学位論文要旨



No 114386
著者(漢字) 白木,克繁
著者(英字)
著者(カナ) シラキ,カツシゲ
標題(和) 3次元飽和不飽和浸透流モデルを用いた山地流域の流出解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 114386
報告番号 甲14386
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1994号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 小林,洋司
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨

 本論文は、山地流域内の土壌中の水の挙動を3次元飽和不飽和浸透理論に基づいた数値計算により再現する手法を開発し、これを用いて実流域を対象とした流出解析を行うことを目的とする。その方法として、浸透数値計算を行うときに、できるだけ粗い空間刻みで計算が可能な手法(上流法)を新たに提示するとともに、この手法を用いた時に採用できる空間刻み幅の指標を提示した。つづいてこの手法の妥当性を検討するために、2次元人工斜面および山地小流域における実測値との比較検討を行い、実際の流出現象に適用できることを示した。

 山地斜面での水移動の研究は、地下水位変化に伴う斜面崩壊の危険性の予測等の、災害から人類の生命を守るという観点から、森林土壌内での水質形成過程のような水と関係した自然環境一般の理解を深める観点まで、その重要性は広範囲にわたる。しかしながら、土中水の挙動を数学的に記述するRichards式は1931年に発表されているにも関わらず、現在に至るまで流域を対象にRichards式を適用し、実測された情報との比較を行った例はほとんど見ることができない。

 斜面での水の流れの特徴は、降雨時およびその直後、不飽和部分での鉛直下方流れが卓越し、基岩上に飽和帯を形成した後、側方流として流下するという形態と、降雨後飽和帯が縮小し、不飽和状態での斜面長方向流れへと徐々に変化して行くという二つの流動形態に区分できる。これらは降雨時における短期的な現象と、流出逓減時の長期的な現象というように分離できる。

 流域内の個々の場所での水分分布情報を得るための解析法としては、流域を要素やグリッドに分割し、何らかの仮定や条件を設けて3次元計算を簡略化した数値計算法がとられることが多い。このような手法は斜面要素集合型モデルと呼ばれている。しかし一般に斜面要素集合型モデルは、斜面での流動形態のうちのどちらかの要素を省略していることが多く、長期流出解析が困難か、もしくは降雨直後の状況の予測に難点があった。

 Richards式に基づく3次元飽和不飽和浸透数値計算を流域を対象として長期にわたって計算する検討がいままで行われなかった背景として、浸透数値計算上の空間刻み幅の選択に関する問題が存在する。流域を計算対象とする場合、コンピューターの制約上、できるだけ空間刻み幅を大きくすることが必要であるが、Richards式が強い非線形性を有するため、非常に細かい空間刻み幅が要求される。空間刻み幅を大きくした場合、単に解の精度が低下するだけでなく、計算上の水収支誤差が大きくなることと、算出される結果が物理的に容認できない状態になることの2点の問題点があることが分かっている。このうち前者の計算上の水収支誤差については、修正Picard法を導入することによって、原理的にこの誤差をゼロにすることができるようになった。

 空間刻みを粗くすることによって生じる問題点のうち、後者の空間刻み幅を粗くするに従って算出される解の誤差が物理的に容認できなくなることについて、筆者は新たに上流法を提示することによる解決策を提示した。上流法は浸透数値計算で計算要素となる微少領域(コントロールボリューム)の境界での透水係数の算出法として、土中水流動方向上流側の透水係数の値をコントロールボリューム境界のフラックス計算に用いるものである。従来行われてきた計算法は、この透水係数の値として、二つのコントロールボリュームの透水係数の平均値を境界の値として採用する手法が多くとられており、これを算術平均法と呼ぶことにする。ここで下端に水面があり、上端から一定降雨が供給される土柱カラムを想定し、鉛直1次元定常状態を数値計算し、両者の計算方法が計算空間刻み幅を変化させることによってどのような定常状態を解として算出するかを検討した。この結果、算術平均法では空間刻みを粗くするに従って、圧力水頭値が鉛直方向に不連続な形状で定常し、鉛直方向に土壌の乾燥、湿潤が交互に表れるといった、物理的に容認できない解を算出することが確認できた。この時同じ空間刻み幅を用いて、上流法では圧力水頭の大小関係が鉛直方向に正しく保持されていることが分かった。上流法においても空間刻み幅を粗くするに従って計算誤差が大きくなることは算術平均法と同様であるが、上流法は空間刻みを粗くしても、より現実に近い解を算出できることが分かった。

 次に上流法と算術平均法の比較として、飽和不飽和2次元計算として傾斜した(傾斜角10度および45度)2次元断面を想定し、一定量の降雨を供給した場合に発生する最大流出量、最大地下水位、一定時間後の流出量等を、さまざまな空間刻み幅で計算を行い、その計算値を比較した。この結果、算術平均法では空間刻み幅を粗くするに従って、地下水面計算値が2次元断面上不連続な形状で計算され、特定の場所においては地下水位が発生しないという重大な計算誤差も表れた。これに対して上流法は空間刻み幅を粗くした場合でも、誤差は拡大するものの物理的に容認できる解を算出した。

 また、上流法を用いた場合に空間刻み幅をどれだけ粗くできるかという検討を上述の数値実験よりおこなった。降雨後の最大流出量、最大流出量発生時刻、最大地下水位、最大地下水位発生時刻、一定時間後の流出量の5項目について、あらかじめ許容できる誤差範囲を決定し、斜面方向、土層厚方向の空間刻み幅によって、許容できる空間刻み幅の限界がどのように変化するかを考察した。この考察より、空間刻み幅の長さの指標として、土壌の保水性を表すパラメーター(今回の検討では有効飽和度が0.5を示す圧力水頭値mを用いた)で無次元化することが適当であることが分かり、空間刻み幅は、土層厚方向に0.8(-m)、斜面方向に8.0(-m)を上限とすれば良いことが示された。これは典型的な森林土壌のmを-25cmとすると、土層厚方向に20cm、斜面方向に200cmの空間刻み幅である。

 上流法と空間刻み幅の指標についての妥当性の検討と、飽和不飽和浸透数値計算による流出解析の有効性を示すために、2次元断面斜面として解析可能な斜面ライシメーターと、3次元的な地形を持つ森林小流域谷頭部を対象とした浸透数値計算を行い、実測値との比較検討をした。

 斜面ライシメーターは東京大学農学部附属愛知演習林犬山地区にあり、断面が平行四辺形をしている。ライシメーター内の土壌はライシメーター設置時に周辺の土壌を埋め戻したものである。このようなライシメーターが並列してあり、計算対象としたライシメーターは地表面に敷石が施されたものである。数値計算を行うにあたって、計算対象ライシメーターとは別のライシメーターで測定された体積含水率()-圧力水頭()を参考に、-関係式を作成した。また計算には上流法を用い、空間刻み幅の指標を前述した刻み幅に従った。

 この結果、流出量計算値は夏期無降雨期を除き観測結果を良好に再現し、同時に斜面中部での複数深度での圧力水頭変化を良好に再現することが可能であった。また夏期無降雨期間では計算値と観測値の誤差が大きいが、もっとも乾燥した時期を初期条件として再計算を行った場合、その後の後の流出量、圧力水頭変化は精度良く再現可能である。

 以上より、極めて乾燥した状態へ至る過程の再現は、地表面蒸発量の推定法といったRichards式とは異なった水収支的な項目が新たに問題になり、これを除いた湿潤から乾燥へ至る過程、極乾から湿潤へ至る過程をRichards式に従った2次元浸透数値計算より計算可能で、流出量のみならず複数点での圧力水頭値を長期にわたって再現でき、土中水の流動を2次元的に再現できることが分かった。

 つづいて山地小流域での3次元飽和不飽和浸透計算の適用を試みる。解析対象流域は東京大学農学部附属愛知演習林内の南谷谷頭部流域(0.45ha)である。この流域の地形、土層厚分布を実測し、数値計算に組み入れている。また降雨、流出量、複数点での地下水位変動を自記計測した。またこの流域の隣の斜面で-と飽和透水係数を100ccサンプラーを用いて測定した。計算で用いる-関係式はこれらの平均値を数式化し、飽和透水係数は、深度が深くなるに従って低下するという観測結果を組み入れた。3次元計算を行うための座標変換を簡略化して行い、空間刻み幅は前述の指標に従い、上流法を用いて数値計算した。この流域の鉛直方向の空間刻み幅は、平均土層厚が空間刻み幅の指標に従うように、一律5分割とした。

 また、3次元計算においても空間刻み幅の指標が正しく機能するかを確認するため、基盤直上のコントロールボリュームのみ、さらに鉛直方向に5分割した計算を行った。これは斜面基盤上で発生する薄い飽和帯による速い流出成分に注目し、これが正確に評価されるかを検討するものである。この結果、流出量、地下水位変動ともに、単純に土層厚を5分割した計算結果とほぼ同様の結果を算出した。また、地下水面が不連続な形状で算出されることがなく、上流法と上流法を用いた時の空間刻み幅の指標が3次元計算においても適用可能であることが分かった。また流出量の計算値は、観測結果の特徴を精度良く再現するものであった。

 この計算結果を用い、直接流出量と流域貯留量の関係、蒸発散量の季節変化による流出逓減曲線の年々変化等を、流域内の土中水挙動および土壌水分分布を数値計算するという新たな観点から解析することができた。

 以上より、本論文で提示した浸透数値計算法により流域を対象とした3次元飽和不飽和浸透流計算が可能となり、これを用いて流出解析を行うことが可能となった言える。

審査要旨

 本論文は、山地小流域内の土壌水の挙動を3次元飽和不飽和浸透理論に基づく数値計算により再現する手法において、新たな計算手法を開発して複雑な土中水の挙動を従来より精密に再現するとともに、これを自然の小流域に適用して新たな水文学的知見を得ようとしたものである。

 第1章、第2章においては、モデルによる流出解析のこれまでの歩みを整理するとともに、山地小流域の流出解析法として飽和不飽和浸透流モデルを用いることの優位性を説明した。また、万能と信じられている3次元飽和不飽和浸透流モデルが、実際には自然流域に容易に適用できない理由について、コンピュータの性能が飛躍的に向上した現在に至っても、土中水の挙動の数値計算過程には、多くの解決すべき計算手法上の問題が存在することを説明した。

 第3章では、こうした浸透流数値計算上の問題点のうち、とくに重要と思われる計算要素間の透水係数の算出法と関連する空間刻み幅の設定法に関し、水の移動方向に注目する、いわば「上流法」とも呼べる計算手法を提案した。また、「上流法」では、最適空間刻み幅として、特定の土壌特性値、すなわち、有効飽和度0.5に対応する圧力水頭の値(cm)を用い、土層厚方向にはその0.8倍、斜面方向にはその8.0倍を設定すれば、最も合理的な計算が可能であることを示した。

 この計算手法を組み込んだ飽和不飽和浸透流モデルの妥当性を検討するため、二つの試験地を使用した。一つは東京大学農学部付属愛知演習林犬山試験地ライシメータであり、一つは同演習林白坂試験地南谷源頭部小流域である。これらの試験地の概要及び観測データを第4章に記述した。

 第5章では、精度の高い水文観測値が得られる上述の2次元人工斜面(東京大学農学部附属愛知演習林犬山試験地ライシメータ)に適用し、十分な精度で土中水の挙動を解析できることを示した。

 続く第6章では、同じモデルを山地の自然小流域(白坂試験地南谷源頭部小流域)に適用し、自然流域でも同様に誤差の少ない数値計算が可能であることを示すとともに、同流域における降雨の流出過程で発生するいくつかの水文現象を新たな角度から解明することに成功した。例えば、降雨流出ハイドログラフに現れる2次ピークの発生プロセスを土壌の透水係数の差異から説明できることを明らかにした。また、最後の第7章は研究の総括である。

 以上要するに本論文は、3次元飽和不飽和浸透流モデルを山地自然小流域等に適用する場合、長く未解決であった計算技術上の重要な問題点のいくつかを「上流法」とも呼べる手法によって解決し、それによって山地小流域に生起する諸水文現象を新たな角度から解明したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、博士(農学)の学位論文として十分な価値を有するものと判断した。

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