今日熱帯林は急速に減少しつつあり、この保全と回復は地球環境保全の観点からもっとも重要な課題のひとつとされている。熱帯林の回復には、優良な遺伝的特徴を備えた樹木種や様々な劣悪な環境に生き延びることのできる樹木種を、選抜あるいは作出し造林に使用する必要がある。 樹木のバイオテクノロジーは、造林樹種や緑化樹において病害抵抗性など優れた遺伝的特徴を有する苗木の迅速な増殖を可能にするばかりでなく、細胞操作、遺伝子導入などの手法により新たな有用形質を備えた個体の作出を可能にすることから、熱帯林再生に関してもこの応用に大きな期待が持たれている。しかし、これまで多数の樹木種でバイオテクノロジーの基礎技術ともいうべき組織培養法が確立されてきたにもかかわらず、熱帯樹木の組織培養研究はあまり進んでいないのが現状である。また、より進んだバイオテクノロジーの形態である細胞操作や遺伝子導入については、樹木全体でもこの技術が確立されている種は限られており、中でも、様々な技術が適用できるバイオテクノロジー研究のモデルシステムとしてはポプラなど一部の樹種しかない。特に、熱帯樹木は温帯樹木と異なった生理的性質を有しているにもかかわらず、モデルシステムとして使用できる樹木種はこれまで明らかにされていない。 そこで、本論文では、まず、Gmelina arborea(Verbenaceae)、Peronema canescens(Verbenaceae)、Paraserianthes falcataria(Legminosae)、Azadiracta excelsa(Meliaceae)の4種の熱帯早生樹について、初代培養、不定芽形成などの組織培養法を確立し、うちG.arboreaとP.canescensについては組織培養の発展形態である人工種子化技術を確立した。さらに、G.arboreaとA.excelsaについて細胞操作技術に欠かせないプロトプラストの単離法を明らかにし、熱帯樹木におけるバイオテクノロジーに適用するモデルシステム構築に係る一連の基礎技術を確立した。ついで、これらの成果をふまえ、熱帯の有用樹種でありクローン増殖が困難とされる、フタバガキ科樹木のクローン増殖法について検討した。 1.熱帯早生樹の組織培養法の確立 G.arborea、P.canescens、P.falcatariaについて、表面殺菌法、外植体からのシュートの伸長および増殖、伸長したシュートの発根に適した植物成長調節物質の種類と量を検討することにより、試験管内での植物体再生系を確立することが出来た。また、発根して再生した植物体の野外への順化法も明らかにした。 シュートの伸長においては、腋芽の培養と不定芽誘導の2方法について検討した。外植体には実生や試験管内で増殖した幼植物体を用いた。腋芽からのシュートの伸長には、G.arboreaでは0.22mg/lのBAP(6-benzylaminopurine)を添加したMS培地が、P.canescensでは、0.44mg/lのBAPを添加したMS培地が、また、P.falcatariaではBAPを0.22mg/l添加したB5培地が、それぞれ適当であった。これらのシュートは1mg/lのIBA(-indolebutylic acid)と0.02mg/lのNAA(-naphtylacetic acid)を添加したMS培地上で発根し植物体を再生した。茎軸からの不定芽の形成には、G.arboreaではMS培地に2mg/lのBAPと1mg/lのゼアチン(zeatine)を添加した場合あるいは2mg/lのBAPと0.5mg/lのチジアズロン(N-phenyl-N"-1,2,3-thiadiazole)を添加した場合が、P.canescensでは2mg/lのBAPと0.5mg/lのチジアズロンを添加したMS培地がそれぞれ適当であった。また、A.excelsaの葉柄や葉を外植体とした不定芽の誘導には、1/2MS培地に0.002mg/lのNAAと4.5mg/lのBAPを添加した培地が適当であった。これにより、熱帯早生樹種のバイオテクノロジー研究を発展させ得る基礎技術が確立された。 2.より高度な組織培養技術の適用 まず、G.arboreaとP.canescensについて、アルギン酸ゲルを用いた腋芽のカプセル化による、人工種子の調製とその発芽による植物体再生法を開発した。 無菌的に培養した幼植物体の腋芽部分を切り取って、植物成長調節物質類と適当量のショ糖を加えたMS培地に4%(w/v)のアルギン酸ナトリウムを加えた溶液0.4〜0.5mlとともに、14g/lのCaCl2・2H2O水溶液中に滴下させることにより、アルギン酸ゲルに包まれた腋芽のビーズを作成した。これを、人工種子とよぶ。培地に添加するホルモンの種類と量およびショ糖の量は、G.arboreaでは、0.22mg/lのBAP、0.02mg/lのNAA、1mg/lのIBAとショ糖6%、P.canescensでは、同じホルモン条件でショ糖24%が適当であった。また、人工種子の発芽には人工種子化に用いたのと同じホルモン条件で1%の寒天を含んだMS固形培地を用い、G.arboreaでは3%のショ糖を添加した場合に、P.canescensではショ糖無添加の場合に最も良好な発芽が観察された。さらに、発芽後伸長したシュートをバーミキュライトを含む培養土を入れたプラスチック容器に移植すると完全な植物体に成育した。また、G.arboreaの人工種子は、10℃において少なくとも4週間は高い生存率を維持しており、人工種子化が繁殖質の貯蔵に有効であることが示された。 本研究においてG.arboreaとP.canescensで人工種子化された腋芽を用いた植物体再生系がはじめて確立され、人工種子化技術が現実の林業種苗や遺伝子工学的に作出された種苗の増殖や保存に適用可能な技術であることが示された。 つぎに、無菌的に増殖されたG.arboreaとA.excelsaの葉を用いたプロトプラストの単離法と単離されたプロトプラストの培養法について検討した。 G.arboreaの葉肉プロトプラストは、1%のCellulase Onozuka RSと0.25%のPectolyase Y-23を混合した酵素液で効率的に単離され、BAPと2,4-Dとを組みあわせ添加したMS液体培地で培養可能であった。特に、0.6mg/lのBAPと1mg/lの2,4-Dを添加した培地で多数の細胞塊が形成された。一方、A.excelsaでは1%のCellulase Onozuka RSと0.5%のPectolyase Y-23、1%のDriselaseを含む酵素液でプロトプラストの単離が可能であったが、単離されたプロトプラストは壊れやすく培地中で生存できなかった。 これにより、熱帯早生樹の細胞操作に関する、基礎技術としてのプロトプラストの単離法を確立することができ、また、その培養の可能性についても示すことができた。 3.フタバガキ科樹木のクローン増殖法の確立 まず、フタバガキ科(Dipterocarpaceae)樹木のクローン増殖法を幅広く検索するため、Shorea roxburghiiとHopea odorataの2種に関して、2年生実生を用いたさし木及び伏条取り木について検討した。 この結果、両種ともさし木で容易に発根することが示されたが、S.roxburghiiはH.odorataよりも発根性が低く、IBA処理の効果も低かった。伏条取り木でも両種とも発根が見られたが、S.roxburghiiでは発根よりも腋芽からのシュートの伸長が優先して起こりクローン化しにくいこと、逆に、H.odorataではシュートの伸長よりも発根が優先して起こりクローン化が容易であることが示された。 次に、S.roxburghiiについて、組織培養によるクローン増殖法を検討するとともに、さらに効率的な組織培養法の確立のため、S.roxburghiiとS.macropyhllaのカルス培養系を確立し、それを用いて、培地中に添加する糖の種類を検索した。。 2年生のS.roxburghiiの実生の腋芽部分を含む茎軸を0.02mg/lのIBAと2mg/lあるいは5mg/lのゼアチンを添加し0.08Mのマルトースを加えたMS培地で培養すると、シュートの伸長及び増殖が誘導された。このシュートを0.1mg/lのIBAと0.1mg/lのNAAを添加したMS培地にさし付けると発根して植物体が再生した。 カルス培養については、S.roxburghiiでは1.5mg/lのBAPと0.5mg/lのNAAを含んだMS培地が、S.macropyhllaでは、2mg/lのBAPと0.5mg/lのNAAを含んだMS培地が、それぞれカルスの増殖に適当であり、ショ糖や他の糖類よりも果糖がカルスの増殖を促進した。 この結果、フタバガキ科樹木においてもさし木や、伏条取り木など従来法によるクローン増殖が可能な種が存在すること、また、新たな増殖法として組織培養が有効であることを明らかにした。さらに、フタバガキ科樹木の組織培養では、従来の樹木組織培養で炭素源として主に用いられてきたショ糖よりも果糖が有効であることが示された。 |