背景 ホウ素(B)は維管束植物、らん藻には必須であるが、動物、細菌には必須性が無いといわれる特異な元素である。B欠乏は、農作物の栄養欠乏の中でも最も頻繁に見られる欠乏症の一つであり、セルリーの茎割れ、ナタネの不稔、リンゴの縮果病など、その症状も多様である。最近になって、Bの生理機能の一つが細胞壁の構造維持にあることが、主に生化学的手法により解明されてきたが、それ以外の生理機能については未だ不明な点が多いのが現状である。また一般的に、Bは主に受動拡散と蒸散流により植物体内を移行すると考えられているが、一方でBの能動輸送を示唆する報告もあり、その吸収移行機構についても不明な点が多く残されている。 B栄養についてさらに詳しく知るためには、Bの機能、代謝に関連する遺伝子を単離し、その機能を解明することが不可欠であると考えられる。このような遺伝子を単離する方法の一つとして変異株の解析があげられる。最近になって高等植物では、シロイヌナズナの変異株を用いた研究によって、植物の必須栄養素の生理機能や代謝について、多くの分子生物学的な知見が得られるようになってきた。 一方、B栄養に関する変異株についての報告はなされていなかったが、最近になって、北海道大学の内藤らによりBの要求量が高いと思われる変異株が単離された。この変異株は、単一劣性の変異遺伝子を2番染色体上に持つことが安森、藤原により確認され、bor1-1(High boron requiring)と名付けられた。本研究では、bor1-1変異株の生理的特性を明らかにすることにより、1)変異遺伝子の機能を推定すること、2)高等植物におけるBの生理について新たな分子的知見を得ることを目的として、以下の研究を行った。 1:異なるB条件におけるbor1-1変異株と野生型株の形態と生長 シロイヌナズナを生育させるための水耕液には、通常、30M程度のBが含まれているが、この条件でシロイヌナズナの野生型株とbor1-1変異株を生育させると、野生型株が正常に生育して結実に至るのに対して、bor1-1変異株は、ロゼット葉の展開、花茎の伸長、開花は正常であったが不稔になった。この不稔となった変異株に途中から100M以上のBを与えると、稔性を回復して結実した。また、3MのBを与えて野生型株とbor1-1変異株を生育させると、野生型株が外見上正常に生育して結実に至るのに対して、bor1-1変異株ではロゼット葉の展開、花茎の伸長が抑制され、異常形態を示す小さい葉が多く現れた。Bを加えない培地では野生型株の生長も著しく抑制されたが、bor1-1変異株と異なり地上部全体の生長が抑制され、花は開花しなかったが抽苔した。 シロイヌナズナの野生型株とbor1-1変異株の異なるB条件での生長量と形態の変化について知るために、0、0.3、3、12、30、100、300MのBを与えて、水耕栽培によりこれらの植物を4週間生育させたところ、12から300MのBを与えた場合は野生型株と変異株の地上部の生長量に差は見られなかったが、0から3MのBを与えて生育させたときには、変異株の地上部の生長は、野生型株と比較して著しく抑制された。 これらの結果から、bor1-1変異株は、正常に生育するために野生型株と比較して多量のホウ素の供給を必要とする、高ホウ素要求性変異株であると結論した。 2:bor1-1変異株と野生型株の地上部におけるB含量 bor1-1変異株がB欠乏に感受性を示す理由として、1)植物体内にBを取り込めない、2)植物体内のホウ素を利用できない、の2つの可能性が考えられる。この可能性について検証するために、植物体内のB含量を測定した。 bor1-1変異株と野生型株を水耕栽培により3、30または100MのBを与えて約4週間生育させた。これらの植物体の下から1〜4枚目のロゼット葉と花茎頂端部を採取し、プラズマイオン源質量分析法(ICP-MS)により、そのB含量を測定した。その結果、bor1-1変異株のロゼット葉のB濃度は、100MB区では野生型株の約90%であったが、30MB区では約60%、3MB区では約20%に低下していた。また、bor1-1変異株の花茎頂端部のB濃度は、100MB区では野生型株の約75%であったのに対して、30MB区では野生型株の約40%であった。 これらの結果から、bor1-1変異株はBの吸収または移行に欠損を持つためにB欠乏感受性を示すと考えられた。 3:bor1-1変異株と野生型株におけるBの吸収と移行 bor1-1変異株の欠損がBの吸収または移行にあることが示唆されたので、Bの安定同位体の1つの10Bを多く含むB(トレーサーB、10B:11B=95.9:4.1)を用いてトレーサー実験を行った。bor1-1変異株と野生型株を水耕栽培により30Mの自然同位体比のB(10B:11B=19.9:80.1)を与えて14日間生育させた後、3MのトレーサーBを与えて根によるBの吸収量と地上部に移行したBの量を別々に調べた。その結果、bor1-1変異株の根によるトレーサーの吸収量は野生型株と違いがなかったが、地上部へのBの移行が抑制されていた(図1)。 図1 3Mのトレーサーホウ素を140分間与えたときのbor1-1変異株と野生型株の根によるホウ素吸収量(右図)と地上部へのオウ素移行量(左図)の経時変化 また、3または30MのBを与えて抽苔する直前までバーミキュライト上で生育させたbor1-1変異株と野生型株の導管液を採取し、そのB濃度を測定した結果、30MB区ではbor1-1変異株と野生型株の間に違いは見られなかったが、3MB区ではbor1-1変異株の導管液のB濃度は野生型株の約35%であった。 また、約4週間生育させたbor1-1変異株と野生型株の花茎をとり、その切り口から30または3MのトレーサーBを3日間吸収させ、その吸収量を調べた。その結果、いずれの処理でも、bor1-1変異株と野生型株の間で花茎によるトレーサーBの吸収量に違いは見られなかった。 これらの結果から、bor1-1変異株は根から地上部へのBの移行に欠損を持つと結論した。 4:bor1-1変異株と野生型株の植物体内における水溶性、水不溶性画分へのBの分配 植物体中におけるBの主要な結合部位は、細胞壁多糖の1つであるラムノガラクツロナンIIであるといわれ(Kobayashi et al.1996、Ishii and Matsunaga 1996)、B欠乏条件下では、植物体中Bの98%以上が細胞壁に局在することが報告されている(Matoh et al.1992)。一方、本研究の結果から、bor1-1変異株の地上部のB含量が野生型株よりも低いことが明らかになった。そこで本研究では、bor1-1変異株におけるB含量の低下が、植物体中の水溶性画分、水不溶性画分のどちらに由来するかを明らかにすることを目的として、以下の研究を行った。 bor1-1変異株と野生型株を水耕栽培で3、30、100MのBを与えて20日間生育させ、これらの植物体の地上部と根を別々に採取し、-20℃で保存した。これらの植物試料を室温で溶かした後、2枚のアルミ板で挟んで圧縮し、出てきた絞り汁を水溶性画分の試料として採取した。さらに、搾った後に残った残査を乳鉢内ですり潰し、これを脱イオン水で5回以上洗浄した。洗浄後に残った残査を水不溶性画分の試料として採取した。これらの試料中のB濃度をICP-MSで測定した結果、bor1-1変異株、野生型株の両方において、水耕液中のB濃度を低下させると主に水溶性画分のBの濃度が減少し、水不溶性画分のB濃度はあまり変化しなかった。B濃度の減少は、特にbor1-1変異株の地上部で著しく、100MB区ではbor1-1変異株の地上部の水溶性画分のB濃度は野生型株とほぼ等しかったが、3MB区では野生型株の約5%であった。以上の結果から、bor1-1変異株のB含量の低下は、主に水溶性画分のB含量の低下に由来するものであることが分かった。したがって、bor1-1変異株はBの主要な結合部位である細胞壁ではなく、それ以外の画分に異常を持つことが考えられる。 また、野生型株について3MB区と30MB区を比較すると、水耕液中B濃度が10分の1になるにも関わらず、地上部の水溶性画分のB濃度は3分の2に維持された。この結果は、シロイヌナズナが低B条件下で、地上部のB濃度をある一定以上に維持するための機構を持つことを示唆しており、bor1-1変異株がこの機構に欠損を持つことが予想される。 5:まとめ 以上をまとめると、bor1-1変異株の生理的特徴として以下のことがあげられる。 1)不稔(30MB区)、2)ロゼット葉の生長抑制(3MB区)、3)頂芽優性の抑制(3MB区)、4)地上部のB含量が低い、5)根から地上部へのBの移行が抑制されている、6)花茎におけるBの移行は正常、7)地上部水溶性画分のB濃度の顕著な低下(3MB区)8)多量のBを与えると野生型株と同様に生育(100M<B区) また、シロイヌナズナの野生型株が低ホウ素条件下で地上部のB濃度を維持する機構を持つことが示唆され、bor1-1変異株はその機構に欠損を持つと考えられた。 これらの結果から、BOR1遺伝子の機能の一つは、低ホウ素条件下における根から地上部へのBの移行の制御にあると考えられる。bor1-1変異株の不稔や頂芽優性の抑制と植物体中B濃度の相関関係を直接的に示すデータは得られていないが、これらの症状は農作物のB欠乏症状としてもしばしば報告されているものであり、地上部のB濃度の著しい低下により引き起こされた可能性がある。 今後、変異遺伝子の単離、機能の解析を通じて、Bの根から地上部への輸送を制御する機構について、さらに解明されることが期待される。 ReferencesIshii and Matsunaga(1996),Carbohydr.Res.,284,1-9Kobayashi et al.(1996),Plant Physiol.,110,1017-1020Matoh et al.(1992),Plant Cell Physiol.,33(8),1135-1141 |