学位論文要旨



No 114361
著者(漢字) 村上,暁信
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,アキノブ
標題(和) ハワード「田園都市論」における都市農村計画思想とその現代的意義
標題(洋)
報告番号 114361
報告番号 甲14361
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1969号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 武内,和彦
 東京大学 助教授 佐藤,洋平
 東京大学 助教授 西村,幸夫
 東京電機大学 教授 西山,康雄
 東京大学 助教授 恒川,篤史
内容要旨

 近代都市計画の嚆矢とも位置づけられるハワード「田園都市論」は、現在も都市計画の分野では重要な計画哲学の一つに数えられている。また最初に発表されてから約百年を経たことから、近年はハワードとそれ以降の都市計画を改めて検証する研究が多く進められている。ハワードは「都市と農村の結婚」という表現を用いて、都市・農村双方の利点を兼ね備えた「田園都市」の建設を提案した。しかしハワード「田園都市論」を都市農村融合論としてみた場合には大きな疑義が生じる。実際に建設された田園都市・レッチワースにおいては周囲に田園地帯が残っているものの、都市と農村が一体的に整備、運営がなされているとはいえないのである。

 また田園都市論以降の欧米近代都市計画は、大都市とその郊外を主な対象として展開しており、そこに都市農村融合という視点はみられない。わが国における都市計画の展開においても田園都市論は大きな影響を与えたが、そこにも都市と農村の一体的整備という視点はなく、郊外型住宅地開発と混同されることも多かった。

 近年、都市計画や農村計画においてはこれまでの計画論と異なる、環境問題に配慮した新たな計画論の必要性が指摘されるようになった。また国土計画においては田園居住なども提案されるようになり、都市と農村の新たな計画的整備手法の提示が求められているといえる。すなわち、本来の都市・農村の融合という意味での田園都市論の展開、それも大都市を対象としたものではなく、農村計画としての田園都市論の展開が現在求められているのである。このような文脈から、ハワード「田園都市論」を都市と農村の関係という視点から見直し、その現代的意義について考察することを本研究の目的とした。

 本研究においては、各国各時代の都市計画を相互に比較することによって個別の都市計画の本質を理解しようとする「比較都市計画」という視点から研究を進めた。また資料に関してはイギリスハートフォードシャーカウンティ公文書館所蔵の資料、東京大学や東京農業大学所蔵の資料、都市計画協会所蔵飯沼一省文庫の資料などの一次資料をもとに考察を進めた。

ハワード「田園都市論」とイギリス都市計画の展開

 ハワードは1926年に、田園都市論の形成過程について自ら講演しているが、この講演内容と、ハワード本人が最も重視した「マスターキー」というダイアグラムから、ハワードの都市計画的思考の根本は、技術によって現状を改善していくことと、市民が協力していくことで環境を良くし、協同的社会を実現することの二点であり、その実践として田園都市の建設が提案されていたことが考察された。

 ハワードが田園都市建設において精神的側面を重視していたのに対して、田園都市協会は物質的側面を重視しており、経済的に成立するかたちで住宅を供給することを第一の目的としていた。この両者の考え方の違いから、協会はレッチワース建設からハワードを外す決定をした。そのためにレッチワースの建設やその後の田園都市運動、近代都市計画運動は、ハワードではなく田園都市協会の主導で進展してきたことが当時の資料から明らかになった。

日本における都市農村計画思想の展開

 わが国近代都市計画の成立に際して、ハワード「田園都市論」が多大な影響を与えたことはよく知られている。日本においてこの田園都市論を本格的に紹介した最初の著作は内務省地方局有志(編)「田園都市」(1907年)である。本書は全十五章からなるが、そのうち田園都市に関するものは最初の二章にすぎず、残りの十三章は基本的に田園都市とは関係がないものとなっている。本書の主要部分は第三章以降であり、各種の社会事業・生活改善・民衆教化に関する欧米と日本の事例が紹介されている。本書はハワード「田園都市論」そのものを書いたものではなく、むしろ地方改良、民衆教化に関して独自の思想を展開した啓蒙書であったといえる。そこでは各個人が勤労に励み、さらに全体として協同することにより都市農村が栄え、ひいては国民の繁栄、健全な国家の発達につながるということが主張されている。しかしここで内務省が目指した社会像はハワードの目指した田園都市構想に非常に似通ったものであることが考察された。

 一方わが国において、農学の立場から最初に田園都市論を紹介したのは当時東京帝国大学教授の横井時敬であった。横井は、ハワード「田園都市論」は「都会を田舎化せんとする方策」であるが、自分は「田舎に都会趣味を輸入する一種の田舎振興策にして田舎本位主義である」と主張した。そして1906年には自身の理想とする考えを記して「小説模範町村」を発表した。小説においては、住民は都市的施設とともに農村の美しい景観を楽しむことができるとしているし、住民が協同することで多くの無駄を省き効率的に社会生活を営むとしている。これらの点はハワード「田園都市論」に描かれていることと共通している。横井は、ハワード「田園都市論」とは異質のものと主張しているが、実際に描かれた新社会像はハワード「田園都市論」と非常に似ていたことが、両者を比較検討することで明らかになった。

 しかし実現へ向けての手法に関して、ハワード「田園都市論」と内務省の田園都市像、横井の思想を比較すると、ハワードは都市住民を農村に導入しようとしたのに対して、内務省や横井は既存の農村に都市的施設・制度のみを導入することで農村の振興を目指し、そのことによる国土の安定を最終的に目指していた、という点で大きく違っていたことが考察された。

ハワード「田園都市論」と日本型都市農村計画思想

 ハワードの手による著書執筆のための草稿などを調査した結果、概念的な表現ではあるが、農地に食糧生産の場としての機能だけでなくレクリエーション的な機能やアメニティ機能を持たせていたことが明らかになった。さらに、エネルギーの循環や廃棄物の再利用、田園都市内での食糧自給といった一種の循環系を構成するものとして都市と農村の融合を提案していたことが明らかになった。このような都市と農村の一体的整備という考え方はハワード以前にはみられなかったものであり、近年提案されている、地域自然と共存するかたちでの都市農村整備という提案の原型として評価することができる。

 エネルギー循環などの視点はもたないが、内務省や横井の提案にも自足的な新社会の構築が表現されており、同様に先駆的な思想と評価できる。むしろ内務省や横井は、既存の農村を振興させるという視点にたっており、より現実を見据えた提案であったといえる。とくに横井は豊富な農学的技術を応用することで、地域自然と共存する持続的な新社会の建設を提案しており、より具体的な提案であったといえる。

田園都市論の現代的意義

 本研究を通じて、田園都市論の日本とイギリスにおける展開について以下のような特徴が明らかになった。

 ハワード「田園都市論」に関しては、

 ・ハワードは精神的な側面を重視しており、田園都市建設そのものよりも、その先にある社会変革を目指していた。レッチワースの建設やその後の近代都市計画の展開において、都市農村融合という視点は失われたが、これは、ハワードの主たる関心が協同的社会の建設に向けられていたこと、財政的問題・大都市問題を最大の課題とした田園都市協会の主導でレッチワースの建設がなされ、さらに近代都市計画自体も形づくられていったこと、以上の二点に原因があった。

 ・一方で、具体的な空間計画までは発想できなかったものの、ハワード「田園都市論」の理念の中には、循環型社会の提案としての都市と農村の融合論が見いだされた。このような考え方は、ハワード以前には見られなかったものであり、近年わが国において国土計画上の課題とされている、地域自然との共存という視点も含んでおり、先駆性を持つ計画思想と評価することができる。

 わが国における田園都市論の展開に関しては、

 ・ハワードが提案した先駆的な計画思想とほぼ同じ内容を横井や内務省はすでに提示しており、さらに両者はハワードと異なり、既存の地方小都市や農村をもとにして計画思想を展開していたことは高く評価できる。とくに横井は詳細な農業技術を地域循環系に組み込むことを提案しており、より現代的意義を持った提案であったといえる。

 ・しかし実現へ向けての手法に関しては、ハワードが都市住民を農村に導入することで全く新しい都市を建設しようとしたのに対して、内務省や横井は既存の農村に都市的施設・制度のみを導入することで農村の振興を目指していた、という点で異なっていた。

 近年わが国においては、自然環境と共存したかたちでの都市農村の整備ということが課題になっており、全国総合開発計画においても多自然居住地域という概念が提示されるようになった。そこでは全国の中小都市群と周辺農村を有機的に関連づけることにより、21世紀にふさわしい新たな都市・農村を構築し、美しい国土を創出するとしている。このような提案は、すでに一世紀近く前に、ハワードによって提示されていたといえる。また日本においても同様の提案が内務省や横井によって示されていたといえる。しかしこれらの提案と近代都市計画の発展を関連づけて検討した結果、20世紀初頭の段階では、これらの計画思想は、それに見合う具体的な空間計画、土地利用計画までは持ち得なかったために実現にまでは至らなかったことがさらに明らかになった。今後は近年議論されている国土計画上の理念をより具体的な土地利用計画に展開していく必要性があることが、本研究から指摘できる。

審査要旨

 近代都市計画の嚆矢とも位置づけられるハワード「田園都市論」は、現在も都市計画の分野では重要な計画哲学の一つに数えられている。ハワードは「都市と農村の結婚」という表現を用いて、都市・農村双方の利点を兼ね備えた「田園都市」の建設を提案した。しかしハワード「田園都市論」を都市農村融合論としてみた場合には大きな疑義が生じる。都市と農村の一体的整備を提案していながら、その具体的手法については何ら示していないのである。また近代都市計画の歴史においても、ハワード「田園都市論」は都市農村融合論としては明確に位置づけられてこなかった。

 近年、都市計画や農村計画においてはこれまでの個別計画論と異なる、一体的計画論の提示が求められている。すなわち、本来の都市・農村の融合という意味での田園都市論の展開が現在求められている。以上の前提認識から、本研究においてはハワード「田園都市論」を都市と農村の融合という視点から再評価し、その現代的意義について考察することを目的とした。

 本研究においては、各国各時代の都市計画を相互に比較することによって個別の都市計画の本質を理解しようとする「比較計画研究」という視点から研究を進めた。また本研究ではイギリスハートフォードシャ-カウンティ公文書館所蔵の資料、東京大学や東京農業大学所蔵の資料、都市計画協会所蔵飯沼一省文庫の資料などの一次資料をもとに議論を構築した。

 本研究の第一章においては、研究の目的を整理するとともに比較計画研究という手法に関して議論をおこなった。続く第二章においては、ハワード「田園都市論」の形成過程を追うことで、都市農村融合論としてのハワード「田園都市論」の特徴を考察した。第三草ではイギリス近代都市計画の展開を検証し、都市農村融合論がどのように展開したかを考察した。第四章では、日本で最初に農学の立場から田園都市論を紹介した横井時敬の思想と、やはり田園都市論を紹介した初期のものとして知られる内務省地方局有志編「田園都市」を取り上げ、その内容を当時の時代状況を踏まえて考察した。第五章においてはわが国における田園都市論の解釈を考察するとともに、近年の国土計画における田園都市論の位置づけを整理した。その上で、前四章の議論と重ね合わせ、ハワード「田園都市論」の現代的意義について考察した。

 本研究を通じて以下の各項が明らかになった

 ハワード「田園都市論」に関しては、計画理念の中に、循環型社会の提案としての都市と農村の融合論が見いだされた。このような考え方は、近年わが国において国土計画上の課題とされている、地域自然との共存という視点も含んでおり、先駆性を持つ計画思想と評価することができた。

 イギリス都市計画の展開においては、当初こそ都市の市街地のみを対象としたものであったが、都市計画手法が確立していく過程で農村地域も都市の計画に取り込むようになったことが、当時の資料から明らかになった。これは都市と農村の一体的整備というハワードの理念と同一のものが、手法をともなって実現し、土地利用計画にまで展開したと評価できた。都市農村の一体的整備という計画理念はハワードが最初に提示したものであり、イギリス近代都市計画の展開もこの方向に従ったといえる。すなわちハワードは、理念においては今世紀のイギリス都市計画が採用した新しい計画パラダイムを提案していたと位置づけることができた。また、イギリスにおいて都市計画から都市農村計画へと展開させることができた要因として、常に農村部を都市側からみるという共通理念の存在があったことが、イギリス計画論の展開過程を検討することで明らかになった。

 わが国における田園都市論の展開に関しては、ハワードが提案した先駆的な計画思想と共通した思想を横井や内務省はすでに提示しており、さらに両者はハワードと異なり、既存の地方小都市や農村をもとにして計画思想を展開していたことが考察された。

 わが国においては、その必要性は論じられながらも、これまで都市農村融合論の展開はみられなかった。しかし、わが国においてはイギリスにみられる農村部・田園部への共通理念と同質のものは持ち得ない。今後、都市農村計画を展開させるためには、わが国独自の都市観・農村観に立った上で、計画理念をより具体的な土地利用計画に展開していく必要性があることが本研究から指摘できる。

 以上要するに本研究は、一次資料の精査により比較計画研究の視点からハワード「田園郡市論」を再評価し、それがイギリス近代都市計画におよぼした影響を考察するとともに、わが国における都市農村計画のあり方について提言を行ったものとして評価できる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54703