学位論文要旨



No 114394
著者(漢字) 泉,庄太郎
著者(英字)
著者(カナ) イズミ,ショウタロウ
標題(和) 冷水病原因菌Flavobacterium psychrophilumの検出と型別に関する研究
標題(洋)
報告番号 114394
報告番号 甲14394
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2002号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 木暮,一啓
 東京大学 助教授 小川,和夫
内容要旨

 冷水病(Cold Water Disease)は細菌性のサケ科魚類の病気である。主に低水温下の養殖場で発生し、産業的に甚大な被害をもたらすことが知られている。原因菌は、グラム陰性の長桿菌、Flavobacterium psychrophilumである。F.psychrophilumの地理的分布は、北米とヨーロッパ各国が知られていたが、現在では日本、南米、韓国などでも報告されている。

 日本における冷水病発生の最初の報告は、1987年、徳島県下のアユ養殖場で報告されたもので、ついで、宮城県のギンザケ養殖場での発生が報告された。その後ニジマス、オイカワなどの種々の魚にも認められ、地理的分布もほぼ全国的なものとなっている。また、被害は養殖場にとどまらず湖や河川などの天然水域にまで広がっている。産業的な被害の大きさ、地域や宿主の広がりから、冷水病は日本におけるもっとも重要な細菌性魚類疾病の一つであるといえる。その中でもアユ養殖における被害がもっとも深刻なものとなっているが、アユ養殖種苗の最大の供給源である琵琶湖で採取された時点で保菌状態にある個体が発病するのか、あるいは、各地の養殖場で感染して発病するのかは不明である。また、ギンザケやニジマスが外来魚種であること、冷水病が欧米では古くから知られているが日本では比較的新しい病気であることを考えると、日本における冷水病はアユのものも含めてこれら外来魚種とともに持ち込まれたことも考えられる。しかし、このことに関する知見もほとんど得られていない。そこで、本研究では、特に被害の大きいアユにおけるF.psychrophilumの保菌状況を分子生物学的手法を応用して調査し、また、その由来を探るべく様々な方法を用いてF.psychrophilum種内の型別を行った。

PCRを用いたFlavobacterium psychrophilumの検出法の確立

 PCRプライマーとしてF.psychrophilumの16S-rDNAに特異的なプライマーペアとグラム陰性菌の16S-rDNAにユニバーサルなプライマーペアを使用した。検出感度向上のためDNA抽出法においてプロテナーゼを用いた熱抽出法、キレート樹脂のChelex100を用いた方法、フェノール/クロロホルムを用いた方法を比較し、PCRにおいて通常のPCR、nested-PCR、RT-PCRの各方法を比較し、また、PCR条件についても検討を加えた。

 その結果、純培養菌体からのPCRによる検出はいずれの方法においても高い感度で検出が可能であった。分離菌株の同定にPCRを用いるには、サンプルの処理と保存が簡便なChelex100でDNAを抽出して通常のPCRを用いるのがよいと思われた。腎臓組織に実験的にF.psychrophilumを接種した疑似感染組織をサンプルとして用いた場合、Chelex100でDNA抽出し、nested-PCRを用いるのがもっとも検出感度が高く、また、従来の寒天平板法、蛍光抗体法と比較しても高感度であったので、この方法がアユ種苗の保菌検査に利用できると判断された。

琵琶湖産アユと輸入ギンザケ卵からのPCRを用いたF.psychrophilumの検出

 Chelex100でDNA抽出し、nested-PCRを用いるF.psychrophilumの検出方法によって、琵琶湖産養殖種苗アユの保菌検査を行った。また、この検査方法を応用し、輸入ギンザケ卵からのF.psychrophilumの検出を試みた。

 その結果、琵琶湖産養殖種苗アユから高い検出率(16%)で保菌が確認され、琵琶湖産アユの多くが保菌状態にあることが分かった。輸入ギンザケ卵においても保菌が確認され、日本におけるギンザケ養殖のほとんどが輸入発眼卵によることから、日本のギンザケ養殖場で発生した冷水病が輸入ギンザケ卵とともに持ち込まれたことが示唆された。

 また、寒天平板培養法によるF.psychrophilumの検出に鰓が検査材料として有効であるとの報告があることから、鰓からのPCRによる検出を試みた。腎臓からの検出に用いたアユサンプルと同じロットのサンプルを用いて鰓からの検出を行ったところ、およそ半数のサンプルからF.psychrophilumの存在が確認され、鰓の方が腎臓よりも検出率が高いことが分かった。しかし、鰓は常時環境水と接している器官であることから、保菌検査としての鰓からの検出の持つ意義については別途検討が必要であると思われる。

血清型によるF.psychrophilumの型別

 F.psychrophilumは宿主の違いにより、O-1、O-2の二つの血清型が存在し、前者はギンザケ由来株、後者はアユ由来株に多いことが既に報告されている。しかし、いずれの血清型にも属さない株がニジマス由来株に多くみられることなどから、さらに多くの菌株と抗血清を用いてF.psychrophilumの血清型による型別を試みた。

 アユ、ギンザケ、ニジマス由来の各菌株に対する家兎血清をそれぞれ作製し、ホルマリン不活化菌体による吸収操作をおこなった。吸収操作は各々の抗原に特異的に反応するまで繰り返し行い、実験に供試した。抗原には加熱処理菌体を使用した。

 その結果、O-1、O-2に加えて新たにニジマス由来株のほとんどが属するO-3の血清型が認められた。しかしどの血清型にも属さない菌株が、アユ、ギンザケ、ニジマス以外の魚種由来の株で多くみられ、さらに多くの血清型が存在することが示唆された。これらの血清型は感染魚種と強く相関したが、分離された地域、年代との相関性は低かった。

gyrBを標的としたPCR-RFLPによるF.psychrophilumの型別

 F.psychrophilumの遺伝学的多型性を調べるため、DNAジャイレースBサブユニット遺伝子(gyrB)を標的としたPCR-RFLPを用いてF.psychrophilumの型別を試みた。

 gyrB領域をユニバーサルプライマーペアで増幅したものと、F.psychrophilumに特異的なプライマーペアで増幅したものの2種類のPCR産物を利用した。ユニバーサルプライマーは、既知のBacillus subtilis、Escherichia coliそしてPseudomonas putidaのDNAジャイレースBサブユニットのアミノ酸配列を基に設計した。F.psychrophilumに特異的なプライマーはF.psychrophilumのgyrB領域の塩基配列を決定し、それを基に設計した。制限酵素はおもに4塩基認識のものを用いた。

 その結果、ユニバーサルプライマーペアで増幅し、制限酵素HinfIで処理したとき、2つの制限酵素断片パターンがみられ、そのうちの1つのパターンはアユ由来の菌株に特異的であったのに対し、もう一つのパターンは、ギンザケ、ニジマスなどのサケ科魚類、およびアユなど他の全ての魚種由来の菌株でみられた。また、F.psychrophilumに特異的なプライマーペアで増幅し制限酵素RsaIで処理したとき、2つの制限酵素断片パターンがみられ、ニジマス由来の菌株では、ほとんどが1つのパターンであったのに対し、アユ、ギンザケ由来の菌株では、両方の制限酵素断片パターンがみられた。また、ギンザケ、ニジマス以外のサケ科魚類およびその他の魚種由来の菌株のほとんどでは、ニジマスとは異なる制限酵素断片パターンを示した。これらの結果により、制限酵素断片パターンと感染魚種との間に一定の関係の存在が示唆された。

プラスミドプロファイルによるF.psychrophilumの型別

 F.psychrophilumには概ねの塩基数によって分類できる複数のプラスミドプロファイルが存在することが知られており、ニジマス由来株に特異的なプラスミドと、ニジマスに対する病原性との間に相関があることも示唆されている。また、アユ由来株に特異的なプラスミドも知られているが、これらのプラスミドの塩基配列は未知のままである。そこで、ニジマス由来株とアユ由来株についてそれぞれ特異的なプラスミドの塩基配列を求めた。これに基づいて特異的なプライマーペアを設計することにより、PCRを用いてプラスミドプロファイルを求め、F.psychrophilumの型別を試みた。

 その結果、供試したアユ由来株に特異的なプラスミドは他のアユ由来株に多く認められ、また、供試したニジマス由来株に特異的なプラスミドは、他のニジマス由来株に多く認められたことから、プラスミドによる型別も感染魚種と相関することが分かった。

 以上、本研究により、日本のアユ養殖における最大の種苗供給地である琵琶湖のアユが高率でF.psychrophilumを保菌していること、また、F.psychrophilum血清型、遺伝子型やプラスミド型は宿主魚種と強い相関性を持つことが分かった。これらの結果から、ギンザケやニジマスに発生している冷水病は、これらの卵の輸入に伴って日本に持ち込まれた可能性が示唆された。一方、アユ由来株もアユに強い相関性を示していることから、アユの冷水病が日本起源で外国から持ち込まれた病原菌によるものではない可能性が示唆された。

審査要旨

 冷水病(Cold Water Disease)は北米のサケ科魚類の病気として1948年に最初に報告されたが、1980年代半ばから日本各地の孵化・養殖場や琵琶湖などの天然水域において、アユ、ギンザケ、ニジマスなどに流行するようになった。そこで、本研究では被害のとくに大きいアユにおける原因菌Flavobacterium psychrophilumの保菌状況を分子生物学的手法を応用して調査し、また、その由来を探るべく様々な方法を用いて種内の型別を行った。

1.PCRによるF.psychrophilumの検出法の確立

 検査試料からのDNAの抽出法およびPCR方式をいろいろ比較検討した。その結果、キレート樹脂のChelex100を用いてDNA抽出し、グラム陰性菌の16S-rDNAにユニバーサルなプライマーセットとF.psychrophilumの16S-rDNAに特異的なプライマーセットによるnested-PCR、を行う方法がサンプルの処理と保存が簡便な上に検出感度が高く、最も有用と結論された。

2.琵琶湖産アユと輸入ギンザケ卵からのPCRを用いたF.psychrophilumの検出

 琵琶湖産種苗アユおよび輸入ギンザケ卵の保菌検査を行った。その結果、種苗アユからかなり高い検出率(16%)で保菌が確認され、琵琶湖産アユの多くが保菌状態にあることが分かった。また、輸入ギンザケ卵においても保菌が確認され、ギンザケにおける冷水病は輸入種卵とともに持ち込まれた原因菌によることが示唆された。

3.血清型によるF.psychrophilumの型別

 アユ、ギンザケ、ニジマス由来の各菌株に対する家兎血清を作製し、ホルマリン不活化菌体による吸収操作を行い、実験に供試した。抗原には加熱処理菌体を使用した。その結果、既に報告されているO-1、O-2に加えて新たにニジマス由来株のほとんどが属するO-3の血清型が認められた。しかしどの血清型にも属さない菌株が、ギンザケ、アユ、ニジマス以外の魚種由来の株に多くみられ、さらに多くの血清型が存在することが示唆された。これらの血清型は感染魚種と強く相関したが、分離された地域、年代との相関性は認められなかった。

4.gyrBを標的としたPCR-RFLPによるF.psychrophilumの型別

 遺伝学的冬型性を調べるため、DNAジャイレースBサブユニット遺伝子(gyrB)を標的としたPCR-RFLPを用いて型別を試みた。gyrB領域をユニバーサルプライマーセットで増幅したものと、F.psychrophilumに特異的なプライマーセットで増幅したものの2種類のPCR産物を利用した。その結果、ユニバーサルプライマーセットで増幅し、制限酵素Hinf Iで処理したとき、2つの制限酵素断片パターンがみられ、そのうちの1つのパターンはアユ由来の菌株に特異的であったのに対し、もう一つのパターンは、サケ科魚類およびアユなど他の全ての魚種由来の菌株でみられた。また、F.psychrophilumに特異的なプライマーセットで増幅し制限酵素Rsa Iで処理したとき、2つの制限酵素断片パターンがみられ、ニジマス由来の菌株では、ほとんどが1つのパターンであったのに対し、その他の魚種由来の菌株のほとんどでは、それとは異なるパターンを示した。

5.プラスミドプロファイルによるF.psychrophilum型別

 アユ由来株とニジマス由来株についてそれぞれに特異的なプラスミドの塩基配列を求めつぎにPCRにより供試菌株のプラスミドプロファイルを求めた。その結果、アユ由来株に特異的なプラスミドはアユ由来株に多く認められ、また、ニジマス由来株に特異的なプラスミドは、ニジマス由来株に多く認められたことから、プラスミドによる型別も感染魚種と相関することが分かった。

 以上のように本研究により、日本のアユ養殖における最大の種苗供給地である琵琶湖のアユがF.psychrophilumを保菌していること、また、F.psychrophilumの血清型や遺伝子型やプラスミド型は宿主魚種と強い相関性を持つことが明らかとなった。その結果、ギンザケとニジマスに発生している冷水病はそれぞれの種卵の輸入に伴って日本に持ち込まれた可能性が高い一方、アユの冷水病が日本起源で外国から持ち込まれた病原菌によるものではない可能性が示唆された。これらの成果は、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54705