、すなわち、マーケット予測に基いた多角化あるいは、政策的な誘導に基づいた多角化等は、成功することが困難であることが示された。

 さらに、本研究では、技術機会の対概念である技術脅威の定量的分析を行い、産業別に技術脅威が異なることを実証した。また、技術脅威が事業の多角化と相関があることも定量的に実証した。

 以上の分析は、製造業の多角化において、技術がもっとも重要な要因であることを改めて再検証し、実証したものである。このことは、当然の帰結であるとも考えられるが、1980年代後半には、技術機会に基づかない多角化が試みられた。そして、その戦略が、わが国産業界の低迷を招いている一因であることも否定できないのである。

 多角化度と収益性との相関分析では、近年、異分野への多角化を行っている産業ほど収益性が低下していることが定量的に示された。これは、新規事業展開に慎重にならざるを得ない我が国の産業界における閉塞感を定量的に実証したものと考えることができる。ただし、本業たる市場が成熟している企業は、異分野に展開せざるを得ない。これらの産業に属する企業では、「事業集約・本業回帰」という守りの経営姿勢だけでは、企業は衰退する一途であり、「積極的な新規事業展開を行う」という攻めの経営姿勢を併せ持つ必要がある。

 とすれば、どのような多角化が望まれるのであろうか。前述のように、製造業の多角化には、技術機会が重要であり、それが多角化の成否を握ると考えられる。特に、付加価値の高い分野へと展開する川下方向への技術機会を認識し、それに基づいた多角化が収益性向上の多角化戦略であると考えられる。

 本研究では、この仮説を事例分析により導きだし、定量的分析により、川下方向への技術機会と収益性向上の相関を定量的に実証した。一方で、事業の川下方向への多角化と収益性には、有意な相関がないことが分かった。これは、技術機会を認識せずに、事業の多角化が行われても収益性向上に貢献しないと解釈できる。

 以上のように、技術機会は、製造業の多角化の成否を握る重要な鍵であると考えられる。技術機会を認識することの重要性は、近年、盛んに議論されるコアコンピテンスという概念からも捉え直すことができる。各産業において、本業で蓄積された産業技術の集合は、コアコンピテンスであり、技術機会を認識するということは、コアコンピテンスを認識した事業展開に他ならない。

 近年、本業回帰の動きが最近盛んであるが、一方で、新たな事業展開を行わなければ、企業の発展を望むことはできない。我が国産業界の閉塞感を打開するためには、新産業の創出が急務である。本研究は、技術機会の重要性を示し、また各産業の技術機会を定量化している。本研究の成果が製造業各企業の多角化戦略の資料として貢献することが期待される。

審査要旨

 本研究は、我が国製造業の多角化に関する因果連鎖について、定量的分析を中心とし、定量的分析では明らかにすることができない課題については、事例研究を行ったものである。従来の研究においては、多角化の決定要因及びその成果に関する詳細かつ定量的な研究は数少ない。さらに、従来の定量的研究においては、本業たる市場の成熟、海外からの脅威との関係が中心に論じられているが、各産業において蓄積した産業技術を多角化の重要な決定要因とする分析は、定性的・記述的な研究が存在するのみである。技術的要因を明示的に取り込んだ定量的研究においても、各産業の研究開発費の総額やその売上高に対する比率を指標にしたものしか存在しなかった。しかも、これらの統計的分析における決定係数はきわめて低いものが多数を占めている。

 本研究のもう一つの特徴は、技術蓄積、事業展開、企業業績という、因果連鎖体系の包括的な枠組みで分析していることである。そのために、整合性がある形で時系列の数値データが入手可能な産業別分析が中心となっている。すなわち、技術蓄積については、総務庁の「科学技術研究調査報告書」の「産業別・製品分野別社内研究費」を基に計測し、事業の展開については、「工業統計表(多角化調査編)」と「企業活動基本調査(事業多角化等統計表)」で計測し、企業業績については、「企業活動基本調査」や「有価証券報告書」のデータを活用している。これらの諸統計の産業分類を統一することにより、整合性のある定量分析を可能にしている。

 多角化の進展状況を計測する方法についての分析をまず行っている。この点に関しては、従来使われてきたハーフィンダール指標よりも、エントロピー指標の方が適切なことを理論的、実証分析を通して、明らかにしている。しかし、この方法により、多角化度は計測できるとしても、研究開発の多角化度、事業の多角化度、及び業績の指標との相関関係を見いだし得ないことも明らかにしている。その理由として、多角化の量的側面だけでなく、質的側面への考察が必要であるという結論を導き出している。

 研究開発の質的側面を分析するための基本概念として、技術機会と技術脅威という概念を中心に分析を進めている。技術機会の操作上の定義を、「本業としてない製品分野における研究開発の成果を利用する機会」であるとし、技術脅威を「研究開発の成果により本業とする製品分野に参入される脅威」と定義している。

 さらに、この技術機会・脅威という概念を定量化し、計測するために、産業連関上の方向性に注目している。技術機会は、各産業の産業技術及び取引関係に基づき創出されるとして、川上、川下方向という方向性を検討している。産出投入表においては、各産業の産出方向が川下であり、投入方向が川上である。そこで、各産業の多角化データと産出投入表のデータをベクトル化し、両者の一致度を測定している。すなわち、各産業の研究開発費がどの程度、川上方向の分野になされており、また、どの程度、川下方向の分野になされているかを測定している。川上、川下方向への一致度が、それぞれ川上、川下方向への技術機会と仮定し、各産業の技術機会を定量化している。このデータを用いて、各産業の技術の性質、取引関係により、産業のカテゴリー化を行い、技術機会の特徴を明示した。

 さらに、事業の多角化データを用いて、各産業の多角化がどの程度、川上方向及び川下方向に一致するかを同様の手法により測定し、事業展開の方向性を計測している。この計測された事業展開の方向性と技術機会の方向性のデータとの相関を分析し、両者に相関があることを実証している。すなわち、技術機会によって、各産業の事業展開の行動が異なること、すなわち技術機会が多角化の決定要因の一つであることを実証したと考えられる。さらに、定量分析だけでは検証することができない、技術が先か事業が先かということについては、事例分析をおこなっている。その結果、コアとなる技術、コンポーネントがあることが川下方向への事業展開の理由であると考えられ、技術が事業展開を導いたという例が多いとの結論を導いている。

 さらに、技術機会の重要性を確認するため、技術機会の時系列分析と特徴的な産業の多角化戦略の検証を行っている。この分析により、技術機会に基づいた多角化が重要であることを示した。技術機会を認識しない多角化、すなわち、マーケット予測に基いた多角化あるいは、政策的な誘導に基づいた多角化等は、成功することが困難であることを示している。技術機会の対立概念である技術脅威の定量的分析を行い、産業別に技術脅威が異なることを実証している。また、技術脅威が事業の多角化と相関があることも定量的に実証している。

 企業業績の分析においては、収益率の変化と総売上高の変化との関係を分析の中心にしている。まず、事業の多角化度と収益性との相関分析では、近年、異分野への多角化を行っている産業ほど収益性が低下していることが定量的に示している。すなわち、最近の「事業集約・本業回帰」という現象を定量的に実証している。しかし、技術機会を説明変数に追加することにより異なる結果を得ている。すなわち、川下方向への技術機会と収益性向上の相関を定量的に実証している。一方で、事業の川下方向への多角化と収益性には、有意な相関がないことも明らかにしている。技術機会を認識せずに、事業の多角化が行われても収益向上に貢献しないことを意味するものである。

 技術経営に関するインプリケーションとして、製造業の多角化には、技術機会が重要であり、それが多角化の成否を握ると考えられる。特に、付加価値の高い分野へと展開する川下方向への技術機会を認識し、それに基づいた多角化が収益性向上の多角化戦略であると考えられる。

 以上を要するに、製造業の多角化という戦略問題を、技術機会・脅威という技術的要因を中心にして定量的・科学的に分析することに成果を上げ、技術経営という実務上からも有益な結論を導き出すことに貢献することができた。よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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