重大な環境問題であるアオコ現象の原因生物として最も代表的なものは、シアノバクテリアのMicrocystis属である。本博士論文は、Microcystis属の種分類の問題点を解決し、新たな分類体系を構築するものである。 Microcystis属は、多数の球形の細胞が集まってコロニーを形成する。その形態上の特徴が、伝統的に分類基準として用いられており、主要な種として、M.aeruginosa、M.ichthyoblabe、M.novacekii、M.viridis、M.wesenbergiiの5種が知られてきた。しかし、その分類にはあいまいな点が多かった。 本論文では、まず、生埋・生化学的形質に基づいてMicrocystisの特徴づけと種分類の再評価を行なった。調査項目は、生育温度試験、耐塩性試験、従属栄養性試験、フィコビリン色素組成、および脂肪酸組成である。その結果、これらの中にMicrocystisの種分類に対応する形質は認められず、この生物は属レベルではよくまとまった分類群であると結論付けた。 次に、遺伝的形質に基づいてMicrocystisの特徴づけと種分類の再評価を行なった。試験項目として、DNAのG+C含量、cpcBA-IGS PCR-RFLP(フィコシアニンおよびサブユニット遺伝子間領域のPCR増幅産物を制限分解して生じるDNA断片の長さにおける多型性)試験、16S rDNA(16SリボゾームRNA遺伝子)塩基配列の相同性とそれに基づく系統解析、DNA-DNAバイブリダイゼーション、および16S-23S ITS(16S、23SリボゾームRNA遺伝子間領域)塩基配列に基づく系統解析を検討した。まず、5種すべてが近似のG+C含量を示したが、これはMicrocystisが、属レベルでよくまとまった分類群であることを示している。続いて、cpcBA-IGS領域の遺伝型と種分類とが矛盾することを明らかにし、異なる種に分類されていながら、同一のグループに含まれるものが存在することから、従来の種分類体系が、系統関係を反映していないと結論した。さらに16S rDNA塩基配列は、すべての種を同一種とみなせるほど高い相同性をもち、そこから導かれた系統樹にもまた、種の区別に対応するクラスターは現れなかった。これらの結果は、ゲノムDNA相同性試験によっても支持され、その相同性の高さから、バクテリアの分類における国際的な合意に基づいて、Microcystis属5種を単一の種に統合するのが適当であると結論した。また、16S-23S ITSにおいてもやはり、異なる種間で同一の塩基配列が認められ、コロニー形態と遺伝系統が完全には対応していないことがここでも示された。さらに、これまで毒素生産の有無は種分類に対応していると考えられてきたが、実際には種分類、すなわちコロニー形態の違いとは関係がないことが明らかとなった一方、両者の間には遺伝的な違いがあることも示された。 続いて、伝統的に分類指標とされてきたコロニー形態が、本当に分類指標となり得るのか、あるいは少なくとも株レベルの識別に有効なのかどうか再検討するため、野外のアオコ試料中から分離したMicrocystis各種のコロニーを培養下において継続的に観察し、そのコロニー形態が種や株に固有で安定した形質であるのかどうか議論している。1年以上にわたる継続的な観察の結果、単一の株であっても、さまざまなコロニー形態を持ち得ることが示され、その一部の株は、複数の種に相当するコロニー形態の変化を示すことをつきとめた。この結果と、先の生理学的・生化学的形質、遺伝的形質等を合わせて総合的に判断し、次の結論を導き出した。 1)Microcystis属5種はM.aeruginosa単一種に統合するべきである。これらは同一種でありながら、分離時に発現していたコロニー形態の違いに基づいて、歴史的にさまざまな種に区別されてきた。 2)種内の系統群と毒素生産能には関連がある。 さらに、本博士論文研究を通して、これまでにまったく存在の知られていなかった、フィコエリスリンを含有するMicrocystisの存在が明らかとなった。フィコエリスリンは光合成色素の一種であり、光合成色素組成の違いは、種分類の基準となることが多いが、これらのフィコエリスリン含有株と通常の非含有珠との系統関係を解析したところ、両者に系統的な区別はないことが明らかとなった。 以上、本論文は、Microcystis属の種分類体系を再構築したものであり、学術的な貢献が大きく、また本研究から得られた知見が、シアノバクテリアの形態形成機構の解明、水環境評価など、基礎および応用学術分野に対するさらなる貢献につながるものと期待される。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。 |