学位論文要旨



No 114392
著者(漢字) 施,彤煒
著者(英字)
著者(カナ) シ,トウイ
標題(和) クルマエビの眼柄内CHH族ペプチド産生細胞に関する免疫組織化学的研究
標題(洋) Immununohistochemical studies on CHH-family peptide producing cells in the eyestalk of kuruma prawn Penaeus japonicus
報告番号 114392
報告番号 甲14392
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2000号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 長澤,寛道
 鹿児島大学 教授 中村,薫
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 甲殻類の眼柄を切除すると、体色の変化、卵巣発達の促進、脱皮周期の短縮などさまざまな生理変化が起こる。そこで、甲殻類における内分泌学的研究は先ず眼柄内を調べることから始められた。1951年、PassanoとBlissが眼柄に存在するX器官-サイナス腺神経分泌系、すなわち、神経分泌細胞群(X器官)で産生されたペプチドが軸索によりその末端であるサイナス腺に運ばれ、暫く蓄積された後、血リンパ中に放出されるという概念をはじめて提出した。その後の研究により、この仮説は種々の甲殻類で証明された。これまでに多くの神経ペプチドがサイナス腺から精製され、アミノ酸配列が明らかにされたが、その配列と生理作用によって、それらのペプチドはCHH族ペプチド、色素関連ペプチド、神経伝達ペプチド等に分類されている。その中で、CHH族ペプチドは、血糖上昇ホルモン(CHH)、脱皮抑制ホルモン(MIH)、生殖腺抑制ホルモン(GIH)、大顎腺抑制ホルモン(MOIH)という甲殻類の生存にとって重要な意味をもつ多様なホルモンから成るという理由で最も注目されている。

 クルマエビのサイナス腺からは7種類のCHH族ペプチドが発見されている。このうち、6種類(Pej-SGP-I、-II、-III、-V、-VIおよび-VII)には活性の強さは異なるものの血糖上昇作用と卵巣における蛋白合成阻害作用が、1種類(Pej-SGP-IV)には脱皮抑制作用が存在することが明らかにされている。こうした多様なCHH族ペプチドの存在は他の甲殻類にはない特徴であり、各ペプチドの生理作用の違いが注目される。本研究は、クルマエビ眼柄内の多様なCHH族ペプチド神経分泌系を免疫組織化学的手法により同定し、さらに脱皮周期や卵巣成熟過程における形態と免疫染色性の変動を解析することにより各CHH族ペプチドの生理作用解明のための基礎的知見を得ることを目的として行ったものである。

第一章CHH族ペプチド抗体の作製とその特異性の検定

 クルマエビのCHH族ペプチドのアミノ酸配列は相同性が高く、精製ペプチドに対する抗体は個々のペプチドを識別できない可能性がある。そこで比較的相同性の低いC末端部分を選んで、ペプチド断片を合成し、これを抗原にして各ペプチドに対する特異抗体の作製を試みた。すわなち、先ず固相ペプチド合成により、Pej-SGP-I、-II、-III、-IV、および-V/VIの5種類についてC末端ペプチドを合成し、次にこれらを架橋剤を用いて牛血清アルブミンと結合させ、この複合体を抗原として、ウサギに免疫し抗血清を得た。この内、VとVIとはC末端部分において一次構造が完全に一致していることから、共通配列を持つペプチド断片を作製した。このようにして得られた5種類の抗血清は、酵素免疫測定法(ELISA)あるいは吸収試験によって検定したところ、すべて高い特異性を有することが分かった。甲殻類のCHH族ペプチドに対する特異性の高い抗体が得られたのは初めてであり、これにより、各ペプチドの動態解析が可能となった。

第二章CHH族ペプチド神経分泌系の同定と産生細胞の分類

 甲殻類の眼柄ホルモン産生部位であるX器官は、眼柄の外髄(ME)、内髄(MI)および終髄(MT)に存在する神経細胞群の総称である。これまでCHH族ペプチドを産生する神経分泌細胞群は、全て終髄の周りでしかも終髄をはさんで、サイナス腺の反対側に存在する細胞群、すなわち、medulla terminalis ganglionic X organ、MTGX、(またはmedulla terminalis X organ,MTXO)と考えられてきた。本章では、クルマエビがもつ多数のCHH族ペプチド(Pej-SGP-I、-II、-III、-IV、-V/VI)について免疫組織化学的手法による神経分泌系の同定を行い、分布様式の解明とCHH族ペプチド産生細胞の分類を試みた。その結果、他の甲殻類と同様に、クルマエビ眼柄内にも外髄、内髄および終髄の構造が確認されたが、免疫組織化学的解析の結果、クルマエビCHH族ペプチドの神経分泌系の分布は従来知られていた典型的な甲殻類のCHH族ペプチド神経分泌系の分布とはかなり異なっていることが判明した。

 Pej-SGP-I免疫陽性細胞は従来知られている終髄背面の1ヶ所(MTGX-1)のほかに、外髄2ヶ所(MEGX-1とMEGX-2)、内髄(MIGX)および終髄腹面(MTGX-3)の計5ヶ所に分布していた。Pej-SGP-II免疫陽性細胞はMTGX-1とMTGX-3の2ヶ所に存在した。Pej-SGP-III、-IVおよび-V/VI免疫陽性細胞はMTGX-1にのみ存在した。また、CHH族ペプチド産生細胞の種類によって軸索の分布も異なっていた。すなわち、Pej-SGP-I陽性細胞の軸索は外髄、内髄、終髄およびサイナス腺に、Pej-SGP-II陽性細胞の軸索は大部分が終髄とサイナス腺に存在したが、少数の軸索が外髄と内髄にも存在した。Pej-SGP-III、-IVおよび-V/VI陽性細胞の軸索は、従来のGHH族ペプチド産生細胞と同様に終髄(MTGX-1)とサイナス腺にしか存在しなかった。

 また本実験によって、1つの神経分泌細胞が2種以上のペプチドを産生する可能性があることが分かった。MEGX-1、MEGX-2およびMIGXには、Pej-SGP-I産生細胞しか存在しなかったが、MTGX-1には、Pej-SGP-I、-II、-II・III・IV(抗Pej-SGP-II、-III、-IV抗血清のいずれによっても染色された細胞)、-II・III・IV・V/VI、-II・III・V/VI、-III、-III・IV、-III・V/VI、-IV産生細胞が存在した。MTGX-3には、Pej-SGP-Iと-I・II産生細胞が存在し、個体によって、Pej-SGP-V/VI産生細胞が見られることもあった。

 以上の結果から、クルマエビにおいては、従来いわれていたMTGX-1以外にも、CHH族ペプチド産生細胞が分布すること、MTGX-1および-3においては複数のペプチドを産生する細胞が存在することなどの新知見が得られた。また、Pej-SGP-Iと-IIは細胞の分布だけでなく、それらの軸索は外髄、内髄にも存在するという特徴をもち、これらが神経ホルモンとしての機能だけでなく、神経伝達物質としての機能も合わせもつ可能性が強く示唆された。

第三章脱皮周期におけるPej-SGP-III(血糖上昇ホルモン)、-IV(脱皮抑制ホルモン)および-III・IV免疫陽性細胞の形態と数および免疫染色性の変化

 多様な分布と存在様式をもつ各GHH族ペプチドの生理的な役割を解明する一環として、先ず血糖上昇ホルモンであるPej-SGP-IIIと脱皮抑制ホルモンであるPej-SGP-IVについて、脱皮周期における神経分泌細胞の形態、数および免疫染色性の変化を調べた。対象を未成熟雄エビと未成熟雌エビ、成熟雄エビの3つのグループに分け、脱皮ステージごとに眼柄を採取し、免疫組織切片の観察を行った。

 未成熟雄と未成熟雌エビでは、Pej-SGP-III、-IVおよび-III・IV免疫陽性細胞の形態、数、免疫染色性と脱皮周期との明確な関係は認められず、神経分泌細胞本体とサイナス腺は共に良く染色された。一方、成熟雄エビでは、脱皮周期を通じて、Pej-SGP-III、-IVおよび-III・IV免疫陽性細胞本体の免疫染色性はサイナス腺より低く、空胞状構造をもつ細胞もしばしば見られた。また、脱皮間期の一部の個体では、それらの免疫陽性細胞は小さく、免疫染色性もさらに低下していた。

 以上の結果、Pej-SGP-III、-IVおよび-III・IVの神経分泌細胞系と脱皮周期との密接な関係は見い出せなかった。しかし一部の成熟雄エビでは、脱皮間期において、Pej-SGP-III、-IVおよび-III・IV免疫陽性細胞の形態と染色性が変化することが観察された。それらの変化は脱皮よりむしろ生殖腺の成熟と関連すると推察された。

第四章卵巣成熟過程におけるGHH族ペプチド産生細胞の形態と免疫染色性の変化

 つぎに雌エビを用いて卵巣成熟過程におけるCHH族ペプチド産生細胞の形態と免疫染色性の変化を調べた。卵巣の成熟段階を周辺仁期(perinucleolus stage)、卵黄球前期(early yolk globule stage)、卵黄球後期(late yolk globule stage)、産卵後(post-spawning)の4グループに分け、各成熟段階の左眼柄を採取し、免疫組織切片の観察を行った。

 成熟過程における形態と免疫染色性の変化はそれぞれのCHH族ペプチドによって異なっていた。MEGX-1、MFGX-2、MIGXおよびMTGX-1のPej-SGP-I免疫陽性細胞には成熟に伴う明確な変化は認められなかったが、MTGX-3に存在するPej-SGP-I陽性細胞は大きさにより異なる形態変化をすることが観察された。大型細胞では空泡状構造が見られ、成熟の進行に伴って、その数が増加し、そのサイズも大きくなることが観察された。中型細胞では、大型細胞と同様な変化が認められたが、部分的な変化しか認められなかった。小型細胞には顕著な変化は認められなかった。MTGX-1に存在するPej-SGP-III、-IVおよび-V/VI陽性細胞では、成熟の進行に伴って、免疫染色性の低下および空胞状構造と免疫陽性顆粒状構造の出現が認められた。MTGX-1に存在するPej-SGP-IIと-IV陽性細胞は、Pej-SGP-I大型細胞と同様な形態変化を示したが、免疫染色性の変化は認められなかった。MTGX-3に存在するPej-SGP-I・II産生細胞の形態と免疫染色性には明瞭な変化は観察されなかった。産卵後のエビでは、CHH族ペプチド産生細胞は上述と同様に、空泡状構造や免疫陽性顆粒状構造が観察され、免疫染色性の低下が認められた。卵巣成熟段階および産卵後を通じて、サイナス腺の免疫染色性の顕著な変化は観察されなかった。成熟雄エビと成熟雌エビの共通点は、空泡状構造が出現することおよびサイナス腺の染色性が神経分泌細胞本体より強いことであった。

 以上の結果、成熟雌エビでは卵巣成熟の進行に伴って、一部のCHH族ペプチド産生細胞の形態と免疫染色性に変化が見られたことから、CHH族ペプチドが雌エビの卵巣成熟と密接に関係していることが示唆された。しかし、こうした変化はペプチドの種類、神経分泌細胞の種類および存在部位により一様ではないことから、各CHH族ペプチドが複雑な機能を有していると推察された。

 各種GHH族ペプチドの合成C末端ペプチドを抗原としたCHH族ペプチドに対する特異性の高い抗体の作製により、クルマエビの眼柄内に存在する多数のCHH族ペプチド産生細胞について詳細な解析を行うことができた。さらに、多様なCHH族ペプチドを産生する神経分泌細胞がそれらのペプチドが従来いわれていた神経分泌細胞群(MTGX)だけでなく、他の4ヶ所の細胞群でも産生されることが明らかとなった。CHH族ペプチド産生細胞の形態と免疫染色性は成熟段階に依存して変化したが、それらの変化はかなり複雑であり、各ペプチド産生細胞の変化とそうした生理学的変化とがどのように結びつくのかを十分に明らかにすることはできなかった。しかし、本研究によって得られた免疫組織化学的研究の成果はCHH族ペプチドの作用の全貌解明に向けての基礎として位置付けられるものであり、今後クルマエビのみならず、広く甲殻類の神経内分泌学の発展に寄与することが期待される。

審査要旨

 甲殻類の眼柄にはX器官-サイナス腺神経分泌系が存在し、CHH族ペプチド、色素関連ペプチド、神経伝達ペプチド等を分泌している。このうちCHH族ペプチドは、血糖上昇ホルモン(CHH)、脱皮抑制ホルモン(MIH)、生殖腺抑制ホルモン(GIH)、大顎腺抑制ホルモン(MOIH)という甲殻類の生存にとって重要な意味をもつ多様なホルモンから成るという理由で最も注目されている。クルマエビのサイナス腺からは7種類のCHH族ペプチドが発見されており、このうち6種類(Pej-SGP-I、-II、-III、-V、-VI、-VII)には血糖上昇作用が、1種類(Pej-SGP-IV)には脱皮抑制作用が存在することが知られている。本研究は、クルマエビ眼柄内の多様なCHH族ペプチド神経分泌系を免疫組織化学的手法により同定し、さらに脱皮周期や卵巣成熟過程における変動を解析することにより、各CHH族ペプチドの生理作用解明のための基礎的知見を得ることを目的として行ったものである。

第一章CHH族ペプチド抗体の作製とその特異性の検定

 固相ペプチド合成により、Pej-SGP-I、-II、-III、-IV、-VI、-V/VIの5種類についてC末端ペプチドを合成し、架橋剤を用いて牛血清アルブミンと結合させた後、ウサギに免疫し抗血清を得た。得られた5種類の抗血清は酵素免疫測定法あるいは吸収試験により高い特異性を有することが確認された。甲殻類のCHH族ペプチドに対する特異性の高い抗体が得られたのは初めてであり、これにより、各ペプチド産生細胞の動態解析が可能となった。

第二章CHH族ペプチド神経分泌系の同定と産生細胞の分類

 得られた抗体を用いて免疫組織化学的解析を行った結果、クルマエビにおけるCHH族ペプチド神経分泌系の分布は従来知られていた典型的な甲殻類のCHH族ペプチド神経分泌系の分布とはかなり異なることが判明した。すなわちPej-SGP-I免疫陽性細胞は終髄(MTGX-1とMTGX-3)、外髄(MEGX-1とMEGX-2)、内髄(MIGX-1)の5カ所に、Pej-SGP-II免疫陽性細胞はMTGX-1とMTGX-3の2カ所に、またPej-SGP-III、-IVおよび-V/VI免疫陽性細胞はMTGX-1にのみ、存在した。Pej-SGP-IとPej-SGP-II陽性細胞の軸索は外髄、内髄、終髄とサイナス腺に、Pej-SGP-III、-IV、-V/VI陽性細胞の軸索は終髄とサイナス腺に、存在した。また、MTGX-1とMTGX-3に存在する神経分泌細胞の多くが2種類以上のペプチドを産生していることも明らかとなった。

 以上の結果から、クルマエビにおいては、従来いわれていた終髄(MTGX-1)以外にも、CHH族ペプチド産生細胞が分布すること、MTGX-1および-3においては複数のペプチドを産生する細胞が存在することなどの新知見が得られた。また、Pej-SGP-Iと-IIは細胞の分布だけでなく、それらの軸索は外髄、内髄にも存在するという特徴をもち、これらが神経ホルモンとしての機能だけでなく神経伝達物質や神経修飾物質としての機能を合わせもつことが示唆された。

第三章脱皮周期におけるPej-SGP-III(血糖上昇ホルモン)、-IV、(脱皮抑制ホルモン)および-III・IV免疫陽性細胞の形態と数および免疫染色性の変化

 Pej-SGP-III、-IVおよび-III・IV神経分泌系と脱皮周期との密接な関係は見いだせなかった。しかし一部の成熟雄エビでは脱皮間期において各産生細胞のサイズが小さく染色性も低いことが観察された。これらの変化は脱皮より生殖腺の成熟と関連すると推察された。

第四章卵巣成熟過程におけるCHH族ペプチド産生細胞の形態と免疫染色性の変化

 つぎに成熟段階の異なる雌エビから眼柄を採取し免疫組織切片の観察を行った。その結果、MTGX-1に存在するPej-SGP-III、-V/VI陽性細胞では、成熟の進行に伴って免疫染色性の低下および空砲状構造と免疫陽性顆粒状構造の出現が認められた。しかし、Pej-SGP-II、Pej-SGP-IV陽性細胞には免疫染色性の低下は認められなかった。またMTGX-3に存在するPej-SGP-I陽性細胞では空砲状構造が見られ、成熟の進行に伴って、その数が増加しサイズも大きくなった。この結果、Pej-SGP-I、-III、-V/VI陽性細胞が雌エビの卵巣成熟と密接に関係していることが明らかとなった。

 以上、本研究は、特異性の高い抗体を作製することにより、クルマエビ眼柄内に存在する多様なCHH族ペプチド産生細胞を同定するとともに、脱皮や卵巣成熟に伴うこれらの産生細胞の形態と免疫染色性の変化を詳細に調べ明らかにしたものである。本研究によって得られた免疫組織化学的研究の成果はCHH族ペプチドの作用の全貌解明へ向けての基礎として位置付けられるものであり、今後クルマエビのみならず、広く甲殻類の神経内分泌学の発展に寄与することが期待される。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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