学位論文要旨



No 114372
著者(漢字) 薩,秀夫
著者(英字)
著者(カナ) サツ,ヒデオ
標題(和) 腸管上皮細胞におけるアミノ酸輸送担体に関する研究
標題(洋)
報告番号 114372
報告番号 甲14372
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1980号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 宮本,有正
内容要旨 序論

 アミノ酸は、あらゆる生命体がその生存に必要とする物質である。蛋白質合成の素材として不可欠であるのはいうまでもないが、その他にも神経情報伝達や浸透圧調節など種々の重要な生理化学的現象に関わっている。食品として摂取されたアミノ酸は小腸において吸収されるが、この吸収には小腸上皮細胞に存在するアミノ酸輸送担体(アミノ酸トランスポーター)が関与している。アミノ酸輸送担体は、10〜14回の膜貫通ドメインを持つとされる膜タンパク質であり、アミノ酸はリン脂質二重層である細胞膜をこの膜タンパク質の介在によって速やかに通過することができる。アミノ酸輸送担体は、組織・細胞レベルでのアミノ酸輸送・吸収の研究においては、アミノ酸輸送系(アミノ酸輸送システム)の一部としてとらえられる場合が多い。アミノ酸輸送系とは、基本的には化学的性質の等しいある一群のアミノ酸の輸送に関与する輸送担体とその制御タンパク質などの調節因子をまとめたもののことを表している。1980年代前半までは、中性、塩基性、酸性、-アミノ酸輸送系の4種に大別されていたが、現在ではさらに細分化され、10種類以上に分類されている。

 ところで、小腸上皮でのアミノ酸輸送は、以下のような制御・調節を受けている可能性が考えられる。つまり、(1)細胞内外の環境条件の変化による制御、(2)食品成分による直接的な活性調節、(3)他の細胞が分泌するサイトカインやホルモンによる制御、である。中でも(1)は、栄養状態の変化などを反映していると考えられ、疾患時などのアミノ酸吸収を検討していく上で非常に重要である。

 以上のような背景から、本研究では腸管におけるアミノ酸輸送の制御・調節について検討することとした。まず小腸上皮様に分化することが知られているヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2に注目し、アミノ酸輸送の研究に有効なモデル系であるかどうかを調べた。ついでタンパク質合成の素材となるアミノ酸の一例として必須アミノ酸であるロイシン、また通常遊離の状態で存在するアミノ酸の一例としてタウリンを選び、環境条件を変化させた際のそれぞれの輸送活性の制御をCaco-2を用いて詳細に解析した。また、食餌条件等を変化させた際のラット小腸におけるタウリン輸送の制御についても検討をすすめた。

1.Caco-2におけるアミノ酸輸送系

 Caco-2におけるアミノ酸輸送活性を調べるため、中性、塩基性、酸性アミノ酸としてロイシン、リジン、グルタミン酸を、-アミノ酸としてタウリンをそれぞれ選び、トリチウムラベルしたこれらのアミノ酸を用いて細胞内へのアミノ酸輸送量を測定した。まずこれらの輸送活性を、別の腸管由来培養細胞株であるT84、IEC-6と比較したところ、T84、IEC-6ではタウリン輸送活性がほとんどみられなかったのに対し、Caco-2では顕著な輸送活性がみられた。実際のヒト腸管ではタウリンの輸送活性が観察されることから、これらの培養細胞の中ではCaco-2が実際の腸上皮を最もよく反映した細胞であると考えられた。各アミノ酸の輸送活性はイオン依存性などが異なっており、また基質欠乏条件・基質過剰条件といった培養条件の変化に対しても様々な変化を示した。これより、Caco-2には実際の腸管同様、多様なアミノ酸輸送システムが存在しており、これらはそれぞれ異なった制御機構を持つことが示唆された。

2.Caco-2におけるロイシン輸送系の制御

 Caco-2におけるロイシン輸送について詳細に検討したところ、通常はKmがそれぞれ23M,96.5Mの、二つのナトリウム非依存型の輸送系を介していることが明らかとなった。次にCaco-2を50mMのロイシンを含んだ培地で48時間培養した後、輸送活性を測定したところ、親和性は低下し(Km値は267Mに増加)、一方でVmは増加するといった複雑な変化を示した。このうち親和性の低下は、イソロイシンやフェニルアラニンを過剰にした場合でも同様にみられたが、一方、Vmの増加については他のアミノ酸では大きな誘導がみられず、ロイシンのみに特異的であった。また親和性の低下は転写阻害剤であるアクチノマイシンD、及び微小管伸張の阻害剤であるコルヒチンによってそれぞれ阻害されたが、Vmの増加は全く影響を受けなかった。そこでコルヒチン処理をした状態でさらにロイシン過剰条件にした場合のロイシン輸送活性のKineticsを求めたところ、Vmの増加のみが観察され、親和性の低下(Km値の増加)はみられなくなった。以上のことから、ロイシン過剰条件によって誘導されるVm値の増加並びに親和性の低下(Km値の増加)はまったく異なった性質を有しており、これらは別々の制御機構を介して誘導されていることが示唆された。

3.Caco-2におけるタウリン輸送系の特性3.1.タウリン輸送系の同定及びタウリン輸送担体のクローニング

 従来タウリンなどの-アミノ酸はシステムと呼ばれるNa+及びCl-依存性のアミノ酸輸送システムを介して輸送されることが知られている。Caco-2におけるタウリンの輸送活性はNa+及びCl-濃度に依存して増加し、また-アラニン、GABAなどシステムの基質とされるアミノ酸によって強く阻害された。これより、タウリンはシステムを介して輸送されるものと考えられた。次に、Caco-2よりタウリン輸送担体のcDNAクローニングを試みた。ヒトにおいては、すでに胎盤、甲状腺などからタウリン輸送担体がクローニングされているが、これらの塩基配列をもとにプライマーを合成し、Caco-2より抽出したRNAを用いてRT-PCRをおこなった。得られた塩基配列を解析した結果、すでにクローニングされたタウリン輸送担体とほぼ同一のクローンが得られた。

3.2.細胞外タウリン濃度に依存したタウリン輸送担体の制御

 タウリンを過剰に含んだ培地でCaco-2を培養した後、タウリン輸送活性を調べたところ、輸送活性は過剰条件下での培養時間及びタウリン濃度に依存して減少した。タウリン過剰条件下でのタウリン輸送担体mRNA量は、コントロールに比べ大きく減少しており、これよりタウリン過剰条件による輸送活性の減少は少なくとも転写レベルの制御を介していることが示唆された。一方、Caco-2の培養に用いる通常の培地には血清由来のタウリンが約20M含まれていることからCaco-2を無血清培地で培養したところ、タウリン輸送活性の増加がみられた。このように、Caco-2では細胞外のタウリン濃度に依存して輸送活性が制御されていることが明らかとなった。

3.3.浸透圧変化に対するタウリン輸送担体の制御

 タウリンの主要な生理機能の一つとして、浸透圧調節作用が挙げられる。そこで高浸透圧ストレスをかけた場合のCaco-2におけるタウリンの挙動及びその輸送の制御について検討した。Caco-2を100mMのRaffinoseを含んだ培地で培養した後、細胞内のアミノ酸量を測定したところ、タウリン量のみが増加しており、タウリンがosmolyteとして機能していることが示唆された。そこで高浸透圧条件下でのタウリン輸送活性を調べたところ、約2倍程度の輸送活性の増加がみられた。ノーザン解析の結果、タウリン輸送担体のmRNA量は高浸透圧条件下で増加しており、このup-regulationは転写レベルで制御されていることが示唆された。また高浸透圧条件下では、MAP kinase familyが活性化されるとの報告があることから、このタウリン輸送担体の制御との関係を調べた。しかしながら、MEK及びp38の阻害剤であるPD98059及びSB203580で処理した場合でも高浸透圧によるタウリン輸送活性の増加は変化しなかった。従って、このレギュレーションには少なくともERK及びp38の活性化は関与しないと考えられ、別の情報伝達系を介していることが示唆された。

3.4.ラット小腸におけるタウリン輸送及びその制御

 ラット(Wister系、雄、7週齢)の体内を高浸透圧状態にするため72時間の脱水負荷をおこなったところ、血液の浸透圧値はコントロールに比べ高い値を示し、脱水負荷によりラットを高浸透圧状態に誘導できることが確認された。そこで脱水負荷を施したラットより反転腸管を作製しタウリン取込活性を測定したところ、脱水負荷群ではタウリン取込活性の若干の増加がみられた。さらに小腸粘膜層からRNAを抽出し、RT-PCRにてタウリン輸送担体の発現量を調べたところ、脱水負荷群ではタウリン輸送担体mRNAの発現量の増加がみられた。

 次に、食餌中に含まれるタウリン量を変化させた際のタウリン取込活性を検討した。3%のタウリン及び生体内でのタウリン合成の素材であるメチオニンを0.5%添加したもの(HTD)、0.5%メチオニンのみを添加したもの(NTD)、無添加食(LTD)をそれぞれラットに3週間自由摂取させた後、解剖に供した。血液中及び小腸粘膜層中のタウリン量をそれぞれ測定したところ、共にHTD、NTD、LTD群の順に高い値となり、食餌中のタウリン量に依存した血中及び小腸粘膜層中のタウリン量の変化が確認された。しかしながら、反転腸管を用いたタウリン取込活性では各試験区に大きな差はみられず、また各小腸粘膜層中のタウリン輸送担体のmRNA発現量も、明確な差はみられなかった。この結果について、今回と同じ食餌条件でラットを飼育した際に腎臓ではタウリン輸送担体が制御される(LTD群で誘導、HTD群で抑制)ことが知られていることから、取込活性などに差がみられなかったのは、腎臓でのタウリン再吸収が調節されたことで、腸管でのタウリン輸送担体の制御を誘導できるほどのタウリン濃度変化を起こせなかったためと考えられる。

総括

 本研究では、ヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2が多様なアミノ酸輸送担体を発現していることを示し、まず必須アミノ酸の一つであるロイシンの輸送について、ロイシン過剰条件下で培養することにより親和性の低下とVmの増加がみられること、またこれらが異なった制御機構で調節されていることを明らかにした。一方タウリンの輸送系については、Caco-2における輸送系を同定し、またタウリン輸送担体のcDNAをクローニングした。さらに細胞外タウリン濃度及び浸透圧変化といった環境変化によってタウリン輸送活性が制御されること、この制御にはタウリン輸送担体の転写レベルでの制御が関与していることを見出した。

 以上、本研究は、環境変化に対して小腸上皮でのアミノ酸輸送が制御されることを細胞レベルで初めて見出したものであり、小腸上皮でのアミノ酸輸送が各種要因によって制御・調節される可能性が示された。今後小腸におけるアミノ酸輸送の、食品成分による直接的な活性調節や異種細胞が分泌する因子による制御などが検討されていくことで、小腸におけるアミノ酸吸収のダイナミックな制御・調節がさらに解明されていくことが期待される。

審査要旨

 アミノ酸はあらゆる生命体がその生存に必要とする物質である。食品として摂取されたアミノ酸は小腸で吸収されるが、この吸収には小腸上皮細胞に存在するアミノ酸輸送担体(アミノ酸トランスポーター)が関与している。本研究では、様々な環境条件の変化に対して小腸上皮のアミノ酸輸送担体がどのような制御を受けるかについて、主に細胞レベルでの解析を行っている。

 第一章で研究の背景を述べた後、第二章ではヒト腸管由来培養細胞株であるCaco-2におけるアミノ酸輸送の性質を検討し、Caco-2には、実際の腸管同様、多様なアミノ酸輸送系(輸送担体とその調節因子の総称)が存在することを示した。

 第三章では、Caco-2におけるLeu輸送系の制御について検討している。Caco-2でのLeu輸送は、通常二つの輸送系(Km23M,96.5M)を介しているが、Leuを過剰に含んだ培地で培養すると、親和性は低下し(Kmは267Mに増加)、一方でVmは増加するといった複雑な変化を示した。このうち親和性の低下は、Leuの代わりにPheやIleを過剰に加えた場合でも同様にみられたが、Vmの増加についてはLeuのみによって特異的に起こった。また親和性の低下は転写阻害剤処理等によって阻害されたが、Vmの増加は全く影響を受けなかった。以上より、Leu過剰条件によって誘導されるVm値の増加並びに親和性の低下は、異なった制御機構を介して誘導されることが示唆された。

 第四章では、Caco-2でのタウリン輸送系の同定及びタウリン輸送担体のクローニングを行っている。まずCaco-2におけるタウリン輸送の性質を検討した結果、-アミノ酸に特異的な輸送系(システム)を介していることが示された。そこで、既に胎盤等からクローニングされているヒトタウリン輸送担体の塩基配列をもとにプライマーを合成し、Caco-2より抽出したRNAを用いてPT-PCRを行なった。得られた塩基配列を解析し、胎盤等のタウリン輸送担体とほぼ同一の配列を持つ輸送担体が腸管上皮細胞にも発現していることを見出した。

 第五章では、細胞外タウリン濃度の変化に対応したタウリン輸送担体の活性制御について解析をしている。タウリンを過剰に含んだ培地でCaco-2を培養した後、その輸送活性を調べたところ、輸送活性は培養時間及びタウリン濃度に依存して低下した。タウリン過剰条件下でのタウリン輸送担体mRNA量は大きく減少しており、活性の低下には転写レベルの制御が関与していることが示唆された。

 第六章では、高浸透圧ストレス条件下でのCaco-2におけるタウリン輸送の制御について検討している。まずCaco-2を100mMラフィノースを含んだ高浸透圧培地で培養した後、細胞内のアミノ酸量を測定したところ、タウリン濃度のみが増加しており、タウリンが浸透圧調節物質として機能していることが示唆された。そこでこの時のタウリン輸送活性を調べたところ、活性の上昇がみられた。ノーザン解析の結果、タウリン輸送担体のmRNA量は高浸透圧条件下で増加しており、この輸送活性の上昇には輸送担体の転写レベルでの制御が関与していることが示唆された。

 第七章では、五章、六章で見られた現象をin vivoで検証している。まず、タウリン含量の異なる試料をラットに3週間自由摂取させた後、各小腸粘膜層中のタウリン輸送担体mRNA発現量をRT-PCRにて検討したが、明確な差はみられなかった。しかしながら、腎臓では輸送担体mRNA発現量が無タウリン食群で増加し、高タウリン食群で減少していた。従って、小腸で差がみられなかったのは腎臓でのタウリン再吸収が先に調節されたことで、腸管での制御が誘導されるほどのタウリン濃度変化が起こらなかったためと推察した。一方、脱水負荷を施すことによって高浸透圧状態にしたラットを用い、小腸粘膜層中のタウリン輸送担体の発現量をRT-PCRにて調べた結果、脱水負荷群ではタウリン輸送担体mRNAの発現量の増加がみられ、in vivoにおいても高浸透圧条件によるタウリン輸送担体の制御が起こることが確認された。

 なお第八章では、本研究の成果及び従来の知見を基に、栄養素による遺伝子発現の制御及び小腸における栄養素吸収が制御・調節される要因とその意義を論じている。

 以上、本研究は、環境条件・培養条件の変化に対して小腸上皮でのアミノ酸輸送が制御されることを細胞レベルで初めて見出したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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