学位論文要旨



No 114384
著者(漢字) 閔,容基
著者(英字)
著者(カナ) ミン,ヨンキ
標題(和) ブラシノライドの特異的生合成阻害剤に関する生物有機化学的研究
標題(洋) Study on the Specific Inhibitor of Brassinolide Biosynthesis based on Bioorganic Chemistry
報告番号 114384
報告番号 甲14384
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1992号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 長澤,寛道
内容要旨

 ブラシノステロイド(BR)は植物界に広く分布し,ナノモル(nmol)レベルの濃度で、細胞伸張、細胞分裂,維管束系の分化、エチレン生合成の促進、ストレス耐性等、様々な生理作用を示す.BR発見後間もない時期から植物ホルモンの一員に加えるべきであるとの声はあったが,BRが植物ホルモンとして広く認められるようになったのはようやく最近のことである.すなわち,BR生合成能欠損突然変異株が発見され,BRが植物の健全な成長に必須であることが明らかになってからである.BR生合成能欠損突然変異体は植物の成長におけるBRの重要性を明らかにしたが,BRの作用は非常に多面的であり,限られた突然変異株の解析だけからでは,その全容を明らかにすることは出来ない.BRの植物の成長調節における機能をより広く追究するにあたっては、任意の時期にBRの生合成を選択的に制御し、BR欠乏状態で発現する形質を解析することが非常に有効であると期待される.このような観点から,新規BR生合成阻害剤の開発を博士論文の研究課題とした.さらに,新規BR生合成阻害剤の開発はBRの機能解明やブラシノライド(BL)と他のホルモンとの相互作用を研究する上で有用であるばかりでなく,BRが関わる遺伝子発現の調節と、それに由来する様々な生体反応や形態形成機構を分子生物学的、生化学的、生理学的な面から追究することを可能にする考えられる.つまり、BR生合成阻害剤の開発は、植物の成長や分化におけるBRの機能や情報伝達経路の解明に役立つばかりでなく,農業生産における新技術の開発など、応用面でも大きな可能性を秘めていると考えられる.

 ウニコナゾールはGA(ジベレリン)の生合成経路中ent-kaureneからent-kaurenoic acidへの酸化反応を触媒するシトクロムP450酸化酵素を阻害することによりGA生合成阻害活性を示し、植物に対し矮化活性を示す.一方、BR生合成経路でもシトクロムP450が関与すると考えられている酸化反応が多数含まれている.ウニコナゾールはジベレリン生合成におけるカウレンの酸化酵素を特異的に阻害し,BRの生合成には殆ど影響を与えないが,その鏡像体はカウレンの酸化よりもステロイドの酸化をより強く阻害する.そこで,ウニコナゾールの部分構造変換を行うことにより,BR生合成経路で機能するP450酸化酵素に対する特異的阻害剤を創出することが可能であると考え,本研究を展開した.阻害剤開発にあたってはその有効な検定法の確立が必須であることから,生物検定法を確立し、これを用いて選抜を行い,候補化合物の作用特性について詳細な検討を行うこととした.このようにして得られた特異的BR生合成阻害剤を用いて、植物におけるBRの生理機能を追究することにした.

1.新規BR生合成阻害剤の合成

 ウニコナゾールの不斉炭素上の置換基の立体配置がシトクロムP450酸化酵素に対する選択性において大きな影響を持つことに着目し、この部位に様々な置換基を導入することによる特異的BR生合成阻害剤の創製を行うことにした.合成中間体3と置換ベンズアルデヒドをmorpholine存在下で縮合させ、カルボニル基を還元して化合物5を得た.また,ウニコナゾールの二重結合が還元された誘導体9は合成中間体3のalikylation,Grignard反応により得られた.化合物9が有する4つの立体異性体のうち1つについてX-線結晶解析により相対立体配置を決定した.活性検定と照合した結果、活性型の化合物は(2S,3R)体あるいは(2R,3S)体であった.

 

2.生理活性検定系の確立およびBR生合成阻害剤の選抜

 合成化合物の生理活性検定はイネ(コシヒカリ)の第2葉鞘伸長抑制試験とシロイヌナズナとクレスの明および暗所での形態変化の観察、胚軸伸長抑制試験を組み合わせて行った.まず,イネ第2葉鞘伸長抑制試験でウニコナゾールに比較して抑制活性が顕著に低下している化合物を選抜することにより、GA生合成阻害活性を殆ど示さない化合物を選抜できた.この中から,シロイヌナズナを用いた検定において、BR生合成能欠損変異株と同様の形態を最も強く誘導する化合物9-1をBR生合成阻害剤の候補として選抜した.化合物9-1で処理したシロイヌナズナは明・暗両所において顕著な矮化現象を示し,GA、サイトカイニン(zeatin)、オーキシン(IAA)等のホルモンを同時に処理しても回復しなかったのに対し,BL処理では回復した.シロイヌナズナを化合物9-1(1M)で処理すると、明所では矮化、葉の暗緑色化、暗所では短く太い胚軸の形成,子葉の展開,葉原基の発達等、BR生合成能欠損突然変異体で観察された特異な形態が認めれた.クレスを用いた検定においても同様の形態変化が観察され、化合物9-1は新規BR生合成阻害剤であると判定した.これにより、上述の複数の検定方法を組みあわせた活性検定によりBR生合成阻害剤を選抜できることも確認された.

 

3.新規BR生合成阻害剤の作用部位の解明

 BRに最も鋭敏な応答を示すイネの第2葉身屈曲試験を用い,BLの生合成中間体と9-1を同時に投与した場合の応答について調べた.この試験において生合成中間体はイネ体内で活性本体であるBLに変換されることにより、活性を示すと考えられている.9-1はCT(cathasterone)の作用を抑制することが確認された.この抑制はBL生合成においてCTより下流に位置するTE(teasterone)に対しては認められないことから,9-1はBR生合成経路中,CTからTEへの側鎖の水酸化過程をブロックすると想定された.シロイヌナズナの胚軸伸長検定系を用いた9-1の阻害部位の追究も行った.明暗両所における9-1処理による矮化状態からのBLおよびBR生合成中間体による回復実験を行った結果,CTやTEは回復作用を示した.したがって,シロイヌナズナでは9-1の作用点はCTの生成より前の段階にあり、BLの生合成経路中,6-oxocampestanolをCTやTEへと変換する側鎖の水酸化過程をブロックすると考えられた.クレスを用いた明所の試験でも9-1誘導の矮性はTEやBLの投与により回復応答を示した.これらの結果から、新規BR生合成阻害剤9-1は、共にシトクロムP450酸化酵素(dwf4,cpd)が触媒するBRの側鎖の2つの水酸化反応をブロックすると考えられた.

 

4.合成化合物の構造活性相関

 各合成化合物の暗所でのシロイヌナズナ下胚軸伸長抑制活性を検定した結果、各化合物は置換基によって著しく異る生理活性を示すことが明かとなった.先ず、合成化合物が選択的なBR生合成阻害活性を有するためにはC2位におけるベンゼン環とメチル基の存在が重要であることが確認した.ベンゼン環がt-ブチル基で置換され化合物の活性は弱いことから、BR生合成阻害活性を有するためには平面構造を有するベンゼン環の存在が重要な役割を果たしていると考えられる.一方、既存のP450阻害剤の報告に基ついて水酸基は活性発現に必須であると予想されていることから、化合物9-1のC2位の水酸基の立体配置も基質特異性を発現するために重要であり、P450酸化酵素の特定部位と相互作用をしていると考えられる.C4位のベンゼン環ではpara位に塩素、臭素、CF3基等の電子吸引基が置換していること必要であり、C4位のベンゼン環のmeta位に塩素、メトキシ等の置換基を導入した化合物は活性が激減することを確認した.明所でクレスを用いた下胚軸伸長抑制試験における構造と活性の相関結果もシロイヌナズナの場合と同様な傾向を示すことを確認した.以上の合成化合物の胚軸伸長抑制活性は処理した化合物の濃度に応じた矮化活性を示すことを確認したことから内生BRの量と胚軸伸長には相関があると考えでいる.

5.新規BR生合成阻害剤の植物に対する効果

 新規BR生合成阻害剤を処理することにより誘導される形態は、生合成能欠損変異体に認められる形態と同様であり、植物体内の内生BL濃度が減少したことに起因していると考えることができる.このことは、様々な植物の様々な成長過程においてBR生合成阻害剤を用いることにより誘導される形態的変化を解析することにより、BL自体が本来果たしている役割を明らかにすること、言い換えるならば、BLの生理的意義を詳細に追究することを可能にすると考えられる.そこで、シロイヌナズナ、クレス、キュウリ、トマト、タバコ、エンドウ等の植物に対する新規BR生合成阻害剤の効果を調べることにした.シロイヌナズナに対して阻害剤9-1を処理した結果、暗所では矮化、子葉の展開、葉原基の発達等、光形態形成の誘導が観察された.顕微鏡観察により、阻害剤処理による矮化は細胞の縦軸方向の伸長が抑制されていることが原因であることが示され、BLはGAと共に植物細胞の縦軸方向の伸長誘導に重要な役割を担っていることが明らかとなった.また、シロイヌナズナに暗所で阻害剤9-1を処理した場合、cab,Rubisco,psbA等の光誘導性mRNAの発現量が増加した.シロイヌナズナやクレスを暗所で9-1処理し、引き続き暗所で長期間(30日)生育させた場合、9-1は本葉の発達促進作用を示すことが観察された.阻害剤を処理クレスの場合は明所でも本葉の発達が促進された.このような暗所での光形態形成は阻害剤による内生BL量が減少することにより誘導されるが、他のホルモンの生合成や活性発現、シグナル伝達経路上での相互作用等については未知であり、今後の課題である.シロイヌナズナやクレスで観察されたと同様の現象、すなわち、明所での矮化、葉の暗緑色化、本葉や子葉のカーリング、さらに暗所での胚軸伸長の抑制、子葉の展開等の光形態形成が、阻害剤9-1剤処理したキュウリにおいても観察された.阻害剤9-1処理したトマトやエンドウにおいて誘導された形態変化は、既知のBR生合成酵素欠損株で観察された形態変化と同様であることが確認された.阻害剤処理したタバコにおいても暗所での矮化や子葉の展開、明所での矮化や葉の暗緑色化など共通の現象が観察された.

 以上の結果から、新規BR生合成阻害剤9-1の処理による暗所での光形態形成の誘導は双子葉植物一般に観察される現象であろうことが予想されるとともに、BLは植物の成長に本質的な機能を担っていると考えられた.

6.まとめ

 BRの生理機能を解明するために有用な手段となり得る新規BR生合成阻害剤を創出した.新規阻害剤における立体構造及び置換基はBR生合成系に機能するシトクロムP450酸化酵素に対する特異性を高めるために重要な役割を果たしていることが明らかになった.阻害剤の作用部位はBR生合成経路中の6-oxocampestanolからTEへの側鎖の水酸化反応であることが推定された.阻害剤は内生BR濃度を減少させることによって暗所で胚軸の矮性化、子葉の展開、本葉の発達促進、光誘導性遺伝子の発現増加等の光形態形成に関与していることが示された.新規BR阻害剤を処理することにより現れた形態変化は処理した植物に共通であることから、矮化や暗所での光形態形成は内生BLの量が減少されることにより誘導される普遍的な変化と考えられた.

 新規BR生合成阻害剤の利用により植物におけるBRの生理作用や機能を解明するための重要な情報がもたらされることが明かとなった.新規BR生合成阻害剤を用いた研究を展開することにより今後のBLや他のホルモン関連研究分野の進展が期待できると考えている.

審査要旨

 本論文は植物ホルモンの一種であるブラシノライドの生合成を特異的に阻害する新化合物の合成とその作用部位の解明に関するもので6章よりなる。

 第一章序論では研究の背景と意義について概説している。

 第二章では、ステロイド骨格を持つ唯一の植物ホルモンであるブラシノライドの生合成阻害剤の分子設計と合成について述べている。ジベレリン(GA)の生合成阻害剤であるウニコナゾールは、ブラシノライドの生合成もわずかに阻害する。そこで、ウニコナゾールをリード化合物として、ブラシノステロイドの生合成を特異的に阻害する化合物の創製を試み、36種の化合物を合成した。

 第三章では、ブラシノステロイド生合成阻害剤とGA生合成阻害剤を識別する生物検定法の確立と、ブラシノステロイド生合成阻害剤の構造活性相関について述べている。イネの第二葉身の屈曲促進がブラシノライド特異的な作用であることに着目し、その阻害試験を一次スクリーニングに用いて候補化合物を選抜した。つづいて、暗所でシロイヌナズナの胚軸伸長を抑制し、シロイヌナズナのブラシノステロイド生合成突然変異体に類似した形態を誘導する化合物を選抜する絞り込みを行った。次に、選抜した候補化合物により誘導された形態がブラシノライドの投与では野生型に回復し、GAの投与では回復しないことを確認して、ブラシノステロイド生合成の特異的阻害剤とした。

 構造活性相関では2位のフェニル基、メチル基、水酸基がいずれも重要であり、フェニル基はGA生合成阻害とブラシノステロイド生合成阻害の差異を生み出す重要な役割を担っていること、メチル基はシトクロムP450酸化酵素に認識される部位であり、水酸基の配向を固定する役割も担っていること、4位のフェニル基のパラ位に電子吸引性のハロゲンが置換している場合に活性が高くなることを明らかにした。さらに、2位と3位の立体配置の効果も検定し、(2R,3S)体あるいは(2S,3R)体のいずれかが最も高い活性を有することを明らかにした。合成収率がよく、活性の高い化合物をブラシナゾール(Brasinazole)と命名した。

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 第四章ではブラシナゾールのブラシノステロイド生合成における阻害部位を明らかにしている。イネ第二葉身屈曲試験においてブラシナゾールとともに様々なブラシノライド生合成中間体を投与し、ブラシナゾールによる屈曲阻害が解消されるか否かを検定した。また、シロイヌナズナやクレスに対してブラシナゾールが誘導する形態が、ブラシノライド生合成中間体の投与により回復するか否かも検定し、ブラシナゾールの作用点が6-オキソカンペスタノールからキャサステロン、ティーステロンへ酸化されるC22位およびC23位の酸化過程にあることを明らかにした。

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 第五章ではシロイヌナズナ、クレス、キュウリ、トマト、タバコ、エンドウに対してブラシナゾールが示す効果について述べている。ブラシナゾールは、暗所で上記植物の胚軸細胞の縦軸方向の伸長を顕著に阻害し、矮化を誘導すること、暗所で光形態形成を促進することを明らかにした。これによりブラシノライドが双子葉植物においてはGAと同様胚軸の伸長を制御していること、さらに光形態形成に関与することも明らかにした。

 このことはブラシナゾールがブラシノステロイド生合成突然変異体の得られていない植物において、ブラシノライドがどのような生理現象の発現制御に関わっているかを追究する上で有効な薬剤であることを示している。

 第六章では本研究の総括を行っている。

 以上、本研究はブラシノステロイド生合成の特異的阻害剤を始めて創製し、その作用点を明らかにしものである。本研究で合成されたブラシナゾールはブラシノライドの機能解明に貢献するばかりでなく、農業への応用も見込まれ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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