学位論文要旨



No 114382
著者(漢字) 金,鴻翼
著者(英字)
著者(カナ) キム,ホンイク
標題(和) 土壌微生物の生態分類学的研究
標題(洋) Ecological Taxonomic Study of Soil Microorganisms
報告番号 114382
報告番号 甲14382
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1990号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 助教授 山川,隆
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨

 土壌微生物は地球の物質循環及び物質分解に重要な役割を行っている。しかしながら、微生物生態学者や分類学者は、現在のところ極めて制限的な知識しか持っていない。なぜならば、現在までの分類学は環境中で微生物が行っている役割や生存戦略に大きな意味を付与しなかったからである。さらに、多くの微生物の系統関係が十分に解明されているとは言えない。本研究では、現在まで不明瞭であった細菌に関する系統学的研究や重金属耐性細菌の耐性についての研究及び培養困難な細菌の研究を通じ、分類学に生態学的概念を導入することを目指した。21世紀は地球環境問題が人類の最大の課題と考えられる。本研究は、環境問題に対応するための新しい知見を与え、技術的基盤となるものと考えられる。

I.Pseudomonas属に属する種名の整理について

 Pseudomonas属は好気性グラム陰性桿菌で極鞭毛を有する細菌として定義づけられている。このグループの細菌は、さまざまな有機化合物を分解できるため、特に産業的に注目を浴びて来た。また、この属の中には動植物病原菌も多く含まれており、抗生物質、重金属等、さまざまな有毒物質の耐性能を持っているものも知られている。分類学的には、この属の細菌は、他の属の細菌より早くから分子分類学レベルで研究されており、rRNA相同性に基づいて、五つのグループに分けられていた。しかしながら、1980年代及び1990年代に系統的な多様性が明らかとなり、この属の多くの種が分割され、新しい属が多数設立された。現在では、Pseudomonas属はこの五つのグループの中でrRNA相同性グループIだけがsensu strict Pseudomonasとして考えられている。しかしながら、現在、Approved List of Bacterial Namesに登録されている122種あるこのPseudomonas属には、まだ帰属のはっきりしない種も多数ある。本研究では、Pseudomonas属全体の系統学的位置を明らかとするため、16SリボソームDNAを用い、それらの系統分析を行った。なお、この研究に用いた菌株は58株であり、菌株保存機関から取り寄せた基準株である。それらの菌株から16SrDNAの全長をPCR法で増幅し、ユニバーサルプライマーを用いたダイレクトシークエンシング法で約1,500塩基を決定した。系統分析では、それらの塩基配列とデータベースがらダウンロードした他の塩基配列を使い、最尤法で行った。その結果、122株の中で57株だけがsensu strict Pseudomonasとなり、24株の細菌は適切な属に移動させる手続きが必要であることが提案された。この結果は、rRNA相同性に基づいた分類ともよく一致していた。以上の結果、Pseudomonas属の記載されたすべての種の帰属がほぼ解明された。

II.Methylobacterium属細菌の亜鉛耐性と系統学的関係

 亜鉛はメッキ等、日常生活に広く使われている重要な重金属の一つである。このような重金属は土壌中に棲息する微生物の活性、多様性、菌数に大きな影響を及ぼす事が知られており、重金属汚染土壌の微生物の特徴については多くの報告がある。細菌の亜鉛耐性機構の中で詳細に研究されている物としてRalstonia eutrophaから見つかったcadmium、zincとcobalt排出型のCZC systemがある。しかしながら、それ以外の耐性機構についてはあまり知られていない。以前から、重金属に汚染されていない土壌からも耐性細菌は分離されていたが、その耐性は特別な耐性システムを持つのではなくexopolysa-ccharide等によった’passive’なものと考えられていた。亜鉛耐性細菌は非汚染土壌からも多数分離され、なかでもMethylobacterium属細菌は最も高い頻度で分離されている。本研究では、日本各地の土壌から多数のMethylobacterium-like亜鉛耐性細菌を分離し、菌株保存機関から分譲された10株を併せて亜鉛耐性度とUV耐性度を調べ、この性質が系統的関係とどのように関係しているかを解明した。亜鉛耐性度はMIC法を用い、UV耐性については菌株が致死するエネルギーの量を測定した。系統関係の解明は16SrDNAの部分塩基配列により行い、各種炭素源の利用性などの一般的性状検査も併せて行った。その結果、非汚染土壌でも全国の土壌でMethylobacterium属細菌が亜鉛耐性菌として優占し、亜鉛耐性については、菌株保存機関から取り寄せた菌株よりも分離株の方が高いMICを示した。しかしながら、MICのレベルで判断すると、菌株保存機関から取り寄せた株も含めて全てのMethylobacterium属細菌が亜鉛耐性細菌として特徴づけられた。また、炭素源利用性の結果では、様々な炭素源の中でD-arabinose、L-arabinose、D-ribose、D-xyloseの利用性によって二つのグループに大別され、Methylobacteriumの系統学的関係ともよく一致した。特に二つのグループの中でM.radiotoleranceグループの方が高い亜鉛耐性度を持っていることが明らかとなった。また、殆どのMethylobacteriumの株が強いエネルギーのUVに露出されても生き残っていることが判明したが、これはそれらの菌株が生成しているピンク色素が関与していると考えられる。以上のことから、Methylobacterium属においては亜鉛耐性度と系統関係が相関しており、この性状が進化の方向性と関係していることが示唆された。

III.水田土壌中に生息するドメインレベルで他の系統から分岐した生物の系統解析の試み

 生物の基本分類群の最も上位にあるものは、C.R.Woeseらによって提唱されたドメインである。現在、生物界には3つのドメインがあると考えられ、これらはドメインArchaea,BacteriaおよびEucaryaと呼ばれている。Archaeaについてはこの下に界としてCrenarchaeotaおよびEuryarchaeotaが認められており、つい最近では、Barnsらにより第3の界Korarchaeotaの設立が提案された。培養できない古細菌に関する研究は、海洋中および温泉から抽出したDNAから分離されたクローンの解析が複数のグループにより行われてきた。しかしながら、これら複数のグループによる研究では、ごく普通の土壌が対象とされてこなかった。そのため、この研究では日本各地の9種の土壌から抽出したDNAを用い、PCR後クローン化を行い、珍しい系統を探索した。この結果、従来知られている古細菌とは著しく特徴の異なるクローンを10個分離することができた。このクローンの塩基配列とデータベースの塩基配列の比較分析を通じ、これらのクローンの塩基配列の特徴は、今まで知られている古細菌、真核生物および細菌のものとは一致しない事を確認した。そこで、それらの系統学的位置を明らかとするため各ドメインの代表的な生物と系統分析を行った。系統分析には、現在使われているさまざまな分析方法(節約法、近隣結合法、最尤法)を用いて行った。この結果、これらの系統樹は、基本的に同じtopologyを示した。次に、この解析には広範な生物群が含まれているため、系統分析に影響するさまざまな因子(主にに進化速度とGC含量)について検討を行った。この結果、平均進化速度と平均GC含量から離れている生物が見つかり、それらは分析から除外することが適切であると判断された。また、様々な方法で推定されたいくつかのtopologyに関して、尤度解析と各塩基サイトの置換速度を反映した解析を行った。この結果もこれらのクローンが今まで知られていない生物から由来したという結果を支持した。Archaea,BacteriaおよびEucaryaの16SリボソームRNAの中では、ドメイン特異的な塩基を持っているものが知られている(nucleotide signatureと呼ばれている)。その情報は新しい生物群が見つかった際によく使われている最も重要な識別指標となっている。本研究で見つかったクローンについても、これが新しい生物群に由来していることを示唆する特徴的なnucleotide signatureが見いだされた。少なくとも6箇所でのnucleotide signatureは、ドメインレベルで特徴的であった。また、自由エネルギー計算から推定された2次構造の中でも、nucleotide signatureは2次構造を保持するように変化していた。これらのクローンが由来する生物は培養困難な生物由来なので、それらの性質を推定するのは難しい。しかしながら、これらの生物は少なくとも嫌気性で中温性である事が推定できる。最終的にFISH(fluorescence in situ hybridization)でそれらの由来細菌が水田土壌中に生息していることが確認できた。

審査要旨

 本論文は、現在まで不明瞭であった細菌に関する系統学的研究や重金属耐性細菌の耐性についての研究及び培養困難な細菌の研究を通じ、分類学に生態学的概念を導入することを目指した研究をまとめたものであり、5章から成っている。

 序論に続いて、第2章ではPseudomonas属に属する種名の整理について検討した。この属は植物病原性菌、難分解物質分解菌、人畜病原菌などを含み、人の生活にとって極めて重要な属である。しかしながら、この属には100種以上の種が含まれ、正確な性状検査が行われていない菌種も多く、分類は大変混乱した状態であった。本論文ではPseudomonas属のほぼ全ての種の16S rDNAの全塩基配列を解読し、それらの系統を明らかとした。その結果、57種がPseudomonasとして認められるものであり、他の菌種は他属に移すべきと判断された。以上の結果から、Pseudomonas属の記載されたすべての種の帰属がほぼ解明された。

 第3章では、グラム陰性、好気性、非発酵性で非水溶性の赤色色素を生産し、メタノールを資化するMethylobacterium属細菌の亜鉛耐性を調べ、これが系統関係とどのように関係しているか解明した。本研究では、日本各地の土壌から多数のMethylobacterium様亜鉛耐性細菌を分離し、菌株保存機関から分譲された11株を併せて亜鉛耐性度、UV耐性度、16SrDNAの部分配列およびその他の生理性状を調べた。その結果、亜鉛非汚染土壌でも全国の土壌からMethylobacterium属細菌が分離され、これらの株は全て強いUV耐性を持っている事が判明した。炭素源利用性の結果では、二つの大きなグループに大別され、Methylobacteriumの系統的関係ともよく一致した。特に二つのグループの中でM.radiotoleranceグループが高い亜鉛耐性度を持っていることが明らかとなった。以上の結果、Methylobacterium属においては亜鉛耐性度と系統関係が相関しており、この性状が進化の方向性と関係していることが示唆された。

 第4章では、水田土壌中に生息するドメインレベルで他の系統から分岐した生物の系統解析と土壌中での生息状況を解明した。現在、生物界には真核生物、古細菌、細菌の3つのドメインがあると考えられる。その中で古細菌についてはこの下に界として二つの界が認められており、つい最近では、Barnsらにより第3の界の設立が提案された。培養できない古細菌に関する研究は、海洋中および温泉のフローラ解析が行われてきた。しかしながら、ごく普通の土壌が対象とされてこなかった。そのため、この研究では日本各地の土壌から抽出したDNAを用い、PCR後クローン化を行い、珍しい系統を探索した。この結果、従来知られている古細菌とは著しく特徴の異なるクローンを分離することができ、これらのクローンの塩基配列の特徴は、今まで知られている生物のものとは一致しない事を確認した。系統分析には、現在使われているさまざまな分析方法(節約法、近隣結合法、最尤法)を用いて行った。次に、系統分析に影響するさまざまな因子についても検討を行った。また、各塩基サイトの置換速度を反映した解析も行った。この結果、これらのクローンが今まで知られていない生物から由来した事が明らかとなった。16SリボソームRNAの中では、各ドメイン特異的な塩基が見いだされる。本研究で見つかったクローンについても、これが新しい生物群に由来していることを示唆する特徴的な塩基が見いだされた。さらに、それらの塩基は2次構造を保持するように変化していた。これらのクローンが由来する生物は培養困難な生物由来なので、それらの性質を推定するのは難しい。しかしながら、これらの生物は少なくとも嫌気性で中湿性である事が推定できる。最終的にFISHによりそれらの由来細菌が水田土壌中に生息していることを確認した。

 以上、本論文は土壌中に生息するいくつかの微生物の分類と生態を解明したもので、学術上および応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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