学位論文要旨



No 114385
著者(漢字) 林,恕夙
著者(英字)
著者(カナ) リン,スースー
標題(和) 補酵素再生を伴うバイオリアクターに関する研究
標題(洋)
報告番号 114385
報告番号 甲14385
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1993号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨

 各種有用物質の生産のために、酵素、微生物菌体、動植物細胞等の生体触媒を固定化したバイオリアクターを用いる方法が実用化されている。本研究では未だ実用化されていない補酵素再生を伴うバイオリアクターの開発を目的とした。

補酵素再生を伴うメンブレンバイオリアクター

 遊離型補酵素NAD(P)+、NAD(P)H、ATP等を必要とする酸化還元酵素や合成酵素は酵素全体の約20%を占め、立体特異的合成をはじめ、多くの有用物質生産反応に関与する。これらの酵素をバイオリアクターとして用いるためには、消費された遊離型補酵素を再生しつつ利用することが必要であり、主反応酵素とともに補酵素の再生系を同時に固定化することが必要となる。しかしながら、遊離型補酵素は分子量が小さいためリアクター内に固定化することができず、このため補酵素を高分子化して酵素反応系と共に限外濾過膜リアクター内に固定化し再生しつつ利用する研究例があるものの、高分子化に伴う補酵素の活性、安定性、コスト等の問題がある。本研究では、高分子化しないnative補酵素を用い、これを再生しつつ利用するメンブレンリアクターの開発を試みる。そのために、まず、限外濾過膜(UK-10:分画分子量10,000)、陰荷電性膜NTR-7410、及びナノ濾過膜UTC-20、SSAの各種膜について補酵素に対する阻止率を調べた。その結果、限外濾過膜の補酵素に対する阻止率は0.01であり、NTR-7410の阻止率はイオン強度0では0.85であるものの、この値はイオン強度の増大と共に減少した。これに対してSSAとUTC-20は溶液のイオン強度に関わらず、いずれもNAD、NADP、ATPに対して0.90以上という高い阻止率を示した。そこで、これら二種のナノ濾過膜の水透過係数を測定した結果、UTC-20が高い値を示したため、この膜を用いて平面型ナノ濾過膜リアクター(NFMBR、2ml)を試作した。一方比較対象として限外濾過膜を用いた限外濾過膜反応器(UFMBR)も部分的に使用した。さらに、限外濾過膜として中空糸膜を用いた限外濾過中空糸膜リアクターを必要に応じて使用した。

NADH再生を伴うメンブレンリアクターによるL-グルタミン酸の連続生産1)

 試作したUFMBR、NFMBRを用いモデル系として共役酵素系によるNADH再生を伴う2-ケトグルタル酸からL-グルタミン酸の生産を行った。補酵素再生への化学平衡、酵素比活性、酵素コスト、再生用基質コストなどを考慮してグルコース脱水素酵素(GDH)をNADH再生酵素として用いた。120U/mlグルタミン酸脱水素酵素(GluDH)、100 U/ml GDHをUFMBRまたはNFMBRに封入し、0.1M-ケトグルタル酸、0.2MNH4Cl、グルコース、10-5MNADを滞留時間80分で供給して連続反応を行ったところ、それぞれの反応転化率は50及び80%、NAD回転数は5,000、8,000、反応器生産性は170、270g/L/Dであった。以上によりGDHはNADH再生用酵素として有用であり、酵素共役系を固定化したメンブレンリアクターによりL-グルタミン酸を生産することができた。また、UFMBRと比較して、NFMBRのほうが反応転化率、NAD回転数及び生産性はいずれも高く、ナノ濾過膜がNADを効率よく部分固定化し、リアクター内に濃縮できることがわかった。一方、UFMBRはNADを物理的に固定化できないが、共役酵素反応の間の動的親和性によりNADが再生され、NFMBRより劣るもののL-グルタミン酸を生産できたことがわかった。さらに、NFMBRにおける反応系に対する酵素濃度、共役酵素間の比率、NAD濃度、基質液平均滞留時間、基質濃度等の影響を検討した結果、L-グルタミン酸への最高反応転化率90%、NAD回転数9,000、反応器生産性119g/L/D、反応器生産半減期125hという良好な結果が得られた。以上の結果は、本プロセスにおいてはNADのコストが1/9,000に低下することを意味している。

NADH再生を伴うアラニン脱水素酵素の還元反応によるL-アミノ酸の生産(1)L-アラニンの生産2)

 NFMBRを用いてアラニン脱水素酵素(AlDH)を用い、AlDH/GDH共役酵素系によるピルビン酸の還元的アミノ化によるL-アラニンの生産を行った。100U/ml AlDH、140U/mlGDHをNFMBRに固定化し、0.2Mピルビン酸、NH4Cl及びグルコース、10-5M NADを供給してL-アラニンの連続生産を行ったところ、反応転化率は約6時間でほぼ100%となったものの、その後時間とともに低下した。そこで、ピルビン酸の安定性について検討したところ、ピルビン酸が中性条件では不安定で、このことが反応器安定性に大きな影響を及ぼしていることがわかった。そこで、ピルビン酸のみを安定な塩酸水溶液(pH4)として、他の基質とは別に供給する二流路方式により反応器安定性が向上した。NFMBRにおける反応系に対する酵素濃度、NAD濃度、基質液平均滞留時間、基質濃度等を検討したところ、最高反応転化率100%、NAD回転数20,000、反応器生産性320g/L/D、反応器生産半減期100h以上という良好な生産結果が得られた。一方、出発物質をL-乳酸とし補酵素再生系のGDHを乳酸脱水素酵素(LDH)に置き換えて、不安定なピルビン酸は中間生成物として、直ちにAlDH反応によって消費され、同時にNADHが再生される逐次反応によるL-アラニンの連続生産を試みた。その結果、反応転化率はほぼ100%、NAD回転数は10,000、生産性は160 g/L/Dが得られ、LDH/AlDH酵素逐次反応系がL-アラニンを効率よく生産できることがわかった。本反応系は前半の反応の熱力学平衡が逆反応に傾いているものの、逐次反応系とすることにより、全体の反応平衡を生成物側に効率よく移動できることが明らかになった。

(2)L-セリンの生産

 L-セリンはアミノ酸の代謝中枢に位置しており、直接発酵生産が困難なアミノ酸の一つである。AlDHはその基質アナログとしてのヒドロキシピルビン酸にも作用して、これを還元的アミノ化し、L-セリンとすることができるため、L-アラニンと全く同じ酵素系を用いてヒドロキシピルビン酸よりL-セリンの連続生産を行った。100 U/ml AlDH、347.5U/ml GDHをNFMBRに固定化し、これに0.1Mヒドロキシピルビン酸、0.2MNH4Cl及びグルコース、10-5MNADのトリス緩衝液(pH8)を供給したところ、反応転化率は約38%、NAD回転数は3,800、生産性は72g/L/Dであったが、反応器生産半減期はわずか12hであった。この原因として基質であるヒドロキシピルビン酸の不安定性があり、これはpH4の塩酸水溶液で安定化することがわかったため、これを別にしてリアクターに供給する二流路方式とした。その結果、反応転化率45%、NAD回転数4,500、生産性85g/L/D、反応器生産半減期40h以上という値が得られた。

NADH再生を伴う3-デヒドロカルニチンの立体特異的還元反応によるL-カルニチン(ビタミンBT)の生産3)

 カルニチンはビタミンBTとして脂肪酸の代謝に重要な役割を果たしているが、光学異性体の中ではL型のみ生理活性を有し、D体は拮抗阻害特性を示すため、立体特異的合成法が必要とされている。ラセミ体カルニチンの光学分割は容易でなく、そこで、カルニチン脱水素酵素(CDH)を用いることが考えられた。しかしながら、CDHはNADHが必要であり、そこで、NFMBRの適用を試みた。まず11種類のPseudomonas putidaの菌株をスクリーニングし、最も高いCDH活性を有するIAM12014を用い、CDHを粗精製した。基質3-デヒドロカルニチンをpH0.7以下の酸性溶液として他の基質液(トリス緩衝液pH 8)とは別に供給する二流路方式を用い、200 U/mlCDHと200U/mlGDHを固定化したNFMBRに、50mM3-デヒドロカルニチン、0.1Mグルコース、5×10-5MNADを供給してL-カルニチンを連続生産した結果、反応転化率78%、NAD回転数780、生産性113g/L/D、反応器生産半減期500h以上という良好な値が得られた。

NADPH再生を伴う菌体内の酸化還元酵素系による(R)-3-キヌクリジノールの生産

 (R)-3-キヌクリジノールは動脈硬化治療剤等の多種の医薬中間体として用いられている。その立体特異的合成法としてエステル分解酵素によるキヌクリジノールラセミ体エステルの立体選択的加水分解法が考えられるが、不要の(S)活性体を回収するため生産が複雑になりコストも高い。そこで、これを酵素によるキヌクリジノンの不斉還元により生産することを試みた。GDHまたはグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PDH)それぞれをNADH、NADPH再生用酵素として活性菌体(Rhodotorularubra)と共役させ、NAD、NADPを共存させ、基質としてキヌクリジノン及びグルコース-6-リン酸(G6P)を供給して回分式で生産した結果、それぞれ20、100%の反応転化率を示した。しかしながら菌体のみの系にG6PDHを加えずに基質とNADPのみを供給した結果、100%の反応転化率が得られ、このことより菌体内にNADPH再生系が存在することがわかった。そこで、菌体のみ(4%)をNFMBR内に封入し、50mMキヌクリジノン及びG6P、0.1mMNADPのトリス緩衝液(pH7)を滞留時間160分で供給し、30℃で連続反応した結果、最高反応転化率40%、NAD回転数200、生産性23g/L/Dが得られた。一方、菌体内のNADPH再生系の共役酵素反応の間の動的親和性によりNADPHを再生することも試みた。限外濾過中空糸膜リアクター(UFHR、分画分子量13,000、体積1ml)を用い、菌体(4%)を二重管構造のリアクター内部の中空糸膜内(500l)に固定化し、これに基質液を滞留時間240分で供給し、基質及びNADPを膜外部より拡散輸送して生産した結果、12.5mMのキヌクリジノールが生産速度9.5g/L/Dで得られ、NADP回転数は125であった。

ATP再生を伴うL-グルタミンの合成反応

 ATPは生体のエネルギー変換の中で中心的な役割を果たし、ATPを必要とする酵素をバイオリアクターとして用いることができれば様々な合成反応を利用することが可能である。そこで、大腸菌より粗精製したL-グルタミン合成酵素(GS)とATP再生用酵素クレアチンキナーゼ(CK)との共役酵素系よりL-グルタミンの生産にNFMBRの適用を試みた。回分式の結果よりGS/CK反応系にはMg2+の添加が必要であった。また、Mg2+の添加により、リン酸緩衝液を用いた反応液に沈殿が生じるが、トリス緩衝液には沈殿が生じないことがわかった。2.67U/mlGSと26.7U/mlCKをNFMBRに固定化し、これに50mMクレアチンリン酸及びL-グルタミン酸、30mMMgCl2、2mMATP、10mMメルカプトエタノール、0.5mMNaN3のトリス緩衝液(pH7)を滞留時間160分で供給し、30℃で反応させた結果、25mMのL-グルタミンが生産速度33g/L/Dで得られ、ATP回転数は12.5であった。しかしながら、反応の進行につれてリアクター内には沈殿が生じてNFMBRの内圧が上がった。これはGS/CKが反応する際に1分子のリン酸を遊離し、反応液のリン酸濃度が上がり、マグネシウムが沈殿しやすくなったためと考えられる。そこで、UFHRを用いることとした。UFHRは酵素のみを固定化するが、反応液に沈殿が生じても内圧が上がらない特徴がある。UFHR(3ml)にGS(1.25U)およびCK(115U)を中空糸膜内(250l)に固定化し、これに基質液を滞留時間180分で供給した。その結果、45mMのL-グルタミンが生産速度53g/L/Dで得られ、ATP回転数は22.5であった。ATP再生系としてアセトン処理酵母についても検討を加えた。

 以上の結果よりナノ濾過膜UTC-20を用いたNFMBRは遊離型補酵素をリアクター内に部分固定化して、共役酵素により再生利用するバイオリアクターとして有効であることが示された。NFMBRを用いることにより、NAD(P)+、NAD(P)H、ATP等を必要とする酵素、微生物菌体等の生体触媒をバイオリアクターとして用いることが広く可能となり、今後これを用いて様々な有用物質生産への応用が期待される。

1)Lin,S.-S.,Hata,C.,Harada,T.,Miyawaki,O.,Nakamura,K.,J.Ferm.Bioeng.,83,54-58(1997).2)Lin,S.-S.,Miyawaki,O.,Nakamura,K.,Biosci.Biotech.Biochem.,61,2029-2033(1997).3)Lin,S.-S.,Miyawaki,O.,Nakamura,K.,J.Ferm.Bioeng.,印刷中
審査要旨

 NAD、NADP、ATP等の遊離型補酵素を必要とする酵素は、酵素全体の約20%を占め、各種酸化還元反応、各種生合成反応に関与する。このような酵素をバイオリアクターとして用いることができれば様々な有用物質の生産が可能となる。本論文は、酵素と同時に補酵素を固定化できるバイオリアクターを構築し、これを用いて酵素による補酵素の再生を伴う有用物質の連続生産を行った結果を記したもので、6章よりなる。

 第1章では、種々の膜の補酵素に対する阻止率、水の透過係数等を検討し、ナノ濾過膜UTC-20が溶液のイオン強度に関わらず、NAD、NADP、ATPのいずれに対しても0.90以上という高い阻止率を示すことを明らかにし、この膜を用いてナノ濾過膜バイオリアクター(NFMBR)を構築した。

 第2章では、NFMBRの補酵素再生を伴うバイオアクターとしての利用可能性を検討した結果について述べている。構築したNFMBRを用い、モデル系としてグルタミン酸脱水素酵素/グルコース脱水素酵素(GDH)共役系によるNADH再生を伴う2-ケトグルタル酸からL-グルタミン酸への還元的アミノ化による連続生産を試みた。さらに、NFMBRにおける反応器生産性、NAD回転数、反応器生産半減期に対する様々な操作因子による影響を検討し、NFMBRは酵素と同時に補酵素を固定化できるバイオリアクターとして有用であることを示した。

 第3章では、NFMBRを用いてアラニン脱水素酵素(AlDH)/GDH共役系によるピルビン酸の還元的アミノ化によるNADH再生を伴うL-アラニンの連続生産を行った結果について述べている。ピルビン酸の基質不安定性を避けるために、(1)NFMBRの基質液の供給法を従来の単一流路方式より二流路方式に変えること、(2)安定なL-乳酸を出発物質として、乳酸脱水素酵素/AlDHの逐次共役反応系とすることについて検討し、いずれも良好な結果を得た。さらに、AlDH/GDH共役酵素系を用いてヒドロキシピルビン酸より、直接発酵の困難なアミノ酸であるL-セリンの生産も試みた。いずれの場合においても、生産性は発酵法より一桁高く、他の生産法と比べて優れており、脱水素酵素を用いたケト酸の立体特異的還元によるL-アミノ酸生産にNFMBRを用いる方法が有用であることを明らかにした。

 第4章では、Pseudonomas putidaよりカルニチン脱水素酵素を粗精製し、精製したカルニチン脱水素酵素/GDH共役系を用いてNFMBRによるNADH再生を伴う3-デヒドロカルニチンからL-カルニチンの連続生産を行った結果について述べている。L-カルニチンの生産結果、最高反応転化率は約78%、反応器生産性は113g/L/D、NAD回転数780、反応器生産半減期400h以上という良好な値が得られた。

 第5章では、キヌクリジノンの不斉還元による(R)-3-キヌクリジノールを生成する活性菌体(Rhodotorula rubra JCM3782)の特性及びそのNFMBRへの適用について検討した結果を述べている。活性菌体はNADPHを消費して(R)-3-キヌクリジノールを生成すると同時に、グルコース-6-リン酸を利用してNADPHを再生できることを明らかにし、このことを利用して、活性菌体における共役酵素系を用いてNADPH再生を伴う(R)-3-キヌクリジノールの連続生産へのNFMBRの適用を検討した結果、最高反応転化率は45%、生産性は25.8g/L/D,NADP回転数は225が得られ,NFMBRはNADPHの再生を伴う立体特異的(R)-3-キヌクリジノールの生産にも適用できることを示した。

 第6章では、Esherichia coliよりグルタミン合成酵素を粗精製し、NFMBRを用いてグルタミン合成酵素/クレアチンキナーゼ共役系によるATP再生を伴うL-グルタミン酸からL-グルタミンのNFMBRによる連続生産を行った結果を述べている。L-グルタミンへの最高反応転化率79%、生産性102.6g/L/D、ATP回転数19.5であり、このことにより、NFMBRはATPを必要とする酵素反応にも適用できることが示された。

 以上本論文は、遊離型補酵素を必要とする酵素を利用できるバイオリアクターとしてのNFMBRが酵素と共に、NAD、NADP、ATP等を固定化し、再生しつつ利用するための汎用型バイオリアクターとして有効であることを示し、補酵素のコストを殆ど無視可能なレベルまで低下させて種々の立体特異的合成反応やグルタミン合成等のエネルギー要求反応を連続化することを可能としたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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