学位論文要旨



No 114380
著者(漢字) 姜,承賢
著者(英字)
著者(カナ) カン,スンヒョン
標題(和) 植物生理活性を有する天然物の合成研究
標題(洋) Synthetic Studies on Natural Products with Physiological Activities against Plants
報告番号 114380
報告番号 甲14380
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1988号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 渡辺,秀典
内容要旨 第1章.蘭の重要香気成分の合成研究

 植物は受粉を行うために他の媒介体の助けを、特に昆虫の力を借りている。昆虫を誘うための方法の一つに植物の香気があり、香気は昆虫たちを誘ってかれらに必要とする花粉や蜜を提供する一方、自身は受粉を助けてもらう。花の香気を構成する成分、そして香気により昆虫たちが誘われるメカニズムなどについて研究が活発に行われている。今回、筆者はアフリカ、ヨーロッパ及びインド、オーストラリア原産の蘭から見出された重要香気成分の両鏡像体を合成し、天然物の絶対立体配置を決定する事を目的として本研究に着手した。

第1章-1Methyl 3-methyloctanoateとcis-4-Methyl-5-decanolideの両鏡像体の合成と絶対立体配置の決定1)

 ケニアやタンザニア原産の着生蘭Aerangis confusaとAerangis kirkiiは蛾を誘引して受粉を行うために夜にもっとも多くの香気を出す夜香性の蘭である。スイスGivaudan社のKaiserらは色々な種類の蘭の香気成分を分析、同定した。Methyl 3-methyloctanoate 1 とcis-4-Methyl-5-decanolide2は過熟な果実やwine様などの強い香気成分であり、Aerangis confusaとAerangis kirkiiの香気成分の中で約2〜3%、20〜30%ぐらいの含有量を持つ化合物である。しかしながら、集めた香気成分は極微量であって純粋に単離することが出来ず、ラセミ体の合成により構造が確認されたのみで絶対立体配置は決められなかった。筆者は天然体の絶対立体配置を決定し立体化学と香気の関係を知ることを目的として1と2の両鏡像体の合成を行った。

 

 

 Tosylate(R)-4は高光学純度を持つ(R)-3から3工程で得られた。そのtosylateをSchlosserの条件下でGrignard couplingさせ(S)-5とし、脱保護した後、増炭して(S)-6ニトリルを得た。続いてアルカリ加水分解、diazomethaneによるエステル化により目的物質(S)-1を合成した。同様に(S)-2から(R)-1の合成を行った。(S)-4のtosylateから2工程で得られる(S)-7はJulia olefination、脱保護、マロン酸エステルによるアルキル化、加水分解と脱炭酸により(S)-8カルボン酸に変換させた。続いてBartlettの方法によってlactone環を作った後、接触還元により目的物質(4S,5S)-2を得た。同様に(R)-4から(4R,5R)-2の合成を行った。天然物は香気混合物しか入手できず、そこで光学活性な固定相を用いてGLC分析を検討した。その結果、Methyl 3-methyloctanoate 1の(R)-体と(S)-体の混合物が完全に分離された。さらに(R)-体と(S)-体の混合物と天然香気混合物の両者をco-injectionしたところあきらかに天然香気成分混合物中で天然物のピークは(S)-体に重なっており、この結果から天然物は(S)-体であることが決定された。cis-4-Methyl-5-decanolide 2のGLC分析は検討する予定である。

第1章-2(E)-3-Methyl-4-decenoic acid,(E)-3-Methyl-4-decen-1-ol,(E)-3-Methyl-4-decenalの両鏡像体の合成2)

 (E)-3-Methyl-4-decenoic acid,(E)-3-Methyl-4-decen-1-ol,(E)-3-Methyl-4-decenalはヨーロッパやインド、オーストラリア原産の蘭Himantoglossum hircinumとDendrobium unicumの花の香りを持つ新しい天然物として確認され、それぞれ 24%、23%、1.3%の含有量を示している。筆者はこの両分子の絶対立体配置を決定し立体化学と香気の関係を知ることを目的として10,11,12の両鏡像体の合成を行った。

 

 同じ中間体である(R)-7からアルキル化、Julia olefination、脱保護により(S)-9アルコールとし、さらに3段階で目的物質(R)-10を合成した。続いて還元と酸化を行い(R)-11,(R)-12を得た。同様に(S)-体の合成にも成功した。絶対立体配置の決定に付いては今後検討する予定である。

第2章4-Methyl-1-nonanolの両鏡像体の合成3)

 4-Methyl-1-nonanol 14はふすまや小麦粉などによく発見される昆虫であるyellow meal worm,Tenebrio molitor L.の雌から単離された性誘引物質、及び雌雄両方で単離された交尾フェロモンの成分中の一つとして知られており、天然体の絶対立体配置は4Rであると決定されている。筆者は高光学純度の1を原料として今まで合成された4-Methyl-1-nonanolよりもっとも光学純度が高いと予想される4-Methyl-1-nonanolの合成を達成した。(S)-1を1炭素延長しニトリルに変換させ、さらに加水分解と還元を行い目的物質である(S)-14を合成した。同様に(R)-1から(R)-14の合成も行った。生物活性に付いては現在検討中である。

 

第3章Antheridic acidの合成研究

 Antheridic acid 15は、シダ植物の造精器誘導物質のひとつとして、1971年K.Nakanishiらにより、フサシダ科の一種Anemia phyllitidisの前葉体培養液より単離され、Antheridiogen-Anと呼称された。その後、E.J.Coreyらのラセミ体の合成により天然体は15のような構造であると確定し、新たにAntheridic acidと命名された。多くの種のシダ植物が造精器誘導物質を生成することが知られているが、それらの天然界における存在量は極微量であり、その構造が決定されているのはわずかである。造精器誘導物質の研究には有機合成化学的手法が欠くことのできない重要な手段となっている。そこでこの研究の発展のためにも、この化合物の合成法の開拓は大きな意義があると考え、合成研究に着手した。

 

 Bicyclo[2,2,2]octane骨格を持つ高光学純度の22は2-cyclohexen-1-oneを原料としてパン酵母還元等9段階により得られる。(光学純度98.8%)

 

 

 22に対し、保護、脱acetyl、ビニール基を導入して24とし2炭素増炭した後、孤立二重結合の四酸化オスミウム酸化を行い25とした。二つの水酸基をそれぞれ脱離基と保護基にした後、塩基で処理することによる環形成を行い26を得た。26はepoxy化、開環を伴う異性化と酸化、塩基処理により27とした。このケトン部分に立体選択的にアルキル基を求核付加させるために、分子内のGrignard型の反応を行うべく、脱保護、bromoacetic acidとのエステル化を行い28を得、indiumで処理することにより環化体29とした。このラクトン部分をアセタールに変換し、水酸基をアシル化して30とした。これをラジカル経由の分子内環化を行い31を得た。これに対し一炭素増炭を行うため、アセタールをチオアセタールに交換し水酸基の保護、チオアセタールの加水分解を行いアルデヒド32とし、Wittig反応を行い低収率ながらも33を得た。ビニールエーテルの加水分解後、分子内アルドール反応を行いdiastereomer混合物35を得た。

 

 これ以後は、保護基のかけ変えManderの方法に従い脱共役、異性化を行い36とし、保護基の除去、酸化してケトンにした後、exo-メチレン基を導入、脱保護、酸化、還元を繰り返し最後にエステルを加水分解することにより目的物のAntheridic acidまで導く予定である。

報文

 1)Takeshi Kitahara,Seung Hyun Kang,Shigeyuki Tamogami and Roman Kaiser Natural Product Letters 1994,5,157〜164

 2)Seung Hyun Kang and Takeshi Kitahara Natural Product Letters 1996,9,13〜20

 3)Takeshi Kitahara and Seung Hyun Kang Proceedings of the Japan Academy 1994,70,181〜184

審査要旨

 植物はその生理機能を調節するため色々な活性物質を生産している事が明らかにされている。高等植物に広く存在するこのような調節物質を植物ホルモンと呼んでいる。しかしそのほかにも様々な生理活性物質の存在することがつきとめられている。著者は植物が生産する機能物質の中花の香気成分と生理制御活性を有する化合物に興味を持ち、様々なランの香気成分、シダ植物の造精器誘導物質のひとつであるantheridic acidの合成研究に着手した。

 まず第1章において蘭の香気成分の合成研究と絶対立体配置に付いて述べている。

第1章-1Methyl 3-methyloctanoateとcis-4-Methyl-5-decanolideの両鏡像体の合成と絶対立体配置の決定

 ケニアやタンザニア原産の蘭Aerangis confusaとAerangis kirkiiは蛾を誘引して受粉を行うために夜にもっとも多くの香気を出す夜香性の蘭である。スイスGivaudan社のKaiserらは色々な種類の蘭の香気成分を分析、同定した。Methyl 3-methyloctanoate 1とcis-4-Methyl-5-decanolide 2は過熟な果実やwine様などの強い香気成分である。しかし、集めた香気成分は超微量であって純粋に単離することが出来ず、ラセミ体の合成により構造が確認されたのみで絶対立体配置は決められなかった。筆者は天然体の絶対立体配置を決定し立体化学と香気の関係を知ることを目的として次の図のように1と2の両鏡像体の合成を行った。

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 光学活性な固定相を用いたGLC分析の検討からMethyl 3-methyloctanoate 1の絶対立体配置は(S)-体であることが決定された。cis-4-Methyl-5-decanolide 2の絶対立体配置の決定に付いては今後検討する予定である。

第1章-2(E)-3-Methyl-4-decenoic acid,(E)-3-Methyl-4-decen-1-ol,(E)-3-Methyl-4-decenalの両鏡像体の合成

 (E)-3-Methyl-4-decenoic acid,(E)-3-Methyl-4-decen-1-ol,(E)-3-Methyl-4-decenalはヨーロッパやインド、オーストラリア原産の蘭Himantoglossum hircinumとDendrobium unicumの花の香りを持つ新しい天然物として確認された。筆者はこの両分子の絶対立体配置を決定し立体化学と香気の関係を知ることを目的として次の図のように9,10,11の両鏡像体の合成を行った。

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第2章4-Methyl-1-nonanolの両鏡像体の合成

 4-Methyl-1-nonanolはyellow meal worm,Tenebrio molitor L.の雌から単離された性誘引物質、及び雌雄両方で単離された交尾フェロモンの成分中の一つとして知られており、天然体の絶対立体配置は4Rであると決定されている。筆者は高光学純度の1を原料として今まで合成された4-Methyl-1-nonanolよりもっとも光学純度が高いと予想される4-Methyl-1-nonanolの合成を達成した。生物活性に付いては現在検討中である。

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第3章Antheridic acidの合成研究

 Antheridic acidは、シダ植物の造精器誘導物質のひとつとして、1971年NakanishiらによりAnemia phyllitidisの前葉体培養液より単離された。その後、Coreyらのラセミ体の合成により天然体は15のような構造であると確定された。多くの種のシダ植物が造精器誘導物質を生成することが知られているが、それらの天然界における存在量は極微量であり、その構造が決定されているのはわずかである。造精器誘導物質の研究には有機合成化学的手法が欠くことのできない重要な手段となっている。そこでこの研究の発展のためにも、この化合物の合成法の開拓は大きな意義があると考え、合成研究に着手した。

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 高光学純度の13に対し、ビニール基の導入、孤立二重結合の四酸化オスミウム酸化、二つの水酸基をそれぞれ脱離基と保護基にした後、塩基で処理することによる環形成を行い14を得た。14はepoxy化、開環を伴う異性化と酸化、塩基処理により15とした。このケトン部分に立体選択的にアルキル基を求核付加させるために、分子内のGrignard型の反応を行うべく、脱保護、bromoacetic acidとのエステル化を行い、indiumで処理することにより環化体16とした。このラクトン部分をアセタールに変換、水酸基をアシル化し、これをラジカル経由の分子内環化を行い17を得た。これに対し一炭素増炭を行うため、アセタールをチオアセタールに交換し水酸基の保護、チオアセタールの加水分解とWittig反応を行い低収率ながらも18を得た。ビニールエーテルの加水分解後、分子内アルドール反応を行いdiastereomer混合物20を得た。

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 これ以後は、保護基のかけ変えManderの方法に従い脱共役、異性化を行い21とし、保護基の除去、酸化してケトンにした後、exo-メチレン基を導入、脱保護、酸化、還元を繰り返し最後にエステルを加水分解することにより目的物のAntheridic acidまで導く予定である。

 以上本論文は、ランの香気成分の大量合成と天然体の絶対立体配置を決定する手法を確立するとともにAntheridic acidの合成研究においては光学活性体の基本骨格構築に成功したのであって、学術上に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文に値するものと認めた。

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