学位論文要旨



No 114377
著者(漢字) 宮木,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ミヤキ,タロウ
標題(和) 土壌中におけるメタン生成細菌の生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 114377
報告番号 甲14377
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1985号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 正木,春彦
内容要旨

 メタンは温室効果ガスであり、その温室効果への貢献度は二酸化炭素についで2番目に大きいと言われている。メタンの大気中濃度は増加し続けているが、このことは環境科学の立場から無視できない現象である。メタンは主として湖沼、水田などの湛水された土地及び反芻動物から生成されているが、大気中に放出されるメタンの内10%から30%は水田由来と考えられている。水田における稲作に主食を頼るアジア地域ではこれからも人口の増加が予想されることから、水田の拡大が避けられず、水田からのメタン放出の抑制を考慮しなければならない。このことから水田でメタンを生成するメタン生成細菌の生態の研究は重要である。メタン生成細菌は偏性嫌気性の古細菌で現在までのところいずれの種についても胞子形成は知られていない。このため、その培養には無酸素ガス発生装置や高度に気密性の高い容器が必要であり、培養は大変難しい。培養系に空気が混入した場合メタン生成細菌は死滅する。一方、休耕期に乾燥した水田を湛水すると再びメタンが発生し、実験室で風乾水田土壌を湛水するとメタン生成が認められる。このことは乾燥して空気に触れる条件でもメタン生成細菌が生残していることを示している。培地中では空気に弱いメタン生成細菌が土壌中ではなぜ風乾に耐性を示すのか、そのメカニズムは知られていない。本研究ではメタン生成細菌の土壌中での生態、特にその風乾耐性を中心に検討を加えた。

1.風乾された土壌におけるメタン生成

 20年以上風乾状態で保管されていた水田風乾土壌を湛水したところ、試験した全ての土壌からメタン生成が確認された。また水田以外の通常湛水されない土壌を採取し、風乾後湛水保温したところメタン生成が観察された。以上のことより、水田土壌中のメタン生成細菌は少なくとも40年程度風乾状態で放置されても生残することが示された。またメタン生成細菌は水田以外の場所にも広く分布し、水田土壌の場合と同様風乾されても生残することが明らかとなった。

 風乾水田土壌を80℃7日間乾熱してから湛水保温したところメタン生成が観察された。風乾水田土壌を湛水直後に80℃で30分まで加熱したが、メタン生成細菌が死滅することはなかった。細菌の胞子が死滅する間欠滅菌(80℃10分の加熱を1日おきに3回)を行ったが、メタン生成細菌は死滅しなかった。風乾水田土壌の湛水保温開始後10日目にメタン生成を確認し、80℃10分の加熱処理を行ったところ、メタン生成は終止したかに思われたが、230日目になってメタン生成が復活していることが確認された。以上の結果から、風乾土壌中のメタン生成細菌は乾燥状態より湛水状態の方が熱による影響を受けやすく、さらに湛水後メタン生成が始まってからの熱処理はメタン生成細菌に大きなダメージを与えることが分かった。しかし、胞子を形成しない細菌が死滅するはずの80℃10分の熱処理にも土壌中メタン生成細菌は耐性があることが判明した。

2.風乾及び熱処理による水田土壌中のメタン生成細菌フローラの変化

 水田土壌からDNAを抽出して古細菌特異的なプライマーを用いてPCRを行い、産物をベクターにクローン化した。このクローンの比率により土壌中のメタン生成細菌フローラを推定した。水田生土壌から得られたメタン生成細菌クローンはMethanosarcina sp.が優勢だった。この土壌を風乾後湛水してから80℃30分の熱処理を加え、保温し、メタンが充分に生成されてからこの土壌のメタン生成細菌クローンを分析したところMethanobacterium sp.が優勢で、菌相の交代が確認された。また、長期間風乾状態で保管されていた土壌を湛水保温し、充分なメタン生成が認められた後にメタン生成細菌クローンを分析したところ、Methanobacterium sp.が優勢だった。この結果から、生土壌と風乾土壌ではメタン生成細菌のフローラが異なることが示された。また水田土壌中のメタン生成細菌で、Methanobacterium属は特に風乾や熱に対する耐性が高いことが推察された。

3.各種土壌からのメタン生成細菌の分離

 水田生土壌と風乾土壌、また畑地、牧草地、落葉樹林の土壌、畑地土壌で1970年代に風乾されたものからそれぞれ水素利用菌を集積し、集積培養を段階希釈して純粋培養を得た。これらのメタン生成細菌について基質特異性や16S rDNA部分塩基配列等から同定を行った。メタン生成細菌を様々な土壌から分離、同定したことで、メタン生成細菌が自然界に広く存在していることが示された。

4.培養したメタン生成細菌の空気、乾燥及び熱に対する耐性

 分譲されたメタン生成細菌2菌株を培養、集菌後嫌気的に14日間乾燥させ、乾燥菌体を培地に懸濁したところ速やかにメタン生成が始まった。さらに本研究で分離した3菌株を加え5菌株を好気条件で14日間乾燥させたところ4菌株は復活した。これらの結果からメタン生成細菌には、嫌気状態での乾燥では大きなダメージを受けず、さらに空気中での乾燥にも耐えるものが存在することが明らかとなった。さらに、メタン生成細菌純粋菌株及び集積培養について、乾燥菌体を空気中、窒素中で室温にて保存し、培地に戻してメタン生成を観察した。この実験の結果、種によって空気や乾燥に対する耐性は異なったが、Methanobacterium formicicum、Methanobrevibacter arboriphilicus、Methanosarcina mazeiは耐性が高かった。空気耐性が高い菌株について熱に対する耐性を調べた。各メタン生成細菌を乾燥させ、80℃で24時間乾熱したが、M.mazei以外は80℃24時間の乾熱に耐えた。一方、6種の真正細菌を乾熱し培地に懸濁したところ増殖が認められたのはBacillus sp.のみであった。この結果から、メタン生成細菌には、真正細菌が耐えられない乾熱に耐性を示すものがあることが明らかとなった。

5.メタン生成細菌の土壌中における風乾耐性

 メタン生成細菌が速やかに乾燥した場合は風乾状態でも生残することが示されたが、土壌のようにゆっくり風乾される環境ではメタン生成細菌は生残するのか、以下の3つの方法で調べた。(1)メタン生成細菌を寒天粉末(土壌に代る担体)を含む培地に接種し、この寒天粉末を風乾させた。次に、乾燥した寒天粉末を培地に戻した。(2)湿潤菌体ペレットを含む遠心管にフィルターを取り付け水田生土壌の団子に埋め込んだ。団子が乾燥したところで遠心管を取り出し、団子の中で乾燥した菌体を培地に懸濁した。(3)還元状態の水田土壌をオートクレーブしてメタン生成細菌を接種し、この土壌を風乾した。風乾土壌を窒素で1時間バブリングしてから保温した。この結果メタン生成が認められたのは(3)の実験のみであり、メタン生成細菌は土壌中に混入されたときにのみゆっくりと乾燥されても生残することが推測された。

6.メタン生成細菌の原生動物との共生について

 メタン生成細菌を体内に共生させている原生動物が存在する。この原生動物は生育に不都合な環境に曝されると耐性シストを形成するが、この際内部共生メタン生成細菌もこのシストに取り込まれる。メタン生成細菌はこのシストの中で風乾から守られていると考えるグループもある。そこで風乾水田土壌からメタン生成細菌を共生させる原生動物を分離し、原生動物のシストがメタン生成細菌の生き残り戦略と成り得るか検討した。風乾水田土壌を湛水保温してからこの土壌を検鏡すると数種類の原生動物が観察された。この中にはメタン生成細菌を共生させる繊毛虫が見られ、形態からMetopus sp.と思われた。この繊毛虫は集積されたが継代することができなかった。Metopusが検出されたのは5連のうち1本のバイアルビンに限り、再現性も得られてない。以上より風乾土壌にメタン生成細菌を共生させる原生動物が存在していることが確認できた。

まとめ

 培地中に空気が混入すると生残できないメタン生成細菌は、水田土壌中では風乾状態で少なくとも40年は生き残ることが分かった。また胞子を形成しないメタン生成細菌は熱に対しては胞子形成細菌に匹敵する耐性を示した。水田土壌が風乾されるとメタン生成細菌フローラの変化が起こり、特に風乾に強い種が認められた。またメタン生成細菌純粋培養菌株を乾燥させる実験でも風乾に耐性の高い種が認められ、フローラ解析の結果と一致した。メタン生成細菌を土壌中に接種して土壌を風乾させた場合、菌体が土壌と混合されたときのみメタン生成細菌が生残することが明らかとなり、土壌はメタン生成細菌の生残に重要な因子であると考えられた。一方、メタン生成細菌を共生させる原生動物が風乾土壌中に生残することは確認されたが、原生動物はメタン生成細菌の風乾耐性機構にはあまり寄与していないものと思われた。

審査要旨

 本論文は、土壌中に生息するメタン生成細菌の生態を解明し、水田を中心に農業環境から放出される温室効果ガスであるメタンの発生量の抑制を目指す基礎研究であり、7章から成っている。

 序章の第1章に続いて、第2章ではメタン生成細菌の土壌中での風乾耐性と加熱耐性を検討した。まず、約40年の長期にわたり酸素に曝された風乾土壌を湛水し、メタン発生を観察したところ、メタン生成細菌は生残していることが明らかとなった。このことから、酸素を嫌う絶対嫌気性細菌であるメタン生成細菌も土壌が風乾されても、数十年にわたり生残することが明らかとなった。次に、加熱耐性について検討した。風乾水田土壌を80℃で7日間乾熱してから湛水保温したところメタン生成を観察した。また、風乾水田土壌を湛水直後に80℃で30分まで加熱したが、メタン生成細菌が死滅することはなかった。したがって、胞子を形成しない細菌が死滅するはずの80℃10分の熱処理においても土壌中メタン生成細菌は耐性があることが判明した。

 第3章では、風乾土壌に生残しているメタン生成細菌を16SrDNAを対象としたクローン解析によって、生残するメタン生成細菌の構成(フローラ)を調べた。水田土壌からDNAを抽出して古細菌の16SrDNAに特異的なプライマーを用いてPCRを行い、産物をベクターにクローン化し、このクローンの比率により土壌中のメタン生成細菌フローラを推定したところ、長期間風乾状態に置かれた水田土壌ではMethanobacterium属が優勢であった。これに対して、水田生土壌から得られたメタン生成細菌クローンはMethanosarcina属が優勢だったことから、乾燥させることによる菌相の交代が示唆された。また、Methanobacterium属は風乾や熱に対する耐性が高いことが推察された。

 第4章では、水田生土壌と風乾土壊から水素利用メタン生成細菌を分離し、基質特異性や16SrDNA部分塩基配列等から同定を行ったところ、これらの菌株はMethanobacterium spp.と同定された。風乾土壌からMethanobacterium属が優先的に分離されたことは、この属が風乾耐性が強いという第3章の結果と合致していた。

 第5章では、第4章で分離されたメタン生成細菌と菌株保存機関から分譲されたメタン生成細菌5菌株を用いて、培養した菌体を用いた風乾および加熱耐性を調べた。好気条件で14日間乾燥させたところ4菌株は生残した。この結果からメタン生成細菌には、空気中での乾燥に耐えるものが存在することがわかった。さらに、メタン生成細菌純粋菌株及び集積培養について、乾燥菌体を空気中および窒素中で室温にて保存し、培地に戻してメタン生成を観察した。この実験の結果、種によって空気や乾燥に対する耐性は異なったが、Methanobacterium formicium、Methanobrevibacter arboriphilicus、Methanosarcina mazeiは風乾および加熱耐性とも高かった。空気耐性が高い菌株について、各メタン生成細菌を乾燥させ、80℃で24時間乾熱したが、M.mazei以外は80℃24時間の乾熱に耐えた。一方、対照として用いた6種の真正細菌を乾熱し培地に懸濁したところ増殖が認められたのは胞子形成性のBacillus sp.のみであった。この結果から、メタン生成細菌には、真正細菌が耐えられない乾熱に耐性を示すものがあることが明らかとなった。次に、メタン生成細菌が速やかに乾燥した場合は風乾状態でも生残することが示されたが、土壌のようにゆっくり風乾される環境ではメタン生成細菌は生残するか調べた。その結果、メタン生成細菌がゆっくり乾燥されるときには土壌が存在しない場合は死滅した。メタン生成細菌は土壌中に混入されたときにのみゆっくりと乾燥されても生残すると推測された。

 第6章では、メタン生成細菌が原生動物のシストの中で風乾から守られているという仮説があることから、風乾水田土壌からメタン生成細菌を共生させる原生動物の分離を試みた。風乾水田土壌を湛水保温してからこの土壌を検鏡するとメタン生成細菌を共生させる繊毛虫が分離されたが、継代することができなかった。以上より風乾土壌にメタン生成細菌を共生させる原生動物が存在しており、風乾耐性に関与している可能性が示唆された。

 以上、本論文は土壌中でのメタン生成細菌の生残戦略を解明したもので、学術上および応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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