植物はその生理機能を調節するため色々な活性物質を生産している事が明らかにされている。高等植物に広く存在するこのような調節物質を植物ホルモンと呼んでいる。しかしそのほかにも様々な生理活性物質の存在することがつきとめられている。著者は植物が生産する機能物質の中花の香気成分と生理制御活性を有する化合物に興味を持ち、様々なランの香気成分、シダ植物の造精器誘導物質のひとつであるantheridic acidの合成研究に着手した。 まず第1章において蘭の香気成分の合成研究と絶対立体配置に付いて述べている。 第1章-1Methyl 3-methyloctanoateとcis-4-Methyl-5-decanolideの両鏡像体の合成と絶対立体配置の決定 ケニアやタンザニア原産の蘭Aerangis confusaとAerangis kirkiiは蛾を誘引して受粉を行うために夜にもっとも多くの香気を出す夜香性の蘭である。スイスGivaudan社のKaiserらは色々な種類の蘭の香気成分を分析、同定した。Methyl 3-methyloctanoate 1とcis-4-Methyl-5-decanolide 2は過熟な果実やwine様などの強い香気成分である。しかし、集めた香気成分は超微量であって純粋に単離することが出来ず、ラセミ体の合成により構造が確認されたのみで絶対立体配置は決められなかった。筆者は天然体の絶対立体配置を決定し立体化学と香気の関係を知ることを目的として次の図のように1と2の両鏡像体の合成を行った。 光学活性な固定相を用いたGLC分析の検討からMethyl 3-methyloctanoate 1の絶対立体配置は(S)-体であることが決定された。cis-4-Methyl-5-decanolide 2の絶対立体配置の決定に付いては今後検討する予定である。 第1章-2(E)-3-Methyl-4-decenoic acid,(E)-3-Methyl-4-decen-1-ol,(E)-3-Methyl-4-decenalの両鏡像体の合成 (E)-3-Methyl-4-decenoic acid,(E)-3-Methyl-4-decen-1-ol,(E)-3-Methyl-4-decenalはヨーロッパやインド、オーストラリア原産の蘭Himantoglossum hircinumとDendrobium unicumの花の香りを持つ新しい天然物として確認された。筆者はこの両分子の絶対立体配置を決定し立体化学と香気の関係を知ることを目的として次の図のように9,10,11の両鏡像体の合成を行った。 第2章4-Methyl-1-nonanolの両鏡像体の合成 4-Methyl-1-nonanolはyellow meal worm,Tenebrio molitor L.の雌から単離された性誘引物質、及び雌雄両方で単離された交尾フェロモンの成分中の一つとして知られており、天然体の絶対立体配置は4Rであると決定されている。筆者は高光学純度の1を原料として今まで合成された4-Methyl-1-nonanolよりもっとも光学純度が高いと予想される4-Methyl-1-nonanolの合成を達成した。生物活性に付いては現在検討中である。 第3章Antheridic acidの合成研究 Antheridic acidは、シダ植物の造精器誘導物質のひとつとして、1971年NakanishiらによりAnemia phyllitidisの前葉体培養液より単離された。その後、Coreyらのラセミ体の合成により天然体は15のような構造であると確定された。多くの種のシダ植物が造精器誘導物質を生成することが知られているが、それらの天然界における存在量は極微量であり、その構造が決定されているのはわずかである。造精器誘導物質の研究には有機合成化学的手法が欠くことのできない重要な手段となっている。そこでこの研究の発展のためにも、この化合物の合成法の開拓は大きな意義があると考え、合成研究に着手した。 高光学純度の13に対し、ビニール基の導入、孤立二重結合の四酸化オスミウム酸化、二つの水酸基をそれぞれ脱離基と保護基にした後、塩基で処理することによる環形成を行い14を得た。14はepoxy化、開環を伴う異性化と酸化、塩基処理により15とした。このケトン部分に立体選択的にアルキル基を求核付加させるために、分子内のGrignard型の反応を行うべく、脱保護、bromoacetic acidとのエステル化を行い、indiumで処理することにより環化体16とした。このラクトン部分をアセタールに変換、水酸基をアシル化し、これをラジカル経由の分子内環化を行い17を得た。これに対し一炭素増炭を行うため、アセタールをチオアセタールに交換し水酸基の保護、チオアセタールの加水分解とWittig反応を行い低収率ながらも18を得た。ビニールエーテルの加水分解後、分子内アルドール反応を行いdiastereomer混合物20を得た。 これ以後は、保護基のかけ変えManderの方法に従い脱共役、異性化を行い21とし、保護基の除去、酸化してケトンにした後、exo-メチレン基を導入、脱保護、酸化、還元を繰り返し最後にエステルを加水分解することにより目的物のAntheridic acidまで導く予定である。 以上本論文は、ランの香気成分の大量合成と天然体の絶対立体配置を決定する手法を確立するとともにAntheridic acidの合成研究においては光学活性体の基本骨格構築に成功したのであって、学術上に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文に値するものと認めた。 |