学位論文要旨



No 114364
著者(漢字) 長岡,一成
著者(英字)
著者(カナ) ナガオカ,カズナリ
標題(和) 土壌病害の生物的防除を目的とした蛍光性Pseudomonasの個生態学的研究
標題(洋)
報告番号 114364
報告番号 甲14364
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1972号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨

 今日、農薬による環境汚染は依然として未解決な問題として残されている。とくに、ゴルフ場においては、芝草の発病に関わる気象的要因が明らかでないこと、発病抑制に充分な管理技術が確立されていないこと、効果的な農薬が知られていない病原菌が存在することなどから、多量な農薬の定期的な投与が行われている。したがって、発病要因の解明、ゴルフ場管理技術の確立、有効な農薬の選択や耐病性品種の選抜とともに、農薬に代わる土壌病害防除の方法の確立が必要となる。土着及び接種微生物による土壌病害の生物的防除も、農薬に代わる土壌病害防除方法として期待されている。

 日本では、伝承的な栽培技術として混植や断根挿木が行われてきたが、これらは土着微生物の拮抗性を生かした土壌病害の生物的防除の例である。例えば、栃木県に伝わるネギとユウガオの混植では、ネギの根面に多数棲息している拮抗性細菌によりユウガオの病害発生が抑制されていることが明らかにされている。

 現在では、土壌や植物に棲息する拮抗性微生物を分離・培養し、積極的に土壌や植物に接種することにより、土壌病害を防除しようとする試みがなされている。とくに、蛍光性Pseudomonasについては、抗生物質やシアン化物などの拮抗物質生産による病原菌の抑制、鉄のキレーターであるsiderophoreを介した病原菌との鉄の競合、植物生育促進物質の生産、土壌病害に対する植物の抵抗性の誘導など、病害防除に関わる様々なメカニズムが明らかにされてきている。

 一般の畑作物については、以上に示したような土壌病害の生物的防除に関する研究が積極的に行われている。しかしながら、ゴルフ場における芝草病害の生物的防除の研究例は、一般作物に比べて非常に少ない。なかでも、蛍光性Pseudomonasについては、きわめて研究例が少なく、その芝草病害防除のメカニズムに関する研究例は殆どない。

 そこで本研究では、ゴルフ場のなかでもとくに管理の重要な、パッティンググリーンに用いられるクリーピングベントグラス(Agrostis palustris cv.Pencross)の病害の生物的防除を目的として、蛍光性Pseudomonasの個生態学的研究(autoecological study)を行った。

1芝草病原菌に対して拮抗能を有する蛍光性Pseudomonasの特徴芝草病原菌に対する拮抗性菌株の分離

 まず初めに、栃木県および茨城県のゴルフ場のパッティンググリーンよりサンプリングしたソッドの根および土壌(川砂)より、蛍光性Pseudomonasを分離し、対峙培養により拮抗性菌株を選抜した。対象とする病原菌として、Sclerotinia homoeocarpa、Rhizoctonia solaniおよびPythium aphanidermatumを用いた。対峙培養による拮抗性菌株の分離には、PDA培地が一般的に用いられるが、本章では、PDA培地の他、MA培地およびYG培地も用いて選抜を行った結果、いずれかの芝草病原菌に対して拮抗能を有する菌株5株が得られた。これらの菌株に加えて、これまでにベントグラスより分離された拮抗性菌株3株を用いて本章の以下の実験を行った。

拮抗性菌株の同定

 菌株の同定は、16S ribosomal RNA遺伝子(16SrDNA)の部分塩基配列の解読を中心として行った。

 Moorら(1996)は、Pseudomonas属細菌の種レベルでの分類・同定に有効と思われる特徴的塩基を見い出している。そこで、これらの特徴的塩基を含む部位を中心として部分塩基配列を解読した結果、すべての拮抗性菌株についてP.aureofaciensの基準株と一致した。

 また、HP72株は、生理試験によりP.fluorescnesと同定されていたが、16SrDNAの塩基配列からは、P.aureofaciensに近縁であると考えられた。そこで、細菌同定用キットAPI20NEを用いて生理試験の追実験を行い、Pseudomonas属細菌の分類の現状をふまえて考察を行った。

拮抗性菌株の代謝産物の検出

 蛍光性Pseudomonasの生産する蛍光性色素は鉄のキレーターであるsiderophoreである。蛍光性Pseudomonasのなかには、siderophoreを介した鉄の競合により病原菌を抑制する菌株が知られている。本研究では蛍光性Pseudomonasを対象として分離しており、当然のことながら蛍光性siderophoreを生産する。

 また、分離菌株8株のうち、7株がシアン化物を生産した。シアンは生物に対して有毒であるが、生物的防除に関わっている場合も知られている。

 蛍光性Pseudomonasの生産する抗生物質のうち、phenazine誘導体のなかには特徴的な橙褐色を呈するもの存在することが知られている。また、抗生物質2,4-diacetylphloroglucinol(Phl)を生産する菌株は、中間代謝物として赤褐色の色素を生産することが知られている。分離菌株のうち、HP72株のみがKing B培地上において赤褐色の色素を生産したことから、HP72株はPhlを生産している可能性が考えられた。

抗生物質生産に関わる遺伝子の検出

 これまでに、様々な拮抗物質が単離、同定されているが、そのなかでもphenazine-1-carboxylic acid(PCA)およびPhlについては、その生産に関わる遺伝子の一部をPCRにより特異的に増幅するプライマーが設計されている。そこで、これらのプライマーを用いてPCRを行った結果、PCAに特異的なプライマーを用いた場合いずれの菌株についても増幅産物は得られなかったのに対し、Phlに特異的なプライマーを用いた場合はHP72株において増副産物が得られた。先の赤褐色色素の生産性と併せて、HP72株はPhlを生産していることが強く示唆された。

2HP72株の生産する抗生物質の同定抗生物質の単離方法の検討

 前章において、HP72株は抗生物質2,4-diacetylphloroglucinol(Phl)を生産していることが強く示唆された。そこで、これまでのPhlの単離報告をもとに、HP72株の生産する抗生物質の単離方法を検討した。

 まず初めに、HP72株のR.solaniおよびP.aphanidermatumに対する拮抗性を、様々な培地を用いた対峙培養により検定した。その結果、グルコースの添加により拮抗性が強まることが明らかになった。

 ついで、グルコース添加nutrient brothを用いてHP72株を培養し、培養液をpH2に調整した後、酢酸エチルで抽出を行った。酢酸エチル相を減圧乾燥したのち、メタノールに溶解させた。抽出物の拮抗性検定をペーパーディスク法で行ったところ、R.solaniおよびP.aphanidermatumに対して拮抗性を示したことから、酢酸エチルにより抗生物質が容易に抽出できることが明らかになった。

 抽出物の分画はTLCを用いて行った。様々な組成の溶媒を用いて展開方法を検討したところ、クロロホルム:メタノール(9:1)を展開溶媒として用いた場合に最も良好に分画できた。分取用TLCを用いて分画を行い、分取した画分について拮抗性検定を行ったところ、R.solaniおよびP.aphanidermatumともに拮抗性を示す画分が得られた。

抗生物質の同定

 拮抗性画分についてGC-MSを用いて分析を行ったところ、そのスペクトルよりHP72株の生産する抗生物質はPhlであると考えられた。更にHPLCによる精製を試み、その吸収スペクトルの特徴を調べた。

芝草病原菌の生育抑制における各種代謝産物の重要性

 これまでに、薬剤(NTG)処理により、対峙培養においてR.solaniおよびP.aphanidermatumに対する拮抗能を損失した変異株が得られている。そこで、これらの変異株の代謝産物を調べた。変異株は、親株であるHP72株と同様、蛍光性siderophoreおよびシアン化物を生産した。一方、変異株はKing B培地上での赤褐色色素の生産能を失っていたことから、Phlの生産能を失っていると考えられたため、培養液抽出物についてHP72株との比較を行った。これらの結果より、少なくともin vitroにおいては、HP72株の芝草病原菌の生育抑制にPhlが最も大きく関与していると考えられた。

3HP72株の植物への定着性HP72株の芝草における分布

 これまでに、HP72株はベントグラスの根に良好に定着することが室内試験および野外試験により確認されているが、本研究では、地上部(葉部)への分布についても調べた。その結果、根と比較して低密度であるものの、HP72株は地上部からも検出された。また、根について表面殺菌を行なった後のHP72数も調べ、根面-根内におけるHP72株の分布についても考察を行った。

異なる植物の根におけるHP72株の定着性

 HP72株の接種方法として、種子を菌液に浸す方法(バクテリゼーション)および菌液を土壌に混合する方法(土壌接種)を用いて、オオムギの根への定着性を比較したところ、いずれの方法を用いても良好に定着し、両者に定着性の相違は認められなかった。

 HP72株を土壌接種し、イネ科植物(オオムギ、コムギ)およびナス科植物(トマト、ナス)を播種した。その結果、ナス科植物に比べてイネ科植物のほうが定着性が良好である傾向がみられた。また、土壌中でのHP72株の生残性も同様の傾向が認められ、植物根からの滲出物が土壌へ接種された菌株の生残性に影響を及ぼしていると考えられた。

4まとめ

 本研究、およびこれまでにゴルフ場のパッティンググリーンより分離された拮抗性を有する蛍光性Pseudomonasのうち、HP72株はR.solaniにより引き起こされる芝草病害Rhizoctonia blight(brown patch)を抑制することがポット試験により確認されており、芝草病害の生物的防除に有効であると考えられている。本研究では、HP72株の生産する拮抗物質を同定し、抗生物質2,4-diacetylphloroglucinolが芝草病原菌の生育抑制に関与していることを示唆するデータを得た。この菌株は、モニタリングの手法が確立されており、環境中での挙動の追跡も容易であることから、微生物生態学的、植物病理学的基礎研究のモデル微生物として有効に利用できると考えられる。また、野外試験において、ほとんど全てのゴルフ場のパッティンググリーンにおいて良好に定着することが知られており、実用面からみても、微生物農薬として芝草病害の生物的防除へ有効に利用できることが期待される。

審査要旨

 農薬に代表される化学薬剤が,農作物の生産に果たしてきた役割は大きい。しかしながら,農薬は,同時に深刻な環境汚染問題を引き起こしてきた。したがって,化学的防除法に代わる植物病害の防除方法の確立が重要となる。農薬に代わる,あるいは補足する植物病害の防除方法として,近年注目されているのが,生物的防除法である。

 一般農作物の病害の生物的防除については精力的に研究が行われている。とくに,生物的防除因子のうち,蛍元性Pseudomonasについては,その病害防除のメカニズムについて明らかにされつつある。しかしながら,農薬を多量に使用する場であるゴルフ場の芝草の病害については,その生物的防除の研究は非常に遅れており,生物的防除因子の病害防除のメカニズムに至っては,ほとんど研究が行われていない。

 本所究は,主として芝草病害の生物的防除を目的として着手されたものである。生物的防除を有効に行うためには,用いられる生物的防除因子の拮抗性のメカニズムのみならず,生物的防除因子の環境中での挙動の理解が必要である。そこで,本研究では,芝草病害の生物的防除因子の選抜,拮抗物質の同定,および環境中でのオートエコロジーの解明を目的とした。

1。芝草病原菌に対して拮抗能を有する蛍光性Pseudomonasの分離

 拮抗性菌株の分離は,3種類の培地および3種の芝草病原菌を用いて行った。これまでに分離されていた菌株を含め,8株の拮抗性菌株を選抜した。これらの菌株のうち,Murakamiら(1997)によって分離されたHP72株は,培地の種類や病原菌の種類によらず,強い拮抗性を示し,生物的防除因子として最も有望であると考えられた。

 また,拮抗性菌株の同定を生理的性状と16S rDNAの塩基配列により行ったが,両者の結果が矛盾した。これは,Pseudomonas属細菌のなかに,生理的性状の非常に類似したものが存在することと関係すると考えられた。

2。拮抗物質の検出および同定

 全ての拮抗性菌株は,蛍光性siderophoreを生産し,1株を除いてシアンを生産した。また,HP72株は,培地上で特徴的な赤褐色色素を生産した。これは,抗生物質2,4-diacetylphloroglucinol(Phl)を生産する菌株に見られる特徴である。また,抗生物質生産に関わる遺伝子に特異的なプライマーを用いたPCRの結果からも,HP72株がPhl生産能を有していることが示唆された。

 拮抗性損失変異株を用いた実験より,HP72株の生産する蛍光性siderophoreおよびシアンはin vitroにおける拮抗性に関与していないことが明らかになった。

 HP72株の培養液を,酢酸エチルを用いて抽出し,拮抗性検定を行ったところ,グルコース添加培地の抽出物が,芝草病原菌に対して強い拮抗性を示した。この抽出物についてTLCによる分画および拮抗性検定を行ったところ,病原菌に対して桔抗性を示す画分が得られた。この画分をGC-MSにより分析したところ,Phlと類似した質量スペクトルが得られたことから,HP72株のin vitroにおける拮抗性は,Phlによるものと考えられた。

 Phlは,芝草病原菌以外にも,多様な病原性糸状菌ならびに病原性細菌の生育を抑制することが知られていることから,HP72株の芝草以外の植物の病害防除への利用も期待される。

3。HP72株の植物に対する定着性

 HP72株の芝草の根および地上部への定着性を調べたところ,HP72株は根のみならず地上部へも高密度で定着した。根のみならず地上部における病原菌の伝播が容易な,ゴルフ場の芝草の栽培形態を鑑みると,この性質は芝草病害防除に非常に望ましいと考えられた。

 HP72の芝草以外の植物(イネ科およびナス科)の根への定着性を調べたところ,HP72株は,イネ科植物の根に対してより高密度で定着する傾向が認められた。HP72株は,イネ科植物である芝草より分離された菌株でありイネ科植物の根に対してより親和性が高いと思われた。また,植物栽培後の土壌中のHP72株の生残菌数についても測定したところ,イネ科植物を栽培した土壌の方が,より高密度で生残していた。このことから,栽培植物の種類は,土壌中での接種微生物の生残性にも影響を及ぼすと考えられた。HP72株はイネ植物の根に良好に定着したことから,芝草以外のイネ科植物の病害防除への利用も期待される。

 また,HP72株の接種資材中の生残性についても調べたところ,温度が大きく影響を及ぼすことが明らかになった。このことは,実際の資材使用の場においても,その保存温度に留意すべきであることを示唆する。

 よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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