内容要旨 | | 近年,植物の発生や形態形成に関わる分子遺伝的研究が急速に発展しつつある.イネ(Oryza sativa)においても,発生過程の解明は,生物学的に重要であるだけでなく,最重要作物としてその人為的改変を展望する上でも不可欠である. 植物の発生や形態形成を制御する遺伝子は,遺伝子の発現を調節する転写因子やシグナル伝達に関わるタンパク質をコードしているものが多い.転写因子はDNAに結合する特定の領域(ドメイン)によって特徴づけられ,ホメオドメインやMADSドメインをコードする遺伝子をはじめとして,多くの転写制御遺伝子が植物の発生の制御に関与している.これらのドメインをコードする遺伝子は1つの植物種のゲノムに多数存在し,それぞれの遺伝子ファミリーを形成している. 1996年,Souerらによってペチュニアの胚の茎頂分裂組織が形成されない変異体の解析からNAM遺伝子が単離され,この遺伝子が今まで全く報告されていない新規のドメインをコードしていることが報告された.シロイヌナズナにおいても茎頂分裂組織の形成を制御するCUC2遺伝子が単離され,NAMと同様のドメインをコードしていることが明らかにされた.この共通するドメインはNACドメインと命名された.さらに,シロイヌナズナの花の器官決定のBクラス遺伝子のターゲットとして単離されたNAP遺伝子もNACドメインをコードしていることが明らかとなった.このように,NACドメインをコードする遺伝子は植物の発生や形態形成に重要なはたらきをしていると考えられる.また,NACドメインは植物のみに特有なことから,動物などとは異なる,植物に特有な発生の原理と関連してくることも期待される. そこで,本研究ではイネのNACドメインをコードする遺伝子(NAC遺伝子)に関する分子生物学的な研究を行った.NAC遺伝子は研究の歴史が浅く,シロイヌナズナなどでも研究数は少なく,その分子レベルの機能はまだほとんど未解明といっても良い.また,単子葉植物では,NAC遺伝子の研究報告はなく,イネにおいてNAC遺伝子ファミリーを解析することは意義のある研究だと考えられる. 1.OsNAC遺伝子ファミリーの分子生物学的解析 まず,イネのNACドメインをコードする遺伝子(OsNAC遺伝子)について,遺伝子ファミリーとしての全体像を分子レベルで理解することを主な目的として,研究を行った. イネのゲノムにはNACドメインをコードする遺伝子が多数存在し,大きな遺伝子ファミリーを形成していることが示された.8種のOsNAC cDNAの塩基配列を決定し,そのNACドメインを他の植物種のNACボックス遺伝子とともに比較検討した結果,NACボックス遺伝子はいくつかのサブファミリーに分類されることが明らかとなった.このサブファミリーの分類は,OsNAC遺伝子のサザーンプロット解析の結果とも良く一致した.また,14種の遺伝子のNACドメインの比較から,このドメインが5つのサブドメインに分割されること,それらがそれぞれ特徴的なアミノ酸から構成されることなどが判明した. 8種のOsNAC遺伝子の発現を器官特異性に着目して解析した.その結果,器官特異的に発現している遺伝子や構成的に発現している遺伝子など,遺伝子によって特徴的かつ多様な発現を示し,これらの遺伝子が機能的に分化していることが示唆された.さらに,OsNAC遺伝子の染色体上での位置を決定した結果,遺伝子ファミリーを形成しているものの染色体上にクラスターとして存在しているのではなく,いろいろな染色体に分散して存在していることが明らかとなった. 2.OsNAC8遺伝子の遺伝子構造と空間的発現パターンの解析 前章の解析結果は,イネのOsNAC遺伝子ファミリーは非常に多様であることを示している.この中で,OsNAC8は他の遺伝子から進化的に最も遠縁であり,このグループの遺伝子は他の植物でも研究されていない.そこで,このOsNAC8に着目し,その遺伝子(ゲノムDNA)を単離し,その構造解析を行うとともに,OsNAC8の機能を推定するためにin situハイブリダイゼーション法による発現パターンの解析を行った. OsNAC8には比較的長いイントロンが4つ存在し,遺伝子が5つのエクソンに分断されていることが判明した.また,OsNAC8のプロモーター領域に植物の転写因子の結合配列が存在するかどうか探索したところ,シロイヌナズナのMADSボックス遺伝子のAG,ホメオボックス遺伝子のAthb-1,トウモロコシのbZIP型転写因子のOpaque-2などの結合部位と類似した配列が見いだされた.これらの配列の存在は,OsNAC8とこれらのイネの相同遺伝子との相互作用を示唆しており,興味深い. 次に,野生型および変異体のイネを用いて,in situハイブリダイゼーション法によりOsNAC8遺伝子の時間的・空間的発現パターンを解析した.まず,花の発生過程における発現を解析したところ,OsNAC8は,花の発生初期の花序分裂組織に相当する1次枝梗および2次枝梗の原基で強く発現していた.このOsNAC8の発現は,穎花分裂組織に移行する頃には発現が弱くなり,花器官の原基が明瞭に観察される頃には,非常に弱くなることが示された.しかし,栄養生長期の茎頂分裂組織ではOsNAC8の発現は検出されなかった.この結果は,OsNAC8は花序分裂組織である1次および2次枝梗原基の形成やその維持に関与している可能性を示唆している.器官が形成される花の発生後期には,雄蕊の葯でOsNAC8の強い発現が再びみられるようになった.外穎,内穎や鱗被なとでは発現は見られないため,葯の形成にOsNAC8が機能していることも考えられる.さらに,器官分化時の胚の背側の表皮細胞や茎から生じる不定根の原基でもOsNAC8の発現が観察された. 次に,イネの変異体fmlとpla1を用いた発現解析を行った.fml突然変異体は,花の分化が起こらず枝梗の分化を繰り返すものである.このfmlの幼穂におけるOsNAC8遺伝子の発現を解析した結果,繰り返し形成される高次枝梗の原基で強い発現が維持された.pla1は,栄養生長のプログラムが生殖生長期でも発現し,基部の一次枝梗原基がシュートの分裂組織に転換するもので,幼穂では,枝梗原基(花序分裂組織)と栄養生長期の茎頂分裂組織が共存する.このpla1の枝梗分化期では2次枝梗原基でOsNAC8の発現が検出されたが,シュートの分裂組織ではほとんど検出されなかった.これらの変異体での空間的発現パターンの結果は,OsNAC8が枝梗原基の形成と維持に機能するという野生型で得られた推定を強く支持していると考えられる. 3.OsNAC1とOsNAC2遺伝子の発現解析 本章では,ペチュニアのNAMやシロイヌナズナのCUC2と同じサブファミリーに属するOsNAC1とOsNAC2に着目して研究を行った. OsNAC1とOsNAC2について,遺伝子の塩基配列を決定しエクソン-イントロン構造を解析した.OsNAC1とOsNAC2ともにほぼ同じ位置に3カ所イントロンが存在し,これらの第2および第3イントロンは,NAM,CUC2およびNAPの第1および第2イントロンに相当してしていた.一方,OsNAC8は4つのイントロンにより5つのエクソンに分断されていた.他の遺伝子との比較から,第5エクソンはOsNAC8が進化する過程で新たにエクソンシャッフリングによりつけ加えられ,新しい遺伝子として創成された可能性が示唆された. OsNAC1とOsNAC2の空間的発現パターンをin situハイブリダイゼーション法により解析した.2つの遺伝子は胚発生においては,球状胚および器官分化時の胚のほぼ全体にわたって発現していた.また,花の発生においては,枝梗の原基に局在した強い発現が検出された.OsNAC2は花の器官形成時では,雌蕊の原基や発達中の雄蕊で発現が見られた.雄蕊では初期は全体で発現が検出されたのに対し,花糸が伸長する時期には葯の内部のみに発現が局在するようになった.この発現パターンは雄蕊の発生を解明する上で興味深いと考えられる.さらに,OsNAC1,OsNAC2とも不定根の原基で強い発現が観察された. OsNAC1とOsNAC2は,共通して調べた組織ではほとんど同じ様な発現パターンを示し,類似した機能をもっていると考えられる.双子葉植物のNAMやCUC2は,茎頂分裂組織や花序・花分裂組織,花器官の原基などの境界領域で明瞭な発現パターンを示している.これらの遺伝子と同じNAMサブファミリーに属するイネのOsNAC1とOsNAC2は明らかにこの発現パターンとは異なっている.したがって,同じサブファミリーの遺伝子でも双子葉と単子葉植物では,発生における機能が異なっているのかもしれない. 以上,イネのゲノム中にはNACドメインを持つ遺伝子が多数存在し,大きな遺伝子ファミリーを形成していること,OsNAC遺伝子はそれぞれのメンバーに特徴的な発現パターンがあることが明らかとなった.また,OsNAC1,OsNAC2やOsNAC8の空間的発現パターンの解析から,OsNAC遺伝子はイネの発生分化や形態形成において重要な機能を果たしていると考えられる. |