学位論文要旨



No 114370
著者(漢字) 大塚,重人
著者(英字)
著者(カナ) オオツカ,シゲト
標題(和) 富栄養化した水域においてアオコを形成する有毒シアノバクテリアMicrocystis属の種分類と多様性、諸性質に関する研究
標題(洋)
報告番号 114370
報告番号 甲14370
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1978号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 杉山,純多
 東京大学 助教授 横田,明
 国立環境研究所 部長 渡邉,信
内容要旨 1.研究の背景と目的

 富栄養化した水域においてアオコを形成するシアノバクテリアは、毒素を生産することから、各地の水域で重大な問題を引き起こしており、その被害は、家畜や野生動物にとどまらず、人体への健康被害も複数報告されており、最近では人の死亡例が報告された。アオコを形成するシアノバクテリアとして、温帯から熱帯にかけては、Microcystis属が最も優占的なものとなることが多い。本属には強力な肝臓毒、ミクロシスティンを生産する種(または株)と生産しない種(または株)が含まれている。Microcystis属は、多数の球形の細胞が集まってコロニー(群体)を形成する。主に細胞の大きさと、コロニーやその周囲の粘質多糖の鞘の特徴が、伝統的に分類基準として用いられており、Microcystis属の主要な構成種として、M.aeruginosa、M.ichthyoblabe、M.novacekii、M.viridis、M.wesenbergiiの5種が知られている。しかし、培養によりコロニー形態を失うものが多く、再同定が困難であることに加え、自然条件下においても種の識別が困難であることが多く、形態以外の分類指標を求めて様々な試みがなされてきた。それにもかかわらず、Microcystis属の種の識別に完全に対応する、形態以外の形質は明確になっていない。以上の状況を踏まえ、本研究では、Microcystisというアオコ形成性有毒シアノバクテリアがどのような生物であるのかを見直した上で、形態による分類は本当に種分類として妥当なのかどうかを再検討し、さらに、この生物の多様性を明らかにすることを目的とした。

2.生理・生化学的形質、遺伝的形質、および形態形質に基づく、Microcystis属5種の種分類の再検討

 まず最初に、生理・生化学的形質として、生育温度試験、耐塩性試験、従属栄養性試験、フィコビリン色素組成、および脂肪酸組成を検討した。その結果、これらの中にMicrocystisの種分類に対応する形質は認められなかった。すべての種が似通った生理・生化学的形質を示したことは、必ずしも現在の種分類体系を否定するものではない。主に形態によって分類されたシアノバクテリアにおいては、異なる系統群でありながらも、その形態の類似性により、伝統的に単一のグループに束ねられている可能性が考えられる。そのような場合には、系統群ごとに異なった生理・生化学的形質を示す可能性があるが、今回の結果から、Microcystisは属レベルではよくまとまった分類群であると考えられた。

 次に、遺伝的形質として、DNAのG+C含量、cpcBA-IGS PCR-RFLP(フィコシアニンおよびサブユニット遺伝子間領域のPCR増幅産物を制限分解して生じるDNA断片の長さにおける多型性)試験、16S rDNA(16SリボゾームRNA遺伝子)塩基配列の相同性とそれに基づく系統解析、DNA-DNAハイブリダイゼーション、および16S-23S ITS(16S、23Sリボゾーム遺伝子間領域)塩基配列に基づく系統解析を検討した。5種すべてが近似のG+C含量を示したが、これについては生理・生化学的形質の試験結果と同様、分類学的に問題はない。しかし、それ以外の項目すべてにおいて、現在の種分類体系と矛盾する結果が得られた。まず、cpcBA-IGS領域の遺伝型は、種分類とは食い違っていることが明らかとなった。例えば、M.wesenbergiiは2つのグループに分かれたが、その1つはM.viridisとまったく同一の遺伝型であった。一般に、遺伝子間領域は進化速度が大きいため、種の識別のみならず、株の識別にも有効であると期待された。実際、M.aeruginosa、M.ichthyoblabe、M.wesenbergiiは複数のグループに分けられた。しかし、異なる種に分類されていながら、同一のグループに含まれるものがあったことは、現在の種分類体系が、系統関係を反映していないことを示している。さらに16S rDNA塩基配列は、すべての種を同一種とみなせるほど高い相同性をもち、そこから導かれた系統樹にもまた、種の区別に対応するクラスターは現れなかった。これらの結果は、さらにDNA-DNAハイブリダイゼーションによっても持された。すなわち、Microcystis属5種は、異なる種間で最低74%ものDNA-DNA相同性を持ち、その値は高いものでは90%にも及ぶことが判明した。以上の結果と、バクテリアの分類における国際的な合意に基づいて、Microcystis属5種を単一の種に統合するのが適当であると考えられた。それでは、コロニー形態の違いは種内系統群の違いに対応しているのだろうか。cpcBA-IGS PCR-RFLPの結果から、コロニー形態と遺伝系統は対応していない可能性が高いと思われが、このことは16S-23S ITS塩基配列に基づく系統解析によっても強く支持された。16S-23S ITSにおいてもやはり、異なる種間で同一の塩基配列が認められたのである。全体としては、Microcystis属は3つのクラスターに分けられた。クラスターとコロニー形態には若干の関連が認められたが、コロニー形態と遺伝系統が完全には対応していないことがここでも示された。また、16S-23S ITS塩基配列に基づく系統解析は、毒素生産性の多様性に関する知見ももたらした。これまで、毒素生産の有無は種分類に対応していると考えられてきたが、実際には種分類、すなわちコロニー形態の違いとは関係がないことが明らかとなった一方、両者の間には遺伝的な違いがあることも示された。この知見は、将来的には毒素生産株と非生産株の識別技術につながるものと期待される。

 ここまでの研究で、Microcystis属5種は、同一種として扱うことができるほど近縁であり、コロニー形態も遺伝系統を反映していないと考えられた。また、同一の系統群が異なるコロニー形態を持ち得ることが推測された。それらを確かめるため、伝統的に分類指標とされてきたコロニー形態が、本当に分類指標となり得るのか、あるいは少なくとも株レベルの識別に有効なのかどうかを再検討する必要があった。そこで、野外のアオコ資料中から分離したMicrocystis各種のコロニーを培養下において継続的に観察し、そのコロニー形態が種や株に固有で安定した形質であるのかどうかを試験した。1年以上にわたる継続的な観察の結果、単一の株であっても、さまざまなコロニー形態を持ち得ることが示され、その一部の株は、複数の種に相当するコロニー形態の変化を示した。例えば、M.wesenbergiiの培養株の一部は、M.aeruginosaやM.ichthyoblabeに特徴的なコロニーにも変化することが明らかとなった。コロニー形態観察の結果と、上記の生理学的・生化学的形質、遺伝的形質等を合わせて総合的に判断すると、次の結論が導き出される。

 (1)Microcystis属5種は単一の種として扱うべきである。

 (2)単一の株が複数のコロニー形態を持ち得るにもかかわらず、分離時に発現していたコロニー形態に基づいて、歴史的にさまざまな種に区別されてきた。

 (3)種内にはコロニー形態とは完全には対応していない系統群が少なくとも3つ以上含まれ、その系統群と毒素生産能には関連がある。

 さらに、上記の(1)と(2)から、当然の帰結として、Microcystis属5種を、M.aeruginosa(Kutzing)Kutzing1846単一種に統合することをここに提案する。

3.光合成色素としてフィコエリスリンを含有するMicrocystisの発見

 Microcystisは、光合成のためのフィコビリン色素として、フィコシアニンのみを含有し、フィコエリスリンは含有しないとされてきた。明るい水面直下で生活するMicrocystisには、水深の深い、暗い水域で光合成をするのに有利と考えられているフィコエリスリンを含有する必要はないと考えられる。そして実際、フィコエリスリンを含有するMicrocystisの存在はこれまで一切知られていなかった。しかし、本研究を通して、フィコシアニンに加えてフィコエリスリンを含有するMicrocystisの存在が明らかとなった。光合成色素組成の違いは、種分類の基準となることが多いが、これらのフィコエリスリン含有株と通常の非含有株との系統関係を解析したところ、両者に系統的な区別はなく、この色素組成が異なるMicrocystisも、上記の1種に統合される可能性が高いことが示された。対流の大きな水域、すなわち推進力を持たないMicrocystisにとって水面直下に留まることが困難であるような水域において、光の届きにくい深層に運ばれても有利に光合成ができるという意味で、フィコエリスリンを持つ利点が考えられる。

4.結論

 Microcystis属のこれまでの種分類はもはや有効ではなく、既知のMicrocystis属5種を1種に統合することを提案したい。また、Microcystis属は、遺伝系統的には大きく分岐せず、みな近縁な関係にありながら、コロニー形態、毒素生産能、フィコビリン色素組成において、大きな多様性を有することが示された。これらの多様性は、環境応答あるいは種内変異として扱われるべき問題であり、シアノバクテリアの分類体系の再構築やコロニー形態形成の解明はもちろん、今後は、環境、水質、生態系などを扱うさまざまな研究分野へと発展するであろう。

 重大な環境問題であるアオコの主要な構成生物であるMicrocystisは、その種分類と毒素生産との関係がつねに注目されてきた。それゆえ、各水域でアオコ調査がなされる際に、必ずといってよいほど障害となったのが、採集されたアオコ試料中のMicrocystisの種が正確に同定できないという問題であった。本研究成果により、アオコ調査にともなうMicrocystisの従来型の種分類は必要がなくなったことになる。将来的には、Microcystisの諸性質や多様性がさらに詳細に明かされることにより、この生物がアオコ発生水域の水環境を知る一つの生物指標となることが期待される。

審査要旨

 重大な環境問題であるアオコ現象の原因生物として最も代表的なものは、シアノバクテリアのMicrocystis属である。本博士論文は、Microcystis属の種分類の問題点を解決し、新たな分類体系を構築するものである。

 Microcystis属は、多数の球形の細胞が集まってコロニーを形成する。その形態上の特徴が、伝統的に分類基準として用いられており、主要な種として、M.aeruginosa、M.ichthyoblabe、M.novacekii、M.viridis、M.wesenbergiiの5種が知られてきた。しかし、その分類にはあいまいな点が多かった。

 本論文では、まず、生埋・生化学的形質に基づいてMicrocystisの特徴づけと種分類の再評価を行なった。調査項目は、生育温度試験、耐塩性試験、従属栄養性試験、フィコビリン色素組成、および脂肪酸組成である。その結果、これらの中にMicrocystisの種分類に対応する形質は認められず、この生物は属レベルではよくまとまった分類群であると結論付けた。

 次に、遺伝的形質に基づいてMicrocystisの特徴づけと種分類の再評価を行なった。試験項目として、DNAのG+C含量、cpcBA-IGS PCR-RFLP(フィコシアニンおよびサブユニット遺伝子間領域のPCR増幅産物を制限分解して生じるDNA断片の長さにおける多型性)試験、16S rDNA(16SリボゾームRNA遺伝子)塩基配列の相同性とそれに基づく系統解析、DNA-DNAバイブリダイゼーション、および16S-23S ITS(16S、23SリボゾームRNA遺伝子間領域)塩基配列に基づく系統解析を検討した。まず、5種すべてが近似のG+C含量を示したが、これはMicrocystisが、属レベルでよくまとまった分類群であることを示している。続いて、cpcBA-IGS領域の遺伝型と種分類とが矛盾することを明らかにし、異なる種に分類されていながら、同一のグループに含まれるものが存在することから、従来の種分類体系が、系統関係を反映していないと結論した。さらに16S rDNA塩基配列は、すべての種を同一種とみなせるほど高い相同性をもち、そこから導かれた系統樹にもまた、種の区別に対応するクラスターは現れなかった。これらの結果は、ゲノムDNA相同性試験によっても支持され、その相同性の高さから、バクテリアの分類における国際的な合意に基づいて、Microcystis属5種を単一の種に統合するのが適当であると結論した。また、16S-23S ITSにおいてもやはり、異なる種間で同一の塩基配列が認められ、コロニー形態と遺伝系統が完全には対応していないことがここでも示された。さらに、これまで毒素生産の有無は種分類に対応していると考えられてきたが、実際には種分類、すなわちコロニー形態の違いとは関係がないことが明らかとなった一方、両者の間には遺伝的な違いがあることも示された。

 続いて、伝統的に分類指標とされてきたコロニー形態が、本当に分類指標となり得るのか、あるいは少なくとも株レベルの識別に有効なのかどうか再検討するため、野外のアオコ試料中から分離したMicrocystis各種のコロニーを培養下において継続的に観察し、そのコロニー形態が種や株に固有で安定した形質であるのかどうか議論している。1年以上にわたる継続的な観察の結果、単一の株であっても、さまざまなコロニー形態を持ち得ることが示され、その一部の株は、複数の種に相当するコロニー形態の変化を示すことをつきとめた。この結果と、先の生理学的・生化学的形質、遺伝的形質等を合わせて総合的に判断し、次の結論を導き出した。

 1)Microcystis属5種はM.aeruginosa単一種に統合するべきである。これらは同一種でありながら、分離時に発現していたコロニー形態の違いに基づいて、歴史的にさまざまな種に区別されてきた。

 2)種内の系統群と毒素生産能には関連がある。

 さらに、本博士論文研究を通して、これまでにまったく存在の知られていなかった、フィコエリスリンを含有するMicrocystisの存在が明らかとなった。フィコエリスリンは光合成色素の一種であり、光合成色素組成の違いは、種分類の基準となることが多いが、これらのフィコエリスリン含有株と通常の非含有珠との系統関係を解析したところ、両者に系統的な区別はないことが明らかとなった。

 以上、本論文は、Microcystis属の種分類体系を再構築したものであり、学術的な貢献が大きく、また本研究から得られた知見が、シアノバクテリアの形態形成機構の解明、水環境評価など、基礎および応用学術分野に対するさらなる貢献につながるものと期待される。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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